東アジアの笑いを…、めざせるか?
3月18日(木)
気がついたら、前回の日記(「東アジアの笑いをめざせ!」)が、400本目の記事だった。
よく続いたものだ。お金をもらっているわけでもないのに。
私のことをよく知る家族は、私が人一倍、怠惰でずぼらであることを知っている。
にもかかわらず、どうして続いたのか、よくわからない。
私には、ヘンな意地みたいなものがあって、ある時期から、「書き手が飽きるか、読み手が飽きるか」と、誰も頼んでいないのに、勝負しよう、と思ったふしがある。
「これは、書き手と読み手の根競べだ!」と。
だから、うんざりするような、しかも、覚えにくい中国人の名前が数多く登場するような、複雑な話を、これでもか、と書き続けた。
ところが、帰国してみて、まだ飽きずに読んでくれている人がいたことに、少し驚いた。
本当はひっそりとやめてしまおう、と思っていたが、せっかく読んでくれた人との「縁」を断ち切ってしまうというのも、なんとなくもったいない気がする。
それに、3月末をもってお別れしてしまう人たちもいるとなると、なおさらである。
ま、韓国とかかわる話を中心に、もう少し続けてみることにしようか。
それと、韓国語日記も、昨年の8月初めから書き始めて、気がつくと記事が200本を超えていた。
こちらの方は、書き始めた当初は数行、ひどいときには1行で終わったこともあったから、実質は、150本くらい、といったところだろうか。
11月以降は、日本語の日記を翻訳して順次載せることにしたから、しだいに1日あたりに書く分量は、日本語の日記と変わらない程度になった。
日本語の日記ならまだしも、韓国語、しかも、勉強して1年くらいの外国語で日記を書き続ける、ということこそ、私にとっては不思議である。
「ふつうはそこまでやろうとは思わないよ」とは、先日会ったこぶぎさんの話。
怠惰な私が、どうしてここまで続いたのだろう。
夕方、ある院生の方が、ある用事で研究室にやってきた。そういえば、この院生の方は、「笑い」を研究対象にしていたな、と思い出し、私が韓国で体験したさまざまな「笑い」について、お話しした。前回書いた、「東アジアの笑い」について考えていることも、お話しした。
気がついたら、研究室で1時間くらい立ち話をしてしまった。
やはり、喋っていると、考えがまとまってくるものである。あれこれと喋っているうちに、なぜ私が、これほどまでに日記にこだわっていたのか、が、なんとなくつかめてきたのである。
私は、この1年3カ月を通じて、歴史認識については中国人や韓国人と永遠に分かり合えないかも知れないけれど、「笑い」であれば共有できるかも知れない、と、心のどこかで思っていたのかも知れない。それは、語学院で過ごした1年の間に感じたことであった。
つまり、「笑い」こそ、東アジアを結ぶ力があるのではないか、と。
そんなことを、なかば冗談、なかば本気で考えはじめていたのである。
この日記がひたすらこだわったのも、そこだったような気がする。
そして、韓国語日記。
読者はきわめて少ない。しかも、少ない読者のほとんどは、語学院でお世話になった先生方。
ある先生は、「夜中に(私の日記を)まとめて読んでいたら、笑いがとまらなくなって、オモニ(お母さん)にでも見つかったらどうしようかと思った。気がついたら朝の5時になっていた」とおっしゃっていた。
むろん、お世辞が多分に含まれた言葉だが、自分の笑いの感性や表現は、韓国でも受け入れられるのだ、ということがわかり、「韓国人を笑わせる韓国語日記」を、いまもめざして書き続けているのだ。
もっとも私の帰国後は、忘れられたのか、飽きられたのか、うんざりしたのか、読んでいる人はほとんどいなくなってしまったが。
それでもよい。しばらく、書き続けよう。
あらためて思う。東アジアに共通する「笑い」とは、どんなものなのか?
…そのことをたしかめに、21日(日)から24日(水)まで、ソウルに行ってきます!
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 曲目(2025.05.11)
- スピーチの極意·後編(2025.02.20)
- 傾聴人生(2025.02.17)
- 熟睡する方法(2025.01.30)
- ご隠居になりたい(2025.01.25)
コメント