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黒澤明、生誕100年

ひきつづき、現実逃避日記。

タイトルに「黒澤明」の名前が入っている本を見ると、つい買ってしまう病気である。

ま、「黒澤明」の名前が入っていなくても、本を見ると、つい買ってしまう病気なのだが。

私は、べつに黒澤明の映画マニアというわけでは決してない。だが、どういうわけか、黒澤明に関する本を読むのが好きである。ひょっとすると、映画の作品それ自体を見る機会よりも、黒澤明に関する本を読む機会の方が多いのではないか、と思うほどである。

今年は、黒澤明生誕100年だそうで、黒澤明に関する本が数多く出版されている。

小林信彦『黒澤明という時代』(文藝春秋)もその一冊である。

私は、小林信彦氏の『天才伝説 横山やすし』(文藝春秋)という本が、めちゃめちゃ好きである。いつか、このような語り口で、同時代史の本を書いてみたい、と、本気で思う。

小林氏にはこのほかに、同じ手法で書いた『おかしな男 渥美清』(文藝春秋)という本もある。今度の本もその延長線上にあたると思われるから、さしずめ、同時代史評伝の3部作というところか。

ただ、『天才伝説 横山やすし』の時のようなインパクトは、残念ながら、ない。それを、「衰え」とみるのか、対象との距離間の違いとみるのかは、意見の分かれるところであろう。

それにしても、小林氏の語り口による黒澤明論というだけでも、読む価値は十分にあると思う。

そうだった。今回は、小林信彦氏の話ではなく、黒澤明の話。

生誕100年にあわせて出版された大部なシリーズが、浜野保樹編『大系 黒澤明』(講談社、全4巻)。これまでの黒澤の発言や周囲の証言を集めた全集。黒澤明の人生を網羅した決定版といってよい。

時間を見つけては、少しずつ、拾い読みしているところだが、これがやはりおもしろいのである。

なぜ、黒澤明に関する本を読むのが好きなのか。

ひとつは、映画の創作の過程のエピソードが面白い、ということ。

もうひとつは、黒澤明ほど、「ノリに乗っている時期」と、「どん底」の時期の落差が激しい人も、いないと思うからである。賞賛と批判の落差もまた、激しい人だな、と思う。

作品に対する、周囲の貶誉褒貶の評価の激しさも相まって、黒澤明の人生は常人にははかりがたいばかりに展開するのである。

もちろん、世界のクロサワと、凡庸な私とでは、全く次元の違う人生なのだが、それでも、いろいろな人の証言を通じて明らかになる黒澤明の人生にふれると、「俺も頑張ろう」という気に、少しなるのである。

それと、あらためて驚いたのは、

「羅生門」を撮ったころが40歳。

「生きる」を撮ったころが42歳。

「七人の侍」を撮ったころが44歳。

つまり私たちがよく知る「傑作」を連発するのは、40代になってからなのである。

さらに、

「用心棒」を撮ったころが51歳。

「椿三十郎」を撮ったころが52歳。

「天国と地獄」を撮ったころが53歳。

と、50代もまた、ノリに乗っている。

「デルス・ウザーラ」に至っては、63歳~65歳の時の仕事。

63歳で「デルス・ウザーラ」だぜ。

40歳そこそそで、「疲れた」なんて、言ってられないね。枯れるにはまだ早い。

やっぱりもう少し頑張ろう、という気になるね。

老後は、すでに買い揃えている『全集 黒澤明』(岩波書店、全7巻)に載っている、黒澤明の全脚本を読むことに決めていたが、この年齢から、老後のことを考えるのはやめにしよう。

だって黒澤明は、80歳を過ぎて、ようやく「もう私には時間がない」と口にしたそうだから(小林、前掲書)。

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