人情話の名手
『ケナリも花、サクラも花』を読んで以来、鷺沢萌の文体に惹かれて、彼女の小説を読むようになった。
その名前からくる印象から、若者の恋愛小説なんかを書く流行作家だったのかな、と勝手に想像して、これまで、手にとって読もうとすらしなかった。
しかしその先入観が、まったくもって間違っていたことを知る。
最近読んだのは、『さいはての二人』(角川文庫)、『帰れぬ人びと』(文春文庫)、『ウェルカム・ホーム!』(新潮文庫)など。
ある文庫本の巻末の解説に、「鷺沢萌は、人情話の名手である」と書かれていた。
なるほど、人情話か。
たしかに、これまで読んできたものから考えると、人情話、という言い方は、ピッタリくる。いわば彼女は、人情話の希代の語り手である。
そして私は、そもそも人情話が好きなのだ。考えてみれば、映画とかドラマでも、基本的には人情話が好きである。鷺沢萌の語り口に惹かれるのも、そのせいであろう。
ただし、同じ人情話、といっても、その解説者が鷺沢萌とならべてあげていた、浅田次郎の語り口には、それほど惹かれない。
なぜだろう。この違いは。
鷺沢萌が、私と同い年であったという、いつもの「ひいき目」からきているものなのか。
あるいは、文章からうかがえる感性に共鳴しているせいなのか。
いずれにしても、久々に、私にぴたりとはまった作家であった。
この先、この人情話の名手は、巧みな語りにどのように磨きをかけていくことになったのだろう。
それがいま、叶わなくなってしまったのは、かえすがえすも残念である。
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