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通信添削、はじまる?

あいかわらず、韓国語日記を続けている。

ほとんど読まれることのない日記だが、語学院の2級の時の先生であった大柄の先生と、4級の時の先生であった「よくモノをなくす先生」は、いまでも読んでくれているようで、たまにコメントをくださる。

もう一人、この日記の読者がいらっしゃる。

ソン先生といって、やはり語学院の先生なのだが、実は、私はこの先生を知らない。習ったことのない先生なのである。

語学院の韓国語の先生の顔は、ほとんど知っているので、顔を見ればわかると思うのだが、名前を知らない先生もけっこういて、どうも名前と顔が一致しない。

どうして、その先生が、私の日記を読んでいるということがわかったのか。

韓国語の日記を書いているミニホムピィ(自分のミニホームページのこと)には、ブログと同じように、記事に対して他の人がコメントを書きこめる欄がある。

「大柄の先生」や「よくモノをなくす先生」は、しばしばそのコメント欄に、コメントを残してくださるのだが、実は、コメント欄以外にも、メッセージを残す方法がある。

「チョクチ」と呼ばれるもので、日本語で言えば、「一言メッセージ」というものである。

この「一言メッセージ」は、コメント欄のように、公にされるものではなく、日記主のみが読めるようなしくみになっている。

私は最初、そんな機能があることなど全然知らなかったのが、あるとき、たまたま「チョクチ」というコーナーに、メッセージが入っていることに気づいた。それが、ソン先生のメッセージだったのである。今年の1月、まだ韓国に滞在中の時であった。

ソン先生は、「たぶん私のことはご存じないでしょう。キョスニムが語学院の1級の時のマラギ(会話表現)の試験の時に、試験監督をしました」という。

だが、申し訳ないことに、まったく記憶にない。

「この日記のことは、クォン先生(大柄の先生)からお聞きして、それ以来、読んでます」

大柄の先生の交友関係から考えると、たぶん、あの先生かな、と、なんとなく思い当たる先生は頭に浮かんだ。

だが、確証がつかめない。帰国前に一度、語学院の韓国語の先生方の部屋にお別れの挨拶にいったときも、その先生がどなたなのか、わからなかったし、先生もご自分から名乗られることはなかった。いまもって、その先生がどなたなのか、わからない。

で、その先生は、ごくごくたまに、ほんとに忘れた頃に、「一言メッセージ」に、メッセージを残してくださる。

「いつも一方的に読ませてもらってばかりで申し訳ないので…」とおっしゃって、私の日記の、文法的な誤りや語法の誤りを、指摘してくださるのである。

「受動態と進行形は、一緒に用いることはできないんですよ」とか。

そのたびに、そのご教示に感謝して、日記の文章を修正するのである。

さて昨日、久しぶりにソン先生から「一言メッセージ」が入っていた。

「あの、…失礼でなければ、メールアドレスを教えていただけないでしょうか。このまえ書かれた日記を修正したいのですが、『一言メッセージ』では、字数制限があって、意を尽くせないので」

ちょっとドキッとした。ひょっとして私の日記は、間違いだらけなのだろうか。

こちらとしては、自分の書いたものがどのくらい間違っているのかを知るチャンスでもあるので、メールアドレスを教えることにした。

すると今日、早速メールが送られてきた。

「一つ一つ言葉で説明するのが大変なので、全体を通して見ることにしました」

ワードのファイルが添付されている。

添付ファイルを開くと、私が先日書いた日記、「初恋は、1級の先生」の文章の全文が引用されている。そして間違った表現の箇所に線が引かれ、その下に修正案が書かれていた(そもそも、先日書いた「初恋は、1級の先生」というユルい文章は、韓国語日記用に書いた文章なのであった)。

修正箇所は、予想していたほど多くはなかったが、どれも「なるほど」と思うものばかりである。まるで、作文の授業で添削されているがごとくである。

こんなくだらない文章をマジメに添削していただくことじたい、ありがたいことなのだが、どうしてそこまでしてくれるのだろう。

おそらく、語学の先生の性(さが)、というのだろうか。私の稚拙な文章を読みながら、隔靴掻痒というか、読んでいてイライラしたのではないか、と想像する。

これについては、私にも経験がある。

大学院生のとき、韓国人留学生のチューターを長い間担当していた私は、彼の書く日本語の論文を読んで、表現のおかしいところを直すお手伝いをしていた。

ところが、これがまさに隔靴掻痒。読んでいて、「イーッ」という感じになるのである。ほかに表現しようがないが、「イーッ」という感じ。

10年も日本に留学していた彼の文章ですら、そんな感じである。1年しか韓国語を勉強していない私の韓国語の文章が、しかも韓国語のプロの先生にとって、心地よいはずがない。たぶん、そうとう珍奇な文章になっているに違いないのである。

なんとなく心地悪くて、「ここをこう直せばいいのに…」と、つい言いたくなってしまうのが人情というものであろう。

それで、つい、文章をいじりたくなってしまうのではないだろうか。

しかしそのおかげで私も、韓国語の作文を、タダで指導していただける恩恵にあずかることになる。

「ときどき、時間があるときに、文章をまた修正させていただきます」と先生。私はご教示に感謝した。

たぶん、また忘れた頃に、添削していただけることだろう。

それにしても、ソン先生は、どなたなのだろう。

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