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メモ

4月10日(土)

むかし読んだ、小林信彦『おかしな男 渥美清』(新潮社)を再読する。

その中で、山田洋次監督の喜劇映画「運が良けりゃ!」について触れているくだりがある。山田監督の、初期の作品である。

ちなみに私は10年以上前、この映画がテレビで放送されたときに見たことがある。

「五つの落語を使って〈長屋の四季〉を描いた喜劇だが、〈落語というものは、非常に高いモーパッサンぐらいまでいく芸術〉と山田(洋次監督)は語っていた」(小林氏、前掲書)

小林氏が引用した、山田監督の言葉に目がとまる。

落語とモーパッサン。以前読んだときにはまったく気がつかなかった言葉である。

韓国留学中、語学院の2級の授業で、モーパッサンの「首飾り」という小説を読んだことがある。私はそれまでモーパッサンの小説をちゃんと読んだことがなく、この有名な「首飾り」という小説も、韓国語、しかも2級(初級)レベルの語彙ではじめて読んだのである。

その時のことは、この日記にも書いたが、その中で私は、「なんとなく落語になりそうな話である」と書き、その親和性について簡単に論じている。しかしこの直感にはほとんど自信がなく、私自身の「了見が狭い」のではないかと疑い、「フランス文学愛好者から、叱られるかもしれない」とも書いている。

しかしそんなことよりも前に、すでに山田監督は、落語とモーパッサンの親和性について語っていたのである。

私などよりはるかに落語や文学に造詣の深い山田監督の言葉。

それに対して、落語や文学に疎く、ましてやモーパッサンの小説を韓国語の2級(初級)レベルの簡単な翻訳で読むという「いびつな出会い」をした私。

「オレの感性も捨てたもんじゃないな」

と、心の中で小躍り。

少し嬉しかったので、ここに書きとめておく。

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