御柱祭!
4月2日(金)~4日(日)
今年は、信州・諏訪で、7年に一度の御柱祭(おんばしらまつり)が行われる。
韓国からの帰国直後、そのことを妻の両親から聞いた。
そして、その御柱祭を見に行こう、というのが、義理の両親の提案。
2日(金)、3月末に日本に帰国した妻と一緒に車で信州に向かう。
午後3時過ぎ、すでに信州に来ていた義理の両親と合流する。
私は、御柱祭について、恥ずかしながらほとんど知識がなかった。テレビでは、何度か見たことはある。
御柱祭は、諏訪大社の神事で、7年ごとに社殿を建て替えることになっている。それにあわせて、社殿の四隅にあるモミの木の柱を、立て替えることになっているのだそうである。重さ10トンを超えるモミの巨木を、山から切り出し、それを神社まで人力で運ぶ神事、それが御柱祭である。
ややこしいのは、諏訪大社は、上社と下社に分かれていて、さらにそれがそれぞれ、2つの宮に分かれている、ということである。上社本宮が諏訪市に、上社前宮が茅野市に、そして下社春宮と下社秋宮が下諏訪町に所在している。
御柱祭では、そのそれぞれの宮の社殿の四隅に立てる柱を、山から切り出して、運ばなければならない。つまり、全部で16本の木を運び出すのである。
当然、1日では終わらないから、数日かけて運ぶことになる。4月の第1週の週末に上社の8本、第2週の週末に下社の8本の木を山から里へ運び出す「山出し」が行われ、さらに5月の第1週の週末に上社の8本、第2週に下社の8本の木を、それぞれの神社まで曳いて、社殿の四隅に立てる「里曳き」が行われる。1カ月あまりをかけた盛大なお祭りが催されるのである。
私たちが見に行くのは、4月第1週の週末に行われる上社の「山出し」である。
2日(金)、8本のモミの巨木の幹が、1日かけて山から里に順々に運び出される。
夕方、御柱の先頭にあたる「本社一ノ宮」の柱を運んでいる行列になんとか間に合う。
柱の周りを、黄色い法被を着た男どもがたくさん取り囲んで、藁で編んだ綱でもって巨木の柱を引っ張っている。運んでいる柱の二カ所に、「めどでこ」と呼ばれる木で作ったV字の造作物があって、そこに何人もの男どもが乗って、威勢のよい声で行列を盛り立てている。
うーむ。なんと荒々しい祭だろう。
やっていることといえば、単に巨木の柱を人力で運ぶ、ということだけで、それだけでも苦痛であるはずなのに、その柱の上には、何人もの男どもが乗っているわけだから、引っ張る方としては、迷惑この上ない話である。
しかしそう言ってしまっては身も蓋もない。常識ではおしはかれないのが、祭というものである。
翌3日(土)。
この日のメインは、「木落とし」と「川越し」である。「木落とし」とは、山から里へ運んだ巨木を、坂から一気に落とすというイベント。そして「川越し」とは、巨木を曳きながら川の中に入り、巨木を向こう岸に運ぶというイベントである。
よくテレビで見るのは、巨木の「木落とし」の部分ではないだろうか。ただし、テレビでよく見る「木落とし」は、下社の「木落とし」で、それこそ荒々しい男たちのイベントの象徴である。ただ、私たちがこれから見る上社の「木落とし」は、下社のそれに比べて、坂の長さがやや短く、下社のそれに比べて、やや迫力に欠けるという。
1本目の「木落とし」が朝10時から、宮川小学校の横の「木落とし坂」で行われると聞いた。以降、1時間おきに、計4本の巨木が落とされる。前日の夕方、いちおう下見をして、見学ポイントも確認した。
だが、木落とし坂を間近に見るためには、桟敷席を買っておかなければならない。聞くと、1人1時間、すなわち、1回の木落としをみるのに、5000円かかるという。そこであっさりとあきらめ、無料で木落としを見ることのできるポイントを探す。
すると、川の対岸の、かなり遠くまで行かないと、みることができないことが判明した。でも仕方がない。
翌朝、「木落とし」が始まる1時間ほど前の9時くらいに見学ポイントに到着すると、すでにそこは多くの人で埋め尽くされていた。もう少し早くくればよかったかな、とも思うが、1時間以上も立ちっぱなしで待っているのは、かなりつらいものがあるので、これまた仕方がない。
1本目、ややフライングして、予定の10時よりも数分前に「木落とし」が行われた。
一瞬の出来事である。
昨日間近でみた巨木も、ここからみれば爪楊枝のような大きさである、といえばやや大げさか。いずれにしても、1時間待った末の、あっけない終わり方だった。
終わって、見学していた人々が引き上げる。それとひきかえに、別の人々がやってくる。1時間後の、2本目の「木落とし」を見る人びとである。
なかには、こんな人もいた。
10時ピッタリに私が立っている前の列に入り込んだ熟年夫婦。
「いよいよ10時だな。もうすぐ木落としが始まりますよね」
「いえ、1本目ならさっき終わりましたよ」と私。
「ええ?!せっかく来たのに…」
その2人が、1時間後の2本目の木落としまで待っていたのかどうかはわからない。
さて、私たちは場所を変えて、今度は橋の上から2本目の木落としを見ることにする。といっても、相変わらず、「木落とし坂」からはかなり離れたところである。
2本目の「木落とし」は、予定の11時になっても始まらなかった。見学者たちも次第にイライラしてきた。「いいから早く落とせ!」とブーイングの声。
なにしろ、遙か遠くから見ているので、現場でなにが起こっているのかわからない。なにか、トラブっているのだろうな、というのは何となくわかるのだが、そのトラブルがいつ解消されるのか、そして、いつ「木落とし」が始まるのかが、まったくわからないのである。
結局、予定より15分遅れで木落としが始まる。しかも、巨木は大きく右に傾き、なんかグダグダな感じで、坂を下りて行ってしまった。
橋の上では再びブーイングの嵐。
「明らかに失敗だよな」と、見終わった人々が口々に言っていた。待たされたことのストレスもあったのだろうが。
私たちは昼食後、今度は「川越し」の会場となる宮川へと向かう。午前10時に「木落とし」した1本目の柱が、今度は川を渡ることになるのだ。
会場になる宮川の土手に着くと、すでに信じられないほどの人の数で埋めつくされていて、もはや川を見ることすらできない。
1本目の柱は、黄色い法被を着た多くの男たちに曳かれながら、ゆっくりと土手に近づいた。そして、男たちが川に入りスタンバイして、いよいよ、柱が川を渡る。
だが、このときの様子は、まったく見ることができなかった。腕を思いっきり空に向かって伸ばして、上からテキトーに写真を撮ることでしか、「川越し」の様子を探ることはできなかったのである。
午後3時前、1本目の柱の「川越し」が終わり、先ほど「木落とし」を見た橋のところまで戻ると、遙かに見える「木落とし坂」に、まだ1本の柱が、今にも「木落とし」が始まりそうな雰囲気で、スタンバイしていた。
午後1時に予定していた4本目の柱の「木落とし」が、大幅に遅れているようだ。2時間もの遅れである。
せっかくだからということで、橋の上で4本目の「木落とし」を見ることにする。だが例によって、今か、今かと見学者たちは待っているが、なかなか木が落とされない。
3時過ぎ、ようやく「木落とし」が始まった。今まで見たなかで、いちばんきれいに落ちたのではないかと思う。ただ、2本目の失敗があったせいか、心なしかそぉーっと落とした、という感じで、やや迫力に欠けていた。
「今度はきれいすぎてダメだな」と見学者たちの声。じゃあいったいどうすればいいんだ。まったく、見学者たちは勝手なものである。
というわけで、御柱祭の見学はこれにて終了。翌4日(日)にも、残りの4本の木落としと川越しがあったのだが、もう、これで十分だ。
日曜日、信州をあとにする。これを書いている今、顔がものすごくヒリヒリする。どうやら、土曜日に一日中野外でじっと立っていたので、顔が日焼けしてしまったようだ。
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