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何を見ても思い出す

こういうのを、「逆ホームシック」とでも言うのだろうか。

信州滞在中のことである。

車を運転しているとき、妻が、車のオーディオを使ってある曲をかけた。

イ・スンチョルの「ソリチョ」というバラードである。直訳すると「叫んで」というタイトル。

この曲は、たぶん、韓国にいる間に、私がいちばん聞いた韓国の歌である。語学院の授業でこの曲を聴いて以来、「いい曲だな」と思い、以来、散歩の時にはipodに入れておいたこの曲を繰り返し聞きながら、大学構内を歩いたのである。つまり、この曲を聴くと反射的に、通っていた大学のさまざまな風景が浮かぶのだ。

そのためだろうか。心の準備もないままに、不意にこの曲を聞いたせいで、なにかこみ上げてくるものを押さえることができなくなってしまった。

「悪いけど、この曲、やめてくれないかな。運転できなくなるよ」と私。

「え?何で?名曲じゃん」

妻もまたこの曲が好きだった。

名曲なのはわかってるよ。だけどそういう問題じゃないんだな、と思いつつ、結局、最後まで聞くことになった。

夜、久しぶりにDVDで韓国映画「ブラザーフッド」(原題「太極旗を翻して」)を見た。朝鮮戦争に翻弄される兄弟を描く映画で、韓国で史上最高の興行収入を記録したことで有名である。

Photo_3 私はこの映画じたいに、さして思い入れがあるわけではない。ただ、語学院に通っていたころ、野外授業でこの映画のロケ地に行ったことがある。私が、4級の時である。

そのことをふと思い出し、ロケ地がどのように映っているのかを確かめたくて、もう一度見ることにしたのである。

Photo_4 野外授業の時には、「チャン・ドンゴンが映画のなかで乗った汽車」というものに乗った。映画では、その汽車が一瞬だけ映し出された。だが、確認できたのはそれだけで、そのほかはほとんど確認することができなかった。

さて映画の最初のほう。兄弟が戦争に徴発される前の日常生活を描いたシーンを見ていると、チャン・ドンゴンとウォン・ビンの兄弟のもとへ、アイスキャンディを売り少年がやってくる。そしてチャン・ドンゴン扮する兄が、ウォン・ビン扮する弟にアイスキャンディを買い与えている。

「あっ!」横で見ていた妻が言った。

「そういえば、汽車のなかで、あのアイスキャンディ、売りに来ていたよね」

確かによく見ると、少年が持っていた大きな箱にたくさん入っていたアイスキャンディの形は、野外授業の時に乗った汽車の中で買ったアイスキャンディと、同じ形をしていた。大きな箱に入れて売りに来ていたところも、よく似ていた。

それを見て、そのときの光景を思い出した。

Photo_5 私はこのとき、客車のなかではなく、客車と客車の連結部分に出て、外の空気を感じながら、汽車の外を流れる風景を楽しんでいた。同じことを考える人が何人もいて、語学院の先生方をはじめ、何人かの学生が、客車の外に出て、狭い連結部分に立っていたのである。

そこに、アイスキャンディを売りにアジョッシ(おじさん)がやってきた。

私の横に立っていた4級3班のパンジャンニム(班長殿)のロンチョン君が、アジョッシを呼び止め、アイスキャンディを5本くらい買った。

そして買ったアイスキャンディを、そこにいた人たちに、すべて分け与えてしまったのである。

私が不思議だったのは、ロンチョン君が自分の分を買わずに、他の人たちにすべてあげてしまった、ということであった。

私がそのとき思ったのは、こういうことだった。

たぶん彼は、自分も食べようと、自分の分を含めて5本買ったのだろう。だが、行きがかり上、買ったアイスキャンディをすべて他の人にあげてしまったのではないだろうか。つまり自分を犠牲にしたのである。

善良なロンチョン君のやりそうなことである。私は、客車に入ろうとするアジョッシを呼び止め、アイスキャンディを2本買った。そしてそのうちの1本を、ロンチョン君に渡した。

ロンチョン君は、照れくさそうにそれを受け取った。

妻の「あ、アイスキャンディ」という言葉に反応して、そのときの記憶がよみがえってきたのである。

映画が見終わり、布団のなかで寝ながら、鷺沢萌の短編小説「故郷の春」(『ビューティフル・ネーム』新潮文庫)を読んだ。

在日僑胞の若い男性の独白、という形で進んでいくこの小説を読みながら、今度は、4級3班で一緒だったホン・スンジ氏のことを思い出す。

小説のなかで、主人公は、在日僑胞として経験してきたこと、感じてきたことのさまざまを、独白する。

そして大学を卒業した直後、もう一つの故郷の言葉である韓国語を勉強しに韓国へ留学した、というくだりを読んで、あっと思った。

これはスンジ氏のことではないか

もちろん、この小説の主人公は1970年生まれということになっていて、スンジ氏の年齢よりもはるかに上である(むしろ私の年齢に近い。というより、鷺沢萌氏の年齢に近いというべきか)。

だが、大学を卒業して韓国への語学留学を考えた、という主人公の人生は、スンジ氏のそれと全く同じである。つまり、ここで語られている主人公が、10代、20代に感じてきたことは、スンジ氏の感情の移り変わりそのものを示しているのではないだろうか?

ほとんど会話を交わすことのできなかった、スンジ氏の心の中を、少しはかいま見ることができたのではないか、などと、勝手なことを考える。

鷺沢萌の小説には、在日僑胞をテーマにしたものが多い。それは、彼女自身の根源の問題とも、関わるものである。だからこそそれは、同じ立場の人びとに共感を与えるものであったろうと想像する。

ふと思う。スンジ氏は、この小説を読んだだろうか、と。

小説のタイトル「故郷の春」は、韓国の有名な童謡のタイトルであり、小説中にもその歌詞が紹介される。この童謡も、語学院の時にテキストに出ていた。

私の頭の中で、韓国での1年3ヶ月が、ぐるぐるとまわり続ける。当分、消えそうにない。

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