« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »

2010年5月

寒天ゼリーを作ろう

5月29日(土)

さて、宴会に出なかった私は、何をしていたか。

寒天ゼリーを作っていた。

私はとりたてて寒天が好きだというわけではないのだが、ある人が、寒天ゼリー作りにハマったと聞いて、いつか自分でも寒天ゼリーを作ってみようと思っていたのだ。カロリーゼロで食物繊維が豊富だというのも寒天の魅力である。

何味の寒天ゼリーを作ろうか、と考えたあげく、梅酒ゼリーを作ってみることにする。

棒状の寒天をちぎって水の入った鍋に入れ、木のへらでかき混ぜながら中火で寒天を煮溶かす。放っておくと焦げてしまうので、完全に溶けるまで、木のへらでかき回さなければならない。

寒天が溶けたのを確認してから、市販の梅酒と、はちみつ、レモン汁を入れて味をつける。

これらを混ぜ合わせてから、適当な容器に移し、冷蔵庫に入れて冷やす。

Photo しばらくして、梅酒ゼリーができあがった。

食べてみると、意外と固い。もっとぷるるん、とした食感をイメージしていたのだが、かなりがっちりしてしまっている。

味はしっかりしているのだが、梅酒を入れすぎたせいで、食べただけで酔っぱらいそうである。

これは改良の余地がある。

5月30日(日)

再び寒天ゼリーづくりに挑戦。

今度は、梅酒ゼリーではなく、オレンジゼリーに挑戦。寒天の袋に書かれていたレシピよりも、水の分量をかなり多めに入れてみた。

寒天を煮溶かしたあと、市販のオレンジジュースと、砂糖を入れて味をつける。そして別の容器に移して冷蔵庫へ。

Photo_2 食べてみると、食感は以前よりもだいぶやわらかくなったが、理想にはまだ遠い。それにちょっと味が薄い。

といって、砂糖やオレンジジュースを多く入れてしまうと、今度は糖分が高くなってしまい、何のために作っているのかわからなくなってしまう。

まだ、改良の余地がありそうだ。

食感がよく、味もよく、カロリーや糖分を極力おさえた、究極の寒天ゼリーはできるのか?

しばらくこの趣味は続きそうな予感。

なにより、鍋を木のへらでかき回しながら寒天を煮溶かしているところや、味つけのための砂糖やジュースの分量を考えながら足していくところなんかは、なんとなく化学の実験ぽくって、いい。

| | コメント (0)

欠席の宴(うたげ)

5月29日(土)

ひと月ほど前、学生時代にお世話になった数年上の先輩から、数年ぶりに電話があった。

私たちの仲間が学生時代にお世話になっていた先生が、この3月で大学を退任されたので、久しぶりに、そのときの仲間で集まって、その先生のお祝いの会をすることになった。ついては、同期の仲間に声をかけて、参加を呼びかけてくれないか、と。もちろん、私にも参加をしないか、と誘われたのである。

「わかりました。でも、いいんですかね?僕なんかが参加しても…」

「え?どうして?いいじゃないの」

私は逡巡した。

電話をくれた先輩は、私が大好きな先輩であったので、久しぶりにお会いしたいなあ、という気持ちはあった。しかしそれとは別に、ひとつ大きな問題があった。

それは、そのお世話になった先生と私が、学説上の対立から、数年前に決別した、という事実である。

この出来事は、いまも私の心の中に、深く突き刺さっているトゲである。今でも私は、いろいろな意味で自分は間違っていなかった、と思っている。その一件以降、「もう、この先生とはお会いすることはないだろうなあ」と、思うことにした。

この一件については、その先輩もご存じのはずであった。いや、ほかの仲間たちの中にも、知っている人は多いはずだ。

その先輩は、数年前の一件は、あまり気にすることではないんじゃないの?というニュアンスで、「大丈夫でしょう」とおっしゃる。

まあ、考えてみます、といって、お茶を濁して電話を切った。

翌日から、同期の仲間に久しぶりにメールで連絡をとる。といっても、つきあいの悪い私は、同期の仲間の連絡先をほとんど知らなかった。そこで、顔の広い同期の友人に頼んで、連絡をつけてもらうことにした。すると、数名がその会に参加する、ということになった。

数日前。

「ところで、お前はどうするの?」

その、顔の広い友人が私にメールで聞いてきた。私は、

「実はこの日、用事があって参加できない」

と返事を書いた。

私は学生時代から、同期の中でもとりわけ「つきあいの悪い」人間として、通っていた。同期の仲間たちは、私を除いて結束がかたかった。おそらく今回も「なんだよ、あいかわらずつきあいが悪い奴だな」と私のことを思ったに違いない。

しかしそれは仕方のないことであった。私が参加したところで、私自身が全く楽しめないことは明らかであったからである。久しぶりに会いたい人たちと再会するにしては、代償が大きすぎるのである。

そして、会の当日の5月29日(土)。

深夜、携帯電話の着信履歴を見ると、私に最初に電話をくれた先輩から、夜10時すぎに電話あったようだ。

おそらく、飲み会で盛り上がって、飲んでいる席から私に電話をくれたのであろう。

もし、そのとき電話をとっていたら、次々とその場にいた人とかわるがわる会話をしなければならないことは、容易に想像できた。

酒の席で、主賓の先生も、仲間たちも、その場にいない私の悪口を言っているかと思うと、ぞっとして、とても平静を装って、会話なんかできる状況にはなかっただろう。

翌日。

昨晩、電話をくれた先輩にだけは申し訳なかったと思い、携帯メールでお詫びのメッセージを入れた。昨日は電話に出られなくてすいませんでした、また機会をあらためてお会いしましょう、という内容である。

その中で、

「きっと私の悪口(?)で盛り上がったことでしょう(笑)」

と、冗談まじりで書いてみた。すると、ほどなくしてその先輩から送られてきた返事に、こうあった。

「せっかく電話したのに~(涙)。夕べは、くしゃみ出まくりでした?」

ああ、やっぱり私の悪口で盛り上がっていたんだな。

| | コメント (0)

記憶をたどれ!

5月26日(水)

会議が早く終わった。

というより、進行役の私が早く終わらせただけなのだが。

会議が思ったより早く終わるときほど、うれしいことはない。トクした気分になるのだ。

研究室に戻り、一息ついていると、10日ほど前のことを思い出した。

そういえば、必要があって何かの本をめくっていたとき、本来の目的とは全然別のところを見ていて、

(お!大発見だあ!)

と思ったなあ。これで原稿のネタがひとつできたぞ!という感じの発見だった。

ところが、ずぼらな私は、その時の「発見」をメモにとっていなかった。

あれ?何を見て「大発見だあ!」と思ったんだっけ?

どうしても思い出せない。まったく思い出せないのである。

私の研究室はかなり散らかっている。もしここで思い出せなかったら、もう永遠に、あの「大発見」は埋もれたままになってしまうだろう。

何としてでも思い出さなければならない。

いくら思い出そうとしても、何の本だったのか、まったく思い出せない。ひょっとして、あれは夢だったのか?

そこで作戦変更。ここはいったん冷静になろう。

本を思い出すのではなく、その本を見ていたときの「状況」を思い出すことにした。

どういう状況で本を見ていたのかを、思い出そうとする。座っていたのか、立っていたのか、とか、ドアに背を向けていたのか、ドアの方を向いていたのか、とか、本を手に取って見ていたのか、机に置いて見ていたのか、とか。

しだいに、発見当時の状況が復原されてゆく。

それはあたかも、映像がゆっくりと逆回転するがごとくである。

そして、ついに1冊の本にたどり着いた。

(はて、この本だったか?)

どうもこの本は、「大発見」とは結びつきそうにない。

半信半疑で、その本の頁をめくっていると、

あった!あった!ありました!

たしかにこれだった。

ただ、冷静に見てみると、思ったほどの「発見」じゃなかったな。

それでもまあよい。あやうく永遠に記憶の穴の中に埋もれてしまうところを、呼びもどしたのだから。

この時点ですでに1時間近くが経過。結局、会議が早く終わったおかげで浮いた時間が、この記憶をたどる旅に費やされてしまった。人生、イッテコイだな。

| | コメント (0)

最後の(?)帰国祝い

5月24日(月)

研究仲間のYさんが音頭をとって、地元在住の研究仲間の方々が、帰国祝いをしてくださるという。

午後6時半、駅前の居酒屋にて。週明けの月曜日であるにもかかわらず、11名の方に来ていただいた。

「みんなで帰国祝いをしたいんですがと(私に)打診したら、きっと断られるだろうと思っていました」と、Yさんが最初のあいさつでおっしゃった。

「私、そんなに気むずかしくないですよー!」とその時は切り返したが、Yさんの言葉は、おそらく正しい。

儀式ばったことが嫌いで、なにかと気むずかしい私の性格を、Yさんはよく知っているのだ。

それでも今回ばかりは、久しぶりにお会いしたい人たちばかりだったので、私には願ってもないことだったのである。

私が東京を離れ、こちらに来て10年。この間、大変お世話になっている大御所のK先生も、わざわざおいでくださった。ありがたいことである。

1次会、2次会、3次会、と話がはずむ。全員の方とちゃんとお話しできなかったのは残念だったが。

このつながりは大事にしよう。そのためには、愛想尽かされないように、俺、ちゃんとしなきゃ、と思う。

帰国後、3カ月。地元の研究仲間の方たちと再会して、ようやく、この地にもどってきたことを実感した。

| | コメント (0)

ぜいたくな一日

5月22日(土)

Photo_6 同僚に誘われて、近郊の町で行われる年に一度のお祭りを見に行くことになった。

正午、職場で同僚や学生数人と待ち合わせる。同僚が私を見るなり、一瞬驚いた様子を見せたあと、爆笑した。

「いったいどうしたんです?」

家から職場まで歩いてきた私は、ビックリするくらいの量の汗をかいていた。そのことに同僚は驚いたのである。

「走ってきたんですか?」

「いえ、家から歩いてきたんです」と私。

「水をかぶったみたいになってますよ」同僚が再び爆笑する。

ふだん、それほどお話する機会のないその同僚は、私のことをあまりご存じないらしい。

私は日常生活でよく、「どこの池に落ちたんですか?」「どこの滝に打たれたんですか?」というくらいの汗をふつうにかくのである。

もう、そんな季節になったんだなあ、と実感。

「ふつうのことなので、どうかご心配なく」と私。

同僚は、首をかしげつつ、笑いが止まらない様子だった。

さて、2台の車に分乗して、1時間ほどかかって、近郊の町に到着。私にとっては、数年ぶりの訪問である。

3時にお祭りが始まる前に、まずは町歩き。

もともと、その町をフィールドワークするのが、その同僚のいまのテーマの一つでもあり、授業でも実践されているのだという。

Photo 私も、町歩きはかなり好きである。とくに、サビレた感じの雰囲気をかもし出しているこの町の町並みは、歩いていてぜんぜん飽きない。

専門家の説明を聞きながら歩くというのもぜいたくな話である。

1時間ほど、ゆったりした町歩きをしたあと、いよいよお祭りの会場に向かう。

市内の各地区で行われる、獅子舞のお祭りを一カ所に集めておこなうというもの。

もともとは、各地区ごとにバラバラにおこなっていた祭礼を、町の中心にある公園で一堂に会して行うことによって、町のイベントにしたのだという。

この地域独特の獅子がしらを用いた、荒々しい獅子舞がくりひろげられる。

Photo_3 荒々しく動きまわる獅子のそばには、長い棒を持った男が立っている。

「あれは警護といって、獅子が客席に突進するのを体を張って止める役割の人です」と同僚が説明した。

「前日までに、その地区の男たちが相撲をとって、最終的に勝った者が警護になれるんだそうです」

なるほど、見るとたしかに屈強な人が警護になっているな。

しかし、2番目の地区の警護は、ちょっとお年を召した方のようである。

若者が減っているんだろうな、ということを実感する。

初夏のような日差しに、1時間も見ているとクラクラしてきた。

「そろそろ帰りましょう」と同僚。車を止めてある場所まで戻る。

Photo_5 途中、「貸間あり」という看板を発見。いまでも、こんな看板が残っているのかぁ、と感激し、写真を撮っていると、

「意外ですねえ」と同僚。そういうところに目を向けている、というところが、意外だったらしい。

「けっこう、町を歩いてヘンな写真を撮るのが好きなんです」と私。

やはり、私のことをあまりご存じないらしい。

夕方5時過ぎ、職場に戻り解散。充実した機会を与えてくれた同僚に感謝した。

午後7時、今度は東京から来た同業者のTさんと駅前の「いつも行く店」でお酒を飲む。

この日たまたま、うちの職場で会議があり、東京からわざわざその会議に参加したTさんが、「せっかくそちらにうかがうので、夜、一緒に飲みましょう」と連絡があった。

はじめて会ったのが15年ほど前。つぎつぎと刺激的な成果をあげる彼は、愚鈍な私にとって、ひそかな尊敬の対象であった。Tさんとサシで飲むのは、たぶんこれがはじめてである。

座持ちが悪い私にとって、話題がもつだろうか心配だったが、その心配は杞憂だった。あいかわらず学問に対する熱い思いを持っているTさんの話を聞きながら、元気をもらう。まだまだ、この分野でやっていけそうだな、と少し前向きな気持ちになった。おいしい日本酒と料理が、それを後押ししたのかもしれない。

「おもしろいこと、一緒にやっていきましょう」

3時間があっという間にすぎ、夜10時すぎ、お別れする。

ちょうど今週末は学会である。今ごろ東京では同業者たちが、現実の生活や社会とは無縁の議論を延々とくりひろげていることだろう。

私はそれに背を向けて、昼は地元のお祭りを見て、夜は志を同じくする仲間とおいしいお酒と料理に舌鼓を打ちながら、未来を語り合う。

なんとぜいたくな1日ではないか。

| | コメント (0)

私はつぶやかない

組織が杓子定規の制度を振りかざし、自分たちが作った制度にがんじがらめに縛られて、あげくの果てには組織の構成員を追いつめる。まさに組織の自殺行為だ。組織内の人間を生きにくくさせて、どうするつもりなのかねえ。人間とは、つくづく哀しい生き物だと思う。

…「ツイッター」って、たとえばこんなことをつぶやかなきゃいけないの?だとしたら、つぶやきたくないなあ。

だって、精神衛生上、すごくよくないじゃん。こんなことばっかり考えてるから、テンションが下がるんだよ。これでは本業にさしつかえる。

ということで、「ツイッター」に関する興味は、今のところなし!

そんなことより、楽しいことを考えよう。

昨日、4年生のSさんがふらりと研究室にやってきた。

「A君が、風邪をひいて、保健管理センターに漢方薬をもらいに行ったんです。で、そのときに、『食後3時間たったら飲んでください』と言われたそうなんです。食後3時間って、聞いたことありますか?」

「聞いたことないねえ。それはもう『食後』とは言わないね。『食間』だ。場合によっては『食前』かも知れん」

「でしょう。でもA君は言われたとおりに食後3時間待ってから、その薬を飲んだんです。で、どうもおかしいと思って、同じ薬を飲んでいる人に聞いたら、『食後30分だよ』と」

「じゃあA君は聞き間違えたの?」

「いえ、A君は、たしかに保健管理センターの人がそう言ったんだって…」

「それにしても、ふつう気づくだろうに…」

一刻も早く風邪を治さなければいけないにもかかわらず、律儀にも食後3時間待ってから薬を飲んだA君の姿を想像し、爆笑した。人間とは、つくづく可笑しい生き物だと思う。

「じゃあ、授業なので」と、Sさんは退室。私も会議に向かう。

会議室に向かう途中、あれ?Sさんは何しに来たんだ?とふと考える。A君のオモシロ話だけを言って帰っていったぞ。

ひょっとして、ブログのネタを提供した、ということなのか?

あぶないあぶない。もう少しでその手にのるところだった。

| | コメント (3)

印象はかくも違うか

韓国人の俳優を、日本人の俳優にたとえるのが好きである。

たとえば、ソン・ガンホは、若いころの渥美清(あるいは、若いころの西田敏行)。

アン・ソンギは役所広司。

コ・ヒョンジョンは山口智子

イ・ナヨンは中谷美紀。

ファン・ジョンミンは山本太郎

ソン・ドンイルは竹中直人。

パク・チョルミンは竹中直人、または音尾琢真。

チャン・ヨンは谷啓。

パク・クニョンは小倉智昭。

といったように。後半はほとんどわからないだろうが。

アクションドラマで男前を演ずる一方で、なぜかトーク番組で危なっかしい司会ぶりを発揮するキム・スンウは、神田正輝。

若いころ俳優としてそこそこ活躍し、いまはバラエティ番組の司会者で活躍するチョ・ヒョンギは、高島忠夫(あるいは峰竜太)。

かつて毒舌のラジオDJとしてカリスマ的人気をほこり、いまはテレビのバラエティ番組の司会者で活躍しているキム・グラは、あの人。

ここまでくると、たぶん誰もわからない。

さて、三谷幸喜氏のエッセイ『ありふれた生活8 復活の日』(朝日新聞出版)を読んでいて、韓国版「笑の大学」についての記述が目にとまる。

初日の舞台に見に行ったときの話が書かれている。

Ec9b83ec9d8cec9d98eb8c80ed9599_ed8f 韓国版「笑の大学」の初演は、座付き作家役がファン・ジョンミン。検閲官役がソン・ヨンチャン。ファン・ジョンミンはいわずと知れた韓国の人気俳優。ソン・ヨンチャンは、韓国の映画を見ると、とてもよく見かける脇役。どちらも有名な俳優である。

この2人について、三谷氏は次のように評す。

「作家役のファンさんは、藤木直人さんの首を一回り太くしたような好青年」

ええぇぇ!?違う違う。ファン・ジョンミンはぜったい山本太郎だってば。

「検閲官役のソンさんは、悪役を専門にやってきたバイプレーヤーだそうで、日本で言えば、かつて戦争映画で悪い上官役といえばこの人だった藤岡重慶さんをぐっとソフトにした感じ」

これも違う!藤岡重慶って、私の乏しい記憶では、たしか西部警察で刑事だった人だよね。

むしろ、ソン・ヨンチャンは、私の中では完全に日下武史である。

人の印象とは、かくも違うものなのか。

「韓国のタレントをことごとく日本のタレントにたとえる」という新ジャンルの芸能評論家をめざす夢は、無惨にも打ち砕かれる。

というより、この手の話に共感してくれる人は、誰もいないのだろうな。

| | コメント (0)

テンション上がったり下がったり

5月18日(火)

ビックリすることに、先週末の土日にまったく1文も書けなかった「先月末締切」の原稿、この1日でほとんど書けたぞ。

明日くらいに最終的に文章を整えれば送れるかも知れん。

やはり、テンションを上げて、勢いをつけて書くに限るな。

しかしテンションが下がる出来事もあった。

研究室に外線の電話。

外線の電話のほとんどが、「都内のワンルームマンションを買いませんか」という悪質なセールスの電話である。だから、電話が鳴るたびに、反射的に不愉快な気持ちになる。

今日の昼もかかってきた。

案の定、セールスの電話だったので、すぐに電話を切ると、また電話が鳴った。

またかよ、と思ってとると、出版社の方だった。

「原稿の件でお電話しました」

やべっ!やっぱり外線の電話はよくない。

なぜなら、この出版社の仕事、もう4年くらい、締切を守っていないからである。

もう長いこと原稿が書けないので、催促のたびにあれこれと理由をつけて締切を引き延ばしてきた。

数カ月前、「原稿、どうなってますか?」と問い合わせが来たとき、「ちょっと書けないので、テーマを変えます」と返事した。いままではテーマが悪かったから書けなかったが、テーマを変えれば書ける、という言い訳をしたのである。

4年近くも経つというのに、いまになってテーマを変えるのかよ!と、先方は呆れたに違いない。

「じゃあそれでお願いします」と出版社。仕方ないと思ったのだろう。

そして数カ月たった今日、担当者の方から電話がかかってきたのである。

「原稿、どうなってますか?」

ちょっとキレ気味である。

「ええ、まあ…。テーマ、あんな感じで大丈夫ですか?」

「ええ。たしか以前のお話ですと今年の夏ごろにはいただけるということでしたよね」

かなり強い調子で、私に念を押す。

「え、ええ。夏休みに集中して仕上げる、ということになると思います…」

夏休みといっても、やるべき仕事はけっこうあるのだが…。

「というと、8月の終わりくらいにはいただける、ということですね」

もうキレ気味、というより、キレてる、といった方がよい。

「いえ、その…大学の夏休みは9月いっぱいまでありますから…」

私も、子どもみたいな反論をする。

「そうですか…」怒りをおさえている、という感じ。「じゃあ9月末ということでお願いしますよ」

「はい」

ガチャッと電話が切れた。

うーむ。これ以上引きのばしたら、もう仕事が来ないだろうな…。

というより、人としてダメだな。

なんとしてでも夏までにテンションを上げて、書き上げることにしよう。

| | コメント (0)

散歩リハビリ

週末に原稿を書くぞ、といきまいたものの、例によって実際に週末になると、まったくやる気がおきなくなる。

こういうときには、仕方がないので散歩に出る。

私の散歩のパターンは、次の通り。

最初の目的地は本屋。新刊本の書店の場合もあれば、全国チェーンの大型古書店の場合もある。そしてそのあと、コーヒーの飲める店(ファストフード店や喫茶店)に行く。

ここまでの散歩を、3時間以上かけて行う。

最強のパターンは、大型古書店で105円の本を買って、その買った本を喫茶店で読む、という流れである。

5月15日(土)は、夕方から散歩をはじめ、家に着いたら夜10時を過ぎていた。

結局、この日は散歩しかしなかったな。

5月16日(日)。

午前9時、散歩に出ようと思い立つ。

少し遠くにある、チェーン店の大型古書店をめざす。歩いていけば、到着するころには開店しているだろう。

iPodを聞きながら歩き始める。

そういえば、韓国滞在中は、毎日、iPodを聞きながら散歩をしていた。

このとき、いろいろ試してみたところ、散歩をするのに最強の音楽、というのを発見した。

EPOの「DOWN TOWN」という曲である。

「オレたちひょうきん族」のテーマ曲として使われていた。

この曲のテンポに合わせて歩くと、ちょうどよいウォーキングのペースになる。

歌詞の内容も前向きなので、精神的にも心地よい。

ぜひ一度お試しあれ。

そんなこんなで、目的地の書店に到着。

105円の本を1冊買って、近くでコーヒーが飲める店を探して歩く。

これが、なかなかみあたらない。

1軒、チェーン店のドーナツ屋さんがあったので、入ろうとすると、けっこう混んでいる。

席を見わたすと、なんと職場の同僚が、家族らしき連れの人と、日曜朝のひとときを語らいあっているではないか。

やべえやべえ、これは出なきゃ、と、慌てて店を出た。

だって、こっちは、ジャージの上下に無精髭、という姿である。

やっぱりジャージではうかつに入れないな、と思い直す。

再び歩き出す。

すると、犬のペットショップの前を通りかかる。

ペットショップの前で、若い女性店員が、犬の綱を引いて立っている。おそらく、お店の犬なのだろう。

しばらく見ていると、その犬が、ペットショップの目の前にある電柱めがけて、片足をあげてオシッコをダジダジダジ…とはじめた。

ダジダジダジ…。

若い女性店員さんは、犬の綱を持ちながら、「めんどくせえな」という表情で立って待っている。

やがてオシッコが終わると、ほら行くよ、という感じで、めんどくさそうにペットショップに戻っていった。

私は犬を飼ったことがないのでわからないのだが、犬が外でオシッコをしているときって、飼い主は、いつもあんな「めんどくせえな」って感じの表情をするのだろうか?。それとも、あのペットショップの若き女性店員さんは、仕事だから仕方なく、犬のオシッコにつきあっている、ということなのだろうか。あの店員さんは、本当は犬のことがあんまり好きではないのではないか?

その表情がなんとも可笑しかっただけに、いろんな想像がふくらむ。

家の近くまでもどり、近くのファストフード店に入ってコーヒーを飲もうと思ったが、もう時間はお昼近くになってしまい、客も混んできたようだ。

また知っている人と鉢合わせても困るしな…。

それに、ジャージを着て、いかにもウォーキングあるいはジョギングをしてきました、という格好をしたヤツが、ハンバーガーショップに入ったら、「オマエ、カロリーを消費したいのか、無駄に蓄えたいのか、どっちなんだよ!」と、周りの人に思われるんじゃないだろうか、と思い、入るのをあきらめた。

ここまでが約3時間。

すでにもうヘトヘトである。家に着く直前、iPodに入っているフラワーカンパニーズの「元少年の歌」を聞いたら、涙が止まらなくなってしまった。

アラフォー世代が、ヘトヘトな状態でこの曲を聴いたら、誰だって泣くだろうよ。いや、ヘトヘトでなくとも泣くだろう。

ぜひ一度お試しあれ。

結局、この日も散歩しかしなかった。

これが、アラフォー世代の研究者の休日の過ごし方。

原稿、どうしよう…。

| | コメント (0)

文化の違いか?

韓国の大学のある先生から、問い合わせがきた。

「先月末までにお出しいただくはずの原稿はどうなっていますか?翻訳の都合もあるので、なるべく早くお送りください」

一瞬唖然とする。聞いてない聞いてない。原稿の締切が先月末だなんて聞いてないぞ。

日本に帰国する前に、その先生から学術雑誌に掲載する原稿を依頼されたのは確かである。だが、具体的な締切がいつなのかは、はっきりとはおっしゃっていなかった。お話の感じから、5月か6月ごろだろうと思っていた。それが、いきなり、「締め切りは先月末でしたけど…」と連絡がきたのである。

原稿の依頼は口頭で言われただけで、具体的な締切や執筆要項などは、まったく聞かされていない。

(またか…)

と思う。以前にも似たような経験があるからだ。

こういうことに関しては、韓国は基本的に「放置プレイ」の国である。もう何度も経験していることなのだが、いまだに慣れない。

日本であれば、口頭でお願いしたあとに、原稿の締切の期日などを含めた執筆要項が文書で送られてくるのがふつうだが、よっぽどのことがない限り、韓国ではそんなことはないのである。

まあ、締切の期日が明記されていたとしても、最近の私は、期日を数カ月過ぎても平然としている場合が多いから、あまり関係ないのだが。

それでも、今回ばかりはそういうわけにはいかない。定期的に出ている学術雑誌なので、締切は極力守らなければならないのである。それに、国際的な信頼関係を失うおそれもある。

「締切を1カ月間違えてました」と言い訳をして時間かせぎをすることにしたが、実はまだ一文も書いてない。週末が勝負だな。

同じような出来事が、もう一つあった。

話は、昨年の秋にさかのぼる。韓国滞在中のことである。

「お二人(私と妻)にお会いしたいという先生がいるんです」と、知り合い(韓国人)に、ある先生(韓国人)を紹介された。

その先生にお会いすると、「来年の7月に大規模な国際学術シンポジウムを開くことを計画しているんです。ついては日本から有名な研究者を招いてご発表いただきたいので、誰か紹介してください」という。

なんだ。ブローカーをやれってか。

それにテーマ的には、私や妻が発表しても何の問題もないようなものなのだが、先方はしきりに「有名な先生を…」とおっしゃる。

別にこっちは、自分たちを「有名な先生」とはこれっぽっちも思っていないが、いちおう研究者としてやっているんだ。名前が売れている、売れていない、は関係ないだろ、と思いつつ、妻が人選を行うことになった。

この業界、「有名な先生」が「デキる研究者」とは限らない。これは常識である。だから、あるていど、慎重に吟味しなければならない。

ところが先方は、「書類の関係があるので、早く推薦してください」という。こっちからしたら、「本番は来年の7月だろ!」と思うのだが。

私たちは、シンポジウムのテーマに合い、かつ、この先生なら大丈夫!信頼できる!という先生をみつけ、その先生におうかがいをたてることにした。

しかし、その先生も実は海外出張中で、なかなか連絡がとれない。

人選を依頼された数日後、企画者の先生から「まだですかっ?」と催促の電話が入る。いくらなんでも、話を聞いてから数日のうちに決まる、ということはあり得ない。なんでそんなに急いでるんだろう。

数日後、その先生ともようやく連絡がつき、OKをいただいたので、企画者の先生に報告する。

「ところで、そのシンポジウムの具体的な趣旨と日程はどのようなものですか?私たちも、依頼した先生にお伝えしなければならないので」

するとその企画者の先生は、韓国語でまくしたてるようにみずからが企画された国際シンポジウムの概要を話し始めた。

世界各国から有名な研究者を集めて、2日間にわたって行う、という壮大な構想。

…というより、私たちには、ちょっとした誇大妄想のようにも思えた。

「こういう国際シンポジウムを企画するの、はじめてなんです」と企画者の先生。私たちには、その先生がかなりテンパっているように見えた。それに、相当なハイテンションである。

(はたしてこのシンポジウム、うまくいくんだろうか…)

私と妻は顔を見合わせた。

「本当に大丈夫でしょうか?」不安になった私は、後日、その企画者の先生と私たちを引き合わせた知り合いに尋ねたことがある。

「大丈夫ですよ。これだけ前から準備しているんですから。それに、あの先生が考えた企画であれば、有意義なシンポジウムになるはずです」

なぜかその知り合いは、企画者の先生を全面的に信頼していた。しかし私には、どうしてもそうは思えなかったのである。

さて、その不安は少しずつ的中し始める。

5月10日(月)。

発表を引き受けていただいた先生から、妻のもとに連絡が入る。

「以前に引き受けました7月の国際シンポジウムの件ですけれども、主催者の先生から、いまだかつて何の連絡もありません。あの話は立ち消えになったんでしょうか?立ち消えになったらなったで、かまわないんですが」

ええぇぇぇぇ!どういうこっちゃあぁぁぁ!

昨年の秋に話が出てから半年が過ぎ、もう5月も10日である。当日の発表のプログラムや発表時間、発表原稿の締切、さらには、飛行機の時間とか、宿泊場所など、とにかく、すべてにわたって、いまのいままで、何の連絡もない、というのである!

どういうこっちゃ!

発表を引き受けていただいた先生は、有能かつ有名な先生だけに、多忙をきわめている。あらかじめ、原稿締切の期日を押さえておかないと、どんどんほかの仕事が入ってしまうではないか!

いろいろなツッコミが頭をよぎる。

「昨年秋、企画者の先生にあれだけ急かされて発表者の人選をしたのは、いったい何だったのか?」

とか、

「昨年秋からいままで、半年以上も時間があったのに、企画者の先生は、いったい何をしていたのか?」

とか…。

大々的な国際シンポジウムと銘打っているにもかかわらず、本番まで2カ月を切ったこの段階で、まだ何の連絡もこない、というのは、あまりにも非常識である。

妻が慌ててメールで企画者の先生に問い合わせた。

すると返事が来た。

「すいません。いまご連絡しようと思っていたところでした…」

出た!「出前が遅いそば屋の言い訳」だ!

添付されていた実施要項を見て、目を疑った。

「発表原稿は、80枚前後。締切は5月20日」

ええぇぇぇぇ!

今日が5月10日。ということは、締切まであと10日しかないではないか!

それに、80枚って…。

この80枚の意味もよくわからない。まさか、400字詰め原稿用紙にして、という意味ではないだろう。A4の紙にハングルで書いたとして、という意味に違いない。だとしても、かなりの枚数である。

いったい発表時間は何分なのか?

引き続き送られてきた実施要領をみると、

「1人の発表時間は、通訳を含めて20分」

ええぇぇぇぇ!

これにも驚く。

ということは、実質、日本語での発表時間は10分ではないか!

それで原稿80枚って、いったいどういうことだ…?。

もう、わけがわからない。

発表を引き受けた先生は、「5月20日までに80枚なんて、不可能です」とおっしゃる。そりゃ、そうだろう。

しかしそこはそれ。蛇(じゃ)の道は蛇(へび)である。

私も妻も、韓国の学会事情を知り尽くしている。韓国では、7月初めに開かれる学会の原稿の締切が、5月20日、なんてことは、まずありえない。

なぜなら、もっとギリギリに出しても、ぜんぜん間に合うから。もう何度も経験していることだ。

たとえ日本語で原稿を出したとしても、たぶん一晩で韓国語に翻訳されて、一晩できれいに製本されるであろう。

だから、極端な話、本番の3日くらい前に出しても大丈夫なのである。

しかし先方が提示してきたのは、なぜか、ずいぶん前倒しの期日である。

妻が企画者の先生に「5月20日までに原稿を出すのはムリです」とメールを書く。

すると企画者の先生は、「でも、翻訳の都合もあるので、6月5日までにはどうしても出してください」と返事を書いてきた。

これもウソだということは、すぐにわかった。何度も言うが、こちとら、ギリギリに出してぜんぜん間に合った、という経験を、何度もしているのである。英語に翻訳する手間を考慮に入れるとしても、1週間前に出しても大丈夫なのではないだろうか。

それに…。

ここだけの話だが、たぶん、国際シンポジウムといっても、そんなにたくさんの人は集まらないだろう。せいぜい、大学の大会議室くらいを使うのが関の山である。下手すりゃ、純粋な聴衆よりも関係者の方が多いんじゃなかろうか。

これも、私が何度も経験したこと。

だから、極端な話、当日の朝にコピー機をフル稼働させて印刷すれば十分なはずである。

ということで、妻は発表を引き受けていただいた先生に「あまり気にせず、原稿は6月後半くらいに出せばいいと思います。内容も、ご自身がいま関心のあるテーマをお話になればよいのではないでしょうか」と申し上げる。

それより、せっかく韓国に行かれるのだから、できるだけ観光してもらって、少しでも韓国を楽しんでもらいたいものだ。

はたして国際シンポジウムは成功するのか?

…あれ?日記に愚痴や悪口は書かない、と決めていたんだけど、これは愚痴か?いや、違う違う。これは日本と韓国の文化の違いについて書いたにすぎない。あくまでも、文化の違い、である。

それに、私もこんなことを書いている場合ではない。先月末締切の原稿を、書かなければならないのだ。

| | コメント (0)

夢日記

ひさびさに見た鮮明な夢。

買ったばかりの革靴の片方をなくした。

(ちなみに、靴を買ったばかりだというのは本当の話)。

どうやら、居酒屋かどこかで、誰かが間違えて履いていってしまったらしい。

で、そのなくなった片方の靴を探す旅に出ることになった。

旅の途中、ダウンタウンの浜ちゃんが靴さがしに協力してくれたり、なぜか演歌の大御所、故・三波春夫さんと二人で、イ・スンチョルの「ソリチョ」を韓国語で歌ったり、と、わけがわからない旅が続く。

ようやく、靴を間違えて履いていったとおぼしき人をつきとめて、問いつめようとするが、その人はトラックに乗ってどこかへ行ってしまった。

「ああ、行っちゃったなあ」

やや広い道路に立ちすくむ私。

その道路のごく一部分に、舗装しなおされたばかりとおぼしきところがあって、そこがズームアップする。

そして、NHKの「新日本紀行」のようなアナウンサーのナレーションが入る。

「今年もこの町で行われた荒々しい祭が終わり、いつもの静かな町にもどった…」

舗装しなおされたとおぼしき場所がアップのまま。

やがてこれが、スクリーンに映し出された映像であったことを知る。

なんだこれは?ドキュメンタリー映画だったのか。

このスクリーンの映像を見続ける私。

瞬時のうちに、私はなくなった片方の靴の推理をする。

「そうか、間違って私の靴を履いた人は、この町で行われた荒々しい祭に参加していたんだな。祭りの行列に参加したその人は、あまりに荒々しい祭だったために、この道路で靴が脱げてしまったんだ。そして祭が終わった後、靴が脱げ落ちた場所が新たに舗装しなおされたのだろう。ということは、俺の靴は、この道路の下にあるということなのか」

そんな推理を導きだすような映像とナレーションだったである。

ところで「荒々しい祭」って何だろう。この前見た、諏訪の御柱祭のことだろうか。

そんなことを考えていると、最後にアナウンサーがそのドキュメンタリー映画のタイトルを言って、映画が終わる。

「宮城・立ち退き」

????

何だ?「宮城・立ち退き」って?

諏訪の御柱祭でもないのか…。

と、ここで目がさめた。

頭の中は「?」でいっぱい。

| | コメント (0)

帰国祝い行脚

5月7日(金)

午後、新幹線に乗って東京へ向かう。夕方に都内の私立大学で、ささやかな研究会があるためである。

ここ最近、学会というものからほとんど相手にされず、私自身も背を向けて生きていくことに決めた今、この小さな研究会は、私の数少ない居場所の一つとなってしまった。それがいいことなのかどうかは、わからない。

この日は、研究会といっても、私ともう一人の先生が長期の韓国滞在から帰国した祝いに一杯飲もう、というのが、メインのようである。

研究会終了後、いつも行く、近くの居酒屋へ移動。美味しい日本酒の地酒をしこたま飲む。わが師匠も、ふたりが無事帰国したことに安心したのか、上機嫌であった。私も、酔っぱらった勢いにまかせて、エラそうなことを口走ったりして、あとで激しく反省する。

5月8日(土)

高校時代の部活の同期や後輩たちと、バーベキューをする。

先週も、高校時代の部活の同期や後輩たちと「カレー」をやったばかりだが、今回のメンバーは先週のグループとは異なる。

高校卒業後、OBの有志たちで新たにブラバンを作った。私も設立から約10年間、そのブラバンに参加していた。その過程で仲良くなったグループである。

東京を離れてから10年、楽団に参加することはなくなり、年に一度の演奏会もすっかりご無沙汰してしまった私だが、なぜか彼らは今も私のことを気にかけてくれていて、「帰国祝いにバーベキューをしましょう」と言ってくれた。もちろん、帰国祝い、というのは単なる名目で、毎年この時期に恒例行事として行っているバーベキューに、私も誘ってくれたわけである。

野外で肉を焼きながら、いろいろと話をする。

「今年の10月に演奏会があるから、出てみないか。それに、来年の5月には、記念すべき20回目の定期演奏会があるから、絶対に出てもらわないと」と、同期のフクザワが言う。

東京を離れるとき、またいつか、この楽団に戻ってくるよ、と、同期のフクザワに約束した。フクザワは今も、世代交代のいちじるしいこの楽団にふみとどまり、毎年の定期演奏会に出続けている。私に会うたびに、私の復帰を待っているのだと言ってくれる。

しかし、現実にはなかなか難しい。もう楽器を吹かなくなって10年もたってしまっているし、いまの仕事の状況からいっても、ふだんの練習に参加することはほぼ不可能である。かりに今から、再び楽器の練習を始めたとしても、とても演奏会に出るくらいのレベルにまでは戻らないだろう。

だが、フクザワとの約束を果たすためにも、もう一度舞台に立ちたいな、とも思う。

待てよ、一つだけ方法があったぞ。演奏に参加できなくとも同じ舞台に立てる方法が…。

はたして、10月に私は舞台に立てるだろうか?

| | コメント (0)

御柱祭!パート2

5月2日(日)

妻と妻の両親、そして妻の妹夫婦と一緒に、1カ月ぶりの長野である。

休日だった先日(29日)、美術館に行ったときに、着ていく服がまったくないことに気づいた私は、「休日に美術館に行くのにふさわしい服」を買おう、と思いたつ。そこで、高原にあるアウトレットに服を探しにいく。

だが、この体型にこのセンスでは、そんな服がそうそう見つかるはずもない。ほとんどの店が、

「おまえのような体型のヤツが来る店ではねえ!」

といったオーラを漂わせているのである。

でも、それが幸いしてか、入るべき店も限られていたおかげで、さほど迷うことなく、服を購入。というより、選択肢がほとんどなかったのだが。

買った服が、美術館に来て行くにふさわしい服かどうかは、わからない。

5月3日(月)

先月に続き、7年に一度開催されるという御柱祭を見に行く。今回の旅の目的の一つが、実はこれであった。

2 先月は、御柱を山から里へ運び出す「山出し」が行われ、「木落とし」とか「川越し」といったイベントが行われた。今回は、「里曳き」といって、里に下ろされた御柱を、人々が曳きながら町中を練り歩き、最後に、大社境内の宝殿の四隅にそれぞれ御柱が建てられる。これを建御柱という。これがいわば御柱祭の総仕上げである。今週は、上社前宮と上社本宮の御柱、計8本の里曳きである。

午前11時頃茅野駅に到着。そこから歩いて御柱の里曳きが行われている場所を目指す。

聞くと、上社前宮の御柱は、すでに昨日のうちに前宮に到着し、あとは御柱を境内に建てるのみであるという。上社本宮の御柱は、里曳きの最中とのことだった。

本宮に向かう御柱の行列を見たあと、建御柱を見るために、手前の前宮まで歩いて戻ることにする。

御柱祭は、この地域のさまざまな地区の人たちが力を合わせて行うお祭りである。そのため、御柱祭の参加者は、各地区ごとに、その地区名を書いた法被を着ている。その法被もバラエティに富んでおり、見ているだけで楽しい。

Photo そのバラエティに富んだ法被の中には、背中に大きく「斧」と書かれたものもある。そして「斧」と書かれた法被を着ている人は、実際に斧を持っている。「斧係」という意味であろうか。

そのつもりで見ると、「斧」と書かれた法被を着ている人が思いのほか多いことに気づく。よく、化学薬品を積んでいるトラックが、「毒」と書かれたプレートをつけて走っているのを見かけることがあるが、あんな感じがして、なんとなく可笑しい。

2_2 私はなぜかこの「斧」と書かれた法被がひどく気に入ってしまい、この法被を見るたびに、ついカメラを向けてしまう。しまいには、「一枚の写真の中に、「斧」と書かれた法被を着ている人が何人おさまるか」という、実にクダらない遊びを思いつくに至る。

午後2時過ぎ。歩きながら写真を撮りまくっているうちに、前宮に到着。ちょうど前宮一の柱は、直立に建てられたばかりで、歓声があがっていた。

Photo_2 一の柱に続き、他の3本の柱も順々に、かけ声にあわせてゆっくりと立てられてゆく。

1 御柱が境内の所定の位置に到着すると、およそ1時間ほど時間をかけて、御柱を綱で引っ張って直立に建てる作業が行われる。数十人の男たちが御柱の上に乗ったままの状態で建てられていくので、御柱が直立する頃には、数十人の男たちが、柱の高いところにしがみついている格好になる。

御柱が直立に建てられると、所期の目的は達したわけで、メデタシメデタシとなるのだが、このあと、御柱の上に取り残された男たちは当然、御柱から降りなければならない。

Photo_3 狭くて高い御柱の上から、一人一人が、足場を確認しながら、綱をつたって地上に降りてくる。さながら綱渡りのようである。

Photo_4 綱をつたって降りる男たちは、降りてくる途中で、いったん頭を下にして逆さ吊りのような格好をする。そしてそのあと、再び体勢を立て直し、するすると地上に降りるのである。
ところがこれが意外と難しいようである。なかには、逆さ吊りになったまま体勢を立て直すことができないまま、ズルズルと降りてしまう人もいた。逆さ吊りの状態から、体を反転させてもとの体勢に戻すには、相当な踏ん張りが必要なようだ。

この一連の動きを、下から見ているだけでも、高所恐怖症の私にとっては、ゾクゾクしてしまう。とくに御柱のいちばん上の方でしがみついている人は、地上に降りるまで、かなりの時間、そのままの状態で待機していなければならないし、なにより、直立している御柱は、左右にかなり揺れるのである。逆に、あの大人数の男たちが、御柱にしがみついているにもかかわらず、不安定に直立している御柱が倒れないことの方が、不思議であった。

御柱祭は、「木落とし」「川越し」などがメインの「山出し」が有名だが、「里曳き」まで見ることをおすすめする。できれば、御柱が建ったあとに、御柱にしがみついていた男たちが地上に降りるまでを見届けるとなお面白いだろう。建御柱までの一連の行事が終わり、緊張感から解放された様子が、何とも心地よいのである。

気がつくと午後4時をまわっていた。私たちは前宮をあとにした。

| | コメント (0)

カレー

「こんどの連休に集まってカレーをしましょう」

2週間ほど前、高校時代のブラバンで同じパートだった1年下の後輩、モリカワさんからメールが来た。

ブラバンで同じパートの同期だったコバヤシが、高校時代、本格的なカレー作りに目覚めた。「その腕を試したい」といって、高校卒業後、同じパートの1年後輩、アサカワの家で、数人で集まってカレーパーティをはじめたことがきっかけで、この「カレー」が恒例行事となった。集まるのは、同期だったコバヤシと私、そして、1年下の後輩たち数人である。

高校卒業後しばらくは、年に1回ていど、誰かの家を会場にして、定期的に続けていたが、それぞれが就職したり結婚したりしてからは、忙しくなって次第に行われなくなった。前回行ったのが8年前だったというが、そのときの記憶はほとんどない。

カレーを作る張本人のコバヤシは、いま仕事の関係で福岡にいる。コバヤシがいなければ、カレーはできない。

「連休は東京に戻ってきているでしょう。先輩から連絡してくれますか?」とモリカワさん。

コバヤシは、高校時代の唯一の親友である。高校時代、あらゆる悩みごとや愚痴を言い合った。たぶん、高校時代を最も長い時間、共に過ごした友人だったと思う。私のダメな点を熟知しているのは、たぶん、妻とコバヤシくらいだろう。

だが、お互いが就職してからは、ほとんど会う機会がない。

前回電話で話したのは、2年ほど前だったか。そのときも、あいかわらずの会話。たいていは、「おまえのそういうところが人としてダメなんだよ」と、コバヤシが私に対して一方的なダメ出しをする。

私が電話で連絡すると、またいつものように長電話になって、私に対するダメ出しが始まるだろう。

「俺が連絡するより、モリカワさんか連絡してくれた方が、コバヤシも喜ぶと思うよ」と、私はモリカワさんにコバヤシの連絡先を教えた。

そういえば今回はなぜか、モリカワさんがえらくはりきっている。各人への連絡から場所の確保まで、自分が買ってでているのは、ふだんのやる気のないモリカワさんにしてはめずらしい。子育てが一段落したのだろう。

しばらくして「コバヤシ先輩は5月1日ならば大丈夫だそうです」と、モリカワさんからメールが来た。

5月1日(土)

朝、勤務地を出発。新幹線で東京に向かう。モリカワさんの家に集まって、午前10時からカレーを作りはじめるということになっていたが、前日、新入生歓迎会で学生たちと夜12時近くまで酒を飲んでいた私は、遅れて会場に向かうことになった。決して、カレー作りを手伝うのがイヤだったからではない。

午後1時半、モリカワさんの家に到着。

「ちょうどいいときに来ましたね」と、みんなが口々にいう。見ると、テーブルにすでにカレーが並べられていた。「いま完成したばかりです」。3時間半をかけた労作である。

Photo_5 チキンカレー、キーマカレー、そして、カブのカレー。香辛料の香りが、食欲をそそる。

集まったメンバーを見渡すと、同期のコバヤシ、1年下のアサカワ、オーキ、モリカワさん、アライさん、ナカノさん、フジイさんが来ていた。やや遅れて、エーシマもやってくる。あいかわらず、場をさらうエーシマのキャラクターは健在である。

8年ぶりに会うコバヤシは、さすがにオッサンになったなあという印象があるが、私も他人のことはいえないのだろうな。

カレーを食べているときの話題は、もっぱら高校時代の思い出話。「パート練習のときなんか、練習よりも、先輩ふたりの漫才を聞いてる時間の方が長かったんですから」とモリカワさん。もちろん、本当の漫才をしていたわけではないが、私とコバヤシの会話のやりとりが、まるで漫才のようだった、という意味なのだろう。毎日のパート練習のとき、どんな話をしていたのかは、もうすっかり忘れてしまった。

思い出以外の話題はといえば、いまの仕事の話。歳をとったなあ、と思うのが、上司の悪口でなく、若者の悪口を言うようになった、という点である。

近ごろの若者はぜんぜん面白くないし、根性がない。採用の面接をしても、みんな同じ答えばかり返ってきてつまらない、とは、外資系の大企業に勤めるエーシマの弁。

「ちゃんと学生を教育をしてくださいよ~」とエーシマが私に言う。

この言葉を聞いた私の気持ちはフクザツである。昨晩、就職活動の様子を学生から聞いたばかりの私からすれば、とてもいまの若者たちを批判する気にはなれない。想像以上に、就職活動の現状はタイヘンなのである。

女性でありながら、という前置きは失礼かもしれないが、エーシマほど個性的で、面白くて、肝の据わった人間を私は知らない。仕事の上で、いろんな修羅場をくぐり抜けてきたとも聞く。そんなエーシマからしたら、どんな人間だって、面白くないように思えるだろう。

それに、忘れてはならないのは、俺たちはバブルの時代に学生時代を過ごした。そのころといまとでは、状況が全然違うのである。TOIECの点数が290点であったにもかかわらず、外資系の大企業に入社したエーシマが、単身アメリカに出張して米国人と堂々とわたりあうまでに至る、という成功譚は、彼女のツワモノぶりを示すエピソードだが、エーシマの個性と、それが許された時代的背景によるところが大きいのではないか、とも思う。いまでは、ありえない話である。

ま、そんなことを思いながら、「近ごろの若い者は…」と嘆く会話を楽しむ。高校時代以来、話し方やキャラクターは、みな全然変わっていないが、歳だけはとったのだな、と感じる瞬間である。

午後4時過ぎ、用事があるというのでコバヤシが一足早く帰った。そして午後5時過ぎ、残りの人々も解散。3時間半ほどの時間を、十分に楽しんだ。

「また集まりましょう」

さて、次はいつになることだろう。

| | コメント (0)

話題がなくてゴメン

4月30日(金)

最近、記憶力が著しく減退したせいで、いつどこで聞いた話なのかもわからなくなってしまったが、

「サッカーの話題は、世界中どこへ行っても通用する」

と誰かが言っていた。留学経験のある学生から聞いた言葉かも知れない。

サッカーに限らず、他のスポーツも、話題になりやすいのだろう。

韓国滞在中も、サッカーや野球やフィギアスケートなどのスポーツがよく話題に出たが、困ったことに、私自身、スポーツに全く関心がないため、話を合わすことができなかった。

この日、新入生歓迎会の2次会の場でも同じであった。

1次会のときに離れて座っていた4年生のA君に、2次会会場への移動中、「1次会では話す機会がなかったね。じゃあ2次会の場で」と言うと、律儀にも2次会でA君が隣に座ってくれた。

話題に困ったのか、A君が話しかけてくれる。

「先生は、サッカーとかご覧になりますか?」

「いや、全然見ないね」

「じゃあ、野球はどうです?どこのチームのファンですか?」

「小学校のとき、ヤクルトファンだった。でもいまは、全然野球を見ないから、別にどこがファンということもないしね…」

アンチ巨人だけどね、と言おうとしたが、そういえばA君は巨人ファンだった、ということを思い出し、ぐっとのみこんだ。

「じゃあ、ほかに興味あるスポーツとかって、ないんですか?」

業を煮やしたA君が話題を広げてくれようとするが、困ったことに、まったく思い浮かばない。

フィギアスケート、相撲、などと頭の中に思い浮かんでは、(でも全然興味ないしな…)と思い直し、次々と消えてゆく。

結局、話題がふくらまないまま、この話は終了。

A君には、ホント、申し訳ないことをした。

まったく、話題の広がらないことこの上ない人間である。私は。

| | コメント (0)

« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »