文化の違いか?
韓国の大学のある先生から、問い合わせがきた。
「先月末までにお出しいただくはずの原稿はどうなっていますか?翻訳の都合もあるので、なるべく早くお送りください」
一瞬唖然とする。聞いてない聞いてない。原稿の締切が先月末だなんて聞いてないぞ。
日本に帰国する前に、その先生から学術雑誌に掲載する原稿を依頼されたのは確かである。だが、具体的な締切がいつなのかは、はっきりとはおっしゃっていなかった。お話の感じから、5月か6月ごろだろうと思っていた。それが、いきなり、「締め切りは先月末でしたけど…」と連絡がきたのである。
原稿の依頼は口頭で言われただけで、具体的な締切や執筆要項などは、まったく聞かされていない。
(またか…)
と思う。以前にも似たような経験があるからだ。
こういうことに関しては、韓国は基本的に「放置プレイ」の国である。もう何度も経験していることなのだが、いまだに慣れない。
日本であれば、口頭でお願いしたあとに、原稿の締切の期日などを含めた執筆要項が文書で送られてくるのがふつうだが、よっぽどのことがない限り、韓国ではそんなことはないのである。
まあ、締切の期日が明記されていたとしても、最近の私は、期日を数カ月過ぎても平然としている場合が多いから、あまり関係ないのだが。
それでも、今回ばかりはそういうわけにはいかない。定期的に出ている学術雑誌なので、締切は極力守らなければならないのである。それに、国際的な信頼関係を失うおそれもある。
「締切を1カ月間違えてました」と言い訳をして時間かせぎをすることにしたが、実はまだ一文も書いてない。週末が勝負だな。
同じような出来事が、もう一つあった。
話は、昨年の秋にさかのぼる。韓国滞在中のことである。
「お二人(私と妻)にお会いしたいという先生がいるんです」と、知り合い(韓国人)に、ある先生(韓国人)を紹介された。
その先生にお会いすると、「来年の7月に大規模な国際学術シンポジウムを開くことを計画しているんです。ついては日本から有名な研究者を招いてご発表いただきたいので、誰か紹介してください」という。
なんだ。ブローカーをやれってか。
それにテーマ的には、私や妻が発表しても何の問題もないようなものなのだが、先方はしきりに「有名な先生を…」とおっしゃる。
別にこっちは、自分たちを「有名な先生」とはこれっぽっちも思っていないが、いちおう研究者としてやっているんだ。名前が売れている、売れていない、は関係ないだろ、と思いつつ、妻が人選を行うことになった。
この業界、「有名な先生」が「デキる研究者」とは限らない。これは常識である。だから、あるていど、慎重に吟味しなければならない。
ところが先方は、「書類の関係があるので、早く推薦してください」という。こっちからしたら、「本番は来年の7月だろ!」と思うのだが。
私たちは、シンポジウムのテーマに合い、かつ、この先生なら大丈夫!信頼できる!という先生をみつけ、その先生におうかがいをたてることにした。
しかし、その先生も実は海外出張中で、なかなか連絡がとれない。
人選を依頼された数日後、企画者の先生から「まだですかっ?」と催促の電話が入る。いくらなんでも、話を聞いてから数日のうちに決まる、ということはあり得ない。なんでそんなに急いでるんだろう。
数日後、その先生ともようやく連絡がつき、OKをいただいたので、企画者の先生に報告する。
「ところで、そのシンポジウムの具体的な趣旨と日程はどのようなものですか?私たちも、依頼した先生にお伝えしなければならないので」
するとその企画者の先生は、韓国語でまくしたてるようにみずからが企画された国際シンポジウムの概要を話し始めた。
世界各国から有名な研究者を集めて、2日間にわたって行う、という壮大な構想。
…というより、私たちには、ちょっとした誇大妄想のようにも思えた。
「こういう国際シンポジウムを企画するの、はじめてなんです」と企画者の先生。私たちには、その先生がかなりテンパっているように見えた。それに、相当なハイテンションである。
(はたしてこのシンポジウム、うまくいくんだろうか…)
私と妻は顔を見合わせた。
「本当に大丈夫でしょうか?」不安になった私は、後日、その企画者の先生と私たちを引き合わせた知り合いに尋ねたことがある。
「大丈夫ですよ。これだけ前から準備しているんですから。それに、あの先生が考えた企画であれば、有意義なシンポジウムになるはずです」
なぜかその知り合いは、企画者の先生を全面的に信頼していた。しかし私には、どうしてもそうは思えなかったのである。
さて、その不安は少しずつ的中し始める。
5月10日(月)。
発表を引き受けていただいた先生から、妻のもとに連絡が入る。
「以前に引き受けました7月の国際シンポジウムの件ですけれども、主催者の先生から、いまだかつて何の連絡もありません。あの話は立ち消えになったんでしょうか?立ち消えになったらなったで、かまわないんですが」
ええぇぇぇぇ!どういうこっちゃあぁぁぁ!
昨年の秋に話が出てから半年が過ぎ、もう5月も10日である。当日の発表のプログラムや発表時間、発表原稿の締切、さらには、飛行機の時間とか、宿泊場所など、とにかく、すべてにわたって、いまのいままで、何の連絡もない、というのである!
どういうこっちゃ!
発表を引き受けていただいた先生は、有能かつ有名な先生だけに、多忙をきわめている。あらかじめ、原稿締切の期日を押さえておかないと、どんどんほかの仕事が入ってしまうではないか!
いろいろなツッコミが頭をよぎる。
「昨年秋、企画者の先生にあれだけ急かされて発表者の人選をしたのは、いったい何だったのか?」
とか、
「昨年秋からいままで、半年以上も時間があったのに、企画者の先生は、いったい何をしていたのか?」
とか…。
大々的な国際シンポジウムと銘打っているにもかかわらず、本番まで2カ月を切ったこの段階で、まだ何の連絡もこない、というのは、あまりにも非常識である。
妻が慌ててメールで企画者の先生に問い合わせた。
すると返事が来た。
「すいません。いまご連絡しようと思っていたところでした…」
出た!「出前が遅いそば屋の言い訳」だ!
添付されていた実施要項を見て、目を疑った。
「発表原稿は、80枚前後。締切は5月20日」
ええぇぇぇぇ!
今日が5月10日。ということは、締切まであと10日しかないではないか!
それに、80枚って…。
この80枚の意味もよくわからない。まさか、400字詰め原稿用紙にして、という意味ではないだろう。A4の紙にハングルで書いたとして、という意味に違いない。だとしても、かなりの枚数である。
いったい発表時間は何分なのか?
引き続き送られてきた実施要領をみると、
「1人の発表時間は、通訳を含めて20分」
ええぇぇぇぇ!
これにも驚く。
ということは、実質、日本語での発表時間は10分ではないか!
それで原稿80枚って、いったいどういうことだ…?。
もう、わけがわからない。
発表を引き受けた先生は、「5月20日までに80枚なんて、不可能です」とおっしゃる。そりゃ、そうだろう。
しかしそこはそれ。蛇(じゃ)の道は蛇(へび)である。
私も妻も、韓国の学会事情を知り尽くしている。韓国では、7月初めに開かれる学会の原稿の締切が、5月20日、なんてことは、まずありえない。
なぜなら、もっとギリギリに出しても、ぜんぜん間に合うから。もう何度も経験していることだ。
たとえ日本語で原稿を出したとしても、たぶん一晩で韓国語に翻訳されて、一晩できれいに製本されるであろう。
だから、極端な話、本番の3日くらい前に出しても大丈夫なのである。
しかし先方が提示してきたのは、なぜか、ずいぶん前倒しの期日である。
妻が企画者の先生に「5月20日までに原稿を出すのはムリです」とメールを書く。
すると企画者の先生は、「でも、翻訳の都合もあるので、6月5日までにはどうしても出してください」と返事を書いてきた。
これもウソだということは、すぐにわかった。何度も言うが、こちとら、ギリギリに出してぜんぜん間に合った、という経験を、何度もしているのである。英語に翻訳する手間を考慮に入れるとしても、1週間前に出しても大丈夫なのではないだろうか。
それに…。
ここだけの話だが、たぶん、国際シンポジウムといっても、そんなにたくさんの人は集まらないだろう。せいぜい、大学の大会議室くらいを使うのが関の山である。下手すりゃ、純粋な聴衆よりも関係者の方が多いんじゃなかろうか。
これも、私が何度も経験したこと。
だから、極端な話、当日の朝にコピー機をフル稼働させて印刷すれば十分なはずである。
ということで、妻は発表を引き受けていただいた先生に「あまり気にせず、原稿は6月後半くらいに出せばいいと思います。内容も、ご自身がいま関心のあるテーマをお話になればよいのではないでしょうか」と申し上げる。
それより、せっかく韓国に行かれるのだから、できるだけ観光してもらって、少しでも韓国を楽しんでもらいたいものだ。
はたして国際シンポジウムは成功するのか?
…あれ?日記に愚痴や悪口は書かない、と決めていたんだけど、これは愚痴か?いや、違う違う。これは日本と韓国の文化の違いについて書いたにすぎない。あくまでも、文化の違い、である。
それに、私もこんなことを書いている場合ではない。先月末締切の原稿を、書かなければならないのだ。
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