卒業生
私がこの稼業についたのは、いまから10年ほど前である。
最初の職場は、短大だった。
2年半の短い間だったが、私の最初の勤務地ということもあって、ここでいろいろなことを学んだ。いまの私があるのも、ここでの体験が大きく影響している。学生たちもみな、まじめで個性的だった。そんな学生たちに、私は鍛えられたのである。
短大なので、4年制の大学に編入を希望する学生も多かった。
私の研究室に、Oさんという学生がいた。
Oさんは、とてもまじめだが、とても不器用な学生だった。
Oさんは、地元の4年制の大学に編入したいと思い、試験を受けた。試験は、外国語と小論文と、面接である。
だが残念ながら、結果は不合格だった。Oさんは、編入をあきらめ、地元で就職することにした。
Oさんの不合格がわかったあと、その時に面接を担当していたK先生とお話しする機会があった。
実はK先生は、私の出身大学の先輩で、しかも同じ研究室に所属していた。だから、以前からよく知っている先生であった。
「Oさんは残念だったね」と、K先生。
「面接の時、『卒業後の進路はどのように考えてますか?』と聞いたら、Oさん、何て答えたと思う?」K先生は私に質問した。
「さあ」と私。
「『○○先生のような教師になりたいです』って、答えたんだよ」
「○○先生」とは、私のことであった。
「唐突に君の名前が出たんで、ビックリしちゃったよ。あんまり唐突だったもんで、『○○先生って、誰ですか?』って聞いたら、『私のゼミの先生です』って」
「そうだったんですか…」
そんな話、当然のことながら、Oさんからは何も聞いていなかった。Oさんは何も言わないまま、卒業した。いまから8年ほど前のことである。
卒業してから、Oさんには会っていない。Oさんがいま、どこで何をしているのかも、わからない。
でも、私がいまの仕事に自信を失いかけるたびに、この話を思い出しては、もう少しこの仕事を続けられるかもしれない、と思うことにしている。
Oさんは、そんなことを言ったことなど、とっくに忘れているかも知れないけれど。
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