本日の日記
しばらく旅に出ます。
5カ月ぶりの場所です。
…といっても、今回はまったく自由時間のない、仕事の旅。
再訪、というには、あまりに短い旅です。
7月28日(水)
朝からひどい頭痛である。
頭痛と肩こりには無縁な私だったが、今日ばかりはつらい。おまけに、吐き気もする。
どうして頭痛がひどいのだろう。思いあたるふしがまったくない。
歩くのがやっとである。
1時間目の授業で、学生たちの前でその話をすると、
「それは暑いところと涼しいところを行ったり来たりしたからじゃないですか?」
と4年生のSさんがアドバイスしてくれた。
なるほど。熱中症に冷房病を併発した、ということか。
ここ数日を振り返ってみよう。
日曜日の夕方、東京から戻ってきた。
Wii Fitのショックから立ち直れなかった私は、すぐにスポーツクラブに直行した。
NHKスペシャルを見ながら1時間ほどウォーキング。
ビックリしたことに、ウォーキングやエアロバイクをやりながらテレビを見ていた人の中で、NHKスペシャルを見ていたのは私だけ。私以外の人は民放のバラエティ番組やドラマを見ていた。
いい番組だったんだけど、テーマが重かったからかなあ。
翌月曜日の夕方、授業が終わって、研究室で放心状態になっていると、4年生のKさんとNさんが来た。
「実家の畑で採れたスイカを持ってきたんですけど、食べませんか?」
と言われ、1階の学生研究室に行って、食べながらよもやま話をしていたら、気がつくと夜8時半になっていた。
「先生、今日はジムに行かなくていいんですか?」
とKさんが聞く。もはや私のジム通いは有名らしい。あたりまえか。この日記に書いているんだから。
「ま、まさか…。もうこんな時間だし、行くわけないでしょ。家に帰りますよ」
と答えると、
「じゃあ、スイカ、食べきれないんで、家に持って帰ってください」
と、スイカをありがたくいただく。
家に帰って、スイカを冷蔵庫に入れた。
で、気がつくと車を走らせていた。
うわぁぁぁぁぁぁっ!無意識のうちにジムに向かっている!
かくしてこの日、「シェイプアップコース・レベル2」が終了。
そして、昨日の火曜日。
「シェイプアップコース・レベル3」に進むべく、インストラクターの方にトレーニングプログラムを組んでもらう。
「ずいぶん(トレーニングの)ペースが早いですねえ」とインストラクターの方。「でも、筋トレをした次の日には、筋トレを休んだ方が効果的なんですよ」
「え?そうなんですか」
インストラクターの方も、度が過ぎた私のジム通いを見かねたのだろう。
ん?待てよ。
やっぱり私は度が過ぎていたのか?
ただでさえ汗かきの私が、運動でさらに汗をかいて、家に戻ってクーラーをガンガン効かせた部屋でグッタリしていることが、頭痛の原因なのではないだろうか?
ということで、今日はスポーツクラブはお休みである。
7月23日(金)
東京の妻の実家で任天堂のWii Fitを買ったという。
金曜日の夜に東京に帰ると、私の似顔絵もすでに登録されていた。
Wiiでは、自分の似顔絵を描いたキャラクターを登録して、画面ではその人間型のキャラクター(アバター)がいわば私の分身として活躍する。これをMiiというのだそうだ。
こんなことは、わかりきったことなのかもしれないが、生まれて初めてWiiにふれた私にとっては、なにもかもが新鮮である。
で、Wii Fitとは、Wiiのゲームを楽しみながら体力作りをする、というゲームソフトらしい。
さっそく、体重計に似た形のWiiボードというものに乗って、私の身体データを登録しなければならない。そうしなければ、トレーニングなり、ゲームなりができない、というのである。
さて、困ったことになった。
Wiiは、家族が団らんする居間にある。そこでは、妻と、妻の母が、じっと画面を見つめている。
つまり、私の身体データが、妻と妻の母(義母)にだだ漏れになってしまうのである。
義母はもちろん、妻にも、自分の体重を明かしたことがない。体重だけではない。貯金の額もだ。この二つは、これまで完全に秘密を守っていたのだ。
いったい、このボードの上に乗ると、どんなデータが暴かれてしまうのか?ついに体重が暴かれてしまうのか?そう思うと、不安で仕方がない。
「ちょっと席を外してください」とも言えないしなあ。
これが、自分の実家であれば、得意の「内弁慶」で「部屋から出てけ!」と言えばいいのだが、妻の実家となるとそうはいかない。
妻は「ちょっとお風呂入ってくる」といって、席を外した。
だが、義母は居間に座って画面を見つめたまま。
いつまでも時間を稼げないな、と観念してボードの上に両足を置いた。
「あなたの体を認識しています」と、画面が伝える。
やがて、画面に、
「体重を見ますか?」
という質問が出た。
私は迷わず「いいえ」を選んだ。
そりゃそうだよな。今のご時世、他人に体重を知られたくない、という人も多いはずだ。さすが任天堂、配慮しているなあ。
次に、BMIを測定する。BMIとは、身長と体重から算出した数値のことで、この数値が22に近いほど、標準体型なのだという。出た数値に応じて「標準」「太りぎみ」「太りすぎ」「やせぎみ」「やせすぎ」などの判断が示される。このBMIについては、スポーツクラブに入会したときにも調べたので、よく知っていた。
これもやはり、画面には数値が出なかった。ホッとしたのもつかの間、次の画面に驚いた。
「あなたは…太りすぎです!」
ある意味、数値よりもキツい一言である。もちろん、自分が「太りすぎ」であることは、スポーツクラブで測定したときに知っていたが、問題は、そのことをはっきりと、義母に見られた、ということである。
むろん、私の体型は明らかに太っているので今さら驚くべきことではないのだが、それでもWiiにあらためて「太りすぎ」と宣告されたのを見て、義母はどう思ったのだろう。しかも、「太りぎみ」ではなく、「太りすぎ」である。
ダメな婿だ、と思ったに違いない。
さらに、驚くべきことが起こる。
「太りすぎ」と宣告された途端、画面の私のキャラクターの体が、急速に膨らんでいったのである!
つまり、画面上の私も「太りすぎ」の体になっていったのだ!
それはあたかも、命が吹き込まれていくかのようであった。
次にバランス感覚のチェックである。
自分の体の重心がどこにあるか、とか、バランス感覚がどの程度なのか、などを確かめる。
しかしこれが、思いのほかむずかしかった。
そしてついに結果が出る。
「あなたのバランス年齢は」
……
「50歳です!」
えええぇぇぇ?!
このときも義母は画面を凝視。
自分の娘の夫が「太りすぎ」でしかもバランス年齢が「50歳」だという事実を目の当たりにして、義母はどう思ったのだろう。
ダメな婿だ、と思ったに違いない。
いったい、この3週間ほど通い続けたスポーツクラブは、何だったんだろう?まったく効果があらわれないではないか!
ひどく落ち込んだ。
妻が居間にもどってきた。
「あら、Miiがずいぶん太ったね」
結論。私はWii Fitを楽しめない。なぜなら、屈辱的なことが多すぎるから。
7月21日(水)
ふだん新聞をあまり読まない。
こういう仕事をしていて、ほめられたことではないのだが、新聞というものを信じなくなってしまっているので、仕方がない。
それでも、たまに新聞をくまなく読むと、新鮮な気持ちになる。
今日も、たまたま昼食をとっていた食堂で読んでいた新聞に、釘付けになってしまった。
人生相談のコーナーである。以下は原文のまま。
「40代女性。普通の相談事とはかけ離れた内容なので誰にも相談することができず、投稿させていただきました。
夫はメタボリックシンドロームと診断され、病気も出てきました。それでやせることに決めたようですが、度が過ぎています。いくつも歩数計をぶらさげ、土日は2時間のウォーキングを何回かくり返し、「足が痛い痛い」と言うのです。
さらに、宿便が悪いと聞いたらしく、自宅でも職場でも所構わず頻繁に浣腸をしています。もし職場の人たちに知られたら、どのように言われるでしょう。それを考えると居ても立ってもいられません。といって、本人に直接は恐ろしくて言えません。朝から晩まで夫の頭の中はメタボ対策のことでいっぱいのようです。
もう十分に体重は減っているのです。どうしたら、やめてもらえるのでしょうか。(大阪・A子)」
以上、引用終わり。
こういうのって、どこまで脚色されているのだろう。よくわからない。
それはともかく、これを読んで、一般の新聞の読者は、どう思うのだろうか。
少なくとも私は、身につまされた。
私も、程度の差はあれ、ともすれば「度が過ぎる」人間だからである。
現に、少し足が痛くなっているし。
スポーツクラブでは人間観察をしないようにつとめているのだが、それでもどうしてもいろいろな人の行動が目に入ってしまう。
先日、エアロバイクをしていると、私の隣で、鍛え抜かれた体のオッサンが雑誌を読みながらエアロバイクをこいでいた。
何の雑誌だろう、と見てみると、なんとトレーニングの雑誌。
「効果的なトレーニングとは?」「アスリート体験談」みたいな記事を読みながら、自転車をこいでいるのである。
たとえて言えば、これって、グルメ雑誌を読みながら料理を食べているようなものだろう?
どんだけ食いしん坊なんだ?という話だ。
私からみれば、「もう十分鍛え抜かれてるじゃん。理想的な体型じゃん」と思うようなオッサンなのだが、根っから体を鍛えることが好きなんだろうな。
私も、度が過ぎないように心がけよう。
そして度が過ぎることのないように、新聞に載っていた、この人生相談をときどき思い出そう。
7月19日(月)
3連休の3日目の午後、ようやく、原稿を書こうというやる気が出てくる。
昨日も、まったくやる気が起きず、結局、黒澤明監督の「野良犬」とか、ポン・ジュノ監督の「殺人の追憶」をDVDで見てしまった。
どちらも文句なく面白い。とくに「殺人の追憶」は、何度見てもいいなあ。
映画の感想はさておき。
毎度毎度、原稿をかかえるたびにこんなことになるのは、いいかげん勘弁してほしい。
ほかの同業者も、こんな感じなのだろうか。
いや、違うだろう。もっとちゃんとしているはずだ。
どうすれば、原稿を書こうというテンションが上がるのだろうか。これは私にとって、終生の課題である。
8年くらい前のことだったか。
いよいよ原稿の締切がシャレにならなくなって、なんとかして原稿を書かなければならなくなった。だが、気ばかり焦って、まったくどうにもならない。
そこで思いついたのが、「缶詰」になる、ということ。
ほら、よく有名な作家先生が、ホテルに缶詰になって書く、なんてことがあるじゃない。あれを見習おうと考えたのである。
幸い、当時住んでいたところの近くには、風情のある温泉旅館があったので、そこに泊まって、原稿を書くことにした。
ひなびた温泉旅館に泊まって原稿を書くなんざ、いかにも文豪がやりそうなことではないか。
ところが、である。
温泉に入って、ビールなんか飲んじゃって、部屋でテレビをつけたら、映画「エクソシスト」をやっているではないか。
久しぶりだなあ、「エクソシスト」、なんて思いながら、つい見入ってしまい、気がついたら、夜11時。
ビールの酔いがほどよくまわったせいか、そのまま眠ってしまい、結局、原稿は書けずじまいだった。
いったい、何のために泊まったのか?これではまるで、「エクソシスト」を見るために泊まったようなものではないか!
この逸話だけとってみても、私がいかにダメ人間であるかがわかろう、というものだ。
…と思ったら、こんな話を聞いたことがある。
私と同世代のラジオDJが、以前、こんなことを言っていた。
エッセイ集を出すことになっていた彼は、出版社から再三、原稿の催促をうけているにもかかわらず、締切がとっくに過ぎても、まったく書く気が起こらない。出版社も、ブチギレ寸前である。
とはいえ、家にいても原稿を書く気が起こらない。これはさすがになんとかしなきゃ、と思った彼は、原稿を書くために、とんでもない妙案を思いついたのである。
それは、寝台特急の個室に乗って、そこで原稿を書く、という作戦である。
原稿を書くテンションを上げるためには環境を変えなければならない、と思った彼の、仰天の策である。
寝台特急、という閉じこめられた空間に自分を追い込めば、原稿を書くよりほかにやることがなくなる。それに、夜だから、景色を楽しむ必要もない。少なくとも、10時間くらいは、原稿を書く時間を確保できるわけである。しかも、朝になれば、まったく違う土地に到着するので、旅行気分も満喫できる。
その作戦を思いついた彼は、さっそくそれを実行にうつすことにした。みどりの窓口に行って、行き先はどこでもよい、その日、できるだけ長い時間乗っていられる寝台特急の切符をとったのである。「サンライズ出雲」であった。
そして夜、東京を出発。
ところがここで思わぬ問題が起こる。
実際に寝台特急の個室で、パソコンに向かって原稿を書いてみると、けっこう揺れるので、書いていてすぐに気持ちが悪くなるのである(私も新幹線の中で経験があるからよくわかる)。乗り物酔いしやすい人にとっては、あまりすすめられる方法ではない。
で、彼は「いったん横になろう」と思い、横になった。
次に気がついたときには、列車の窓から宍道湖が見えた、という。
つまり、ぐっすり寝てしまったのである。
結局、原稿は書けずじまいだった、という。
いったい何のために、別に乗りたくもない寝台特急に乗って、別に行きたくもない島根県に行ってしまったのだろう、と彼は後悔した。
なんともマヌケな話だが、私にはこの話が、自分を見ているようで、笑えないのだ。
私はいつまで、こんな試行錯誤をくり返すのだろう。
そしてこんな試行錯誤をくり返しながら、「やる気の神様」が降りてくるのを、今日もひたすら待っているのだ。
7月17日(土)
世間は3連休というが、月末までに出さなければならない発表原稿があって、気が重い。
気が重いと、まったくやる気がしない。
ということで、連休初日は、いつものように棒にふってしまった。この生活、なんとかならないものか。ま、DVDで映画を何本か見たので、よしとするか。
最近は、ほぼ毎日、スポーツクラブに通っている。
最初は抵抗があったものの、慣れてくると、どうってことはなくなる。というか、ひとりだと、家でストレッチだとか腹筋だとか、絶対にやろうとは思わないが、スポーツクラブに行くと、抵抗なくできるから不思議である。
これって、喫茶店で原稿を書く、という行為と、基本的には同じではないか!
家にひとりでいても原稿を書けないが、周りになんとなく人がいると、集中できる、という、例のパターンだ。
韓国にいたころ、大学の横にあった喫茶店に毎日通って、せっせと原稿を書いていた。おかげで、荷が重かった原稿も脱稿できた。
「あの喫茶店を買い取って、自分の喫茶店にしたい」と妻に言うと、妻は呆れていた。
しかし、いまや私の夢はそれだけにとどまらない。
もし私が大金持ちになったら、喫茶店にスポーツクラブを併設した施設を作ろう。
そうすれば、ひとつの場所で、原稿も書けるし、体力作りもできるのだ!
…などと、ひとりで夢想する。
また、こんなことも思い出す。
大学に入って何がよかったかって、高校時代のような体育の授業がなかった、ということだった。
高校時代、週に4日か5日は、体育の授業があったと思う。
それぞれ先生が異なっていて、柔道、ハンドボール、サッカー、陸上、バスケットボールなどをやらされていた、と記憶する。
体を動かすことが嫌いな私は、これが憂鬱で仕方なかったのである。
大学には、高校時代のような体育の授業がない、と喜んでいたが、1年生の時、週に一度、1時間だけ、体育の授業をとらなければならなかった。必修の授業である。
ソフトボールとかサッカーとか、さまざまな種目からひとつを選択することができたが、球技が苦手な私は、「トレーニング」という科目を選んだ。
「トレーニング」とは、文字どおり、体育館で筋トレなどのトレーニングをする、という科目である。
私を含めて、運動がいかにも苦手そうだ、という人たちが集まっていた。おそらく、そういう人たちに対する救済措置的な科目だったのだろう。
だが私は、体育館の中をランニングしたり、腹筋をしたりする、この「トレーニング」すらイヤだった。だから、かなりいい加減な気持ちで履修した。
いまでもたまに、この「トレーニング」の授業が、夢に出てきて、その夢にうなされることもしばしばである。
その私が、いま、自分からすすんでトレーニングをしている、というのだから、よくわからない。
これは、大学時代に大嫌いだった語学の授業についてもいえる。大学時代、あれほどまでに語学が苦手だった私が、昨年1年間、韓国語の勉強を続けたのだから、不思議だ。
そんなものなんだろう、と思う。
だから、大学時代に何でもかんでも勉強しなくったっていいのだ。その時になれば、本当に勉強したい、という気になるものだ。
あとは、そういう気持ちになるのを待つしかない。
私の場合は、20年かかった。いや、20年ぶりに「呪い」がとけた、というべきか。
…さて今日は、このところ無理に通い続けたせいか、足が痛くなり、体もだるい。
今日は休んで、明日、また通うことにしよう。
前回の記事、ちょっと批判めいた感じになってしまったな。いかんいかん。
ということで、少しバランスをとろう。
私と同世代のラジオDJが、以前、こんなことを言っていた。
「本当の友達とは、何十年ぶりにあったとしても、まるで昨日の話の続きのように話ができる間柄の人だ」
私もその通りだと思う。
妻が例の国際シンポジウムのために韓国に行ったとき、その合間を縫って、語学院でお世話になった2人の先生と再会した。約4カ月ぶりである。
この3人は、それぞれ年齢は若干異なるが、ほぼ同世代だといってよい。
あとで妻に聞くと、時間があまり取れなかったため、2時間ほど、一緒に昼食をとりながら話をしたのだという。
実は彼女たちが再会した日の夜、そのうちのひとりの先生から、私にメッセージが来た。妻と私の両方が習った、4級の時の先生(よくモノをなくす先生)である。妻と無事に会えた、という報告だった。
「ランチタイムにお会いしましたよ。まるで昨日会って、またお会いしたような気分です」
もうひとりの先生のホームページをのぞいても、同じようなことが書いてあった。
なるほど。韓国の人たちも、同じように思うのだな。
そして、3人は本当の友達になったんだな。
書くタイミングを逸してしまったが、7月5日(月)、妻は、韓国で行われた例の国際シンポジウムから、無事戻ってきた。
携帯電話がつながらない、というトラブルがあったものの、シンポジウムにも問題なく参加し、語学院でお世話になった先生とも無事、再会を果たしたという。
今回は発表者としてではなく、発表の先生の同伴者として参加したため、精神的に余裕を持って、まわりを観察することができたらしい。
帰国2日後の深夜、スカイプで2時間ほど、その「みやげ話」を聞いたが、「国際シンポジウム」のドタバタぶりは、まるでラジオの深夜放送のカリスマDJのフリートークを聞いているがごとく、抱腹絶倒だった。
私自身が、登場人物のキャラクターをよく知っていたので、その顔を思い浮かべながら聞いていて、なおさら面白かったのかも知れない。
だが残念ながら、とてもこの場で書ける内容ではない。
ひとつだけ、書いておく。
国際シンポジウムで、通訳はとても大事である。
通訳は、語学ができれば誰でもできる、というわけではない。
それが専門の研究分野に関する通訳、となるとなおさらである。
私たちが当日の発表者として推薦した日本人の研究者の方は、その分野で最先端の研究を行っている先生である。有能な先生だからこそ、発表者として推薦したのだった。
当日、その先生と妻は、発表や討論の時に通訳をしてくださる、という方にお会いした。やや年輩の女性の方だった。
「Wさんに頼まれて、通訳を引き受けることになりました」という。「Wさん」とは、私と妻が留学中にお世話になった韓国人である。Wさんは日本に長く留学した経験があるので、日本語がペラペラであった。今回通訳を担当するその年輩の女性の方は、Wさんと同じ大学に留学していた先輩にあたるという。つまり、「日本に留学経験があって、日本語ができる」という理由で、Wさんから、通訳を依頼されたのだ、というのである(Wさんは、当日、他の日本人の先生の通訳にかり出されていた)。
学生時代、日本に留学した経験がある、とその方はおっしゃったが、学生時代、というくらいだから、留学したのはかなり昔のことのようである。
その上、聞いてみると、どうも研究者の方ではない。ソウルのお寺にお勤めの方だという。
妻はその時、不安を覚えた、という。
そしてその不安は的中した。
その研究者の先生の発表は、最先端の研究分野の話である。内容もかなり込み入っている。専門に研究している人間ですら、通訳するのが難しいだろうと想像する。
それを、十数年前に日本に留学した経験があるという、専門外の方が、通訳できるはずがない。しかもその方は、通訳の経験がほとんどない、というのだ。
私には、当日の発表の様子や、発表のあとの討論の様子が、十分に想像できた。
妻によれば、その通訳の方は、途中ですっかりサジを投げてしまったという。
たとえるなら、セコンドからタオルを投げられて「ギブギブギブ!無理無理無理!」といったところか。
それにしても、よりによって、なんでそのような方に、通訳を依頼してしまったのだろう。引き受けたその方も、気の毒である。
いっそのこと、妻に通訳をまかせた方がよかったんじゃないの?
ここで教訓。
その国際シンポジウムが「本気」であるかどうかは、通訳の質でわかる。しっかりした通訳に依頼していれば、それは国際シンポジウムに本気でとりくんでいる、ということを意味する。もしそうでなければ、たんなる儀礼ととらえるべきである。
これからは、これを基準に、国際シンポジウムをウォッチングしていくことにしよう。
さて、その通訳の方に関する話はここで終わらない。
結局、通訳としてほとんどアレな感じなその方だったが、
「ひとつ、お願いがあります」
と、シンポジウムが終わってから、妻にお願いをしてきた。
「何でしょう?」
「日本には、とても品質のよい獣毛の歯ブラシと、さかむけを治す薬があると聞いています。実は私がつとめているお寺の老住職が、歯ぐきと肌が弱くて、ぜひとも日本の獣毛の歯ブラシとさかむけを治す塗り薬をと、所望しておられるのです。日本にお戻りになったら、それを買って送っていただけないでしょうか」
獣毛の歯ブラシ?さかむけの薬?
キョトンとした妻をよそに、その通訳の方は、妻に10万ウォン(約1万円)を渡した。
お金を受け取っちゃったからには、その依頼に応えなくてはならない。
日本に戻った妻は、獣毛の歯ブラシと小林製薬のサカムケア(逆剥け用の水絆創膏)を購入して、韓国に送る羽目になってしまった。
「なぜ面識もない歯茎の弱い坊さんのために、こうして煩わされるのか?」とは妻の弁。
やはりこれも、文化の違いか?
7月11日(日)
6月4日(金)〔東京〕、6月12日(土)〔東京〕、6月19日(土)〔勤務地〕、6月26日(土)~27日(日)〔勤務地〕、7月2日(金)〔東京〕、7月3日(土)〔勤務地〕、7月10日(土)〔東京〕、7月11日(日)〔勤務地〕。
これは、6月に入ってから今まで、私が出た研究会や会議の記録。つまり6月に入ってから今まで、週末には何かしらの研究会や会合が入っていた。このうち、自ら研究発表したのは2回。
他の同業者も、こんな日程、あたりまえなのだろうか?うーむ。愚鈍な私にはかなり堪える。毎度ながら、発表するたびに軽く死にたくなるので、参加するだけでもストレスは相当なものである。ああ、ゆっくり休みたい。
唯一の楽しみは、食べることである。
といっても、研究会のあとの懇親会は、いつも食べた気がしない。自分が発表した10日(土)の研究会のあとの懇親会は、とくにそうだった。
7月9日(金)午後、勤務地を出発し、夕方、東京に到着。
この日、妻が飯田橋で打ち合わせがあるということで、飯田橋で待ち合わせることにした。ただし、妻はそのメンバーと夕食を済ませることになっていたので、私もどこかでひとりで夕食をとらなければならなかった。
そこで思いついたのが、水道橋駅と神保町駅の間にある、ライスカレー屋さん。
私が大学生のときから通っているので、かれこれ20年になる。韓国渡航前に、しばらく食べられないだろうと思って食べに行ってから、約1年半ぶりである。
行ってみておどろいた。
繁盛しているのはあいかわらずなのだが、その店の主人が、いまだにかくしゃくとして働いているではないか。
前回、1年半ほど前に行ったときは(数年ぶりだったのだが)、いつも忙しく働いていた主人(おじさん)の姿が見えなかった。
(もうだいぶ歳だったからな。あるいはもう…)
と、実はその時、不吉なことを考えてしまったのである。
だがそんなことは全然なかった。いまだに元気に働いている。
私が20年前に通っていた時点で、けっこうな年齢だったと思うから、今はもう相当な年齢なのだと思うのだが…。
いずれにしても、20年間、変わらず働いている姿を見ると、なんとなく嬉しい。
それでまた思い出した。
数日前、たまたまテレビを見ていたら、ジャズサックス奏者の渡辺貞夫(ナベサダ)が出演していた。
ナベサダは、私の高校時代の憧れの人である。
高校1年の時、六本木のピットイン、というライブハウスに友だちとナベサダのライブを見に行った。
そもそも、ライブハウスに行くのが初めてで、何時頃から並んでいればいいのかもよくわからない。わからないので、少し早めに行って、ライブハウスの入口で待っていた。だが時間が早すぎたのか、並んでいる客なんてほかに誰もいない。
すると、私たちの目の前を颯爽と通りすぎてライブハウスに入っていく人がいた。
われらがナベサダである!
私たちはナベサダよりも先にライブハウス入りしていたらしい。
そしてその時、すぐ目の前を颯爽と通りすぎるナベサダを見て、「かっこええぇぇ!あんなオッサンになりてえ!」と心底思ったのだった。
だが、どこをどう間違ったのか、今や私は、ナベサダとは似ても似つかぬオッサンになってしまった。
そんなことを思いながらテレビを見ていると、最後にナベサダの生演奏が始まった。
ナベサダの音楽にはじめて触れたのが、高校1年の時だから、かれこれもう25年になる。久しぶりに聞くナベサダの演奏は、全然衰えていなかった!
あいかわらずかっこええぇぇぇ!
いまは、「あんなジジイになりてえ!」と思うことしきりである。
だが、こんなぐったりした調子だと、やっぱり無理だろうな。
7月7日(水)
7月4日(日)夕方、意を決して、スポーツクラブに入会することにした。
前々から考えてはいたのだが、その先の一歩が踏み出せなかった。
理由は、「スポーツクラブで身体を鍛えるなんて、おしゃれさんがすることで、自分のようなダメ人間が行く場所ではない」という先入観による。
小太りの私がスポーツクラブでトレーニング、なんていったら、「あいつ、なんか必死だな!(笑)」などと言われかねない。得意の被害妄想である。
挙げ句の果てには、スポーツクラブに行く前に、ある程度身体を鍛えておかなきゃかっこ悪いだろうな、などと、本末転倒なことを考えて、結局、いつまでたっても話が先に進まない。
しかしそうも言ってられなくなってきた。ことは、人の生き死にに関わるのだ。このまま、不摂生で自堕落な生活を続けていれば、確実に寿命が縮まってしまう。
生き続けるために、通うのだ!
そう自分に言い聞かせて、スポーツクラブの扉をたたいた。
申し込みが終わり、さっそく着替えると、
「もう少ししたらインストラクターが来ますから、その間そこでストレッチをしていてください」
と受付の人に言われる。だが、ストレッチのやり方がわからない。
そんなレベルである。
とりあえず、目の前にあるテレビに映し出されるストレッチの見本ビデオにあわせて、ストレッチをおこなうが、私の身体が、ビックリするくらいカタいことに気づく。
身体がカタいにもホドがあるな。
インストラクターの若い兄ちゃんがあらわれ、身体のさまざまなデータを測定する。
このデータにもビックリ。
救いようのないメタボではないか!
だが、インストラクターの若い兄ちゃんは、決してそうは言わない。「大丈夫ですよ」としきりにくり返す。たぶん、客の気分を害さないようにと、教育されているのだろう。だがそれが逆に悲しいのだ。
「とりあえず、ベーシックプログラムからはじめましょう」
器具の使い方を習いながら、基本的な運動の仕方を学ぶ。
なるほど。エアロバイクというのは、がむしゃらにこぐものではないのだな。ランニングマシンもまたしかり。心拍数が上がらない程度にしないと、脂肪が燃焼しないのだそうだ。
かくして、ユルいユルい「ベーシックプログラム」からはじめることになった。
だが、周りの人たちはこれまたビックリするくらいのハードなトレーニングをしている。みんな痩せてるし。そんな中で、「腹筋10回を2セット」なんて感じのユルいプログラムをこなすのは、かなり恥ずかしい。
いかんいかん。スポーツクラブにのまれてはいかん。まわりを気にしたら、また例の被害妄想がふくらんでくるではないか。まずは身体を慣れさせるのが肝要、と自分に言い聞かせる。
でも、ランニングマシンでみんなスゲエ走ってるなあ。たんなるウォーキングだけだと、恥ずかしいなあ。
見ていると、歩いているオジサンがいた。私より年上の人だ。
あの人の隣なら、ウォーキングでも大丈夫だな、と思い、すかさずそのオジサンの隣のランニングマシンを陣取り、ゆっくりと歩き始めた。
ところがしばらくすると、隣のオジサンのランニングマシンが突然、めちゃめちゃ速くなり、オジサンが全速力で走りはじめたのだ!
ウォォォォォォ!どういうこっちゃ!
思わずビックリした。
「そうか、ペース配分してたんだな…」
やはり私以外は、全員ハードなトレーニングをしているのだ。
そんなこんなで今日に至るまで4日間通い続けた。この忙しい時に!それどころじゃない時に!である。
スポーツクラブ(韓国ではヘルスクラブという)に通い始めた、ということを韓国語日記に簡単に書いたら、4級の時のキム先生(よくモノをなくす先生)からコメントが来ていた。
「これからヘルスクラブで起こった面白い出来事が日記になるんですね」
冗談じゃあない。こっちは帰ってくればもうヘトヘトで、面白い日記なんて書けるわけがない。
「でも、忙しいときに無理に通うのは問題ですよ。もう一つ仕事を増やした、といった負担を感じるようになりますから」
なるほど。たしかに、いまやスポーツクラブはあらたなストレスになりつつあるかも。
それに、全然痩せる気がしないし!
7月3日(土)
あいかわらず、韓国語日記を続けている。
といっても、最近はそうそう現実逃避ばかりはしておれず、毎日書くことはできない。週に2,3日といったところか。
いまは、「3級6班」編の翻訳が、そろそろ終わりにさしかかっているところである。
「こわい話」「7時間耐久授業」「幸せって何だっけ?」といったエピソードは、いずれも翻訳のしがいがある。
「こわい話」は怪談、「7時間耐久授業」は考えオチ、「幸せって何だっけ?」は人生論、と、それぞれ方向性が違う文章である。それを、韓国語でどうやって「読ませる」かが、腕の見せ所である。
せっかく勉強した韓国語を、まったく無駄につかっているような気がするが。
語学院の数人の先生が、いまでも細々と読んでくれていて、たまにコメントをくださる。ありがたいことである。とくに3級の時に習ったナム先生は、3級6班のエピソードのほとんどに、適切で丁寧なコメントをくださる。それが、韓国語日記を続ける励みになっている。
さて数日前、「テレビ通販番組を作ろう」を翻訳した。
これは、私にとって思い出深いエピソードである。
3級のマラギ(会話表現)授業で、「みんなで広告を作りましょう」という課題があった。いくつかのグループに分かれて、架空の通販番組を作って、みんなの前で発表する、というもの。
このとき、同じグループだったクオ・リュリンさんが「養毛剤」の通販番組を作ろう、と提案した。そして私は、その養毛剤の商品名を「モリエ ポム」と命名した。直訳すると、「頭の春」である。
この「モリエ ポム」。言葉の響きがいいので、私はひどく気に入っていた。「トアエモア」みたいに、どことなくフランス語の雰囲気がただよっていたからかも知れない。
このときにマラギ授業を担当されていたナム先生も、ひどく気に入られたようで、私がその授業の時に「モリエ ポム」というたびに、その言葉に反応されて、爆笑していたのである。
商品名の響きだけではない。ル・タオ君のみごとなディレクションのおかげで、リン・チアン君も含めた4人で制作した「モリエ ポム(頭の春)」の即興通販番組は、3級6班の間でも好評だったのである。
そのことを綴った日記が、「テレビ通販番組を作ろう」である。これを韓国語に翻訳したら、今日、ナム先生から、次のようなコメントが入っていた。
「私は本当にこの広告が画期的だと思いました。 いま、3級のマラギ(会話表現)の第30課の副教材には、この「モリエ ポム([頭の春)」の広告が例示として載っているんですよ。 今見ても相変らずおもしろいです!」
なんと、「モリエ ポム」が、韓国語の副教材に例示として紹介された、というのである!
ここで少し説明を加えておくと、私が学んだ大学の語学院では、各級ごとに、市販の教材(2種類)のほかに、その大学の語学院が独自に作成した副教材を使用する。この副教材は、語学院の先生方が、話し合いながら作りあげてゆく、いわば手作りの教材である。毎学期(3カ月ごと)、前学期の授業をふまえて、適宜改訂されているらしい。
「モリエ ポム」の即興通販番組を授業で聞いていたのはナム先生しかいないから、副教材を作る会議の中で、この「モリエ ポム」を例示として掲載しましょう、と提案したのは、ナム先生をおいてほかにない。そして、それが教材として採用されたのだ!
で、いまに至るまで、その大学の語学院に通う後輩の留学生たちが、それを学んでいる。
これって、すごいことではないか?!
たとえていえば、ユーミンの歌が教科書に採用されるようなもんだろ?(いやいや、レベルが全然違うし、「ユーミン」というたとえも古いなあ)
いずれにしても、私たちは、間違いなく、語学院の韓国語の授業に、なにがしかの影響を与えたのだ。つくづく、よい仲間たちに恵まれたものだ、と思う。
この嬉しさをこえる出来事は、いままでもなかったし、これからもないだろうな。
フラワーカンパニーズは歌っている。
「虎は死んだら 皮を残すという
僕はいったい 何を残せるだろう?」(「40」より)
40歳になった自分を歌った歌である。
奇しくも、3級6班で勉強していたとき、私も40歳だった。
虎は死んだら、皮を残すという。
40歳の私は、韓国の語学院を去って、「モリエ ポム(頭の春)」を、たしかに残したのだ。
6月30日(水)
妻が韓国へ出発した。行く先は、自分が留学していた思い出の大学である。
例の、国際シンポジウムで研究発表される先生のお供するためである。
直前まで、国際シンポジウムの企画者の先生(韓国人)との間で、細かなトラブルが続いたらしい。
それに通常の仕事のストレスも加わり、出発直前、妻は軽い胃炎にかかった。
さらに出発前日の夜になって、韓国のガイドブックを職場に置いてきてしまったことに気づき、翌朝空港でガイドブックをあらためて買わなければならなくなった、という。
なんとも波乱な旅の幕開けである。
そして、そんなドタバタな感じで果たして大丈夫だろうか…という不安は的中する。
この日の夜、メールを確認すると、妻から韓国語のメールが届いていた。タイトルは、
「パボカッタヨ T T」
直訳すると、「バカみたい」という意味。
韓国の国内で契約していた携帯電話が、使えなかった、という内容だった。
これには少し、説明が必要である。
韓国で携帯電話を持たないと生きていけないことは、この日記でもしばしば書いてきた。
ところが、外国人が韓国人と同様に、携帯電話を契約することは、かなり難しい、といわれる。
私は、韓国滞在中、プリペイド式の携帯電話を使っていた。当然、日本に帰国してからは、使用できなくなった。
一方妻は、プリペイド式ではなく、毎月の基本料金と通話料を支払う形の、通常の携帯電話を契約した。この場合だと、基本料金と通話料を、銀行などを通じて払い込む必要がある。
妻がプリペイド式にしなかったのには、理由がある。それは、日本に帰国してからも、韓国で使っていた携帯電話が、韓国にいくたびに使用できるようにするためである。プリペイド式だと、たとえ残金があったとしても、3ヶ月以上使用しなければ使用できなくなってしまう。それに対して通常の契約の場合は、基本料金を払い続けている限りは、日本に戻ったとしても、韓国国内用の携帯電話がいつでも使用できるはずである。一見して、普段ほとんど使用しない携帯電話の基本料金を払い続けるのは無駄なようにも思えるが、韓国の携帯電話の基本料金と通話料が日本よりもはるかに安いことを考えれば、たまに韓国に行く、という場合でも、決して無駄な話ではないのである。
ただしそのためには、帰国する前に、銀行口座から基本料金を毎月自動的に引き落とすように手続きをとらなければならない。いちいち韓国の銀行の窓口に行くことはできないからである。
だが、この口座引き落としの手続きが、実はかなり面倒であった。
外国人である、と理由からか、銀行に行ってもなかなか口座からの引き落としが認められない。何度か交渉したあげく、帰国のぎりぎりになって、ようやく口座からの引き落としが実現した。
よかったよかった。これで、私と妻、どちらか一方が韓国に出張した際にも、この携帯電話が1台あれば、安い通話料で電話をかけることができる。
…だが、その見通しは、甘かったのである。
妻によれば、韓国に入国し、その、しばらく使っていなかった携帯電話の電源を入れても、まったく通話ができない、というのだ。
おかしいと思って携帯電話会社に聞いてみると、確かに基本料は毎月引き落とされてはいるが、長期間使用していないため、いったん中止されているのだという。
「じゃあどうすれば使えるようになるんですか?」
と聞いたところ、
「外国人登録番号を教えてください」
という。
さあ、困った。外国人登録証は、韓国から帰国するときに空港で回収されてしまったので、手元にはない。そのとき、番号を控えてはいたのだが、まさかこんな時に必要だとは思わず、控えたものは職場に置いてきてしまった。
もはや打つ手なし、である。
再三書いているように、携帯電話がなければ、韓国では生きていけない。それに加えて、今回は偉い先生のお供、ということでついてきているのだ。「韓国のことはお任せください。すべてご案内しますから」と、意気揚々と入国したはずである。その矢先、頼みの携帯電話がまったく使えないとは…。発表者の先生も、「こいつ、何のためについてきたんだよ。使えないな…」と思っているかもしれない(もちろん、そんなことを思われるような先生ではないのだが)。
それに、この期間中、妻は語学院でお世話になった先生とも再会することになっていた。どこで何時に会うか、という具体的な約束も、できなくなってしまったのである。
まったく、いったい何のために、あんなに苦労して、口座引き落としの手続きをとったのか。それで使えなければ、まったく意味がないではないか。
たぶん、そんなさまざまな思いが交錯したのだろう。妻は私にじつに不安げなメールをよこしたのである。
しかしなぜ、それを韓国語で?
それも理由は簡単。ホテルにあったパソコンからは、日本語のメールが打てなかったからであろう。
ここまで考えて、あのときの記憶が、まざまざとよみがえってきた。
私が韓国滞在中、携帯電話をなくしたことがあった。大事な学会発表のため、未知の土地、群山というところに向かっていたときのことである。あのときは、頭の中が真っ白になった。これで、学会の関係者の方と連絡がつかなかったら、打ち合わせはもちろん、前泊するホテルの場所もわからないな、と考えると、ああ、なにもかも終わった、と、絶望的な気持ちになった。
幸い、群山で学会の関係者の人と会うことができ、ホテルに無事着いたが、誰とも連絡が取れないことへの不安が急速に大きくなり、夜、、ホテルの部屋にあるパソコンから、妻に韓国語でメールを出した。日本語が打てなかったので、韓国語でメールを送ったのである。
だが、妻がそのメールを確認することはなかった。いや、正確に言えば、翌日の学会が無事終わり、私が家に戻る直前に、ようやく確認したのだという。
私の不安な気持ちなど、まったく意に介していなかったのだ。
だがいまは、あのときの私の気持ちと同じなのだろう。
私は韓国語で、妻に返事を書いた。
「私が韓国滞在中に携帯電話をなくした時の気持ちが、わかっただろう?」
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