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呪いがとけた日

7月17日(土)

世間は3連休というが、月末までに出さなければならない発表原稿があって、気が重い。

気が重いと、まったくやる気がしない。

ということで、連休初日は、いつものように棒にふってしまった。この生活、なんとかならないものか。ま、DVDで映画を何本か見たので、よしとするか。

最近は、ほぼ毎日、スポーツクラブに通っている。

最初は抵抗があったものの、慣れてくると、どうってことはなくなる。というか、ひとりだと、家でストレッチだとか腹筋だとか、絶対にやろうとは思わないが、スポーツクラブに行くと、抵抗なくできるから不思議である。

これって、喫茶店で原稿を書く、という行為と、基本的には同じではないか!

家にひとりでいても原稿を書けないが、周りになんとなく人がいると、集中できる、という、例のパターンだ。

韓国にいたころ、大学の横にあった喫茶店に毎日通って、せっせと原稿を書いていた。おかげで、荷が重かった原稿も脱稿できた。

「あの喫茶店を買い取って、自分の喫茶店にしたい」と妻に言うと、妻は呆れていた。

しかし、いまや私の夢はそれだけにとどまらない。

もし私が大金持ちになったら、喫茶店にスポーツクラブを併設した施設を作ろう。

そうすれば、ひとつの場所で、原稿も書けるし、体力作りもできるのだ!

…などと、ひとりで夢想する。

また、こんなことも思い出す。

大学に入って何がよかったかって、高校時代のような体育の授業がなかった、ということだった。

高校時代、週に4日か5日は、体育の授業があったと思う。

それぞれ先生が異なっていて、柔道、ハンドボール、サッカー、陸上、バスケットボールなどをやらされていた、と記憶する。

体を動かすことが嫌いな私は、これが憂鬱で仕方なかったのである。

大学には、高校時代のような体育の授業がない、と喜んでいたが、1年生の時、週に一度、1時間だけ、体育の授業をとらなければならなかった。必修の授業である。

ソフトボールとかサッカーとか、さまざまな種目からひとつを選択することができたが、球技が苦手な私は、「トレーニング」という科目を選んだ。

「トレーニング」とは、文字どおり、体育館で筋トレなどのトレーニングをする、という科目である。

私を含めて、運動がいかにも苦手そうだ、という人たちが集まっていた。おそらく、そういう人たちに対する救済措置的な科目だったのだろう。

だが私は、体育館の中をランニングしたり、腹筋をしたりする、この「トレーニング」すらイヤだった。だから、かなりいい加減な気持ちで履修した。

いまでもたまに、この「トレーニング」の授業が、夢に出てきて、その夢にうなされることもしばしばである。

その私が、いま、自分からすすんでトレーニングをしている、というのだから、よくわからない。

これは、大学時代に大嫌いだった語学の授業についてもいえる。大学時代、あれほどまでに語学が苦手だった私が、昨年1年間、韓国語の勉強を続けたのだから、不思議だ。

そんなものなんだろう、と思う。

だから、大学時代に何でもかんでも勉強しなくったっていいのだ。その時になれば、本当に勉強したい、という気になるものだ。

あとは、そういう気持ちになるのを待つしかない。

私の場合は、20年かかった。いや、20年ぶりに「呪い」がとけた、というべきか。

…さて今日は、このところ無理に通い続けたせいか、足が痛くなり、体もだるい。

今日は休んで、明日、また通うことにしよう。

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