大雨のソウルより4 巡見(タプサ)
8月28日(土)
2日間にわたる学術会議は終わったが、まだもうひとつ行事が残っていた。
それは、巡見である。主催者が、会議に招いた中国人と日本人の研究者に対して、いわば1日観光に連れていってくれる、という行事である。ここまでが、今回の公式行事である。
この日、妻は日本に帰国した。「鼻うがい」の先生の運転で、私ともうひとりの日本人研究者、そして中国人研究者3人が同行する。
朝9時半、ホテルを出発。最初に、世界遺産の昌徳宮に向かう。
しかし外は大雨である。さらに不思議なことに、私以外のほとんどの人が、傘を持ってきていない。
天気予報で雨が降る、とわかっているのに、どうして傘を持ってこないんだろう?不思議である。
昌徳宮は、見学する時間が決められていて、ガイドさんの引率にしたがって、団体で順路をまわらなければならない。好き勝手にまわってはいけないのである。
何度か行ったことのある昌徳宮だったが、改装工事が終わり、これまで見られなかった部分を見ることができたのは幸いだった。
しかし、である。
このガイドさん、じつに熱心な方で、本来1時間のコースであるところを、倍の2時間もかけてまわり、ゆっくりと説明されたのである。
しかもこの大雨の中である。
これには閉口した。
中国人の研究者の方々も、びしょぬれである。
なにも、こんな大雨の中で、熱心に説明しなくてもよいだろうに。
これで午前中がつぶれ、カルグクス(うどん)を食べたあと、次の目的地、インチョン(仁川)にある山城に向かう。
大雨のため道が混んでいて、到着したのが午後4時近く。山城、というくらいだから、山の上にある城である。
まさかこの大雨では登らないだろう、と思っていたら、なんと!車から降りて登りはじめたぞ!
私も、今回のために買った新品の靴をできるだけ汚さないように気をつけながら歩いた。
そして夕食は、インチョンにある中華街。
インチョンは、日本でいえば横浜のような町である。ここにチャイナタウンが形成され、いまではそこが中華街になっている。韓国で唯一の中華街だという。
そこで山東料理をいただくが、中国語もまったくわからず、韓国語もおぼつかないので、まったく会話に参加することができず、黙々と食べるよりほかなかった。
午後8時、食事が終わり、ソウルのホテルに戻り、午後9時過ぎ、ようやく解放された。
大雨にはたたられるし、ほかの人たちとはコミュニケーションがとれなかったし、なーんにもいいことがなかったな、とまたまた落ち込んだ。
ホテルの部屋にもどり、メールをチェックすると、韓国語の語学院の3級クラスのときのナム先生から、メールが来ていた。
以前、3級のときの授業で、「テレビ通販番組を作ろう」という練習があって、その時に私が「モリエ ポム(頭の春)」という名の架空の毛はえ薬のCMを作った、という日記を書いた。
そして、その日記を韓国語に翻訳して韓国語日記に載せたところ、担任だったナム先生から「『モリエ ポム』は、いまでは3級の副教材に例文として使わせてもらっています」とコメントが入っていた。そのこともこの日記に書いた。
で、実際にいま語学院で使っている3級の副教材に載っている、という証拠を、写真にとって、送ってくださったのである。
メールには「いま、ソウルにいらっしゃるんでしょう。残りの日程をよく過ごされてください」と書かれていた。ここ数日の私の韓国語日記を読んでいただいたらしい。
そういえば、私の携帯電話が復活していたことを思い出す。
せっかくだから、ナム先生に電話をすることにしよう。
思いきって電話をしてみると、先生の弾んだ声が聞こえた。
「ソウルにいらっしゃるんですよね。今日、メールで副教材の写真を送ったんですよ」と先生。
「ええ、受け取りました。それを見て電話をしたんです」
「あまり写真の写りがよくないでしょう」
「いえ、よく見えました。読みながら、つい笑ってしまいましたよ」
不思議なことに、さっきまで、韓国語が全然出てこなかったのに、この電話では、それなりに韓国語が出てくる。
「実はチュソク(秋夕)のとき、授業がうまく休講になって連休になれば、オンニ(姉)と東京に行こうかと思っているんですよ」
チュソクとは、日本でいうところのお盆休みにあたるものである。今年のチュソクは9月21日(火)からの3日間である。前日の20日(月)の語学の授業がうまいこと休講になれば、6連休となるから、その機会に東京に行こうというのである。ただし、いまの時点で、この日が休講日になるのかどうかは、わからないのだという。
「月曜日に授業がないといいですね」と私。
「そうですね。もし東京に行けることになったら、また連絡差し上げます」
「その時は連絡ください。私たちも必ず時間を作りますから」
そういって電話を切った。
こうなったら、ついでに4級のときの先生にも電話をかけてみよう。
妻と私が習った、キム先生である。いまは語学院をやめられて、秋に出産予定である。
電話をかけると、「いま風邪をひいていて…」と体調が悪そうな声が聞こえた。
まずかったな、と思い、「どうか身体に気をつけて」といって、そうそうに電話を切った。
だが、2人の語学の先生の声を久しぶりに聞いたおかげで、これまでのうちひしがれた心が、取りもどせたような気がした。先生、とは、そういうものなのだろう。
そうだ、もうひとつ、やり残していたことがあった。夜10時すぎ、ホテルを出た。(つづく)
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