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出発前日

8月22日(日)

明日から1週間、ふたたび韓国である。

その前に、東京で、ひとつ約束が入っていた。

もう20年も前のこと、高校を卒業した仲間たちと、吹奏楽団を作った。年に一度のペースで、演奏会を行った。同じ高校を卒業した後輩たちが次々と入ってくれたおかげで、今に至るまで続いている。

最初の10年近くは、私も毎年演奏会に出演していたが、東京を離れてからというもの、演奏会に出演することができなくなった。

今年も10月に、私がかつて所属していた吹奏楽団の演奏会が開かれる。私が東京を離れてから10年、演奏会の舞台に立つことはなかったのだが、この10月、十数年ぶりに、演奏会の舞台に立つことになったのである。

といっても、演奏者としてではなく、司会者として、である。

今日は、その打ち合わせとして、演奏会を取りしきる後輩たちと打ち合わせである。

今年の演奏会は、例年と異なり、演出に趣向を凝らすのだという。これまでは、どちらかといえば、淡々と曲紹介をするのが司会者の役目であったが、今回はそういうことではないらしい。時間も比較的余裕があるので、存分に司会をやってほしい、というのである。

「どういうふうにするかは、基本的に先輩におまかせします」

なんと、丸投げされてしまった。どんなことを話すのかは、私次第、というわけだ。

「先輩なら、何とかしてくれるでしょう」

おいおい、オレをあんまり過大評価するなよ。

しかし、基本的に、こういう仕事はきらいではない。

実は、話芸、というものにあこがれている。

話芸で凄いな、と思った人は数多くいるが、そういう人の中には、バンドの司会とか、歌の司会が原点だ、という人がいる。上岡龍太郎氏はたしか、ロカビリーバンドの司会のアルバイトが芸能活動の原点だったと記憶している。綾小路きみまろ氏も、歌の司会者だった。

音楽会の司会、ということでいえば、子どものころに見ていたテレビ番組「題名のない音楽会」の黛敏郎氏の司会は、絶品だった。音楽よりも、その語り口に魅せられた。

だから、音楽会の司会というのは、私にとって憧れであった。

その夢が、かなうのだ。

その機会を与えてくれた仲間たちに感謝。

打ち合わせをしてみると、準備に時間もなく、私にとってかなり荷が重い仕事であることは実感したが、なんとか「よい演奏会だった」と思ってもらえるようにがんばろう。

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