どしゃぶりがなければ
8月2日(月)
いつもの研究チームで、韓国に調査旅行である。今回は8人。
やはり予想していたとおり、まったく自由時間のない旅であった。
初日、朝4時に起きて、早朝の飛行機でソウルに向かう。そこから鉄道で大邱にむかう。私が1年3カ月通っていた大学である。たまたまそこで開かれる、とある行事(調印式)に参加することになっていた。
夕方4時。東大邱駅に到着するやいなや、先方の大学の方が迎えにきていて、バスに乗せられて、大学に向かう。バスは、大学の中にある博物館に向かった。
私が研究室を借りていた博物館である。私が1年3カ月過ごした場所。
バスは、大学の正門を入る。滞在中、いつも散歩をしていたキャンパスが目に入る。私は窓の外を目で追った。
しかし、感慨に浸っている余裕はない。あっという間にバスは博物館に到着した。
到着早々、調印式が始まる。この厳かな行事の当事者でもない私が、なぜ参加しているのかは、説明が面倒なので省略する。
6時前、厳かな儀式が終了した。すると、「6時半から会食を予定していますので、6時にここを出ます。玄関のところにバスを用意していますので、それに乗ってください」と。
またもや感慨に浸る暇もなく、玄関に向かう。
すると、玄関に、守衛のアジョッシ(おじさん)が立っていた。
「アジョッシ!」
私はかけ寄って、握手をした。5カ月ぶりの再会である。
その光景を不思議そうな顔をして見ていた周りの人たちに、アジョッシが説明した。
「この人、1年間、ここにいたんだよ」
バスに乗り込んで、そのまま夕食会場へ。夕食には、私の指導教授をはじめとする、お世話になった先生が何人か来ていて、うれしい再会となった。
その後、2次会に連れて行かれ、なんだかんだで、夜11時にようやく解放された。
お世話になった先生方と再会できたとはいえ、厳かな公式行事である。私がここに再訪して本当にやりたかったことは、自分が暮らしていた場所の空気を再び感じたい、ということだった。
できれば、学んだ語学院に再訪したい、という強い気持ちもあったが、それがかなわないであろうことは、ある程度予想していた。
だがせめて、1年間暮らしたときのあの空気感を、もう一度味わいたい、と思ったのである。
私はこの場所に、筆舌に尽くしがたいほどの、思い入れがある。
それは、他の誰もが、想像もつかないものではないだろうか。
ホテルの部屋に戻ると、いてもたってもいられなくなり、すぐにホテルを飛び出した。
タクシーを拾って、大学の北門をめざす。私がよく通った喫茶店がある場所である。
タクシーに乗り込むと、雨が降り出した。その雨は、目的の場所に近づくにつれて、強くなっていく。
大学の北門でタクシーを降り、北門の横にある「カフェC」という喫茶店に入った。
私が深夜12時頃まで、語学の勉強をしたり、原稿を書いたりした場所である。
大金持ちになったら、この喫茶店を買い取ろう、となかば本気で考えた場所である。
11時20分、喫茶店にはいると、当時と同じ店員がいた。実直そうな、若い男性店員である。
「何にしますか?」
「アイスアメリカーノください」
「閉店は12時ですけれど、それでもよろしいですか?」
「ええ、大丈夫です」
彼は、私のことを覚えていたのだろうか?お久しぶりですね、という表情をしたような気もするのだが、こちらの思いこみかも知れない。
私がいつも座っていた場所に座ると、店員がアイスアメリカーノを持ってきてくれた。「ごゆっくりどうぞ」
韓国語の宿題も、荷が重い原稿もない私は、ひたすらアイスアメリカーノを飲んだ。
飲みほして、店を出た。
すると、雨あしがさらに強くなっている。どしゃぶり、といった感じである。
(これでは、散歩するどころではないな…)
散歩を断念して、タクシーに乗り込んだ。「ホテルまで行ってください」
ま、あの喫茶店で、あの時のようにアイスアメリカーノを飲めただけでも、よしとするか。
ひょっとすると、このどしゃぶりは、早くホテルに戻れ、という啓示だったのかも知れない。
つまらん感傷に浸るな、という啓示。
どしゃぶりがなければ、私は一晩中、あの辺をあてもなく歩きまわっていたかも知れない。
それを思うと、どしゃぶりにも感謝をしなければならない。
夜12時。ホテルに着いてタクシーを降りると、雨は小雨になっていた。
こうして、私のささやかな自由時間が終わった。
翌朝8時50分、私たち研究チームは、東大邱駅を出発し、KTXで全羅南道のナジュに向かった。(つづく)
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