9月21日(火)
語学院の3級のときに習ったナム先生が、オンニ(姉)と一緒に、東京に遊びに来るという。
韓国はいま、チュソク(秋夕)という連休である。日本でいえば、お盆にあたる。その連休を利用して、東京に観光にいらしたのであった。
ナム先生のサチョ オンニ(いとこのお姉さん)が、いま東京に住んでいていて、そのサチョン オンニのところに泊りに行くのだという。
近いうちに東京に遊びに行きたい、という話は、昨年11月の4級期末試験のマラギ(会話)試験のときに、聞いていた。
さらに、今年の1月末の、「最後の同窓会」のときにも、「サチョン オンニが東京にいるので、いつか東京に遊びに行きたい」とおっしゃっていた。
私はそのたびに、「東京に来る機会があれば、連絡ください。私たちが案内しますから」と約束した。
そしてその約束通り、ナム先生が東京に来て、私たちが案内をすることになった。
事前のメールで、「新宿と渋谷と原宿には行きたいと思うんですけど、それ以外にどこかキョスニムのオススメのところがありますか?」と聞かれたので、
「浅草がソウルのインサドンみたいな感じでいいと思います。そしてそこから、水上バスでお台場に行くのがよいかと思います」と答えた。
「19日、20日と、1泊2日でサチョン オンニと温泉に泊まり、20日は温泉から帰ったら新宿と渋谷を見てまわります。キョスニムは、21日に浅草を案内していただけますか?」
そして今日、そのルートをご案内することになったのである。
朝9時に渋谷のハチ公前で待ち合わせて、銀座線に乗って浅草に向かう。
浅草に着いたのが、9時40分すぎ。ちょうど、仲見世のお店が開きはじめる時間だ。
雷門から、仲見世をゆっくりと歩き、みやげもの屋をのぞいたり、冷たい抹茶を飲んだり、人形焼きを食べたり、揚げ饅頭を食べたりしながら、浅草寺に向かう。
浅草寺をお参りした後、花やしき、木馬館、浅草演芸ホールなどを横目で見ながら、六区ブロードウェイを歩き、入山せんべいで焼きたての煎餅を食べる。
そうこうしているうちに、お昼である。お昼は、雷門の前で蕎麦を食べ、デザートにあんみつを食べる。
午後1時20分、浅草から水上バスでお台場に向かう。
水上バスは、松本零士先生のデザインによる近未来の形をしている。韓国でも、「銀河鉄道999」は有名である。
隅田川の川幅の狭さ、かかっている橋の低さに、あらためておどろく。ソウルの漢江(ハンガン)とはくらべものにならないほど、小さい川であることを実感した。
水上バスに乗ること50分。お台場海浜公園に着いた。
デックス東京ビーチにある「台場一丁目商店街」をゆっくりと見学し、パレットタウンに移動。
17~18世紀のヨーロッパの街並みをイメージしたヴィーナスフォートの中の、カフェ広場でひと休みする。
「ロンチョン君はソウルにある大学の大学院に行ったそうです」
「クォチエンさんとリペイシャン君は、同じ大学に入って、今もうまくいっているようです。あと、ル・タオ君とそのヨジャチング(ガールフレンド)も、同じ大学に通ってます」
多くの中国人留学生たちが、通っていた語学院のあった大学に入学できたらしい。
「ル・ルさんとタンシャオエイ君は、別れちゃったんですよ。ル・ルさんは、第一希望の大学に入学できたけど、タンシャオエイクンはダメだったみたいです。で、ル・ル氏は、いま、韓国人のナムジャチング(ボーイフレンド)とつきあっているそうです。勉強もよくできたけど、恋多き女性ですよね」
えぇ!あんなにラブラブだったふたりが別れたのか!これは衝撃だった。
「アン先生は、ダイエットに成功して、ビックリするくらい痩せちゃったんです」
これにもおどろく。
そんな、語学院の近況を聞いているうちに、4時半になった。
夕方5時。「ゆりかもめ」と地下鉄を乗り継いで、表参道、原宿へとむかう。原宿に、ぜひ行ってみたかったのだそうだ。
竹下通りを歩き、原宿駅の前にあるレストランで、夕食をとる。ハンバーガーセットである。
食べながら、韓国のテレビの話題になる。
私が帰国してから最終回を迎えた大人気シットコム『屋根を突き抜けてハイキック』の、衝撃的な結末を聞いて、驚愕する。
あと、キム・ジェドン氏がテレビ番組のすべてを降板した話など。
原宿駅から渋谷駅まで歩き、午後8時、渋谷駅でお別れした。
お二人は翌日(22日)の昼、日本を出発されるという。
「たくさん見て、たくさん食べました。ありがとうございました」と先生。
「テグに来たら、必ず連絡してくださいよ」とオンニ。
「気をつけて韓国にお帰りください」
…と、ここまでが、東京案内の一部始終である。こぶぎさんのアドバイスのおかげもあり、浅草とお台場の主要なところを押さえることはできた。
さて、ここからは反省会。
案内していて、自分がつくづく「でくのぼう」だな、ということを実感する。
まず、韓国語でうまく説明ができない。
もともと、とくに女性と話をするのが苦手なうえに、それが韓国語ということになると、どういったことを話していいか、まったくわからなくなるのである。
結局、同行してくれた妻に、ほとんどを頼ってしまった。
それに、こぶぎさんのアドバイスがあったとはいえ、やはり細かなところで、いろいろと道に迷ったりする。
念のため、東京観光のガイドブックを2冊買って、それを見ながら案内したのだが、それ以上に、私があまりにも東京を知らなすぎた。
ナム先生は、文庫本よりも小さいサイズの、韓国語のガイドブックを持っていらしたが、むしろその本の方が使えたようだった。
それと食べ物。
昼間はそばを食べたが、口に合ったかどうかはわからない。デザートのあんみつは、寒天を残しておられた。韓国では寒天を食べないようで、寒天は、口に合わなかったらしい。
夕食は、食事する店が原宿にほとんどなかったせいで、レストランでハンバーガーを食べることになった。
もう少し、日本的で、美味しい食べ物をごちそうしたかった、と後悔した。
今回、東京を案内してみて、自分がいかに東京のことを知らなかったかが、わかった。
おそらく、最初で最後になるであろう、ナム先生とオンニの東京旅行。
「東京にいらしたら、ご案内します」という約束を果たしたことだけが、せめてもの達成感である。
最近のコメント