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完全なる休日

9月20日(月)

鈴井貴之『ダメダメ人間 それでも走りつづけた半生記』(メディアファクトリー、2010年)読了。

私が40歳にして韓国への留学を決めた背景の何割かに、この人の影響があったことは、認めざるを得ない。

「何割か」というのは少し大げさだとしても、40歳にして韓国留学が実現した私が、やはり40歳にして韓国に1年近く映画留学したこの人のことを、強く意識していたことは、否定できない。まあ、一ファンとして、一方的に因縁めいたものを感じていただけにすぎないのだが。

私は、「ミスター」こと鈴井氏が、韓国で、どのようなことを体験したのか、そして、なにを感じたのかについて、知りたかった。

この本の中では、ごく一部であるが、韓国へ映画留学したときの体験が率直に書かれている。

この中で鈴井氏は、韓国人に「思いがけないこと」を言われ、そして思いがけない仕打ちを受けて、思い悩んだことを告白している。

そして、そのことをきっかけに、本来の映画の勉強とはまったく違う次元で、自分自身とは何か、そして、「日本人」とは、「韓国人」とは、について、自問自答をくり返すのである。

鈴井氏が韓国人に言われた「思いがけないこと」は、実は、私も、韓国滞在中に何度か言われたことであった。韓国に長期滞在している日本人ならば、誰もが突き当たる経験なのだろう。

やはり「ミスター」もそうだったのか…。よくぞ書いてくださった。「ミスター」の煩悶は、私自身の煩悶でもあった。

さらに私をして共感せしめたのは、帰国前後に自分自身の中に芽生えた「葛藤」である。

「それ(帰国)は決して晴れ晴れとした気持ではなかった。帰国しても暫く、経験したことを整理するのに時間を要する。いや、今も整理しきれていないのかもしれない。それだけ貴重な体験になったことは事実だ」

「帰国してからも僕は煮え切らなかった。(中略)韓国での体験は貴重なものであったが、それ相応のダメージも受けていた。自分の無力さ、このまま表現者としての道を歩むべきだろうか、と根源的なことさえも疑い始めていた。さらに帰国した僕を待ち構えていたものは“期待”であった。体験したことの“成果”が要求された。スキルアップするために韓国へ行ったのだから当たり前のことであるのだが、僕は怖気付いていた」

私が帰国する前後も、まさに同じような気持ちだった。そのことは、この日記にも書いている。そして、韓国で体験したことは、いまだに私の中で整理できていない。

「ミスターさん、私も、同じ40歳のときに韓国に留学して、あなたと同じような思いを体験したんですよ」と、伝えたいのだが、伝えるすべがない。

「共感」こそ、力である。

さてこの本を一読して、鈴井氏がこれほどまでに「葛藤」し、思い悩む人であるとは思わなかった。私以上に、マイナス思考の人間がこの世にいたのだな、ということを知り、少なくとも私にとっては、勇気づけられた本であった。

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