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2010年10月

気分は寅次郎

10月30日(土)

前回の日記が、ちょうど500本目であった。

内容的にもキリがよかったので、いっそ最終回にしてしまえば大変うつくしいのだが、その決断ができないところが、なんとも私らしい。

ま、誰に向けて書いているというわけではないので、今日は他人が読んでもまったくワカラナイ話を書いてやろう。

今日、とある地方都市にある高校に出張講義に行った。

といっても、当日に出発しては間に合わないので、前日に近くの(比較的大きな)都市で1泊し、今朝、そこからローカル線で1時間近くかけて目的の高校に向かうことにした。

今朝、ちゃんと起きられるかどうか、心配だった。

東京にいたころ、この高校の隣の県にある大学で、1年間だけ、週に1度非常勤講師をしていたことがあった。家から鉄道で片道2時間以上かかる場所である。

1年間、何ごともなくつとめあげたのだが、なぜか、いまもこの大学のことが夢の中にたびたび出てくるのである。

夢の中で私は、いまもその大学で非常勤講師をしていることになっていて、いまの勤務地から毎週通わなければいけないのだが、かならずその日は寝すごしたり、授業準備をまったくしていなかったりして、結局、1年間講義を無断欠席しつづけるのである。

この仕事をしている人間にとってみたら、なんとも恐ろしい夢である。いまでもときどき、その夢にうなされるのだ。

実際には、いちどもそんなことはなかったのに、どうしてそんな夢を見るのだろう?

その大学の近くまで来たせいか、その夢のことが思い出されて、朝起きられるか、不安になってしまったのだ。

でも、なんとか無事起きられた。

朝、ローカル線にゆられながら、目的の高校に向かう。

高校の出張講義は、言ってみればお祭の出店である。そして講義をする人間はテキ屋だ。お祭りがあるので来てくれと言われれば、どこへでも行かなければならない。

まるで寅さんだな。

ローカル線の車窓から景色を眺めながら、そんなことを思った。

しかも今日は台風の影響で大雨である。

こんな大雨でも、「商売」はしなければならない。

まったく、大雨の中、縁もゆかりもない土地で、俺は何をやっているんだろう、と、少し寂しくなる。寅さんも、同じ気持ちだったのだろうか。

高校に着くと、出迎えてくれた初対面の高校の先生方が、私を「先生」とよぶ。

本当のところ、私が何者であるかもよくわからないのに、である。

映画「男はつらいよ」で、こんな場面があった。

寅次郎が田舎を旅していると、旅回りの貧しい一座に出会う。決して上手い芝居をしているわけではない彼らの芝居を、寅次郎は熱心に見に行き、なけなしの金をはたいて彼らに御馳走をふるまい、彼らを励ます。

一座の連中は、そのうち寅次郎を「車先生」と呼び、「車先生の教えを守りながら、車先生の前で恥ずかしくない芝居をしなければならない、と、つねひごろ一座の者に言い聞かせております」などと座長が言い、寅次郎はなぜか一座の精神的支えとなるのである。

寅次郎が何者であるか、なんてことは、一座の連中はわからないのだが、彼らにとって寅次郎は「先生」なのである。もっとも、寅次郎の方は、「先生」などとよばれて、バツの悪い顔をしているのだが。

何者であるかもよくわからないはずの私に対して「先生」とよぶのを聞いて、なぜかこの場面を思い出した。

90分の「口上」が終わり、そそくさと高校を出る。今度は3時間近くかけて、東京の隣県まで移動する。相変わらずの大雨である。

明日は某所で研究発表。旅はまだ続く。

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「キョスニムと呼ばないで!」閉店

10月24日(日)(つづき)

店に戻ると、見たことのあるような人が座っている。

こぶぎさんだ!

こぶぎさんは、私のこのブログを見て、来てくれたとのこと。

考えてみたら、このブログを見て店に来てくれたのは、こぶぎさんただ1人だった。

だが残念なことに、こぶぎさんが来たときには、すでにチヂミは売り切れていた。

ということはだよ、私のブログを見て来てくれたこぶぎさんが、チヂミにありつけなかったわけだから、私のブログの宣伝効果は、結果的にはゼロだった、ということになる。

そして結局、ブログをちゃんと読んでいたのはこぶぎさんだけだった、ということか。私はこれまでずっと、こぶぎさんだけに向けて、このブログを書いていたのだな。

「せっかく来ていただいたのに、申し訳ないんで、トッポッギを食べていってください」

実は当初、お店で出す料理の候補のひとつとしてあがっていたのが、トッポッギだったのだが、諸般の事情でチヂミを出すことになった。そのため、試作品としてあらかじめ買っていたトッポッギが、ひと袋だけ、封を開けずに残っていたのである。チヂミが完売して鉄板が空いたから、トッポッギを焼いてみんなで食べよう、ということになった。

久しぶりにこぶぎさんに会ったこともあり、トッポッギを食べながら、いろいろな話をする。

こぶぎさんは、この間に起こった出来事を、まくしたてるように話しはじめた。とくに、先月に行った中国旅行の珍道中は、抱腹絶倒である。

延々と立ち話をしている間、横では学生たちがテントを片付けはじめた。申し訳ないなあ、と思いながらも、こぶぎさんの話に、つい聞き入ってしまう。

話に夢中になっているこぶぎさんが、突然叫び出す。

「うわぁぁ!ちっ、血がああぁぁ!」

見ると、こぶぎさんのシャツの胸のところに、ナイフで刺されたように血がベットリとついているではないか!

ん?

よく見ると、トッポッギの真っ赤なソースである。

どうしてそんなところにソースがついちゃったんだろう。

おそらく、トッポッギを食べた割り箸を持ったまま話しこんでしまい、話に夢中になるあまり、持っていた割り箸がガンガン胸のところにあたり、割り箸についていた真っ赤なソースがベットリとシャツについてしまったのだろう。

しかも、その時の話題が韓国の女性歌手グループ「少女時代」だったのだから始末におえない。「少女時代」の話に夢中になっていたあまり、トッポッギの真っ赤なソースがシャツの胸にベットリ、なんて、厄年をすぎたアジョッシ(おじさん)のすることではない。

そんなこんなで、楽しいおしゃべりの時間が終了。こぶぎさんとはまた再会を約束して、お別れした。

その間、学生たちがすっかりとテントを片付けていた。まったく、最後まででくのぼうだったキョスニムである。

「ひとりあたり、300円黒字になりました」と、今回のリーダーであるSさんが、封筒に入れたお金をひとりひとりに渡した。まるで「大入袋」のようで、嬉しい。

「キョスニムと呼ばないで!」、これにて閉店!(完)

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「キョスニムと呼ばないで!」でくのぼうの1日

10月24日(日)

大学祭、2日目。

10時半すぎ、やや遅れて職場に到着。さっそく屋台に向かう。

みんな、手際がいい。

チヂミを焼く人、会計をする人、下準備をする人など、役割分担がしっかりとしている。

建物の中に入ると、狭い部屋の中で、数人が一心不乱に豚肉やニラを切り、チヂミの下準備をしている。

寒々とした部屋で、外との交流も閉ざされた状態で延々とニラを切っている姿を見ると、なぜか「申し訳ない」という気分になって、外に出た。

さて、私は、というと…。

何にもすることがない。何もすることがないのだ。

何か手伝おうと思っても、どうしていいかわからない。

「先生も、『いらっしゃいませ!』と言ってください。先生がおっしゃれば、きっとお客さんが来ると思いますよ」

と言われるが、さすがに恥ずかしくてそれはできない。それに、私が言ったところで、売れ行きがよくなるわけはないのだ。

ふたたび建物の中に入り、下準備をしている部屋に行く。

ここも、すでに体制がととのっていて、入る余地はない。

しかも、部屋が狭いので、図体のでかい私がいるとかえって邪魔なのである。

「すいません、…そっちにあるニラを取りますんで、ちょっ、どいてください」と言われる始末。

「あぁ、ごめんなさい」

いたたまれなくなり、ふたたびオモテに出ようとした。すると、

「あ、材料が足りなくなりそうですよ」

と3年生のSさんが言う。今日は売れ行きがよいおかげで、あらかじめ用意していた豚肉や卵やチーズが、このままだとお昼前になくなってしまう勢いである。

「買い足さないといけないね」と私。「私が買いに行ってこようか?」

「ダメですよ、先生!」と4年生のA君。

「でも、別にやることもないし…」

「キョスニムにパシリをさせるわけにいきませんよ!それこそ本末転倒な話です」

そういうものかねえ。

「先生は、外のお店のところに座っていてください。それだけでお客さんは来るんですから」

そんなはずはないのだが…。

言われたとおり、お店のところにしばらく座っていると、あることに気がついた。

お客さんは、別に店の名前とか看板に目もくれず、チヂミを買い求めている。

うちのチヂミはたしかに美味しい。それに、安いのだ。

ははーん。私は、いてもいなくても同じなんだな。店の名前も、売れ行きとは全然関係ないことがわかった。

それに、私の名前を冠したソース。「先生の名前を冠したソース、評判がいいんですよ」と4年生のNさんは言う。

しかし、Nさんがお客さんにいっている言葉を聞いていると、

「チヂミにかけるソースは、ふつうの醤油と特製ソースと、どちらにいたしますか?」

と言っている。そう言われたら、誰だって「特製ソース」と答えるだろう。私の名前を冠しているからみんなが選ぶのではなく、「特製ソース」だから、選んでいるにすぎないのだ。

うーん。私がいる意味はますますわからない。

手持ち無沙汰にしているのを見かねたのか、Nさんが「これ、抽選券なので、これでくじでもひいてきてください」という。

抽選会場に行って、ガラガラと回しながら出た玉が白。つまりハズレである。

「残念でした」と、ポケットティッシュを1つ渡され、うなだれて店に戻った。

しばらくして、私の店の学生たちが騒ぎ出す。

「E君が抽選で特賞を当てたぞ!」

なんと、3年生のE君が、特賞の「ペアチケット」を当てたのである!このおかげで、うちの店のメンバーの士気も高まった。

それにひきかえ私はときたら…。

これではまるで、でくのぼうではないか!

心がボッキリと折れて、少し放浪の旅に出ることにした。(つづく)

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「キョスニムと呼ばないで!」開店!

10月23日(土)

Photo 大学祭1日目。

今日は行くつもりがなかったのだが、用事は午後からだったので、朝、職場に立ち寄ることにした。

実は今回の屋台、表向きは無関心を装っているが、ひそかにテンションが上がっていた。理由は、「キョスニムと呼ばないで!」という店名がいよいよお披露目されるからである。

いつか、韓国留学体験をもとにした小説を書くとしたら、タイトルは「キョスニムと呼ばないで!」にしようと決めている。それが映画化なり、ドラマ化されるとしたら、主演はもちろんソン・ガンホ。あらゆるメディアを駆使して「キョスニムと呼ばないで!」を売り出す。

むかし角川映画がやっていた「メディアミックス」という商法だ。

その第1弾となるのが、わが大学祭での屋台「キョスニムと呼ばないで!」。

壮大な計画のわりには、第1弾がえらくショボい感じがするが。

…ここまで書いてみて、自分のイタさにほとほと呆れる。妄想にもほどがあるな。

Photo_2 さて、9時半すぎに着くと、すでにテントの設営も終わり、チヂミの仕込みに入っていた。

Photo_3例の看板も、完成した模様である。

うーむ。少しばかり、悪意が感じられるが、気のせいだろうか。

とにかく、このところサボっているスポーツクラブに、ふたたび通わなければ、と反省する。

Photo_4 それにしても、4年生、S画伯の才能には頭が下がる。

これを「藤やん犬」みたいにキャラクターグッズにしたら売れるんじゃないだろうか?と、またゼニ儲けの話。

1 2 S画伯の才能はとどまるところを知らず、さまざまなキャラクターを生み出してゆく。

3 とくに気に入ったのはこれだが、意味はよくわからない。

Photo_5 さて、準備がととのい、10時半すぎ、ようやくチヂミを焼きはじめた。大学祭は10時開始だが、うちの店は11時開店だという。

うーむ。商売っ気がないなあ。はたしてこれで売れるのだろうか。

…と心配しつつ、私は時間切れである。午後、職場から車で1時間の町で講演をするため、10時40分、職場を後にした。チヂミを味見することはできなかった。

午後5時すぎ。講演会が終わり、1時間かけて職場にもどる。当然のことながら、すでに1日目は店じまいしていた。学生たちの何人かは、まだ残っていた。

「どうだった?」と聞くと、

「用意した90食、完売しました!」という。

なんと、予想に反して完売していた。

「昨日作ったソース、改良したらお客さんに好評でしたよ」

昨日、あのソースを擁護したKさんが、勝ち誇ったように私に言った。

聞くと、豆板醤の代わりに粉唐辛子を入れたら、くさみがなくなって後味のよい辛さになったのだという。

つまり、おたふくソースと、ケチャップと、ハーフアンドハーフではないふつうのマヨネーズと、醤油を混ぜたものに、粉唐辛子を加えてソースを作り、「チーズチヂミ」にかけると、とても美味しくなる、というのである。

これはまさに、うちのオリジナル商品だな。

ただ残念なことに、私はまだ食べていないのだ。

明日、屋台の営業時間に顔を出すことにしているが、チヂミにありつけるだろうか。

それと、忘れてはならないのは、私が顔を出すからには、今日のような売り上げは期待できないだろう。

なにしろ私は「低集客率のアジョッシ」なのだから。

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「キョスニムと呼ばないで!」開店準備その2

10月22日(金)

昨日、一昨日と、左足がひどく痛かった。こういうときは、気持ちもウツ状態になり、なんともテンションの低い授業になってしまった。

痛み止めの薬を飲んでだいぶマシになったが、まだ少し痛い。

今日は朝から1日、「営業」で県内の高校を3校まわった。気が重い仕事だが、ひさびさに車で1時間半ほどの町に行ったおかげで、ちょうどよい気晴らしになった。

夕方、職場にもどると、学生たちがすでに明日の大学祭の準備をしていた。

しばらく研究室で仕事をしていると、学生が来た。

「あの、…いま明日出すチヂミにかけるソースを作っているんですが、味見していただけますか?さっきからみんなで試行錯誤で作っているんですが、だんだん味がわかんなくなってきちゃって」

オリジナルのソースを開発しているらしい。

「このソースがうまくいけば、先生のお名前を冠したソース名にしようと思うんです」

おいおい、それは勘弁してほしい。もしそのソースの味がイマイチだったら、私の味覚に問題がある、ということになってしまうではないか。

それでなくとも、店には私の顔がデカデカと描かれている看板があるのだ。客が見たら、まるで私が料理を監修しているように思うだろう。それは困る。

気が気でないので、ソースを作っている部屋に行ってみる。

すると、すでにボールに半分ぐらいのソースができている。周りには、とんかつソース、ケチャップ、醤油、マヨネーズ、豆板醤、といった調味料が並んでいた。

「どうぞ」

ソースを味見する。

……

なんとも、微妙な味である。というか、おいしくはない味である。

それもそのはずである。これらは、学生の家に置いてあったあり合わせのとんかつソースだの、ケチャップだの、ハーフアンドハーフのマヨネーズだの、しょう油だの、豆板醤だのを、いたずらに、そして乱暴に混ぜただけだからである。

「うーむ。なんか違うんだよなあ」と私。

「いや、いまチヂミがないからそう思うんで、チヂミにつけて食べたら、けっこういけると思いますよ」とA君。

「そうかなあ」私が訝しむ。

「おかしいですねえ。前はうまくいったんだけどな…。ちょっととんかつソースが足りないのかな…」

そう言うと、A君はドボドボととんかつソースを足しはじめた。

ボールのなかのチヂミソースが、みるみると増えていく。

なるほど、味見をしながら注ぎ足していったから、こんなに大量になってしまったんだな。

だが私の経験上、あれやこれやとつぎ足しながら場当たり的にソースの味をととのえようとすると、最後には必ず失敗する。

このソースも、しだいにその法則のとおりになっていった。

「でも、私はこれ、いけると思いますよ」とKさん。Sさんもこれに同意した。

でもなあ。

彼らは以前、私に「毒ラムネ」を飲ませた、という前科があるから、どうにも味覚が信用できないのだ。

そもそも、あり合わせの調味料を乱暴に混ぜ合わせる、という方法をとった時点で、ムリがある。

あらためて、仕切りなおし。とんかつソースではなく、おたふくソースに、そして、ハーフアンドハーフのマヨネーズではなく、ふつうのマヨネーズにして、別のボールに新しいソースを作りはじめた。

ふたたび味見をする。

「さっきよりはいいかなあ」

だが、もはや舌がバカになっていて、おいしいのかどうかもよくわからない。

そもそも、なぜソースとケチャップとマヨネーズとしょう油と豆板醤を混ぜるのかが、よくわからなくなってきた。

はたして、オリジナルソースはうまくいくのか?

答えは、明日と明後日の大学祭で!

…そうそう、大学祭のパンフレットを見てみたが、店名「キョスニムと呼ばないで!」は、センスとインパクトの点では、ほかのどの店名よりもまさっていたぞ!と、また自画自賛。

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「キョスニムと呼ばないで!」開店準備

10月19日(火)

先週末に気の進まない書類を書いたストレスのせいで、また左足が痛みだした。

あるいは、先週、韓国から要人が来たときに、美味しいものを食べたり飲んだりしたせいだろうか?

ここは、前者、ということにしておこう。

それに、このところの忙しさも、ストレスになっているのかも知れない。

だから、こんな日記を書いている場合ではないのだが、今日はひとつ、宣伝をしなければならない。

今週の土、日(23日、24日)に、大学祭で私の店が出る。

正確に言えば、「私の名を騙(かた)った店」である。

だいぶ前のこと。4年生数人が研究室に来て言った。

「大学祭でお店を出したいので、名前を貸してください」

団体を作って申請するのに、名前を貸すことは、よくあることである。

軽い気持ちでOKを出したが、よく聞いてみると、かなり私を前面にプッシュした店、ということらしい。

「どんな料理を出しましょう?」と4年生。

「せっかくだから、韓国料理がいいな」と私。

「お店の名前はどうしますか?」

そこまで決めるのか?

「いちおう、お店の名前に、先生の名前を入れようと思うんですけど」

それだけはやめてくれ!と思う。

「うーむ。じゃあ『キョスニムと呼ばないで!』はどうだろう」

「キョスニム」とは、韓国の語学院で呼ばれていたあだ名である。日本語訳すると「教授様」。万が一私が有名になって、韓国での留学体験が映画化されたりドラマ化されたときに、このタイトルをつけよう、とひそかに思っていたのだ。

「わかりました」

おいおい、そんなんでいいのか?

そんなこんなで月日がすぎ、いよいよ今週末が、大学祭の本番である。

4年生数人が研究室に来た。

「結局、チヂミを出すことにしました」

試行錯誤の末(すえ)、ということらしい。

「で、今日の夕方、お店の看板をみんなで作りますんで、よかったらぜひのぞいてみてください」

「みんなって?」

「いちおう、うちの団体に登録しているのは24人いるんです」

に、24人!?

なんだ?登録すれば試験の点数が甘くなるとでも思ったか!?

Photo 夕方6時半、授業が終わって、みんなが作業している部屋をのぞいてみると、ビックリした。

24人、とまではいかないが、15人くらいの学生が、ワイワイやりながら、お店の看板を作っている。

そのなかで陣頭指揮をとっているのは、ふだんはどちらかといえばテンションが低い、Sさんである。こういうときになると、生き生きとするらしい。看板は、Sさんがデザインしたものであった。

その、制作途中の看板を見て、絶句する。

Photo_2 なんといってよいものか…。言葉が見つからないのだ。

第三者としてみれば、すばらしいデザインだ、と思う。

だが、当事者としてみれば、…複雑な心境である。

いや、第三者からしても、「キャラクターになっているこいつの神経を疑うぞ!」と思うのではないだろうか。

私はこれから、職場でますます肩身が狭くなるかもしれないな、と、例によって被害妄想がはたらきはじめた。

Photo_2さて、お店の名前を見ると、「キョスニムと呼ばないで!」となっている。冗談で言ってみたつもりだったんだが。

「本当にこの名前にしたの?」と聞くと、

「もう、この名前で申請してしまいましたから」という。

たぶん、店に来た客は、この店の名前の意味がなんのことかサッパリわからないだろう。

それに、いまさら私が「キョスニムと呼ばないで」と懇願するまでもない。このキャラクターが描かれている時点で、すでに私は「キョスニム」とよばれる資格なんてないだろう。

なぜなら、韓国ならば絶対にこんな「キョスニム」はいないからだ。

まあ、高校の文化祭の準備のときみたいに、みんなが楽しんでいたから、よしとするか。

Photo_3 …というわけで、今週末の大学祭で開店するチヂミの店「キョスニムと呼ばないで」。お時間のある方はぜひおいでください。なお、都合により私自身は24日(日)にしか顔を出しません。

ま、ここで宣伝したところで、そもそもこのブログの存在がまったく知られていないし、場所もいっさい明かしていないので、意味ないか。

なんとなくわかった、という人は、来てください。「ブログを見てきました!」と言われても、なんの特典もないし、恥ずかしいだけですので、こっそり来てください。

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のはなしさん

私はしばしば、この人と自分を重ね合わせる。

同世代であることはもちろんなのだが、その体型や、汗かきな体質、後ろ向きな性格、さらには人としてダメな部分に至るまで、他人とは思えないのだ。

物事に対するとらえ方、人に対するまなざしもまた、同じである。

私の、業界における位置もまた、この人によく似ている。

決してメジャーではないが、コアな支持者がいる、という点。ただし私の場合は、ごく少数だが。

この本の最後にある、2009年11月4日のことを書いた日記(?)は、淡々とした叙述ながらも、じーんとくる。

向かい風を感じながら人生を生きる彼。だが周りの人たちにちょっとずつ後押しされていくうちに、いつしか、向かい風が吹かなくなる。

それはまた、私が感じていることではなかったか。

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要人、故郷に帰る

10月13日(水)

朝イチの授業を早めにきりあげ、3時間近くかかって、近郊県のM市に向かう。M市にある高校で、「営業」を行うためである。70分の「営業」を2回行って、ヘトヘトになる。このまま帰るのはシャクだから、駅前の有名なお店で冷麺を食べ、勤務地にもどる。

10月14日(木)

隣県のS市に、韓国から要人とそのご一行がいらっしゃるということで、夕方、授業が終わってからS市に向かう。そこで夜、歓迎の宴会に参加して、翌日、学術調査をすることになっていた。といっても、私は、ご案内役の末席に連なるにすぎないのだが。

どのくらいの要人かというと、韓国では「政府の次官」レベルのお方である。

その要人と一緒にいらっしゃる方々については、私も以前からよく知っていた。

夕方、S駅で、要人ご一行や、案内役の日本側のご一行と合流する。

幹事をつとめた方に聞くと、その要人だけには、グリーン車に乗ってもらったり、宿泊するホテルも高価なところにしたりと、いろいろと気をつかったそうだ。それだけ、地位の高い方なのである。

夜7時すぎ、歓迎の宴会がはじまる。

私は韓国にいるとき、その要人に何度かご挨拶したことはあったのだが、ゆっくりとお話しすることははじめてだった。

お話ししていて、気づいたことがあった。

なるほど、(韓国で)出世する方というのは、共通した特徴があるものだ、と。

その特徴のひとつとは、話がきわめてわかりやすく、面白い、ということだ。

不思議なことに、この方のお話は、韓国語の能力が十分でない私でも、ほとんどすべて、聞き取ることができる。

つまり、それだけわかりやすい言葉でお話になっている、ということなのである。

ほかの方のお話は、私の言語能力が低いために、聞き取れないことがしばしばある。おそらく、むずかしい表現を使っていらっしゃるためだろう。

だがこの方は、できるだけ簡単な表現をお使いになるのである。

もうひとつの特徴とは、「お世辞が上手である」ということだ。

その方が、私に質問した。「どのくらい韓国で勉強したの?」

「1年3カ月です」

「それにしては韓国語がお上手だ。3年くらい滞在していた人の韓国語だよ」

もちろんこれは、お世辞である。

なぜなら、その宴会の席には、以前に「韓国に1年いたわりには、韓国語が下手ですね」と私に言った方も、同席していたからである。

私のこれまでの経験では、人の上に立つ方は、さらりとお世辞を言うことのできる人が多かった。この要人もまた、そうである。

なるほど。人の上に立つことができる、というのは、やはりそれなりの理由があることなんだな。

宴会では、地元の美味しい料理とお酒を堪能した。そのかわり、支払いはすべてこちら側でもったので、かなり手痛い出費だったが。

10月15日(金)

朝から、要人ご一行を学術調査にご案内する。

途中、新聞社が2社、韓国から要人がいらしたということで、取材に来ていた。

記者2人が、その方にインタビューをする。

その要人は、25年前に1年間、日本に留学した経験があるので、カタコトの日本語をお話になるのだが、やはり込み入った話になると、韓国語である。

そのときたまたま、通訳を担当している方が席を外していたので、仕方なく私が通訳をすることになった。

しかしその方が、実にわかりやすい言葉でお話になるので、ほとんどすべて聞き取ることができて、通訳できた。

その中で、その方は、次のような話をされた。

「私は25年前、当時、大邱にある大学で教員をしていましたが、そのとき、1年間、このS市にあるT大学に留学しました。だから私にとって、S市やT大学は『日本の故郷』なのです。その後、仕事の関係で何度も日本に来ることがありましたが、不思議なことに、このS市に来る機会はありませんでした。今回、25年ぶりに、故郷であるS市を訪れる機会に恵まれたのは、とても感慨無量です」

ここまでの話は、実は昨晩の宴会でもうかがっていたことであった。驚いたのはそのあとである。

「実は今日、朝4時に起きて、T大学のキャンパスに行ってきたんですよ。私が1年間通っていたT大学のキャンパスに。…懐かしかったです」

なんと、その方は、早朝、ひとりで思い出の大学を見に行ってきた、というのである。

早朝に行ったところで、建物に入れるわけでもなく、懐かしい人に会えるというわけでもないだろう。しかしながら、今回のギチギチの予定では、およそ大学に立ち寄るなんてことはできないから、早朝、ひとりで行こうと思われたのだろう。

私にも、身に覚えがある

この夏、大邱の母校に行ったときに、まったく自由時間がなく、大学の構内やその周辺を歩くことができなかった。仕方がないので、宴会が終わった後の深夜、ひとりでタクシーに乗って大学に向かったのであった。

私と同じようなことを、この方もしていたんだな。

そう思うと、おこがましいことだが、この方との不思議な縁、というものを感じざるをえない。

この方は、いまから25年前、おそらく私と同じような年齢のときに、日本の地方都市に留学された、ということ。

そして、その当時の勤務先が、のちに私が留学することになる大邱であった、ということ。

私が大邱を「韓国の故郷」と思っているように、この方は、S市を「日本の故郷」と思っておられる。

私が、韓国の地方都市で1年間勉強したことに対する思いと同じ思いを、この方は日本のS市に対してお持ちなのではなかろうか。

その方のお言葉を日本語に通訳して記者に話しながら、そんなことをぼんやりと考えた。

さて、1日の日程がすべて終了し、夕方、S駅でご一行とお別れした。あいかわらず気の遣い通しで、グッタリとしたが、今回のそれは、なぜか心地よい疲れだった。

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ビバ!OB楽団その4 アンコール

10月10日(日)

最後の曲、「トトロ」の曲紹介が終わって、ひとまずホッとする。

なぜなら、これで私は、舞台に出なくてよくなるからだ。

あとは、最後の曲が終われば、アンコールになだれ込むだけだ。もう、司会は必要なくなる。

だが、あとひとつ、仕事が残っていた。

アンコール曲は、

1.ルパン三世

2.サザエさんア・ラ・カルト

の2曲である。

「ルパン三世」は、定番中の定番。わが楽団でも、毎回のようにアンコールでこの曲をやっている。

「サザエさんア・ラ・カルト」は、サザエさんのなかで流れるBGM をメドレーでまとめたもの。

私の最後の仕事とは、2曲目の「サザエさん」を演奏している最後のところで、影マイクでお別れのあいさつと次回予告を言って締める、というもの。

「…というわけで、日曜日のひととき、いかがだったでしょうか。最後は、日曜日の定番、『サザエさん』の音楽とともに、みなさんとお別れしたいと思います。さて次回は、来年5月3日、いよいよ第20回定期演奏会が開かれます。その時までみなさん、さようなら!」

このセリフを、演奏している曲のエンディング部分にかぶせてしゃべるのである。

そして、曲が終わると同時に、このコメントも終わるようにする。

これを提案したのも私。実はこれも、一度やってみたかった。

曲のタイミングに合わせて喋るなんて、なんか、FMのDJぽくって、いいじゃん。

しかし、これもリハーサルでは苦労した。

まず、曲の終わるタイミングに合うように、セリフを何度もつくり直す。

さらに、曲にかぶせて喋ると、客席では声が曲に消されてしまい、何を喋っているのかまったくわからなくなるのだそうだ。それに加えて、私の滑舌の悪さである。

とりあえず、曲の音量を調整したりして、曲とセリフのバランスをみる。

うーむ。めんどくさいなあ。やっぱり、こんな提案、しなきゃよかったなと、後悔した。

何度か練習しているうち、なんとか客席で聞き取れるようになったらしい(舞台袖では、成功したのか失敗したのかが、まったくわからないのだ)。タイミングも合ってきた。

そして本番。

タイミング的には、練習でうまくいったときのタイミングと同じだった。

私が「さようなら!」といった直後に客席から拍手がおきたから、おそらく、何を喋っていたのかは、客席に伝わったのだろう。

なんとも達成感のないまま、演奏会が終了した。

どっと疲れが出た。

演奏会終了後、客として聞きにきていた先輩や後輩たちが楽屋に遊びに来てくれたが、私を見て驚いていた。

「どうしちゃったんです?」

私は、抜け殻のように、茫然自失の状態になっていたのである。

結局、私は打ち上げが終わるまで、居酒屋で抜け殻のような状態が続き、誰とコミュニケーションをとるわけでもなく、家に戻った。

「どうしちゃったの?」と妻。

やはり家でも、抜け殻のような状態がしばらく続いた。

楽しかったが、ツラい1日だった。

ツラかったが、自分がやりたいと思っていたことを、やりたいようにできた。

ほんの少しだけ、自分がめざしていた吹奏楽の演奏会に近づいた気がした。

それもこれも、実直な団長のミツゾノ君(兄)と、これまた実直な指揮者のミツゾノ君(弟)が、私のわがままを許してくれたおかげである。

ミツゾノ兄弟に感謝。(完)

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ビバ!OB楽団その3 第2部

10月10日(日)

午後2時53分、第2部開演。

第2部の曲目は次の通り。

1.宇宙戦艦ヤマト

2.スーパーマリオブラザース

3.時代劇メドレー(水戸黄門、銭形平次、大江戸捜査網、大岡越前、暴れん坊将軍)

4,企画コーナー

5,天空の城ラピュタ

6,となりのトトロ

やってみたいな、と思っていたことがあった。

それは、1曲目の「宇宙戦艦ヤマト」の曲がはじまる前、舞台袖の影マイクで、ナレーションを入れることである。

「宇宙戦艦ヤマト」の映画を見た人なら知っていることだが、映画のオープニングに、「無限に広がる大宇宙…」ではじまる、ナレーションが入る。2作目の「さらば宇宙戦艦ヤマト」では、そのナレーションを広川太一郎がやっていた。

そのナレーションを、私もやってみたい、と思ったのである。

なんと無謀な試みか。

「無限に広がる大宇宙…」ではじまるナレーションがひとしきり終わった後、それまで暗かった舞台の照明が明るくなり、「宇宙戦艦ヤマト」の勇ましい音楽がはじまる、という演出である。

うまくいけばかっこいいかも知れないが、最大の問題は、私は広川太一郎ではない、ということである。

リハーサルでやってみたが、どうもヘンな感じである。

指揮者のミツゾノ君(弟)が言う。

「ナレーションの最後に、『ヤマト、発進!』と入れてくれませんか。そうすれば、曲の始まりのきっかけにもなりますので」

ということで、本来のナレーションにはない「ヤマト、発進!」というかけ声を最後に入れることになった。こうなったらもう、恥ずかしいなんて言ってられない。

本番のできばえはどうだったのか、自分ではよくわからない。なにしろ本人は、すっかり広川太一郎の気分でいたのだから。

とにかく、これで無事、ヤマトも「発進」して、第2部がはじまった。

さて、4曲目に「企画コーナー」がある。

これは、演奏する曲を、会場のお客さんに決めていただく、という企画である。今回の演奏会の目玉企画だという。

具体的には、用意した3曲のうち、聞きたいと思う曲を2曲、会場のお客さんの拍手で決めるというものである。もちろん、3曲とも本番にそなえて練習しているのだが、このうち、本番で披露できるのは、2曲。あとの1曲は、お蔵入りになる、ということになる。

「その企画、いったい誰が得するの?」

以前、この話を妻にしたところ、妻が発した言葉である。

たしかにそうだ。演奏する側にしてみたら、3曲ぜんぶ聞いてもらいたいし、聞く側にしても、3曲とも聞きたいと思うのが人情である。つまり、誰もトクをしないのである。

その言葉を、本番でも使わせてもらおう、と思っていた。

しかし、である。

この言葉は、企画自体を否定しかねないような言葉である。司会が言っていいことなのかどうか、ギリギリのような気がした。

そんなときは、お客さんの反応を見る。お客さんの反応(食いつき)がよい場合は、多少のことを言っても大丈夫だし、そうでない場合は、やめておいた方がよい。

この言葉を言うか言うまいかは、お客さんの反応を見て決めることにした。

見たところ、お客さんの反応がけっこうよい。私はひととおり企画の趣旨を説明したあと、言った。

「冷静に考えたら、これ、いったい誰がトクする企画なんでしょう?」

舞台上も客席も、反応はまずまずだったように思う。

あとは、候補となる3曲の紹介と、拍手をもらって2曲を決めるまでの段取り。ま、このあたりの演出と「客いじり」は、自慢じゃないがお手のものだ(また自画自賛かよ!)。やっている私が、おそらくいちばん楽しんだろう。

結局、「シンクロBON-BA-YE」「ヒーロー」「踊る大捜査線」の3曲のうち、もらった拍手の大きさはほぼ同じだった(若干「踊る」の拍手が大きかった)。最終的には、私の独断と偏見で、「シンクロ」と「踊る」の2曲に決めた。理由は、「私が聞きたかったから」。

かくして、企画コーナーも盛りあがり、第2部も終わりが見えてきた。

最後の曲「トトロ」が終わり、演奏者全員が立ち上がると、アンコールの拍手がはじまった。(つづく)

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ビバ!OB楽団その2 第1部

10月10日(日)

午後1時半、開場。

ホールにお客さんが入り始めた。

410席のうち、席が埋まったのは3分の1ていどか。時期と会場が例年と違っているイレギュラーな演奏会だったので、お客さんの入りはこんなものだろう。

先に舞台袖にひかえていると、つぎつぎに入ってくる演奏者の後輩たち(というか、同期の2人をのぞいて全員が私よりも年下である。上は41歳から、下は大学1年生まで)が、「素敵な蝶ネクタイですね」と、お世辞を言ってくれた。そんなことを言われて恥ずかしいかぎりだが、「蝶ネクタイをして音楽会で司会をすること」が夢だったんだから、仕方がない。

開演の時間が近づくにつれて、どんどん口の中が乾いてきた。緊張すると、人間の口の中って、こんなに乾くもんなんだな。

こんなことで、本番が乗りきれるか?

ふと、妻の言葉を思い出す。

「さすが、本番に強いですな」

たしか、韓国の語学院の修了式で、私が語学院の全教員、全学生の前で韓国語でスピーチをしたあとに、妻に言われた言葉である。

スピーチの練習をしているときはボロボロだったのだが、本番は、原稿を見ずに乗りきった。

そして、韓国語のプロの先生(韓国人)を笑わせ、泣かせたのだ!

練習の時から見ていた妻からしたら、それが不思議だったのだろう。

そうだ、オレは本番に強いんだ!

その言葉を胸に、開演時間を待つ。

午後2時、開演。

2部構成からなる。第1部は、アンサンブルステージである。楽団の中から結成されたグループが、アンサンブルを披露するというもの。

うーむ。ひとつひとつ書くと長くなるんで、曲名だけを紹介する。

1.フルート四重奏「ドビュッシー「ベルガマスク組曲」より「前奏曲」」

2.管楽五重奏「ベートーベン交響曲第7番第1楽章より」

3.サクソフォン四重奏「アルヴァマー序曲」

4,木管五重奏「アンパンマンのマーチ」「崖の上のポニョ」

5,金管五重奏「篤姫メインテーマ」「天地人オープニングテーマ」

ドビュッシー、ベートーベンから、アンパンマン、ポニョまで。このひとつひとつに司会の解説をつけていくんだから、たいしたもんだ、オレは。…と、自画自賛。

ひとつだけ、第1部で印象に残ったことを書く。

3組目のサクソフォン四重奏は、同期生4人組による演奏だった。2週間ほど前、演奏者の1人であるミツゾノ君(団長ミツゾノ君の弟)が、「司会のネタにでもしてください」と、「アルヴァマー序曲」を選曲した理由について、メールでコメントを書いてくれた。以下に引用する。

「このたびの演奏は、平成12年卒業のサックスパートの同期生が集まっての演奏なのですが、実はこの曲、このメンバーが高校の吹奏楽部に入って最初に演奏した曲のひとつでした。その時、メンバー4人中3人が、吹奏楽の初心者だったのです。このたびのサックス四重奏によって、十数年ぶりに再挑戦の機会を得たわけですが、高校1年生の頃に右も左もわからないまま毎日練習していた曲を、今度は夜のカラオケボックスで、四人であれこれ相談しながら演奏を作りあげていったことは、とても感慨深いものがあります」

私はこのコメントがとてもいいな、と思い、司会のときにそのまま紹介させてもらった。

高校時代、わけもわからないままはじめて演奏した思い出の曲を、十数年たって再挑戦するって、なんかいいではないか。「年を重ねてからわかることって、あるよね」なんて、同期のカトウさんともオッサンオバチャントークをしたばかりだった。そもそも、OB楽団って、そのための場だったんだよな。

あとで聞いたところによると、4人の中にはすでに吹奏楽から遠のいていた人もいたのだが、ミツゾノ君が「高1のときに演奏したアルヴァマー序曲を、もういちどやろう」とよびかけたところ、4人が結集したのだという。この曲のために新たに楽器も買った、とも聞いた。なんかいい話だ。大人になるってことも、悪くないことなんだな。

その思いが込められていたこともあり、演奏はとてもすばらしいものだった。演奏を聞いている人たちにも、その思いは伝わったのだと思う。

なにしろ、まったく吹奏楽に関心のない妻が聞いていて、「第1部ではサクソフォン四重奏がいちばんよかった」と言っていたのだから、たしかに思いは伝わったのだ。

さて、第1部がとどこおりなく終了した。私は影のマイクで場内アナウンスをする。

「ここで、15分間の休憩をいただきます。休憩ののち、第2部のポップスステージにうつります」(つづく)

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ビバ!OB楽団その1 リハーサル

10月10日(日)

いよいよ、演奏会の当日である。

その前に、これまでのあらすじ。

大学生のときに、高校の吹奏楽部のOBで吹奏楽団を旗揚げした。その時、たまたま最年長者だった、という理由で、初代団長となった。

それから東京を離れるまでの約10年間、年に1度、演奏会を開いた。

東京を離れてからというもの、演奏会に出ることがないまま、10年がすぎた。

今年の5月、楽団の仲間であるフクザワ、トビー、チエちゃん(トビーとチエちゃんは夫婦)、そしてミエちゃんといういつものメンバーに呼ばれて、バーベキューに参加したときに言われた。「そろそろ、出ませんか?」

だがこの10年、実は楽器を手にしていない。もう演奏者として出ることは不可能だった。

「じゃあ、司会でお願いします」とトビー。

実は、私自身も、音楽会の司会、というものをいちどしてみたい、と思っていた。願ってもないチャンスである。

そしてこれが発端となり、10月の演奏会で、司会をつとめることになったのである。

ここまでがあらすじ。

さて、8月に打ち合わせをしたときに、演奏する曲目や、全体の構成などを聞かされて、あ然とする。

(これは荷が重すぎるぞ…)

実直な現団長のミツゾノ君が言う。

「今回は、どちらかというと演出重視ですので、司会がお話しされる時間は、比較的余裕があります。それと、客いじりの企画もありますので、そのへんのところもうまく…」

要は、詳細はおまかせします、ということだった。

その時から、司会の原稿作りがはじまった。生来の凝り性が災いして、演奏曲の由来や豆知識を調べていくうちに、どんどんと原稿が長くなる。最終的には、8000字以上にもなってしまった。

ふつう、8000字の原稿を読もうとすると、30分はかかる。

演奏会2時間のうち、30分が司会のしゃべりだとすると、4分の1が司会の話ということになる。いや、正確には、15分の休憩が間にはいるから、場合によっては3分の1くらいということにもなりうる。

どう考えても長いな、これは。

いちど9月のリハーサルで試してみた。たしかに長いな、と思ったが、とくに団長からも異論がなかったので、このままでいくことにした。

前日の9日(土)、はじめて通しのリハーサルをしてみたが、生来の滑舌の悪さに加え、原稿をカミたおしてしまって、散々な出来だった。

(やっぱりひきうけるんじゃなかった…)

ひどく後悔した。

翌10日(日)、本番当日。

朝9時半に会場となるホールに集合し、10時半から、最後のリハーサルがはじまる。

実際のホールを使っての、最初で最後のリハーサルである。自然と、ホンイキになる。

そして開演30分前の1時半、リハーサルは終了した。

この時点で私はすでにクタクタである。いまと同じことをまたやらなければならないのか、と思うと、ゾッとした。

急いで昼食のために買ってきたおにぎりを口にほうり込み、衣装に着替えた。もちろん、3日前に買ってきた蝶ネクタイをして、である。

うーむ。思い出しながら書いているだけでくたびれてきた。(つづく)

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大往生

10月9日(土)

昨日の金曜日、母からメールが入る。祖母(母の母)が、息をひきとったという。

99歳の、大往生である。

土曜日に通夜、日曜日に告別式ということになった。

この週末、東京にいるにはいるのだが、告別式が行われる日曜日は、演奏会の本番、そして前日はリハーサルである。

本来ならば告別式に出なければいけないのだが、今から演奏会を欠席するわけにもいかない。

母に相談すると、「通夜に来てくれればいい」と。

土曜日、午後2時半に都内でリハーサルが終わり、そのまま、通夜に向かう。

祖母が亡くなったのは、母の実家の近くの介護施設であった。通夜と告別式も、その近くの斎場で行われる。

東京の隣の県とはいえ、交通の便が悪く、都内から鉄道で3時間近くかかる、まるで陸の孤島のような田舎町である。

子どものころ、毎年の盆と正月に泊まりがけで遊びに行った、このさびれた町が大好きだったが、最近はすっかり行かなくなってしまった。

お通夜がはじまる夕方6時ぎりぎりに、斎場に到着した。あたりはすでに暗く、雨も降っている。

6時からの読経と焼香が30分ほどで終わり、親族だけでの食事がはじまる。

祖母の最期をみとった母が言った。

「最後、まるであくびのように、大きくフーッと呼吸して息をひきとったのよ。でも、最初そのことがわからなくて、あくびをして眠ったのかと思ったの。そしたら席を外していた医者の先生が戻ってきて、『いかがですか?』と聞いてきたから、『いま、大きなあくびをして眠ったみたいです』と答えたら、『何言ってるんですか。ご臨終ですよ』と言われたの」

それだけ、安らかな最期だった、ということなのだろう。なるほど、「息をひきとる」というのは、こういうことなのだな。

「おばあさんの顔、見てあげてよ」

母に言われ、棺のなかの祖母の顔をおがむと、実に安らかな顔をしている。

しかも、その顔が若々しいのだ。それはまるで、私が子どものころ見ていた、おばあちゃんの顔だった。

「ずいぶん若々しい顔してますね」

「そうでしょう。納棺のときに、丁寧に化粧してくれたのよ。映画の『おくりびと』みたいに」母の姉である、伯母が言った。

映画「おくりびと」はまだ見ていなかったが、機会があったら、今度見てみよう、と思った。

「不思議なものねえ」伯母が続ける。

「うちのジュン(息子)が、ちょっと日にちがずれていたら、(告別式に)来れなかったかも知れないって言っていたのよ。Mちゃん(私の妹)も、ちょうどいま休暇をとっていたんでしょう?」妹がうなずいた。

「そうですか。実は僕も、今日、都内で2時半まで用事があって、それを終えて電車に乗ったら、ちょうど通夜が始まる6時にここに着いたんです。まるで6時に着くのを計算していたかのように」と私。

「そうだったの。ひょっとしておばあちゃんが、みんながいちばん大丈夫そうな日を見はからっていたのかも知れないわね」

「そうですね。おばあちゃんが、僕たちのスケジュール調整をしていたのかも知れません」一同は笑った。

夜8時半、東京に戻るために、斎場を出た。2時間半の滞在だった。外はまだ雨が降っていた。家に戻ったのが11時半。

最後のお別れは叶わなかったが、今度はお墓参りに訪れよう。そして、子どものころ大好きだったその町を、晴れた日の昼間に、もう一度歩こう。

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蝶ネクタイ

10月6日(水)

いよいよ今週の日曜日、演奏会で司会である。

「音楽会の司会」といえば、蝶ネクタイ。

…と勝手に思いこんでいる私は、蝶ネクタイを買わなきゃ、と思っているのだが、そもそも、蝶ネクタイがどこで売っているのか、とか、値段がいくらくらいするのか、といったことが、よくわからない。

そうこうしているうちに、本番が近づいてしまった。

調べてみると、通信販売でも蝶ネクタイは買えるようだが、実物を見ずに買うのは、少し勇気がいる。それに、いまからインターネットで注文しても、本番までに間に合わないかも知れない。

妻に電話で相談する。

「どうすればいいだろう…。こんなことなら、この前、お台場で見つけたときに買っておけばよかった」

Photo 先日、韓国からいらしたナム先生ご一行をお台場の「台場一丁目商店街」にご案内したときに、蝶ネクタイを売っているのを目にして、実際に鏡の前で、自分の胸もとにあわせてみたのだった。

「何言ってんの?」と妻。

「え?」

「あれ、蝶ネクタイじゃないよ」

「?」

「女の子の髪飾りだよ」

なんと!私が蝶ネクタイだと思いこんでいたものは、リボンの形をした髪飾りだったのだ!

だからあの時、みんながゲラゲラと笑っていたのか。

考えてみたら、女性用のアクセサリーを売っている専門店に、あんなに大量の蝶ネクタイが置いてあるはずがない。

…そう。私は、蝶ネクタイについて、それくらいの認識しかないのだ。そもそも、蝶ネクタイを間近で見たことがないから、こんなことになるのだ。

いったい、蝶ネクタイはどこにあるのか?私は、本物の蝶ネクタイを見つけることができるのか?

「同じ背広をはじめて買って

同じ形の蝶タイつくり

同じ靴まで買う金はなく

いつも笑いのネタにした

いつか売れると信じてた

客が2人の演芸場で」(ビートたけし「浅草キッド」)

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偏屈なオヤジがいるすし屋

10月2日(土)、3日(日)

この2日間、学会の大会が、うちの職場で開かれるため、当番校のスタッフとしてお手伝いすることになった。

1日目の行事が無事終わり、夕方6時から、ホテルの会場で懇親会が始まった。

そこで、大学時代の研究室の大先輩であるOさんとお会いする。

私より年齢がひとまわり上のOさんは、ひとことで言えば「強烈な個性の持ち主」である。とにかく大声でよくしゃべり、よく食べ、よく飲むのである。とくにOさんの大食いぶりは有名である。

数年前、東京にいるOさんが仕事の関係で私の職場にいらしたとき、夜、美味しい料理と美味しいお酒が飲めるお店に連れていったことがあった。

3次会までつきあわされて、しこたま飲み、しこたま食べたあと、Oさんが「ラーメンを食べに行こう」という。

すでにそうとう腹がきつかったが、ラーメン屋までおつきあいすることにした。

だが、ラーメンを食べたあと、私は猛烈に胃が痛くなった。家に帰ってから、のたうちまわるくらい痛くなったのである。

だが、Oさんはなんともなかった、という。

Oさんにあわせて食べたらエラいことになるな、とその時に実感した。そしてそのラーメン屋には、それ以来行っていない。

とにかく、いちど見たら忘れられないほどのインパクトの持ち主である。

大学の研究室の先輩方に嫌われている私だが、なぜかOさんだけにはかわいがられている。

誰に対しても裏表のない、Oさんの人柄ならではであろう。

Oさんは、懇親会場で後輩である私を見つけると、近づいてきて大声で話しはじめた。

あろうことか、同じく懇親会に参加されているある先生の、学生時代の「恥ずかしい話」を、嬉々として大声でしはじめたのである。

(大丈夫かなあ…)私は聞きながらハラハラした。

案の定、その先生がOさんのところにやってきた。

その先生が立ち去ったあと、Oさんは「まさか、あの人の(恥ずかしい)話をしているときに、本人が来るとはねえ」と、バツが悪そうだった。

(あれだけ大声で話していれば、誰だって気づくだろうに…)と思うのだが、Oさんは、そのことにまったく気づいている様子もない。

「憎めないキャラ」というのは、Oさんみたいな人をいうのだろうと思う。

Oさんはまた、懇親会の料理や酒についても文句をつける。「同じような料理ばっかりだ」「日本酒が少ない」「ワインの味が甘い」など。

「これ、地元で作ったワインだろ?」とOさん。

「そうですよ」と私。

「ちょっと甘すぎるんだよなあ」

「でも、そう言いながら、何度もおかわりしてるじゃないですか。本当は美味しいと思ってるんでしょう?」

「ま、美味しいといえば美味しいんだが」

「『美味しいといえば美味しい』ってことは、『美味しい』ってことでしょう!」

Oさんは、ヒトやモノを素直に褒めない。まったく、メンドウくさい性格である。

「このあと、2次会に行くぞ!」Oさんが私に言う。予想されていたことではあった。

「前に、駅の近くにある『○○寿司』というすし屋に行ったことがあったんだ。そこのオヤジが偏屈でね」

「どういうことです?」

「某学会の1次会が終わってから、そのすし屋に入って、カンピョウ巻と玉子を注文したら、『いや、もうネタがないんで、帰ってもらえると嬉しいんですがねえ』って言うんだ。こっちは、もうカウンターに座って、『カンピョウ巻と玉子だけでいい』って言ってんのにだよ!客に向かって『帰れ!』なんて言うオヤジは、偏屈に決まってるんだ」

「へえ」

「だから、今からそこへいくぞ。捲土重来!」

「ええぇぇ!?イヤですよ。そんな偏屈なオヤジがいる店なんて!」何を好きこのんでそんな店に行かなきゃならないんですか、と私が反論する。

「前は閉店10分前に行ったからダメだったけど、今からなら大丈夫だろう」

???

「ちょっと待ってくださいよ。『帰ってもらえると嬉しいんですがねえ』と言ったのは、オヤジが偏屈だからじゃなくて、閉店時間だったからじゃないですか?」

「いや、そんなことはない。オヤジが偏屈だったからだよ」Oさんが反論する。

私には、偏屈なのはすし屋のオヤジではなくて、Oさんの方だと思えて仕方がなかった。

「とにかく、そのすし屋に行くからな」

「はあ」

「で、そのあと、例のラーメン屋に行くぞ」

「それだけは勘弁してくださいよ!」

結局、懇親会が終わってから、数人でそのすし屋に行くことになった。

のれんをくぐり、カウンターに座る。

オヤジが1人で切り盛りしている、小さな店である。

おどろいたことに、そのオヤジが、ビックリするくらい、人のよさそうな、腰の低いオヤジだったのである。

私はOさんに小声で言った。

「全然偏屈じゃないじゃないですか」

「おかしいな…。オヤジ、今日はえらく機嫌がいいんだな」

いや、どう考えても、人のよさがにじみ出ているオヤジである。

「やっぱり、前回は閉店間際に行ったのがまずかったんじゃないですか?」

「いや、今日はたまたま機嫌がいいだけだ」Oさんは、決して認めようとしない。

「偏屈なのは、オヤジじゃなくて、あんただよ!」という言葉がのど元まで出かかったが、尊敬する先輩なので、ぐっとのみこんだ。

寿司と、コップ酒2杯を飲んで店を出る。

「今度はそばが食いたい」とOさん。

駅の近くの、よく行く「日本酒とそばが美味しい店」に連れていく。

地元の銘酒と自慢のそばを堪能する。

「どうです?美味しいでしょう」と私。

「まあな。量は少ないけどな」

あいかわらず、素直に褒めない。

「よし、じゃあ次はいよいよラー…」

「勘弁してくださいよ!明日も朝早いんですから!」

夜11時半。なんとかOさんをなだめて、解散した。

Oさんは、とても名残惜しそうな顔をして、ホテルへと帰っていった。

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自転車泥棒はダメよ

9月29日(水)

4年生数人に、「晩ご飯を食べに行きましょう」と誘われ、以前に行ったすき焼き食べ放題の店に行くことになった。

毎年思うことだが、卒業後の進路が決まったあとの4年生は「最強」である。

道すがら、A君と話をする。

鍵をかけるのを忘れることがあり、よく自転車が盗まれるのだという。

犯人はたいてい、同じ大学の学生の場合が多いのだそうだ。

だから、ほかの場所で盗まれた自転車が、大学の構内で見つかることが多い。

盗んだ犯人(学生)が、通学用に使ったためであろう。

多くの学生が自転車で通学している、わが大学ならではの話である。

「あるとき、自転車が盗まれたんですが、あとで聞いたところ、その犯人が警察につかまったそうなんです」とA君。

犯人は、盗んだ自転車でコンビニに行ったところを、おまわりさんに見つかってしまったらしい。

「これから持ち主に連絡をとるから、持ち主があらわれるまで、この自転車が盗まれないように管理しておきなさい」と、おまわりさんはその犯人に言った。

「で、その犯人は、その自転車が盗まれないように、自転車の鍵をかけて、そのコンビニに置いておいたそうなんです」

盗んだ犯人が、自転車を盗まれないように鍵をかける、という姿を想像して、なんとなく可笑しくなった。A君が話を続ける。

「そしたらですね、……あれ?」

A君が話を止めた。見ると、前から4年生のH君が歩いてきた。

「どうしたの?偶然だなあ」

急遽、H君も一緒に食事に行くことになった。

道すがら、ポケモンのゲームとか、AKB48といった話題で盛りあがりはじめた。私も、わかる範囲で話題についていった。

しかし気になるのは、さきほどの自転車泥棒の話である。犯人がコンビニに自転車を置いて鍵をかけたあと、どうなったのだろう?

しかし話題はあいかわらずAKB48 。ふだんはどちらかといえばおとなしいA君が、熱っぽく語り出した。

このまま、自転車泥棒の話のオチが聞けずに終わってしまうのか?

ひとしきりAKB48 の話題が終わってから、A君が言う。

「そういえば、さっきの話、まだ終わってませんでしたね」

よかった~。このまま最後まで話が聞けなかったら、ずっとモヤモヤし続けるところだった。

「犯人がおまわりさんに言われて、盗んだ自転車をコンビニに置いたまま鍵をかけた、てところまで話をしましたね」

「そうそう」

「で、僕は、そんなこともつゆ知らず、コンビニに行ったら、なんとそこに自分の自転車があるじゃありませんか」

「偶然見つけたの?」

「ええ、偶然見つけたんです」

「じゃあその時点では、犯人がおまわりさんに言われて、自転車をそこに置いておいたなんてことも、知らなかったわけだよね」

「ええ。とにかくその時は、自分の自転車があった!と思ったので、鍵がかかっていたんですが家まで担いで持って帰ってきたんです」

どうもややこしい話である。持ち主が見つかるまで、盗んだ自転車が盗まれないようにと、犯人がおまわりさんに言われて鍵をかけて置いておいたら、自転車の持ち主であるA君が偶然その自転車を発見して、現場からその自転車を持ち出した、というのである。このあと、盗んだ犯人がコンビニにもどって、自転車がないことを見たら、どう思うのだろう?「しまった!また盗まれた!」と思うのだろうか。私は想像して、可笑しくなった。

「そしたらしばらくしておまわりさんから、盗まれた自転車が見つかりました、て連絡が来たんです。でもその時すでに、僕は自転車を取り返してましたからね」

うーむ。実にややこしい話だ。

「でも、被害届だけは出してもらわないと困る、ということになって、そのあと何度も警察から連絡が来たりして、けっこう面倒でした」

たしかに、メンドウな話だ。

「僕も盗まれたことありますよ」と、今度はH君。

「駅前に自転車を置いておいたら盗まれていて、歩いて大学に行ったら、建物の前の目立つところに、自分の自転車がおいてありました」

やはり、犯人は同じ大学の学生だったか。

「その時は、『(自転車を)運んでくれてありがとう』って感じでした」

なるほど、やはり盗まれた自転車は、大学の構内にある可能性が高い、ということなんだな。

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