気分は寅次郎
10月30日(土)
前回の日記が、ちょうど500本目であった。
内容的にもキリがよかったので、いっそ最終回にしてしまえば大変うつくしいのだが、その決断ができないところが、なんとも私らしい。
ま、誰に向けて書いているというわけではないので、今日は他人が読んでもまったくワカラナイ話を書いてやろう。
今日、とある地方都市にある高校に出張講義に行った。
といっても、当日に出発しては間に合わないので、前日に近くの(比較的大きな)都市で1泊し、今朝、そこからローカル線で1時間近くかけて目的の高校に向かうことにした。
今朝、ちゃんと起きられるかどうか、心配だった。
東京にいたころ、この高校の隣の県にある大学で、1年間だけ、週に1度非常勤講師をしていたことがあった。家から鉄道で片道2時間以上かかる場所である。
1年間、何ごともなくつとめあげたのだが、なぜか、いまもこの大学のことが夢の中にたびたび出てくるのである。
夢の中で私は、いまもその大学で非常勤講師をしていることになっていて、いまの勤務地から毎週通わなければいけないのだが、かならずその日は寝すごしたり、授業準備をまったくしていなかったりして、結局、1年間講義を無断欠席しつづけるのである。
この仕事をしている人間にとってみたら、なんとも恐ろしい夢である。いまでもときどき、その夢にうなされるのだ。
実際には、いちどもそんなことはなかったのに、どうしてそんな夢を見るのだろう?
その大学の近くまで来たせいか、その夢のことが思い出されて、朝起きられるか、不安になってしまったのだ。
でも、なんとか無事起きられた。
朝、ローカル線にゆられながら、目的の高校に向かう。
高校の出張講義は、言ってみればお祭の出店である。そして講義をする人間はテキ屋だ。お祭りがあるので来てくれと言われれば、どこへでも行かなければならない。
まるで寅さんだな。
ローカル線の車窓から景色を眺めながら、そんなことを思った。
しかも今日は台風の影響で大雨である。
こんな大雨でも、「商売」はしなければならない。
まったく、大雨の中、縁もゆかりもない土地で、俺は何をやっているんだろう、と、少し寂しくなる。寅さんも、同じ気持ちだったのだろうか。
高校に着くと、出迎えてくれた初対面の高校の先生方が、私を「先生」とよぶ。
本当のところ、私が何者であるかもよくわからないのに、である。
映画「男はつらいよ」で、こんな場面があった。
寅次郎が田舎を旅していると、旅回りの貧しい一座に出会う。決して上手い芝居をしているわけではない彼らの芝居を、寅次郎は熱心に見に行き、なけなしの金をはたいて彼らに御馳走をふるまい、彼らを励ます。
一座の連中は、そのうち寅次郎を「車先生」と呼び、「車先生の教えを守りながら、車先生の前で恥ずかしくない芝居をしなければならない、と、つねひごろ一座の者に言い聞かせております」などと座長が言い、寅次郎はなぜか一座の精神的支えとなるのである。
寅次郎が何者であるか、なんてことは、一座の連中はわからないのだが、彼らにとって寅次郎は「先生」なのである。もっとも、寅次郎の方は、「先生」などとよばれて、バツの悪い顔をしているのだが。
何者であるかもよくわからないはずの私に対して「先生」とよぶのを聞いて、なぜかこの場面を思い出した。
90分の「口上」が終わり、そそくさと高校を出る。今度は3時間近くかけて、東京の隣県まで移動する。相変わらずの大雨である。
明日は某所で研究発表。旅はまだ続く。
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