大往生
10月9日(土)
昨日の金曜日、母からメールが入る。祖母(母の母)が、息をひきとったという。
99歳の、大往生である。
土曜日に通夜、日曜日に告別式ということになった。
この週末、東京にいるにはいるのだが、告別式が行われる日曜日は、演奏会の本番、そして前日はリハーサルである。
本来ならば告別式に出なければいけないのだが、今から演奏会を欠席するわけにもいかない。
母に相談すると、「通夜に来てくれればいい」と。
土曜日、午後2時半に都内でリハーサルが終わり、そのまま、通夜に向かう。
祖母が亡くなったのは、母の実家の近くの介護施設であった。通夜と告別式も、その近くの斎場で行われる。
東京の隣の県とはいえ、交通の便が悪く、都内から鉄道で3時間近くかかる、まるで陸の孤島のような田舎町である。
子どものころ、毎年の盆と正月に泊まりがけで遊びに行った、このさびれた町が大好きだったが、最近はすっかり行かなくなってしまった。
お通夜がはじまる夕方6時ぎりぎりに、斎場に到着した。あたりはすでに暗く、雨も降っている。
6時からの読経と焼香が30分ほどで終わり、親族だけでの食事がはじまる。
祖母の最期をみとった母が言った。
「最後、まるであくびのように、大きくフーッと呼吸して息をひきとったのよ。でも、最初そのことがわからなくて、あくびをして眠ったのかと思ったの。そしたら席を外していた医者の先生が戻ってきて、『いかがですか?』と聞いてきたから、『いま、大きなあくびをして眠ったみたいです』と答えたら、『何言ってるんですか。ご臨終ですよ』と言われたの」
それだけ、安らかな最期だった、ということなのだろう。なるほど、「息をひきとる」というのは、こういうことなのだな。
「おばあさんの顔、見てあげてよ」
母に言われ、棺のなかの祖母の顔をおがむと、実に安らかな顔をしている。
しかも、その顔が若々しいのだ。それはまるで、私が子どものころ見ていた、おばあちゃんの顔だった。
「ずいぶん若々しい顔してますね」
「そうでしょう。納棺のときに、丁寧に化粧してくれたのよ。映画の『おくりびと』みたいに」母の姉である、伯母が言った。
映画「おくりびと」はまだ見ていなかったが、機会があったら、今度見てみよう、と思った。
「不思議なものねえ」伯母が続ける。
「うちのジュン(息子)が、ちょっと日にちがずれていたら、(告別式に)来れなかったかも知れないって言っていたのよ。Mちゃん(私の妹)も、ちょうどいま休暇をとっていたんでしょう?」妹がうなずいた。
「そうですか。実は僕も、今日、都内で2時半まで用事があって、それを終えて電車に乗ったら、ちょうど通夜が始まる6時にここに着いたんです。まるで6時に着くのを計算していたかのように」と私。
「そうだったの。ひょっとしておばあちゃんが、みんながいちばん大丈夫そうな日を見はからっていたのかも知れないわね」
「そうですね。おばあちゃんが、僕たちのスケジュール調整をしていたのかも知れません」一同は笑った。
夜8時半、東京に戻るために、斎場を出た。2時間半の滞在だった。外はまだ雨が降っていた。家に戻ったのが11時半。
最後のお別れは叶わなかったが、今度はお墓参りに訪れよう。そして、子どものころ大好きだったその町を、晴れた日の昼間に、もう一度歩こう。
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