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要人、故郷に帰る

10月13日(水)

朝イチの授業を早めにきりあげ、3時間近くかかって、近郊県のM市に向かう。M市にある高校で、「営業」を行うためである。70分の「営業」を2回行って、ヘトヘトになる。このまま帰るのはシャクだから、駅前の有名なお店で冷麺を食べ、勤務地にもどる。

10月14日(木)

隣県のS市に、韓国から要人とそのご一行がいらっしゃるということで、夕方、授業が終わってからS市に向かう。そこで夜、歓迎の宴会に参加して、翌日、学術調査をすることになっていた。といっても、私は、ご案内役の末席に連なるにすぎないのだが。

どのくらいの要人かというと、韓国では「政府の次官」レベルのお方である。

その要人と一緒にいらっしゃる方々については、私も以前からよく知っていた。

夕方、S駅で、要人ご一行や、案内役の日本側のご一行と合流する。

幹事をつとめた方に聞くと、その要人だけには、グリーン車に乗ってもらったり、宿泊するホテルも高価なところにしたりと、いろいろと気をつかったそうだ。それだけ、地位の高い方なのである。

夜7時すぎ、歓迎の宴会がはじまる。

私は韓国にいるとき、その要人に何度かご挨拶したことはあったのだが、ゆっくりとお話しすることははじめてだった。

お話ししていて、気づいたことがあった。

なるほど、(韓国で)出世する方というのは、共通した特徴があるものだ、と。

その特徴のひとつとは、話がきわめてわかりやすく、面白い、ということだ。

不思議なことに、この方のお話は、韓国語の能力が十分でない私でも、ほとんどすべて、聞き取ることができる。

つまり、それだけわかりやすい言葉でお話になっている、ということなのである。

ほかの方のお話は、私の言語能力が低いために、聞き取れないことがしばしばある。おそらく、むずかしい表現を使っていらっしゃるためだろう。

だがこの方は、できるだけ簡単な表現をお使いになるのである。

もうひとつの特徴とは、「お世辞が上手である」ということだ。

その方が、私に質問した。「どのくらい韓国で勉強したの?」

「1年3カ月です」

「それにしては韓国語がお上手だ。3年くらい滞在していた人の韓国語だよ」

もちろんこれは、お世辞である。

なぜなら、その宴会の席には、以前に「韓国に1年いたわりには、韓国語が下手ですね」と私に言った方も、同席していたからである。

私のこれまでの経験では、人の上に立つ方は、さらりとお世辞を言うことのできる人が多かった。この要人もまた、そうである。

なるほど。人の上に立つことができる、というのは、やはりそれなりの理由があることなんだな。

宴会では、地元の美味しい料理とお酒を堪能した。そのかわり、支払いはすべてこちら側でもったので、かなり手痛い出費だったが。

10月15日(金)

朝から、要人ご一行を学術調査にご案内する。

途中、新聞社が2社、韓国から要人がいらしたということで、取材に来ていた。

記者2人が、その方にインタビューをする。

その要人は、25年前に1年間、日本に留学した経験があるので、カタコトの日本語をお話になるのだが、やはり込み入った話になると、韓国語である。

そのときたまたま、通訳を担当している方が席を外していたので、仕方なく私が通訳をすることになった。

しかしその方が、実にわかりやすい言葉でお話になるので、ほとんどすべて聞き取ることができて、通訳できた。

その中で、その方は、次のような話をされた。

「私は25年前、当時、大邱にある大学で教員をしていましたが、そのとき、1年間、このS市にあるT大学に留学しました。だから私にとって、S市やT大学は『日本の故郷』なのです。その後、仕事の関係で何度も日本に来ることがありましたが、不思議なことに、このS市に来る機会はありませんでした。今回、25年ぶりに、故郷であるS市を訪れる機会に恵まれたのは、とても感慨無量です」

ここまでの話は、実は昨晩の宴会でもうかがっていたことであった。驚いたのはそのあとである。

「実は今日、朝4時に起きて、T大学のキャンパスに行ってきたんですよ。私が1年間通っていたT大学のキャンパスに。…懐かしかったです」

なんと、その方は、早朝、ひとりで思い出の大学を見に行ってきた、というのである。

早朝に行ったところで、建物に入れるわけでもなく、懐かしい人に会えるというわけでもないだろう。しかしながら、今回のギチギチの予定では、およそ大学に立ち寄るなんてことはできないから、早朝、ひとりで行こうと思われたのだろう。

私にも、身に覚えがある

この夏、大邱の母校に行ったときに、まったく自由時間がなく、大学の構内やその周辺を歩くことができなかった。仕方がないので、宴会が終わった後の深夜、ひとりでタクシーに乗って大学に向かったのであった。

私と同じようなことを、この方もしていたんだな。

そう思うと、おこがましいことだが、この方との不思議な縁、というものを感じざるをえない。

この方は、いまから25年前、おそらく私と同じような年齢のときに、日本の地方都市に留学された、ということ。

そして、その当時の勤務先が、のちに私が留学することになる大邱であった、ということ。

私が大邱を「韓国の故郷」と思っているように、この方は、S市を「日本の故郷」と思っておられる。

私が、韓国の地方都市で1年間勉強したことに対する思いと同じ思いを、この方は日本のS市に対してお持ちなのではなかろうか。

その方のお言葉を日本語に通訳して記者に話しながら、そんなことをぼんやりと考えた。

さて、1日の日程がすべて終了し、夕方、S駅でご一行とお別れした。あいかわらず気の遣い通しで、グッタリとしたが、今回のそれは、なぜか心地よい疲れだった。

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