いまの私は、高野秀行氏の本に相当かぶれてしまっているな。
「いまの仕事を辞めて、俺も高野さんみたいに、辺境作家になる!」
と、電話で妻に宣言すると、
「もうなってるじゃん」と、あっけなく言われた。
そうだった。私がいま住んでいるところは、辺境といわれてもおかしくない場所だ。
私は居ながらにして、すでに「辺境作家」になっていたのだ!
そんな冗談はともかく。
六本木の放送局のバブル期の深夜番組に関して、もうひとつ思い出したことがある。
いちど引き出しが開くと、いろんなことを思い出すなあ。
話は高校2年のときに遡る。
私が所属していた吹奏楽部に、ビックリするくらいかわいい1年生が入部してきた。ミヤモトさん、という女の子である。
ちょっとしたアイドルよりも、はるかにかわいい子である。
2年生の男子生徒たちは、その話題でもちきりになった。ま、共学の高校で、よくありがちなことだ。
話題にする、といっても、誰も、そのミヤモトさんとつきあおうとか、告白しようとか、そんな勇気はなかった。
かくいう私も、そんなかわいい子と話をする勇気なんぞ、これっぽっちも持ちあわせていない。ハナから試合放棄である。
部活の帰りによく立ち寄る喫茶店では、毎回のように2年生の男子生徒たちによる「ミヤモトさんサミット」が開かれるのである。
そして話が盛りあがると、同期の中でいちばん活動的なSが、「おい、ミヤモトさんの家に電話をかけようぜ!」と提案した。
当時、携帯電話なんてものはなかったから、電話をかけるとすれば、自宅に直接かけるしかない。
男子生徒たち、いや、バカ男子生徒たち数人が、電話ボックスにすし詰めになって、ミヤモトさんの家に電話をかけた。
そこで、どんな会話をしていたのかはわからない。なにしろ私は、バカバカしいので外で待っていたからだ。
そもそも、私みたいなダメ人間がミヤモトさんと話ができるはずはない、と思い込んでいたので、部活の練習中も、ほとんど話をしたことなどなかった。
話らしい話をしたのは、たった1度だけである。
2年生の春休み(正確には、3年生になったばかりの4月)、年に1度の定期演奏会が開かれた。わが吹奏楽部、年に1度の最大イベントである。2年生はこの演奏会を最後に、事実上、引退することになっていた。
演奏会が無事終わり、打ち上げが行われた。もっとも、高校生だから、打ち上げの場所は当然、居酒屋ではなく、ファミレスのようなお店である。
おそくまで打ち上げが行われたあと、私は、同じパートの後輩たちを引きつれて、ラーメンを食べに行くことにした。打ち上げの締めにラーメンなんて、いまと変わらない、オッサンのような発想だが。
するとミヤモトさんが、違うパートに属しているにもかかわらず、「私も連れていってください」という。
そこで、わがパートの後輩数人に加え、ミヤモトさんをも一緒にラーメンを食べに行くことになった。
別にそこで何かを話した、というわけではない。ミヤモトさんは、たんにラーメンを食べたかっただけなのだろう。でも、ほかの男子生徒連中がこのことを知ったらうらやましがるだろうなと、少し誇らしく思った。
ま、これはこれでいかにも高2の男子が陥りそうな勘違いなのだが。
さて、そのミヤモトさんは、高2になってから、お父さんの仕事の関係で、福岡に引っ越すことになった。
ミヤモトさんが吹奏楽部にいたのは、わずか1年間。同期の男子生徒たちは、わずか1年間の夢を見たのであった。
それからというもの、私たちはすでに高校3年になって受験勉強が忙しくなり、ミヤモトさんのことなど、次第に忘れていった。
ところが、その後、驚愕の事実を聞くことになる。
同期のマイケル(マイケル・ジャクソンに雰囲気が似ていたので、こう呼ばれていた)が、なんとミヤモトさんに会うために、夜行列車に乗って福岡まで行った、というのである。
わが仲間の中で、いちばん硬派でシャイ、といわれていたあのマイケルが、よりによって、同期の連中のなかでいちばん大胆な行動に出たのである!
ミヤモトさんは、ひとりの硬派でシャイな高校3年生を、そこまで変えてしまったのか!まさに「魔性の女」である。
高校卒業後、みんなが大学に入学すると、同期の男子連中が吉祥寺の居酒屋に集まって飲むことになった。
そのとき、ミヤモトさんの話題が出た。
「あのときのマイケルの行動には、びっくりしたよなあ」
「まさか夜行列車で会いに行くとはなあ」
「…おい…」思いつめたように、Sが口を開いた。
「ミヤモトさんに、電話してみないか」
「電話…って、いま、福岡だぞ」
「大丈夫。俺、電話番号、知ってるんだ」
まったく高校の時と変わらないではないか。私は呆れて、勝手にやれ、という感じだった。
店を出た連中は、電話ボックスを見つけると、例によってすし詰めのように何人も入り、言い出しっぺのSが電話をかけ始めた。
呆れた私は、外で待っていた。
なにやらみんなで会話をしていたが、どんな会話をしたのかは、よくわからない。
その後も、大学時代を通じて、年に1度か2度、吉祥寺の居酒屋に集まって飲んだが、次第に、ミヤモトさんの話題はしなくなっていった。
さて、卒業後の進路が決まった大学4年のとき、みんなで集まろう、ということになった。例によって、吉祥寺の居酒屋である。
そこでまた、衝撃的な事実を聞く。
またしてもSである。
「お前ら、ミヤモトさん、いま何やってるか知ってるか?」
またミヤモトさんの話かよ!
Sが続ける。
「俺、この前テレビ見て、ビックリした。お前ら、○○、ていう深夜番組、知ってるだろ?」
「知ってる。だって俺、その番組、出たことあるもん」私が言った。その番組は、私がかつて出演したことのある、深夜の生放送番組だった。
「たまたまその番組見てたらさあ、…ちょうどその時、『めざせ青年実業家!大学生対抗、ビジネス新企画プレゼン大会』みたいなことやってたのよ」
いかにもバブル期にふさわしいような企画である。
「あ、それ、俺も見た!」今度はAが、その話に乗ってきた。SとAは、顔を見合わせた。
「そこに○○大の3年生のヤツが出ていて、そいつがまあ、軽薄な感じのヤツだったんだが…」
みんなが固唾をのんでSの話を聞き始めた。
「そいつの傍らに、そいつの『彼女』ってことで、ミヤモトさんが出ていたんだよ!」
「そうそう、出てたんだ!」Aが合いの手を入れる。
「ちょっと待って!ミヤモトさん、東京に戻ってたの?」誰かが聞いた。
「そうなんだよ。東京の大学にいたんだよ」
Sは続ける。
「で、ここからが重要なんだが、…ミヤモトさん、高校時代の面影なんて、全然なかったぞ!」
「そうそう、俺もビックリした」Aがまた合いの手を入れた。
「すっかり変わり果てていたんだ」
一同が沈黙する。
「それ、本当にミヤモトさんだったのか?」私が半信半疑に聞くと、
「間違いない。同姓同名だったし、年齢も同じだし…。あとで調べてみると、ミヤモトさん、たしかにその大学に入学していたんだ」とS。
Sだけでなく、Aまでもが、ミヤモトさんの変貌ぶりを強調していたので、Sの思い込み、ということではないのだろう。
あんなにかわいかったミヤモトさんが、なぜ変貌してしまったのか?久しぶりに「ミヤモトさんサミット」がはじまった。
「きっと、その軽薄な大学生とつきあうようになって、ケバくなっちゃったに違いない」
「そうだそうだ!」「あんな男とつきあうからだ!」
あいかわらず、どうでもいい会話が続いた。
いずれにしても、これでようやく、連中は「ミヤモトさん幻想」の呪縛から解放されたのだ。
それからというもの、「ミヤモトさんサミット」も、開かれることはなくなった。
それよりなにより、その連中で集まって飲む、といったことも、行われなくなった。
いまはみな、いいオッサンになっている。
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