弥生ちゃん
マツコ・デラックスを見るたびに思い出す。
弥生ちゃんのことを…。
弥生ちゃんは、私の高校時代の、女性の体育の先生である。フルネームは知らない。私たち生徒はみんな、弥生ちゃん、と呼んでいた。
当時、都立高校には教員の人事異動の制度がなく、その高校にいたければ、何年でもいられたのだという。おそらく弥生ちゃんは、もう何十年も、この高校にいたのだと思う。
一説によれば、大学を卒業してすぐ、この高校の体育教師となり、以来ずっと、この高校にいるのだという。
そしていつの頃からか、弥生ちゃん、と呼ばれるようになった。私たちも、先輩たちがそう呼んでいるのにならって、弥生ちゃん、と呼んでいた。
弥生ちゃんは、体育の先生である。それも、「創作ダンス」の授業を担当していた。
私が高校生の頃、女子生徒には「創作ダンス」の授業があった。男子生徒にはそんな授業はなく、「柔道」の授業があった。だから、私たち男子生徒は、弥生ちゃんの授業を受けたことはない。ただ、女子生徒はもれなく、弥生ちゃんの授業を受けていた。
弥生ちゃんは、すがたかたちが、いまのマツコ・デラックスにうり二つである。もっとも、当時はマツコ・デラックスなんていなかったから、スターウォーズのジャバ・ザ・ハットにたとえてみたり、あるいは、髪の毛をなぜか金髪に染めていたから、当時流行していた大柄の女子プロレスラーにもたとえてみたりした。
だから、たとえ授業を受けていなくとも、とても目立っていたのである。
それだけではない。弥生ちゃんは、とてもこわい先生だった。
たとえば、学校の廊下を走ったりしているのを見ると、
「ちょっと!あんたたちぃ!廊下を走るのをやめなさい!」
と、すごい形相で怒鳴る。その怒鳴り声は、校舎の1階から3階まで響き渡った。
その声を聞いた私たちは、「おお、こええ。またはじまった」と顔を見合わせた。
「ちょっと!あんたたちぃ!」
これが、弥生ちゃんの口癖だった。というか、男子生徒たちは、この怒鳴り声しか聞いたことがない。
男子生徒たちには、不思議だった。
いったい、あのジャバ・ザ・ハットみたいな体型で、どうやって「創作ダンス」を教えているのだろう?と。
とても、ダンスをやるような体型ではなかったのである。
といって、恥ずかしくて女子生徒に聞くこともできない。
そこで、こんな都市伝説が生まれた。
弥生ちゃんは、もともとは、とても痩せていて、ダンスの上手な美人だった。ところが、あるとき、好きだった男性にフラれたことがきっかけで、急に体型が変化し、いまのような体型になってしまったのだ、と。
こんな噂がまことしやかにささやかれた。だが、その真相を確かめた者はいない。
「ちょっと!あんたたちぃ!」
いったい何人の生徒たちが、怒鳴られたことだろう。私も一度、すごい形相で怒鳴られた覚えがある。うっかり、廊下を走っているとき、弥生ちゃんに出くわしてしまったからだ。
さて、私が高校2年のときだったか、3年のときだったか、記憶が定かではない。
弥生ちゃんが、定年退職で、高校を去ることになった。
「もうそんな年齢だったのか…」私たちは意外だった。なにしろ、「ちょっと!あんたたちぃ!」の声が、ビックリするくらい元気だったからである。
3学期の修了式の最後に、司会の先生が言った。
「今年度で退職する先生に、最後のご挨拶をいただきます」
定年退職する先生たちが、体育館の壇上に上がって、生徒からひとりひとり花束を受け取り、全校生徒の前で、最後のあいさつをされた。
そして最後に、弥生ちゃんのあいさつ。
しばらく沈黙が続いたあと、弥生ちゃんは突然、その場で泣き崩れた。
花束を持ったまま、わんわん泣きはじめたのである。
それはふだんの怒った顔ではない。子どものようにくっしゃくしゃになった泣き顔である。
それを見ていた女子生徒たちも、泣きはじめた。
いや、たぶん、その場にいた人たち全員が泣いたのではないかと思う。
弥生ちゃんの最後のあいさつは、言葉にならないまま、終わった。
私には、弥生ちゃんが、まるでなにかから解放されたようにみえた。
修了式が終わり、弥生ちゃんが壇上から下りると、女子生徒たちがさけんだ。
「弥生ちゃーん!」
すると、弥生ちゃんの顔から、これまで見たことのないような笑みがこぼれた。
ほどなくして、弥生ちゃんのまわりに、たくさんの女子生徒たちが群がって、楽しそうにおしゃべりをはじめた。
弥生ちゃんも、とても楽しそうにおしゃべりしていた。
その後、私は弥生ちゃんにお目にかかることはなかった。
いまから、25年も前の話である。
マツコ・デラックスを見るたびに思い出す。
弥生ちゃんのことを…。
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