コメント王
12月13日(月)
先週、韓国語による語学院日記が完結した!
昨年8月から、韓国語のサイトで韓国語日記をつけはじめたのだが、韓国語の勉強が一段落した昨年11月からは、「このブログで書いてきた、1級1班から4級3班までの語学院日記を、すべて韓国語に翻訳しよう」という壮大な計画を思いたち、まるで写経をするがごとく、このブログで書いてきた「韓国留学日記」を、ひとつひとつ翻訳してきた。
約1年かかり、ようやくそれが完結したのである。
これまで韓国語で書いてきた日記は、350篇以上にのぼる。もっとも、その中には、現在の出来事を書いた日記なども含まれている。現在や過去を行ったり来たりする日記を書いていたのである。
何度も、やめてしまおうと思ったが、続ける原動力となったのが、語学院の先生からいただくコメントだった。日記には、ブログと同様、コメントを書く欄がある。
とくに、3級の時のナム先生には、数えきれないほどのコメントをいただいた。
ナム先生は、月に2,3度、日記をまとめ読みしてくれて、各日記にできるだけコメントをつけてくれるのである。
「まるで小説を読んでいるようです」(「マ・クン君からの手紙」)
「『缶コーヒーの実弾』って、おもしろい表現ですね。どうしてこんな表現が思い浮かぶんです?」(「缶コーヒーの連鎖」)
「ハハハ、大福もちを食べて『禁断の味』だなんて!なんとおもしろい日記でしょう」(「ニセのあんパン」)
「うわー、本当に本当に本当に本当に本当に本当にすごいです!!!これを読みながら、驚いて笑っちゃいました」(「名前が覚えられない! 」)
「このとき、番組を見ながらノートに一生懸命メモしていらっしゃいましたね」(「雨の日は、ビデオ鑑賞」)
「まさか、そんなことがあったなんて…。でもチャン・チンをあたたかく見てやってください」(「あなたならどうする? 」で、チャン・チンさんが私を53歳だと思っていたことに対して)
「映画の一場面みたいですね」(「傘がない」)
「ハハハ、リュ・ジュインティンの話がとっても笑わせますね」(「3級6班の人びと」)→「リュ・ジュインティンさんは、遠い国のお姫様みたいな雰囲気の人でしたね。他の人と感性が違っていて(つまり、天然、という意味)」(私の返答コメント)→「遠い国のお姫様…ピッタリの表現です!」(ナム先生の返答コメント)
「最後の一文がとってもいいですね。私の心も温まるようです」(「あったまる」)
「まさか、私の頭に浮かんだ、あの学生ですか…?」(「カンニングはダメよ」)
「『ワン・ウィンチョ君と顔を見合わせた』というところが、すべてを物語ってますね。まさに『ああ、料理教室!』です」(「ああ、料理教室!」)
「私もワン・ウィンチョ君のことは残念だったなあと思います。あんなに一生懸命韓国語を勉強したのに、期末試験を受けないで…。説得を試みたのですが、ダメでした。いまは、そこで一生懸命頑張っていると信じるしかないですね」(「留学生模様」)
「私もこの問いにすぐには答えられないですね。多くの悩みを投げかけてくれる文章です」(「幸せってなんだっけ?」)
「私、本当にこの広告が画期的だと思いました。いま3級の副教材には、この『モリエ ポム(頭の春)』の広告が例文として載っているんですよ。いま見ても相変わらず面白い!」(「テレビ通販番組を作ろう」)
「ル・タオ君は4級の時も私のクラスでした。あんなに気をもんで進級したのに、4級の授業にはほとんど来なかったんですよ。たぶん大学入学が決まったからでしょう」(「試験狂騒曲」)→「本当に、あの時の心配はなんだったんでしょうね」(私の返答コメント)
「とうとう3級6班日記が終わってしまったんですね。キョスニムのおかげで、大切な思い出がよみがえりました。本当にありがとうございました」(「期末考査(3級) 」)
「記憶の引きだしが開く」という表現がとてもいいですね」(「思い出の引きだし」)
これらは、コメントのごく一部。
(めんどくさいからやめちゃおうかな)と思った矢先に、決まって、ちょうどいいタイミングでナム先生からコメントが入る。だから、やめるにやめられなくなってしまったのである。
ナム先生に次いでコメントをいただいたのが、2級の時の「大柄の先生」ことクォン先生。ごく一部を紹介する。
「本当はあの時、私もお腹が空いていたのです。でもチャン・イチャウのためを思って私が犠牲になったのです」(「ニセのあんパン」)
「韓国語の先生もすごいかもしれないけれど、韓国語の先生たちを読者にしているキョスニムもすごいと思いますよ。大変だったらゆっくりと進めてくださいね」(「先生も、大変なのだ」)
「とても面白い(?)料理教室だったでしょう。猛暑の中で礼儀作法を習ったことはいまでも忘れません」(「ああ、料理教室!」)
「ときどきワン・ウィンチョ君のようなケースがあって残念ですね。でも、どんな場であっても、そこで一生懸命勉強して、素敵な人間になってくれるだろうと思うことにしています」(「留学生模様」)
「結婚の条件、2つめと3つめなら自信があります!」(「結婚の条件」)
クォン先生は、コメントに「食いしん坊キャラ」がときどき出る。あと、その日の大邱の天気を教えてくれたり、「身体に気をつけてくださいね」と、身体を気づかってくれるコメントも多かった。
最後は、4級の時のキム先生(「よくモノをなくす先生」)。最近、赤ちゃんを出産したため、そちらにかかりきりになり、ほとんど読んでいないようだ。おそらくそれどころではないのだろう。これまた、ごく一部を紹介する。
「私が犯人かもしれません」(「私のあだ名は「キョスニム」」キョスニム(私)を表現するのに、お腹が出ているというポーズをする先生がいる、ということに対して)
「ときどきお腹の中赤ちゃんがいることを忘れて飛び跳ねたりしています」(「よくモノをなくす先生」)
「プハハハ!最近の私の生活の中で一番笑った話です」(「アイスアメリカーノ・妄想篇」)
私の韓国語日記は、いちおう、韓国人の先生たちに伝わっていたようだ。
ふだん語学院で、読むと頭がクラクラするような中国人留学生たちの作文をたくさん読まなければならないのに、この上、義務でもなんでもない、外国人(つまり私)の長いだけのおぼつかない文章を読んで、励ましのコメントを定期的にくれるのは、ありがたい。
人間、ちょっとした励ましが大きな原動力となるのだということを、あらためて思い知らされる。
さて、これからの韓国語日記は、どうしようか。
4級3班の最後の日のことを書いた日記(「さよなら4級3班!さよなら語学院!」)のコメント欄に、まず2人の先生がコメントを寄せてくれた。
「ついに語学院日記が終わりましたね。この間、本当に面白く読ませてもらいました。あとはこれを本にして出版する仕事が残ってますね」(ナム先生)
「もう、このオモシロ日記の連載が終わってしまうのですね。単行本として刊行されるのを首を長くして待ちます」(キム先生)
そこには、「もうこのあきれるほど長くて、韓国語のおぼつかない日記を読まなくて済むのだ!」という解放感というか、安堵感、といったものが感じられた。
語学院日記がひとまず終わってホッとしているのは、書き手の方ではなく、読者の方だったのかもしれない。
私が、「まだ後日談(裏話)が残ってますけど…」と、返答のコメントを書くと、
「後日談、た、楽しみにしています。寒いので風邪に気をつけてください」(クォン先生)
「わ、私も裏話を期待しています…」(ナム先生)
やっと終わってホッとしているのに、この上、まだ読ませるのかよ!
…と思っていらっしゃるんじゃなかろうか、と、例によってまた被害妄想が広がったのであった。
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