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2011年1月

珍客

1月28日(金)

この冬、2度目の転倒である。家の前の道路で、もんどり打って尻もちをついた。前回よりも激しい転び方だ。私がみたところ、今日はこの冬いちばんのツルツル路面である。おかげで尻が痛くてしょうがない。

ま、そんなことはともかく。

あまりに研究室が散らかっているので、少し片づけようとするが、なかなかテンションが上がらない。尻が痛いのも、テンションを下げる原因のひとつである。

それに加えて、今日はなぜか研究室に来客が多い。

ま、こんな汚ったねえ部屋に来てくれるだけでもありがたいのだが、またそれを理由に、片づけがいっこうに進まない。

来客の中でもとりわけ不思議だったのは、私の指導学生である3年生のTさんである。いや、Tさんじたいが不思議だった、というのではない。その来室目的が、どうにも不思議だったのである。

「あのう…、ひとつたのみたいことがあるんですけど」と、Tさんがおそるおそる言った。

てっきり、就職活動の相談かなにかだと思った。「何でしょう?」

「1枚、写真を撮らせてもらってもいいでしょうか」

「写真?」

「じつは、私のやっているお笑いサークルで、今度追いコンがあるんです。そのときに、卒業する4年生の先輩にその写真をプレゼントしようと思うんです」

Tさんがお笑いサークルの部長だということは、すでに大学祭の時に聞いて知っていた

「私の写真を?お笑いサークルの4年生に?」

「ええ」

「だって、その4年生たち、私のことなんて、知らないんでしょう?」

「そうです。だからいいんです」

わけがわからない。どういうことだ?

「…ダメでしょうか?」とTさん。

「いや、かまわないよ」私はあっさりとOKした。

「え?ホントですか?じゃあ、いまここでお願いします」

「ええ!?ここで?」

研究室の扉ごしに廊下をみると、Tさんのほかに2人の学生が立っていた。2人とも、面識のない学生である。お笑いサークルの仲間なのだろう。

研究室が狭いので、廊下に出て撮影することになった。

「彼と並んでいるところを撮ります」とTさん。

「ええ!?」

面識のない2人の学生のうちの、1人が女子学生、1人が男子学生だったのだが、そのうちの男子学生と並んで写真を撮る、というのである。

ますます不可解である。どうして、面識のない学生と私が並んで写真に写らなければならないんだ?

「じゃ、並んでくださーい。笑ってくださーい。10秒で済みますから。はい、チーズ」

カシャッ!

面識のない学生のうちのもう1人が、デジカメで写真を撮った。どうやら写真係らしい。

「ハイ、よく撮れてますよー」と、写真係の女子学生がデジカメの画面を私に見せた。「あとでプリントアウトしてお渡ししましょうか?」

「いらないよ!」

何で見知らぬ学生と写っている写真をもらわなきゃならないんだ?

「どうしてこんな写真を4年生にあげるの?」

「ふつうの写真じゃつまらないと思って、どういう写真だったら面白いかを考えたんです。そしたら、知らないオジサンが写っている写真だったらシュールで面白いんじゃないかと…」とTさん。

オジサン、て…。

「この写真を先輩たちに渡したときに、『誰だよ、このオジサン!』とツッコまれるのを期待しているんです。いわゆるお笑いの専門用語でいう『ツッコミ待ち』ってやつです」私と一緒に写真に写った男子学生が、得意げに語った。

だからオジサン、て…。

「まさか先生にこんなにあっさりとOKしていただけるとは思いませんでした。おかげで4年生にウケること間違いなしです!ありがとうございました」

3人は満足そうな顔である。

うーむ。本当にウケるのだろうか?

もしウケなかったら、単なる「キモいオジサン」で終わってしまうんじゃなかろうか。

それにしても最近のお笑いは、シュールすぎてよくわからない。

私は痛い右尻を手でさすりつつ、笑いながら去ってゆく3人の後ろ姿を見つめながら、しばし茫然と廊下に立ちつくしていた。私の頭の上には大きな「?」マークが出ていたことだろう。

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逆算して朝9時出発

1月26日(水)

このところサボっていたスポーツクラブを、少しずつ再開することにした。

理由は、義理の妹の夫がスポーツクラブに通い出した、と聞いたからである。

義理の妹の夫は、あたりさわりのない言葉でいえば「インドア派」で、スポーツクラブに行くようなタイプではない。休みの日には家にいるのが好きで、外出するといえば、競馬か、野球か、寄席くらいだろう。

先週の土曜日の夕方も、妻の実家でみんなで焼き肉をする、というのに、来なかった。

「今日、課長はどうしたの?」と聞くと、

「二日酔いで来られんそうです。いまは家で袋ラーメンを食べとります」と義理の妹。

「課長」とは、義理の妹の夫のあだ名である。なぜか大学時代から「課長」と呼ばれている。まだ30代前半で平社員なのに「課長」と呼ばれているのだ。それはむかしから「課長顔」だからだ、と義理の妹はいうのだが、私にはそうはみえない。

それにしても二日酔いって…。もう夕方だぞ。引きこもる口実なのかもしれないな。

もともと胃があまり強くない人でもあるようだ。

韓国滞在中、義理の妹夫婦がソウルに遊びに来たとき、カムジャタン(ジャガイモがはいった辛い鍋料理)をごちそうしたが、どうも辛いのが大の苦手だったらしく、立場のいちばん弱かった彼はそのことを言えず、我慢して食べていた。それ以来、カムジャタンの鍋で溺れる夢を見るのだという。

あたりさわりのない言葉でいえば、いま流行の「草食系男子」といったところか。あるいは「小動物のような繊細な感性の持ち主」というべきか。

そんな彼が、スポーツクラブに通い出した、というのだから、不思議に思ったのである。

「どうしてスポーツクラブに通い出したの?」

と聞くと、

「最近、太りだしたことを気にしとるからです」と、義理の妹が答えた。

私よりだいぶ小柄な印象だったんだがな。

スポーツクラブに行ったからって、痩せるとは限らないよ、と言いたかったが、黙っておいた。だいたい、痩せようと思ってスポーツクラブに行く、なんてさもしい考えをしていると、私みたいにちっとも痩せないぞ。私はある時期から、「スポーツクラブは痩せるために行くんじゃない。生きるために行くんだ」と思い直すことにして、マイペースで続けることにしたのである。

まあ、そんなことはよい。

「で、明日は朝9時からスポーツクラブに行くぞ、と息巻いとるんです。だから私も、朝9時に一緒に行かにゃならんのです」と義理の妹。

ビックリである。引き…、いや、「インドア派」の彼が、日曜の朝9時からスポーツクラブに行くとは、これまたどういうことだろう。

「朝9時とはずいぶん早いね。どうしてまたそんな早くに?」

「『サンデージャポン』を見るためだそうです」

どういうことだ?

「エアロバイクの目の前に、テレビがついているでしょう。あれで、『サンデージャポン』を見るんだそうです」

なるほど。

朝10時に始まるその番組をエアロバイクをこぎながら見るためには、その前に着替えもしなければならないし、ストレッチもしなければならない。そうやって逆算していくと、「朝9時に家を出発」という結論になるわけか。

そんなにまでして観る番組か??とも思うのだが、課長にとってみたら、毎週楽しみに観ているな番組なのだから、こっちがとやかくいう筋合いのものではない。

それにしても、完全に「サンデージャポン」のせいで日曜日ががんじがらめになっとるやんけ!!「サンデージャポン」を中心に日曜日が動いている、といってもよい。

「インドア派」の人は、どこへ行っても「インドア派」なんだな、と実感。というより、スポーツクラブって、「インドア派」にやさしい空間なのね。

スポーツクラブもいいが、外へ出て運動したほうがいいのかもしれない、と思いなおす。

だがかくいう私も、そんな時間も同好の士もいないので、しばらくはスポーツクラブで身体を動かすしかない。

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今日も私が我慢する

よし、今日はひとつ、誰にもワカラナイ話を書いてやろう。

1 私は、韓国でだいぶ前に人気を博した「順風産婦人科」というシットコムが大好きである。その中でもとりわけ、長女(パク・ミソン)の婿を演じたパク・ヨンギュという俳優が可笑しかった。

ケチで、ずるくて、プライドが高くて、小心者。そしていつも災難に巻きこまれる。こういう役をやらせると、パク・ヨンギュの右に出るものはいない。災難に巻きこまれたときの表情が、たまらなくいいのだ。

その後、彼はプライベートで悲しい出来事があり、一時期芸能活動を休んでいたが、昨年あたりから復帰して、コメディ映画に出演した。それが、私が韓国滞在中に公開されていた映画「ガソリンスタンド襲撃事件2(邦題:アタック・ザ・ガスステーション2)」である。この映画については、以前にも書いた

20091215211_202_0_614b2747823c12a3_ この映画の中でパク・ヨンギュは、襲撃されるガソリンスタンドの社長の役を演じている。尊大でケチな社長は、ガソリンスタンドの襲撃という、とんでもない事件に巻きこまれ、狼狽するのだ。パク・ヨンギュの当たり役といってもよい。

そして最後に大団円を迎えるのであるが、最後のエンドクレジットに流れる曲が、パク・ヨンギュ自らが歌う、「今日も私が我慢する2010」という歌である。

曲調は、日本でいう演歌のようなものなのだが、私はこの曲が好きで、映画を観たあとに、さっそくOST(サントラ)を買った。いまも、元気が出ないときにこの曲を聴いて、元気を出したりしている。

とくにサビの部分、

「腹が立っても我慢しなきゃ

悲しくたって我慢しなきゃ

そうやって生きるのが人生じゃないか

今日も私が我慢する」

これを、パク・ヨンギュが朗々と歌いあげているのが大好きで、この部分を聞くだけで、悩んでいることがバカバカしくなる。

この歌は、ガソリンスタンドの社長を演じたパク・ヨンギュが、その役になりきって歌っているようにも聞こえる。ガソリンスタンドで起こるさまざまな災難に対して、社長が「腹が立っても我慢しなきゃ、悲しくたって我慢しなきゃ、そうやって生きるのが人生じゃないか。だから今日も俺が我慢するんだ」と、自分に言い聞かせているように聞こえて、それがまた、そこはかとなく可笑しいのだ。

282cc8c9_2 コメディ映画のエンディングに、役になりきった人が「独白」のような歌を朗々と歌いあげる、ということで思い出すのは、三谷幸喜監督の映画「ラヂオの時間」である。

この映画のエンディングでは、布施明演じるラジオ局のプロデューサーが、映画の中で登場するわがまま女優の「千本のっこ」(戸田恵子)への思いを綴った「No problm」という歌を、朗々と歌いあげている。

「もしも世界が終わるとしても

気にはしない

なぜってそのわけは

千本のっこが

あのあばずれが

僕を見つめて

歌口ずさんでいる

それだけで僕は満足さ」

これを、日本でいちばん歌が上手い(と私が思っている)布施明が朗々と歌いあげているんだから可笑しい。パク・ヨンギュの「今日も私が我慢する2010」も、これと同じパターンだ、といってよい。

ところで、コメディ映画で、役になりきった人物が、そのエンディングに「独白」のような歌を朗々と歌いあげる、というパターンは、アメリカのコメディ映画あたりに、元ネタがあるのだろうか?それとも、たまたま「ラヂオの時間」と「ガソリンスタンド襲撃事件2」が似ているだけにすぎない、ということなのか?これはコメディ映画史において、検討すべき重要なテーマである。

どうだい。ここまでの話についてこられる人は、全くいないだろう。

さて、ここまで書いてきて、「今日も私が我慢する2010」が、全体としてどんな歌詞なのかが気になった。なにしろ私は、サビの部分しかちゃんと聞き取れていないからだ。

そこで、歌詞を日本語に訳してみることにする。

「歳月の荒波の中に飼いならされた私の人生

腹が立っても我慢する

悲しくったって我慢する

人生はそういうもんだろう

卑怯だとあざ笑うな 非情だと罵るな

私にも一時(いっとき)は勇敢な時代があったのだ

荒れたけもの道を走る一匹のヒョウのように

町中を走った恐れ知らずの私の青春

いくらとりもどそうとしても歳月は流れていき

いつのまにか現実に覆われてしまう青春の記憶

腹が立っても我慢しなきゃ

悲しくったって我慢しなきゃ

そうやって生きるのが人生じゃないか

今日も私が我慢する

火に飛び込む一匹の恐れ知らずの蛾のように

若さを燃やした恐れ知らずの私の青春

いくらとりもどそうとしても歳月は流れていき

いつのまにか現実に覆われてしまう青春の記憶

腹が立っても我慢しなきゃ

悲しくったって我慢しなきゃ

そうやって生きるのが人生じゃないか

今日も私が我慢する」

なるほど。こういう歌だったのか。

〔付記〕この歌、「今日も私が我慢する2010」とあるように、本来の「今日も私が我慢する」という歌の歌詞を、この映画向きに変えているようだ。もとの歌詞を知っている人にとっては、なおさら面白いのだろう。映画のシーンを思い浮かべながら歌詞を追うとさらに可笑しい。

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本人歌唱

ベスト盤で思い出した。

韓国滞在中、K-POPの知識を手っ取り早くとりいれようとして、いろいろな歌手のヒット曲が1枚のCDに入っている、という安物のベスト盤を、よく買った。

ベスト盤、というとややこしいから、「寄せ集め盤」と呼ぶことにしよう。

するとまた妻に呆れられた。自分の好きな歌手のCDを買うのならともかく、どうして雑多な歌を寄せ集めたようなCDを買うのかがわからない、と。

バカにされながらも、せっせと買い集めた。

そういうCDは、おもに、Eマートやホームプラスと行った、日本でいうところのジャスコにあたるような、郊外型の大型店で売っているのである。

ところがしばらくしてから、あることに気がついた。

入っている曲じたいはどれも有名なものばかりなのだが、歌っている歌手が、本人ではないようなのである!

それがわかったのは、妻が持っている、ある歌手のCDに入っている曲と、私が買った「寄せ集め盤」に入っている同じ曲を聞きくらべたときである。

いままで本人が歌っているとばかり思い込んでいたが、全然違う歌手ではないか!私はかなりショックを受けた。

そういえば、子どものころに同じようなことがあったな。

30年以上も前の話。まだCDなんてなかったころ、お祭りの縁日で、よく歌謡曲のカセットテープが売られていた。

あるとき、父が「藤圭子歌謡全集」というカセットテープを縁日で買ってきた。

藤圭子などといっても、いまの若者にはわからないだろうな。宇多田ヒカルのお母さんである。

ところが、そのカセットを聴いて驚いた。

藤圭子でも何でもない、低い声のオッサンが歌っているではないか!

いわゆる、「パチもん」といわれるテープである。そういえばむかしのテープには、そういうパチもんと区別する意味で、正真正銘、本人が歌っているテープには「本人歌唱」などと書いてあった。いまでも稀に、CDのラベルにわざわざ「本人歌唱」と書いてあるものがある。

つまり、昔はそれだけパチもんのテープがよく売られていたのだ。父は、「安いから」という理由で、懲りずにそんなテープをよく買ってきていた。

そして私も、あのころの父と同じように、韓国でパチもんのCDをせっせと買っていたのだ!血は争えないとはこのことだ。

それを知った妻は、さらに呆れた。「K-POPの知識を手っ取り早く手に入れようなんてさもしいことを考えるから、そんなことになるのよ」

これには一言もない。

しかし、パチもんのCDを聞いていて不思議に思うことがある。

どれも、メチャクチャ歌が上手いのだ!

イ・スンチョルの「ソリチョ」を歌っているパチもんの歌手なんて、イ・スンチョルなみに歌が上手いもんね。

いったいこれはどういうことだろう?

そんなに歌が上手いんなら、パチもんの歌手になんかにならずに、オリジナルの曲を出せばよいのに。

パチもんの歌謡曲業界。意外と奥が深い世界かも知れない。

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ブーム交代

以前にテレビドラマ化された「白夜行」を見た。

主役の男女を演じた俳優たちも、その幼少時代を演じた子役たちもよかったのだが、刑事役を演じた俳優の演技が過剰で、しかも大阪弁が珍奇だったのが残念だった。あれは完全にミスキャストだな。

そしてエンディングの歌がとてもよい。みると、柴咲コウの「影」という歌である。

一緒に見ていた妻に言った。

「柴咲コウ、いいよね」

「いいでしょう」と妻。

「相当いいよね」

「相当いいでしょう」

私も妻も、柴咲コウのファンでも何でもない。むしろ、2人とも「柴咲コウを認めると負け」みたいな感覚の方が強い。

だが、歌は相当いいのだ。悔しいが、それは認めざるを得ない。

さっそく、CDのリサイクルショップで、柴咲コウのベスト盤を買い、iPodに入れて聞いている。

中川翔子ブームはすでに遠い彼方へと去り、いまは柴咲コウブームである。

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東京災難

1月22日(土)

午前中、東京の大学で研究会に参加する。韓国滞在中にお世話になった3人の先生が来日して研究発表なさるという。そのうちのおひとりが、私が大変お世話になった「鼻うがいの先生」である。

久しぶりに再会したのは嬉しかったのだが、その研究会は、とある研究プロジェクトが主催するこじんまりとした研究会で、行ってみると、場違いなことはなはだしい。

それに、残念なことに、韓国語から日本語への通訳が、かなりむちゃくちゃで、せっかくの発表内容が伝わったのか、人ごとながら心配になってきた。そもそも専門分野に関する通訳は、その専門分野についてあるていど通じていないと不可能で、語学が堪能であればよい、というわけでは決してない。どうしてもっとちゃんとした通訳を用意しなかったのだろう。以前にも書いたように、通訳の善し悪しは、その研究分野の「本気度のバロメーター」である、といっても過言ではないのである。などと、えらそうに言う私のことは棚に上げての感想。

アウェイな研究会でいたたまれなくなったあげく、残念な通訳にすっかりやられてしまい、午前中の先生方の発表だけ聞いて、「こんどまた、ソウルでお目にかかります」と、簡単なご挨拶だけして帰ってきてしまった。再会できただけでも、よしとしよう。

1月23日(日)

午後、用事を済ませて勤務地に戻ることにする。だが、あの寒々とした勤務地に戻る前に、1つ仕事を片づけようと思い、新幹線に乗る時間を少し遅らせることにして、駅の近くの喫茶店で仕事をすることにした。

ところが、行く店行く店、どこも満席である。

(困ったなあ)

仕方なく、中央線に乗り、1つ隣の駅でおりて、ふたたび喫茶店を探すことにした。

何軒かまわったあげく、ようやく、1席だけ空いている喫茶店を発見。東京は、喫茶店不足なのか?それとも日曜日だから混んでいるだけのか?

1時間半ほど仕事をし、新幹線の時間が近づいてきたので、中央線に乗って東京駅に向かう。

ところが、途中で中央線がストップした。ある駅で人身事故が起きたという。

人身事故の影響で中央線のダイヤが乱れるというのはよく聞く話だが、本当に、スナック感覚でダイヤが乱れるのだな。それに対して、みんなが慣れてしまっているところが、ちょっと空恐ろしい。

そのせいで、予定の新幹線よりも1本あとの新幹線に乗る羽目になった。

勤務地に到着し、家に帰る前に、途中になった仕事を終わらせようと、駅ビルの喫茶店に入ると、ガラガラである。

なあんだ。こんなことなら、早めに東京を出てここで仕事をすればよかった。

まったく、東京は生きにくい。

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いまさらワクチン

いまさら「ヨン様」に続く、「いまさら」シリーズ第2弾。

1月19日(水)

私は病院に行くのが嫌いである。

そのいちばんの理由は、病院に行って、医者の先生に「何でこんなになるまで放っておいたんですか!」とか、「もっと早く来なきゃダメじゃないですか!」と言われるのが、イヤだからである。

しかし、イヤとばかりは言っていられない。

私のまわりの学生が、軒並みインフルエンザにかかっているのである。

今朝、「インフルエンザにかかったので今日の授業を休みます」と、学生からメールが来た。

学生たちだけではない。同僚の息子さんがインフルエンザにかかった、という話を聞いたり、はては私と同い年の元同僚が予防接種を受けなかったばっかりに39度の高熱を出して寝込んだ、という情報まで飛び出し、さながら私の周りはインフルエンザの患者であふれている。もっとも、「元同僚」は私の勤務地からはかなり離れたところにいるので実はあまり関係ない。だが、「同い年」がインフルエンザにかかった、という情報が、決め手となった。

急に不安にかられた私は、仕事の空き時間にインフルエンザの予防接種を受けに行くことにした。

かかりつけの整形外科に電話をする。

「いまからインフルエンザの予防接種、できるでしょうか?」と私。

「できますよ」

「あのう、…いまから予防接種を受けても手遅れでしょうか?」

「フフッ…そうですねえ。いままさに流行の兆しですからねえ。でもまあ、手遅れということはありませんよ」

電話の向こうで半笑いの顔が浮かぶ。

いまさらかよ!バカだなあ、と心の中で思っているんだろうな、と例によって被害妄想が広がる。

「抗体ができるまで3週間かかりますのでねえ。…でも、予防接種を受けておくにこしたことはありません」

「あのう…」私は続けた。

「何でしょう?」

「注射、痛くないでしょうか?」

「フフッ…」電話の向こうで鼻で笑われた。「そりゃあ少しは痛いでしょうが、大丈夫ですよ」と、私に諭すようにいう。

いい歳をしたオッサンが、こんな質問をしたのには、理由がある。

2日ほど前、叔母と話をしていたときに、たまたまインフルエンザ予防接種の話になった。叔母が先日予防接種を受けたときに、一緒に受けた叔父が、後々に至るまでかなり痛がったというのである。「ずいぶん痛がっていたのよ」

「痛がり」な私としては、その辺りが心配だったのだ。

だが背に腹は代えられない。急いで病院に行くことにした。

すると一瞬で注射が終わった。痛みもほとんどなかった。

「これだけですか?」と私。

「そうですよ。あとはふつうの生活をしてくださってけっこうです」

なんか拍子抜けした感じである。

「ただ、30分くらい様子を見て、異常が起こったら連絡してください」

「異常…ですか…?」また不安をあおられた。

「まあ、ないとは思いますけど。まれに風邪に似た症状になったりするんですよ」

「わかりました。じゃあ、30分くらい待合室で様子を見て、何かあったらすぐに連絡すればいいんですね?」と私が言うと、

「でも、ここは整形外科ですから、何かあったら内科の病院に行ってください」という。

どういうこっちゃ?

まあよくわからんが、何ごともなかったので、職場にもどった。

さて、なぜ私は、いまさら予防接種を受けようと思ったのか?

それは、「病は気から」ということを、半ば本気で信じているからである。

これも2日前、母と話していて思い出したのだが、私は中1の時、虫垂炎、いわゆる「盲腸」にかかって、手術をした。

あるとき、中1の保健体育の授業で、虫垂炎の話題になった。その時、ジャガー横田にそっくりの保健体育の先生がおっしゃった。

「盲腸(虫垂炎)にかかると大変よ。あれは、いつ急になるかわからないから、高校入試の直前にでもなってしまったら、取り返しがつかないわよ」

私はそれを聞いて、急に不安にかられた。

そしてその翌日、私は虫垂炎になって、2週間入院した。

韓国留学中も、似たようなことがあった。

あるとき、語学院の授業で、先生がおっしゃった。

「留学でいちばん大変なのは、お医者さんにかかることですよね。健康には十分注意してください」

その話題が出た翌日、原因不明の腹痛に襲われた。

つまり私は、必要以上に不安をあおられるとその病気になるのである。

私がこの期に及んであわててワクチンを接種しようとしたのは、そんな理由からなのである。

…たんに厄年をすぎたオッサンが、インフルエンザの予防接種を受けにいった、というだけの話なのだが。「どうでもいい話」の極致だな。文章にキレはないし。

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キョスニムとよばないで!御一行様

1月13日(木)

「卒業論文を提出したら、4年生のみんなで温泉に行きましょう」

昨年の末だったか、4年生のSさんが提案した。

学生どうしで行くのはかまわないが、私も一緒に行く理由がよくわからない。

学生にとって、教員なんてウザイもんだ、と相場が決まっているのだ。第一、せっかく、卒論が終わって羽根を伸ばそうというのに、教員なんぞがいたら、教員の悪口が言えないじゃないか。私だったら、絶対に教員なんか誘わないんだがな。

真意をはかりかねたが、まあいつものようにSさんの周到な計画に乗せられて、参加することになった。4年生10名と、私の、合計11名である。

午後5時。職場の玄関に集合すると、玄関の前に温泉旅館のバスが停まっていた。

しかも、職場と駅を結ぶシャトルバスの停留所のところにバスが停まっている。私たちは、シャトルバスを待って長蛇の列を作っている学生たちを横目に、旅館名がしっかりと書かれているそのバスに乗り込んだ。

職場にバスでお迎えなんて、なんと贅沢だろう。

バスに乗ること約40分。目的の温泉旅館に到着した。日本で5本、いや、3本の指に入るといわれる、超有名な旅館である。

玄関に到着して驚いた。

Photo 「キョスニムとよばないで! 新年会 ご一行様」

と歓迎の看板が出ているではないか!

やはりこれも、Sさんのさしがねであろう。予約したときに、旅館の人から「団体名は何でしょうか?」と聞かれはずである。

「キョスニムとよばないで!新年会、です」

「きょすにむ、…ですか?どんな字を書くんでしょう」

「キョスニムはカタカナです。あ、それと、『よばないで』のあとにびっくりマークをつけてください」

「キョスニムとよばないで、びっくりマーク、新年会、…御一行様ですね」

「はい」

「で、キョスニムはカタカナ、…と」

「そうです。それでお願いします」

たぶんこんなやりとりが行われたのだろうか、と妄想する。それにしても、旅館の人も、よく聞き間違えずに書き取ったものだ。

チェックインのあと、ひと風呂あび、午後7時から夕食である。

夕食会場に行って再び驚いた。

2 ここにも「キョスニムとよばないで!新年会 御一行様」と書いてあるではないか!

あまりに感動したので写真を撮っていると、その横を、別の団体のオッさんたちがひっきりなしに通りすぎる。

オッさんたちは、その看板をじっと見つめ、「キョスニムとよばないで」と、読みあげると、「何のことかサッパリわからん」と言い残して、次々と別の夕食会場へと向かってゆく。

たしかに、「キョスニムとよばないで!」では、何の団体か、サッパリわからないだろうな。

夕食がはじまり、いよいよ乾杯である。

「先生は、きっと乾杯の音頭をとるのが嫌だろうと思ったので、私たちのなかでくじ引きで決めました」とSさん。

さすがはSさん。私の性格を知りつくしている。くじ引きで決める、というアイディアも、公正な方法でとてもよい。

くじ引きで決まったNさんが、立ち上がって乾杯の挨拶をした。

美味しい夕食に舌鼓を打っていると、Sさんが、「ここで先生に、みんなから誕生日プレゼントです」といって、包装紙にくるまれた、長さ1メートルくらいのえらく細長い箱を持ってきた。

「何だと思いますか?」

はて、なんだろう。ネクタイにしては長すぎるし、重いな。ゴルフのクラブにしては短い。第一、私はゴルフなんてやらないし。

開けてみると、コウモリ傘だった。

「先生がいま一番必要なものだと思いますよ」とSさん。

たしかにその通りだ。先日の大雪の日に、えらく小さなビニール傘をさしていたのを、学生たちに見られた。傘があまりにも貧相だったのを覚えていたのだろう。

だいたい私には「傘運」というものがない。買ってもすぐ壊れたり、なくしたりするのだ。

だから、たしかにいま一番必要なものだった。ありがたく受け取る。

美味しい夕食を満喫したあと、部屋に戻って2次会である。

2次会の話は、…ここでは書けないことが多い。卒論を書いているときの苦労話やハプニング、鬱憤などが次々と披露される。

夜が深まるにつれ、みんなもだんだん疲れて眠くなってくる。そうなると、今度はみんながヘンなテンションになってゆく。話題も、現実の話題ではなく、妄想を語るようになり、そしてその妄想話に腹を抱えて笑う、というパターンに入ってゆく。

浮世の愚痴→疲れてヘンなテンション→妄想話→腹を抱えて笑う。これは、私も大学生時代に友人たちと一晩過ごしたときによくやっていたことだ。

だがさすがに私は疲れきって口をはさむ元気もなく、さながら「ハナ肇の銅像」のように、黙って聞いていた。彼らも、私を「いないもの」と思って話をしていたのだろう。

なるほど、学生たちが私を呼んでも平気なのは、私自身が存在を感じさせないからなのだな、と納得した。つまりオーラがない、華がないのだ。

深夜2時半をすぎ、ようやく解散した。

1月14日(金)

朝7時に起床して、温泉に入り、8時に朝食。そして10時過ぎに旅館を出発して、職場まで送ってもらう。例によって、旅館の名前が書かれたマイクロバスである。

贅沢な新年会だったなあ、と思いつつ、バスのなかでウトウトしていると、後ろに座っていた、しっかり者のSさんと、独特な感性を持つSさんの会話が聞こえてきた。

独特な感性を持つSさんが、しっかり者のSさんに小説『伊豆の踊子』の内容を一生懸命に説明しているのだが、その説明ぶりが、うろ覚えの上に頓珍漢で、なんとも可笑しかった。

で、その頓珍漢な説明に、しっかり者のSさんが呆れることなく、まじめに応対をしているさまが、なんとも微笑ましい。この二人は、本当に仲がいいんだなあ、と思った。

この何気ない会話を聞けただけでも、来た甲斐があったというものだ。

午前11時。バスは職場に到着した。

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「老眼」と言わず「ノアン」と言おう

1月12日(水)

朝、職場までの道を歩いていると、道路がつるっつるに凍っていたため、足が滑って「ドテン!」と、もんどり打って道路にすっ転んでしまった。

久々だなあ、あんなにハデにすっ転んだのは。恥ずかしいくらいの転びようである。

そんなことはともかく。

私と同世代のラジオDJがこんなことを言っていた。

「最近、リスナーから送ってもらった葉書の文字が見えにくくなったので、『これはもしや』と思い、眼鏡屋に置いてある老眼鏡をかけてみたら、ビックリするくらいよく見えた。でも老眼だとは認めたくない」

だが、背に腹は代えられず、老眼鏡を買いに行くことにした。すると、池袋に「老眼めがね博物館」という老眼鏡専門店があり、そこで老眼鏡を購入したのだという。「老眼めがね博物館」って…。

誰しも、自分が「老眼」になることは、認めたくないものだ。

そのDJは私より年齢が1つ上。つまり私にも、「老眼」の足音が近づきつつある。

同僚の話によれば、「以前、少人数の会議で、小さい字で書かれた資料が配られたとき、眼鏡をかけていた教員が、いっせいに眼鏡をオデコの方にずらして、その資料を見ていましたよ」という。

「眼鏡をおでこの方にずらして小さい字を読む」というのは、明らかに老眼である証拠だ。「私は老眼でござい~」と、世間に公表しているようなものである。

さらに驚愕の事実は、その会議では、私と同い年の同僚も、やはり眼鏡をおでこの方にずらしていた、というのである。私と同い年のその人は、人目も憚らず、眼鏡をおでこの方にずらして文字を読んでいたのである。

人のいないところならともかく、「人前で、眼鏡をおでこの方にずらして文字を読む」というのは、「自分は老眼である」ということを、カミングアウトすることである。

それだけは、避けたいものだ。

たとえやせ我慢でも、眼鏡をおでこの方にずらすことだけは、やめよう。

「武士は食わねど高楊枝」ならぬ、「文字は見えねど眼鏡ずらさず」である。

人前で眼鏡をおでこの方にずらしながら文字を読むようになったとき、きっと何かを捨てることになるんだろう、と思う。

そもそも、「老眼」という言葉が、ショッキングだ。ビッグサイズの服の専門店で、背中のタグのところに「肥満」というサイズ名が書かれているくらい、ショックだ。

何か別の言い方はないものか。

とりあえず私は、これを「ノアン」と呼ぶことにする。「ノアン」とは、韓国語で「老眼」の意味。「老眼」と直接言いたくないので、「ノアン」と言ってごまかそう。

…そんなアラフォー世代の、とるに足らない悩み。

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3連休

1月8日(土)

韓国の友人、イさんが、某大学の公開研究会で発表する、というので、聞きに行く。

イさんは、昨年8月末に研修のために日本にやってきた。1年間、日本に滞在するという。

私や妻が韓国滞在中、とてもお世話になった。私よりも少し年下だが、秀才で人柄もよく、常日頃から尊敬している。ただ、滞在先が関西であるため、いままで会う機会がほとんどなかった。今回、東京の研究会で発表する、というので、聞きに行くことにしたのである。

会場は超満員の大盛況。イさんの発表も力のこもったものだった。

終了後も、聞きに来ていた複数の新聞記者から取材を受けていた。日本語がまだよくわからないイさんは、私を見つけると、「ちょっとちょっと」と呼んで、簡単な通訳をさせられた。

研究会終了後、懇親会にさそわれたが、学生たちの卒論が気になっていたので、イさんには「またお目にかかりましょう」と挨拶して、新幹線で勤務地に戻った。

1月9日(日)

午前中、身体がまったく動かない。4,5日前からまた始まった左足の痛みは、少しずつおさまってはきているのだが。

午後から職場で待機。学生が卒論の下書きを次々と持ってくるので、それに対応しているうちに、気がつくと夜11時半。

雪がやまず、寒い1日だった。

気分が晴れないときは、なぜか「刑事コロンボ」を見ると落ち着く。しばらくは、「刑事コロンボ」のお世話になりそうだ。

1月10日(月)

左足の痛みはほとんどない。これなら連休明けは、無事に過ごせそうだ。

今日も午後から研究室に待機する。2時過ぎ、突然、火災報知器が作動したとの館内放送があった。すわ火事か!と廊下に出るが、全然そんな様子はなく、誤作動であることが判明する。

相変わらずの寒さと雪である。

日付が変わって夜12時半、ようやく卒論の添削が一段落する。明日は提出日だ。

それにしても、他の同僚たちは、どうやって卒論指導をしているのだろう?全くもって不思議である。

効果的、効率的な卒論指導の方法があるのならば、ぜひ教えてほしい。


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実家

1月7日(金)

何年ぶりだろう。実家で誕生日を迎えるのは。

この稼業についてからというもの、学生たちの卒論提出の直前ということもあり、この日は決まって、職場に待機していた。

数年前だったか、誕生日の夜、学生が卒論の下書きを持ってきたので、読んで添削をしたあと、それを学生に返すと、彼は研究室を出る間際に、

「あ、そういえば先生、誕生日おめでとうございます」

といって、研究室を出ていった。

(「そういえば」って…ついでに言うなよ…)

と、なんとも空しい感じになった。

別に、誕生日だからといって喜ぶような年齢ではないのだが。

急遽、東京に戻らなければならないことになり、午後の新幹線で東京に向かう。

妹や私の妻と合流する。

午後8時。用事が済んだあと、妻が言った。

「せっかくだから、実家に泊まっていったら?」

この場所から私の実家は近かった。

妻は、美味しいシュークリーム屋があるのを見つけると、そこで私の家族、4人分のシュークリームを買って、私に渡した。「この店のシュークリーム、有名なんだよ」

妻と別れ、妹と一緒に実家に向かう。

久しぶりに、家族4人で、一晩を過ごした。

といっても、会話らしい会話を交わしたわけではない。

でも、そのことをかみしめた1日だった。

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電話

1月5日(水)

夜11時過ぎ、福岡に勤務している高校時代の友人、コバヤシから電話が来た。

昨年5月のカレー以来である。

あいつの方から電話をかけてくるなんてめずらしいな。

前にも書いたように、コバヤシは、高校時代、最も長い時間をともに過ごした友人である。

電話になると、決まって私に対するダメ出しがはじまる。

今日も、とある用事で電話をかけてきたのだが、いつものように、しだいに話が脱線しはじめる。

やがてコバヤシがいつものように呆れて言った。

「お前の話は長いんだよ!それに、クドい!…昔と全然変わってないな」

おんなじことは、妻にもよく言われる。「話が長すぎて、要点がわからない。鶴瓶みたい」と。

鶴瓶師匠になぞらえてもらえるのなら、ありがたいかぎりなのだが。

コバヤシといろいろと話しているうちに、高校時代のことをまたいろいろを思い出してきた。

「俺が部活で副部長になれなかったこと、あれだけはいまでも悔しいぞ」と私が冗談交じりで言うと、

「まだ根に持ってるのかよ!」コバヤシが呆れた。

うちの部活は、2年生が部長をはじめとするさまざまな役職につく。そしてその役職は、前年度末に、部活のメンバー全員が集まる総会のような場で、立候補や推薦などの方法で決められる。

部長は、下馬評では、甘いマスクでトランペットという花形パートのSで、ほぼ決まりだった。

問題は、副部長である。

ある日、私は1年上の先輩たちに呼びだされ、「お前を副部長に推薦するから、そのつもりでいてくれ」と言われた。

私の同期と、1つ上の学年は、どうもあまりしっくりいっていなかったようで、私の同期は、できるだけ先輩の影響力を排除しようとしていた。

私はそのころ、とくに同期の連中とベッタリ、というわけでもなく、どちらかというと中立の立場だったので、先輩たちは私に目をつけたのだろう。

ところが、先輩たちの影響力を排除したい同期の連中は、私のいないところで、すでに「脱先輩」「反先輩」路線の布陣をしくべく、Yを副部長にすることを決めていた。Y自身も、人望も能力もないにもかかわらず、目立つことが好きだったので、副部長をやる気満々である。

なんか、どっかの政党みたいだなあ。

さて、総会当日。

部長はすんなりSに決まったが、次は副部長である。同期からすれば、シナリオ通りシャンシャンと副部長がYに決まる手はずだったのだが、先輩が突然、私を推薦したため、シナリオにない、2人の一騎打ちとなった。

それでも結果は、先輩方が推薦する私をおさえて、Yが副部長となった。事前に固めておいた同期たちによる組織票が功を奏したのである。

そして私は、「木管分奏長」とかいう、新設の名ばかりポストに追いやられた。

なんか、本当に、どっかの政党みたいだなあ。

「でも結局、Yなんか、口先ばっかりで、結局何にもしなかったじゃん。最初、副部長はオレにまかせろ、なんて言ってたわりにはさあ」と私。

「たしかにそうだった。あいつ、全然ダメだったな。最後の方は、ぜんぜん存在感なくなってたし」コバヤシが同意した。

いやあ、本当に、どっかの政党そのままではないか!

「それにしても、高校生って、本当にバカだよな。当時はそんなことに真剣になっていたんだから」小林が言った。

そう。いまから思えば、本当にくだらないことだ。でも、そんなくだらないことを、どっかの政党は、いまも真剣にやっているんだから情けない。いま彼らがやっている政争なんて、高校生だった私たちがやっていたことと、いくらも変わっていない。

「でもまあ最終的には、卒業してからOBで楽団をつくって、俺が団長になったわけだけどね」私が少々誇らしげに言うと、

「またはじまったな。自画自賛。お前本当に、自画自賛、好きだよな。そういうところがダメなところだ」ふたたびコバヤシがダメ出しをした。

そんなこんなで、1時間以上話し込んだ。

「今度、福岡に遊びに来いよ。俺はどうせひとり暮らしだし、部屋も余ってるから、泊まれるぞ」

「ああ、美味い魚を食べに行くよ」

そう言って、電話を切った。

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ゴッドファーザーデビュー

フランシス・フォード・コッポラ監督の映画「ゴッドファーザー」と「ゴッドファーザーPartⅡ」。

実はこの年齢になるまで、この名作を見たことがなかった。

妻が、友達からDVDを借りてきていて、「絶対見た方がいいよ」と言うので、年末年始のお休みを利用してこの2作を見ることにした。

やあ、すごいなあ。この映画こそ、「何度でも見るべき映画」である。

とくに第1作目の「ゴッドファーザー」は2回見たが、たぶん、見るたびにいろいろな発見がある映画だと思う。

それに、愛とか、憎悪とか、信頼、裏切り、勇気、栄光、没落、といった、人間の強さと弱さがあますところなく表現されている。

…などという陳腐な感想はどうでもよい。

ここで書きたいのは、そんなことではない。この名画、いったいどのくらいの人びとが見ているのだろう?

一般に、映画フリークとか映画通、といった人たちは、みんな、当然のごとく見ているのだろう。あまりに名作であるため、見ているのが当然、というべき映画である。

だが一方で、映画が比較的好きな人間のなかにも、私のように、けっこうな年齢までこの映画を見たことがない、という人もいるはずである。「いまさら見たことないなんて言えない」と思っている人も、けっこういたりして。

「ゴッドファーザー」がマフィアを描いた映画だ、ということは誰でも知っている。それに、あの映画音楽も、あまりにも有名である。だから何となく見た気になっているが、だが、映画じたいをちゃんと見て、その世界観にどっぷりとひたったことのある人は、どのくらいいるのだろう?

多少大げさなことを言えば、「ゴッドファーザー」は、世代を問わず、映画好きの人間にとっての一種の「通過儀礼」のような気がする。見たばかりの人間が、偉そうなことを言えた義理ではないが…。

「ゴッドファーザー」を初めて見て、その世界観にどっぷりとひたる、という通過儀礼を、「ゴッドファーザーデビュー」と呼ぶことにしよう。

私は、42歳を目前にして、ようやく「ゴッドファーザーデビュー」を果たしたのである。

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忘年会とヘジョンさん

私も妻も、他人様の家におじゃましたり、家に人を呼んだりするのが苦手である。

12月29日(水)

知り合いの研究者夫婦の先生がご自宅で主催する忘年会に招待された。妻が日頃お世話になっている先生であり、私も、日頃おつきあいはないものの、尊敬している研究者夫婦でもあるので、夫婦そろって参加することにした。

総勢20人くらいのにぎやかな忘年会である。私の大学時代の同期や後輩などにも久しぶりに会い、それなりに話がはずむ。座持ちの悪い私でも、韓国留学中の話が何度か間を持たせた。韓国に留学して、本当によかったと思う。

知り合いのデザイナーの方が設計したというオシャレなご自宅。そして、旦那さんが、お酒を飲みながら、自慢の料理をふるまう。

「まるで、タモリみたいだな…」

と、私と妻が顔を見合わす。別に、タモさんの家に呼ばれたことはないのだが。

ドイツの白ワインなんぞを飲みながら、久しぶりに会った1つ下の後輩と話をする。彼は、私が乗っている自動車よりも高価な自転車を持っている。趣味が自転車なのだ。

オシャレで、頭もよく、性格もいいのにもかかわらず、いまだ独身なのは、自転車にのめり込んでいるからかも知れない。

私が、スポーツクラブでエアロバイクをこいでいるのに全然痩せない、とこぼすと、彼がその話題に反応した。

「エアロバイクなんか全然ダメですよ。だいいち、景色も変わらないし、面白くもなんともないでしょう」

「そりゃそうだ。それに、頑張っても200カロリーくらいしか消費しないんだ」

「そんなの話になりません。3000カロリーくらい消費しないと」

すると彼は、自転車乗りにとって理想的なコースがどこかについて、熱く語り出す。「やっぱり、箱根とか、湘南なんかがいいですね。景色が飽きません」

それから、話題は自転車レースに移った。自転車レースが肉体・精神の両面でいかに過酷な競技かを、熱く語る。

「自転車レースは、人生の縮図なんです!」

「なるほど…。たしかにそうだ」私は彼の話術にすっかり魅了された。

「どうです、自転車をはじめてみませんか?」

いかん、このままでは、車より高い自転車を買わされそうだ、と思い、「そうだね。いずれまた考えてみるよ」とお茶を濁した。

だが、たしかに自転車は魅力的だなあ。

そんなこんなで、午後2時から始まった忘年会が、気がつくともう夜の9時半である。「よいお年を」とお別れして、2時間かけて、自宅に戻った。

妻も私もグッタリである。それなりに楽しかったが、やはり、他人様の家によばれることに慣れていないことを実感した。

12月31日(金)

昨年の韓国滞在中に、妻がヘジョンさんという韓国人と友達になった。日本語を勉強していて、日本に留学したい、という。20代半ばの、いかにも「今どきの女の子」といった感じの子である。

そのヘジョンさんが、今年の夏くらいだっただろうか、念願かなって、ようやく日本への語学留学が実現した。東京でアルバイトをしながら日本語学校に通うことになったのである。妻はヘジョンさんと再会し、たまに2人で食事に行くようになった。私が司会した音楽会にも聴きに来てくれたのだという。

「ヘジョンさんを大晦日に家に呼んで、ご飯を一緒に食べながら一緒に紅白歌合戦を見たらどうかな、と思うんだけど」妻が提案した。

「紅白歌合戦?」

「ヘジョンさん、嵐の大ファンなのよ。家にテレビもないって言うし」

なるほど。それはいい考えである。だいたい、留学している外国人にとっていちばん寂しいのは、たぶん年末年始である。韓国滞在中の昨年、私たちも、大邱に住むK先生夫婦の家に呼ばれて、年末年始を紅白歌合戦を見ながら過ごしたのだった。ヘジョンさんもきっと喜ぶだろう。それに、日本の年末年始の過ごし方を経験してもらう、いい機会でもある。幸いなことに、今年の紅白歌合戦の司会は、嵐である。

K先生夫婦が私たちにしてくれたことを、今度は私たちが、ヘジョンさんにしてあげるのだ。

さっそく晩ご飯の献立を考える。

「お好み焼きにするつもり」と妻。以前、今度お好み焼きをご馳走する、と約束していたらしい。

どうも私たちは、韓国人にお好み焼きをご馳走する機会が多い。例によって、「2.2.6」の法則で、お好み焼きの生地を作る。お好み焼きだけではつまらないので、焼きそばとおでんも作ることにした。まるで縁日の屋台である。

ヘジョンさんには6時すぎに家に来てもらい、お好み焼き、焼きそば、おでんを食べながら、紅白歌合戦を見る。もちろん、年越しそばも食べる。

まさか、2年連続で、紅白歌合戦をこんなに真剣に見るとは…。

それにしても、ヘジョンさんは、ジャニーズの事情に詳しい。テレビを見ながら、いろいろと説明してくれる。「大野君は、いつもあんな感じなんですよ」「嵐は大好きなんですけど、服装のセンスだけはイマイチなんですよねぇ」「この曲は、○○というバンドの人が作った曲です」等々。私はすっかり感心してしまった。

私も、ただ漫然と紅白を見ていたわけではない。じっと見ていて、あることに気がついた。

「あっ!」

「どうしたの?」と妻。

「AKB48の板野っていう人、KARAのク・ハラにそっくりだ!」

ちなみに言うが、私はAKB48のメンバーの名前も顔も、まったくわからない。紅白を見ていて、たまたまAKB48の1人に「板野」という名前のテロップが出ていたのを、見のがさなかったのである。

もうひとつちなみに言うと、私はKARAのメンバーの名前も顔も、まったくわからない。ただ、数日前にケーブルテレビで見ていた韓国KBS「芸能大賞」に、KARAのク・ハラという人が出ていたのを、たまたま覚えていただけである。

つまり、たまたま別の機会に一瞬だけ見た、それぞれのグループのうちの1人の顔を、「似ている!」と判断したのである。

するとヘジョンさんは驚いた様子で言った。

「そうです!韓国でもこの2人が似ているということがとても話題になっているんです!そのことをご存じでしたか?」

「いや、知らないよ。いまたまたま見ていてそう思ったんだ」

「すごいですね」

ヘジョンさんは驚いた、というより、呆れていたようだった。

これではまるで、完全なアイドルオタクではないか!というか、私にはそのセンスがあるのか?それとも刑事に向いているのか?

紅白歌合戦が終わると、当然、他局で放送されているジャニーズのアイドルたちによるカウントダウンライブにチャンネルを変えた。例年であれば、「ジルベスターコンサート」で年を越すのが楽しみなのに、ジャニーズで年越しなんて、生まれてはじめての経験である。

ところがこれが、けっこう見ていて楽しい。嵐の出番が終わり、ヘジョンさんが「もうチャンネル変えてもいいですよ」と言ってくれたのだが、「いやいや、いいんだ」といって、結局最後まで見てしまった。

たぶん、ヘジョンさんのなかでは、「アイドルオタクのヘンなキョスニム」と映ってしまったかも知れない。

翌朝、雑煮を食べたあと、みんなで家を出た。私たちは、私の実家に年始の挨拶に行かなければならないので、ヘジョンさんとはお別れである。

「たくさんのことを学びました。ありがとうございます」

「また遊びに来てください」駅でお別れした。

実家についたとたん、私は熱を出して寝込んでしまった。他人様の家におじゃましたり、家に人を呼んだりと、慣れないことをしたからだろうか。

やはり、慣れないことはするものではない。

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