今日も私が我慢する
よし、今日はひとつ、誰にもワカラナイ話を書いてやろう。
私は、韓国でだいぶ前に人気を博した「順風産婦人科」というシットコムが大好きである。その中でもとりわけ、長女(パク・ミソン)の婿を演じたパク・ヨンギュという俳優が可笑しかった。
ケチで、ずるくて、プライドが高くて、小心者。そしていつも災難に巻きこまれる。こういう役をやらせると、パク・ヨンギュの右に出るものはいない。災難に巻きこまれたときの表情が、たまらなくいいのだ。
その後、彼はプライベートで悲しい出来事があり、一時期芸能活動を休んでいたが、昨年あたりから復帰して、コメディ映画に出演した。それが、私が韓国滞在中に公開されていた映画「ガソリンスタンド襲撃事件2(邦題:アタック・ザ・ガスステーション2)」である。この映画については、以前にも書いた。
この映画の中でパク・ヨンギュは、襲撃されるガソリンスタンドの社長の役を演じている。尊大でケチな社長は、ガソリンスタンドの襲撃という、とんでもない事件に巻きこまれ、狼狽するのだ。パク・ヨンギュの当たり役といってもよい。
そして最後に大団円を迎えるのであるが、最後のエンドクレジットに流れる曲が、パク・ヨンギュ自らが歌う、「今日も私が我慢する2010」という歌である。
曲調は、日本でいう演歌のようなものなのだが、私はこの曲が好きで、映画を観たあとに、さっそくOST(サントラ)を買った。いまも、元気が出ないときにこの曲を聴いて、元気を出したりしている。
とくにサビの部分、
「腹が立っても我慢しなきゃ
悲しくたって我慢しなきゃ
そうやって生きるのが人生じゃないか
今日も私が我慢する」
これを、パク・ヨンギュが朗々と歌いあげているのが大好きで、この部分を聞くだけで、悩んでいることがバカバカしくなる。
この歌は、ガソリンスタンドの社長を演じたパク・ヨンギュが、その役になりきって歌っているようにも聞こえる。ガソリンスタンドで起こるさまざまな災難に対して、社長が「腹が立っても我慢しなきゃ、悲しくたって我慢しなきゃ、そうやって生きるのが人生じゃないか。だから今日も俺が我慢するんだ」と、自分に言い聞かせているように聞こえて、それがまた、そこはかとなく可笑しいのだ。
コメディ映画のエンディングに、役になりきった人が「独白」のような歌を朗々と歌いあげる、ということで思い出すのは、三谷幸喜監督の映画「ラヂオの時間」である。
この映画のエンディングでは、布施明演じるラジオ局のプロデューサーが、映画の中で登場するわがまま女優の「千本のっこ」(戸田恵子)への思いを綴った「No problm」という歌を、朗々と歌いあげている。
「もしも世界が終わるとしても
気にはしない
なぜってそのわけは
千本のっこが
あのあばずれが
僕を見つめて
歌口ずさんでいる
それだけで僕は満足さ」
これを、日本でいちばん歌が上手い(と私が思っている)布施明が朗々と歌いあげているんだから可笑しい。パク・ヨンギュの「今日も私が我慢する2010」も、これと同じパターンだ、といってよい。
ところで、コメディ映画で、役になりきった人物が、そのエンディングに「独白」のような歌を朗々と歌いあげる、というパターンは、アメリカのコメディ映画あたりに、元ネタがあるのだろうか?それとも、たまたま「ラヂオの時間」と「ガソリンスタンド襲撃事件2」が似ているだけにすぎない、ということなのか?これはコメディ映画史において、検討すべき重要なテーマである。
どうだい。ここまでの話についてこられる人は、全くいないだろう。
さて、ここまで書いてきて、「今日も私が我慢する2010」が、全体としてどんな歌詞なのかが気になった。なにしろ私は、サビの部分しかちゃんと聞き取れていないからだ。
そこで、歌詞を日本語に訳してみることにする。
「歳月の荒波の中に飼いならされた私の人生
腹が立っても我慢する
悲しくったって我慢する
人生はそういうもんだろう
卑怯だとあざ笑うな 非情だと罵るな
私にも一時(いっとき)は勇敢な時代があったのだ
荒れたけもの道を走る一匹のヒョウのように
町中を走った恐れ知らずの私の青春
いくらとりもどそうとしても歳月は流れていき
いつのまにか現実に覆われてしまう青春の記憶
腹が立っても我慢しなきゃ
悲しくったって我慢しなきゃ
そうやって生きるのが人生じゃないか
今日も私が我慢する
火に飛び込む一匹の恐れ知らずの蛾のように
若さを燃やした恐れ知らずの私の青春
いくらとりもどそうとしても歳月は流れていき
いつのまにか現実に覆われてしまう青春の記憶
腹が立っても我慢しなきゃ
悲しくったって我慢しなきゃ
そうやって生きるのが人生じゃないか
今日も私が我慢する」
なるほど。こういう歌だったのか。
〔付記〕この歌、「今日も私が我慢する2010」とあるように、本来の「今日も私が我慢する」という歌の歌詞を、この映画向きに変えているようだ。もとの歌詞を知っている人にとっては、なおさら面白いのだろう。映画のシーンを思い浮かべながら歌詞を追うとさらに可笑しい。
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コメント
確か映画「八月のクリスマス」エンディング曲を主演のハンソッキュ自身が歌っていて、それが最後の手紙の内容と微妙にリンクしていて、涙を絞りとられた記憶があります。
あと、最近一押しのテレビ番組「戦国鍋TV」の「大阪ハイスクール高校与太郎爆進ロード」最終回のエンディング曲「OSAKA GAKUEN HIGH SCHOOL」なんかぴったりですが、これは確信犯のパロディですな(ユーチューブで探してみて下さい)。
投稿: こぶぎ | 2011年1月26日 (水) 00時51分
なるほど、「八月のクリスマス」ですか。そういえば、クォン・サンウ主演の映画「悲しみよりももっと悲しい話」で、劇中で歌手の役を演じたイ・スンチョルが、エンディングで映画の内容とリンクする「そんな人はもういない」という歌を歌っていました。ということは、涙強盗の映画はより悲しく、コメディ映画はより笑いを誘う効果がある、ということかも知れません。
それにしても不思議でならないのは、韓国の人たちは、映画が終わってエンドクレジットが流れたとたん、席を立って映画館を出ていってしまうので、はたしてこの演出がどれほど効果があるのか?ということです。「悲しみよりももっと悲しい話」を観た時も、最後にイ・スンチョルの感動的な歌が流れたとたん、観客のほとんどが席を立って帰っていってしまいました。
投稿: onigawaragonzou | 2011年1月26日 (水) 23時59分