キョスニムとよばないで!御一行様
1月13日(木)
「卒業論文を提出したら、4年生のみんなで温泉に行きましょう」
昨年の末だったか、4年生のSさんが提案した。
学生どうしで行くのはかまわないが、私も一緒に行く理由がよくわからない。
学生にとって、教員なんてウザイもんだ、と相場が決まっているのだ。第一、せっかく、卒論が終わって羽根を伸ばそうというのに、教員なんぞがいたら、教員の悪口が言えないじゃないか。私だったら、絶対に教員なんか誘わないんだがな。
真意をはかりかねたが、まあいつものようにSさんの周到な計画に乗せられて、参加することになった。4年生10名と、私の、合計11名である。
午後5時。職場の玄関に集合すると、玄関の前に温泉旅館のバスが停まっていた。
しかも、職場と駅を結ぶシャトルバスの停留所のところにバスが停まっている。私たちは、シャトルバスを待って長蛇の列を作っている学生たちを横目に、旅館名がしっかりと書かれているそのバスに乗り込んだ。
職場にバスでお迎えなんて、なんと贅沢だろう。
バスに乗ること約40分。目的の温泉旅館に到着した。日本で5本、いや、3本の指に入るといわれる、超有名な旅館である。
玄関に到着して驚いた。
と歓迎の看板が出ているではないか!
やはりこれも、Sさんのさしがねであろう。予約したときに、旅館の人から「団体名は何でしょうか?」と聞かれはずである。
「キョスニムとよばないで!新年会、です」
「きょすにむ、…ですか?どんな字を書くんでしょう」
「キョスニムはカタカナです。あ、それと、『よばないで』のあとにびっくりマークをつけてください」
「キョスニムとよばないで、びっくりマーク、新年会、…御一行様ですね」
「はい」
「で、キョスニムはカタカナ、…と」
「そうです。それでお願いします」
たぶんこんなやりとりが行われたのだろうか、と妄想する。それにしても、旅館の人も、よく聞き間違えずに書き取ったものだ。
チェックインのあと、ひと風呂あび、午後7時から夕食である。
夕食会場に行って再び驚いた。
ここにも「キョスニムとよばないで!新年会 御一行様」と書いてあるではないか!
あまりに感動したので写真を撮っていると、その横を、別の団体のオッさんたちがひっきりなしに通りすぎる。
オッさんたちは、その看板をじっと見つめ、「キョスニムとよばないで」と、読みあげると、「何のことかサッパリわからん」と言い残して、次々と別の夕食会場へと向かってゆく。
たしかに、「キョスニムとよばないで!」では、何の団体か、サッパリわからないだろうな。
夕食がはじまり、いよいよ乾杯である。
「先生は、きっと乾杯の音頭をとるのが嫌だろうと思ったので、私たちのなかでくじ引きで決めました」とSさん。
さすがはSさん。私の性格を知りつくしている。くじ引きで決める、というアイディアも、公正な方法でとてもよい。
くじ引きで決まったNさんが、立ち上がって乾杯の挨拶をした。
美味しい夕食に舌鼓を打っていると、Sさんが、「ここで先生に、みんなから誕生日プレゼントです」といって、包装紙にくるまれた、長さ1メートルくらいのえらく細長い箱を持ってきた。
「何だと思いますか?」
はて、なんだろう。ネクタイにしては長すぎるし、重いな。ゴルフのクラブにしては短い。第一、私はゴルフなんてやらないし。
開けてみると、コウモリ傘だった。
「先生がいま一番必要なものだと思いますよ」とSさん。
たしかにその通りだ。先日の大雪の日に、えらく小さなビニール傘をさしていたのを、学生たちに見られた。傘があまりにも貧相だったのを覚えていたのだろう。
だいたい私には「傘運」というものがない。買ってもすぐ壊れたり、なくしたりするのだ。
だから、たしかにいま一番必要なものだった。ありがたく受け取る。
美味しい夕食を満喫したあと、部屋に戻って2次会である。
2次会の話は、…ここでは書けないことが多い。卒論を書いているときの苦労話やハプニング、鬱憤などが次々と披露される。
夜が深まるにつれ、みんなもだんだん疲れて眠くなってくる。そうなると、今度はみんながヘンなテンションになってゆく。話題も、現実の話題ではなく、妄想を語るようになり、そしてその妄想話に腹を抱えて笑う、というパターンに入ってゆく。
浮世の愚痴→疲れてヘンなテンション→妄想話→腹を抱えて笑う。これは、私も大学生時代に友人たちと一晩過ごしたときによくやっていたことだ。
だがさすがに私は疲れきって口をはさむ元気もなく、さながら「ハナ肇の銅像」のように、黙って聞いていた。彼らも、私を「いないもの」と思って話をしていたのだろう。
なるほど、学生たちが私を呼んでも平気なのは、私自身が存在を感じさせないからなのだな、と納得した。つまりオーラがない、華がないのだ。
深夜2時半をすぎ、ようやく解散した。
1月14日(金)
朝7時に起床して、温泉に入り、8時に朝食。そして10時過ぎに旅館を出発して、職場まで送ってもらう。例によって、旅館の名前が書かれたマイクロバスである。
贅沢な新年会だったなあ、と思いつつ、バスのなかでウトウトしていると、後ろに座っていた、しっかり者のSさんと、独特な感性を持つSさんの会話が聞こえてきた。
独特な感性を持つSさんが、しっかり者のSさんに小説『伊豆の踊子』の内容を一生懸命に説明しているのだが、その説明ぶりが、うろ覚えの上に頓珍漢で、なんとも可笑しかった。
で、その頓珍漢な説明に、しっかり者のSさんが呆れることなく、まじめに応対をしているさまが、なんとも微笑ましい。この二人は、本当に仲がいいんだなあ、と思った。
この何気ない会話を聞けただけでも、来た甲斐があったというものだ。
午前11時。バスは職場に到着した。
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