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「老眼」と言わず「ノアン」と言おう

1月12日(水)

朝、職場までの道を歩いていると、道路がつるっつるに凍っていたため、足が滑って「ドテン!」と、もんどり打って道路にすっ転んでしまった。

久々だなあ、あんなにハデにすっ転んだのは。恥ずかしいくらいの転びようである。

そんなことはともかく。

私と同世代のラジオDJがこんなことを言っていた。

「最近、リスナーから送ってもらった葉書の文字が見えにくくなったので、『これはもしや』と思い、眼鏡屋に置いてある老眼鏡をかけてみたら、ビックリするくらいよく見えた。でも老眼だとは認めたくない」

だが、背に腹は代えられず、老眼鏡を買いに行くことにした。すると、池袋に「老眼めがね博物館」という老眼鏡専門店があり、そこで老眼鏡を購入したのだという。「老眼めがね博物館」って…。

誰しも、自分が「老眼」になることは、認めたくないものだ。

そのDJは私より年齢が1つ上。つまり私にも、「老眼」の足音が近づきつつある。

同僚の話によれば、「以前、少人数の会議で、小さい字で書かれた資料が配られたとき、眼鏡をかけていた教員が、いっせいに眼鏡をオデコの方にずらして、その資料を見ていましたよ」という。

「眼鏡をおでこの方にずらして小さい字を読む」というのは、明らかに老眼である証拠だ。「私は老眼でござい~」と、世間に公表しているようなものである。

さらに驚愕の事実は、その会議では、私と同い年の同僚も、やはり眼鏡をおでこの方にずらしていた、というのである。私と同い年のその人は、人目も憚らず、眼鏡をおでこの方にずらして文字を読んでいたのである。

人のいないところならともかく、「人前で、眼鏡をおでこの方にずらして文字を読む」というのは、「自分は老眼である」ということを、カミングアウトすることである。

それだけは、避けたいものだ。

たとえやせ我慢でも、眼鏡をおでこの方にずらすことだけは、やめよう。

「武士は食わねど高楊枝」ならぬ、「文字は見えねど眼鏡ずらさず」である。

人前で眼鏡をおでこの方にずらしながら文字を読むようになったとき、きっと何かを捨てることになるんだろう、と思う。

そもそも、「老眼」という言葉が、ショッキングだ。ビッグサイズの服の専門店で、背中のタグのところに「肥満」というサイズ名が書かれているくらい、ショックだ。

何か別の言い方はないものか。

とりあえず私は、これを「ノアン」と呼ぶことにする。「ノアン」とは、韓国語で「老眼」の意味。「老眼」と直接言いたくないので、「ノアン」と言ってごまかそう。

…そんなアラフォー世代の、とるに足らない悩み。

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