電話
1月5日(水)
夜11時過ぎ、福岡に勤務している高校時代の友人、コバヤシから電話が来た。
昨年5月のカレー以来である。
あいつの方から電話をかけてくるなんてめずらしいな。
前にも書いたように、コバヤシは、高校時代、最も長い時間をともに過ごした友人である。
電話になると、決まって私に対するダメ出しがはじまる。
今日も、とある用事で電話をかけてきたのだが、いつものように、しだいに話が脱線しはじめる。
やがてコバヤシがいつものように呆れて言った。
「お前の話は長いんだよ!それに、クドい!…昔と全然変わってないな」
おんなじことは、妻にもよく言われる。「話が長すぎて、要点がわからない。鶴瓶みたい」と。
鶴瓶師匠になぞらえてもらえるのなら、ありがたいかぎりなのだが。
コバヤシといろいろと話しているうちに、高校時代のことをまたいろいろを思い出してきた。
「俺が部活で副部長になれなかったこと、あれだけはいまでも悔しいぞ」と私が冗談交じりで言うと、
「まだ根に持ってるのかよ!」コバヤシが呆れた。
うちの部活は、2年生が部長をはじめとするさまざまな役職につく。そしてその役職は、前年度末に、部活のメンバー全員が集まる総会のような場で、立候補や推薦などの方法で決められる。
部長は、下馬評では、甘いマスクでトランペットという花形パートのSで、ほぼ決まりだった。
問題は、副部長である。
ある日、私は1年上の先輩たちに呼びだされ、「お前を副部長に推薦するから、そのつもりでいてくれ」と言われた。
私の同期と、1つ上の学年は、どうもあまりしっくりいっていなかったようで、私の同期は、できるだけ先輩の影響力を排除しようとしていた。
私はそのころ、とくに同期の連中とベッタリ、というわけでもなく、どちらかというと中立の立場だったので、先輩たちは私に目をつけたのだろう。
ところが、先輩たちの影響力を排除したい同期の連中は、私のいないところで、すでに「脱先輩」「反先輩」路線の布陣をしくべく、Yを副部長にすることを決めていた。Y自身も、人望も能力もないにもかかわらず、目立つことが好きだったので、副部長をやる気満々である。
なんか、どっかの政党みたいだなあ。
さて、総会当日。
部長はすんなりSに決まったが、次は副部長である。同期からすれば、シナリオ通りシャンシャンと副部長がYに決まる手はずだったのだが、先輩が突然、私を推薦したため、シナリオにない、2人の一騎打ちとなった。
それでも結果は、先輩方が推薦する私をおさえて、Yが副部長となった。事前に固めておいた同期たちによる組織票が功を奏したのである。
そして私は、「木管分奏長」とかいう、新設の名ばかりポストに追いやられた。
なんか、本当に、どっかの政党みたいだなあ。
「でも結局、Yなんか、口先ばっかりで、結局何にもしなかったじゃん。最初、副部長はオレにまかせろ、なんて言ってたわりにはさあ」と私。
「たしかにそうだった。あいつ、全然ダメだったな。最後の方は、ぜんぜん存在感なくなってたし」コバヤシが同意した。
いやあ、本当に、どっかの政党そのままではないか!
「それにしても、高校生って、本当にバカだよな。当時はそんなことに真剣になっていたんだから」小林が言った。
そう。いまから思えば、本当にくだらないことだ。でも、そんなくだらないことを、どっかの政党は、いまも真剣にやっているんだから情けない。いま彼らがやっている政争なんて、高校生だった私たちがやっていたことと、いくらも変わっていない。
「でもまあ最終的には、卒業してからOBで楽団をつくって、俺が団長になったわけだけどね」私が少々誇らしげに言うと、
「またはじまったな。自画自賛。お前本当に、自画自賛、好きだよな。そういうところがダメなところだ」ふたたびコバヤシがダメ出しをした。
そんなこんなで、1時間以上話し込んだ。
「今度、福岡に遊びに来いよ。俺はどうせひとり暮らしだし、部屋も余ってるから、泊まれるぞ」
「ああ、美味い魚を食べに行くよ」
そう言って、電話を切った。
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