2月26日に
2月26日(土)
オッサンの感傷ほど世の中で始末に負えないものはない。でも、今日は2月26日なので仕方がない。キモイと思う人は、読まない方がよい。
韓国に滞在中、ほぼ毎晩、大学の構内を1時間以上かけて散歩していた。大学構内は、適度な広さと起伏があり、散歩にはちょうどよいコースだった。
まったくもって柄にもない話だが、散歩しながら、iPodでよく聞いていた曲のひとつが、「涙そうそう」である。
歩きながらというよりも、歩き疲れて、ベンチに腰掛けたときに、夜空を見上げながら、この曲を聴いていたのである。
…ほら、キモイでしょう。
この曲はもともと夏川りみの歌で知ったのだが、作曲者のビギンや、作詞者の森山良子の歌の方が、心に沁みてよい。
聴き込めば聴き込むほど、作詞者の森山良子の歌がやはりすばらしい、と思うようになっていった。編曲は、ビギンの方が好きかもしれない。
とくに、2番の歌詞がすばらしい。
なかでも、
「あなたの場所から私が見えたら
きっといつか会えると信じ生きてゆく」
という部分が好きで、この部分を聞くために、くり返し聞いていたようなものである。
私が作っている韓国語のホームページには、扉のところに「一言メッセージ」みたいな欄があって、そこにこの部分を韓国語に翻訳したものを載せている。自己流の、拙い翻訳である。
あるとき、私の韓国語日記をご覧になっている語学院のナム先生が、「私にとっても意味のある歌詞です」と、この歌詞に言及したコメントを寄せていた。歌詞を載せてはみたものの、訳は拙いし、誰も気にもとめないだろう、と思っていただけに、少々おどろいた。
これについては、思いあたることがある。
一昨年の11月の末、私が語学院の修了式で、学生代表でスピーチをやることになった時のことである。
本番の前の週の金曜日、スピーチ用の原稿を見てもらおうと、語学院の4級でお世話になったチェ先生がいる教員室に持っていったところ、チェ先生が、周りにいた先生を気づかってか、小声で私にこんな話をした。
「これ、キョスニムだからお話するんですけどね」
「何でしょう?」
「ナム先生のお父さんが亡くなったそうです」
「…そうだったんですか」
突然のことで、こういう時、韓国語でどう答えていいかよくわからない。
「ずっと具合がお悪かったたみたいで、看病もされていたそうです。…で、ナム先生は来週1週間お休みするそうです。月曜日の修了式も出られないそうです」
「そうですか…」自分が教わった先生にはスピーチを聞いてもらいたかった、という思いはあったが、こればかりは仕方がない。
「中国人留学生たちはまだ子どもだし、事情を説明することもないでしょうけど、キョスニムには言っておこうと思って…」
「ありがとうございます」
その後、この日記でも書いているように、ナム先生とは何度もお話しする機会があったが、お父さんのことについてお話ししたことはない。
だから、ナム先生がどのようなお気持ちなのかはわからない。だが、あの歌詞が自分にとって意味がある、とおっしゃったのは、そういうことかも知れない、とも思う。
いずれにしても、私の拙い翻訳であるにもかかわらず、しかも、その歌詞がどんなメロディに乗っているのかわからないにもかかわらず、あの歌詞は心に響いたのである。本当の名曲とは、そういうものなのだろう。
「あなたの場所から私が見えたら
きっといつか会えると信じ生きてゆく」
私の場合、この歌詞で思い浮かべるのはOさんである。
Oさん。
韓国から戻って、1年が経とうとしています。
韓国から戻ったら、結局、以前のような自堕落な生活に逆戻りです。変わったようでいて、実は何も変わっていません。体重も、すっかりもとに戻ってしまいました。
ただひとつだけ、留学中にはじめた韓国語日記だけは、続けています。今ではこれだけが、韓国へ留学していたことの、唯一の証です。
心なしか、こちらに戻ってから、彼らの質が少し変わってきたような気がします。
彼らとどう向き合っていけばよいのか、わからなくなってきました。
今までのような向き合い方では、彼らにとってもよくないのではないか、と。
Oさんなら、どうするでしょうね。
「きゃつらは…」と、半ば呆れながら、笑い飛ばすかもしれませんね。
もうお手本にできないのが、少し寂しいです。
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