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Keiさん

私の通っていた高校は、自由な校風の進学校で、生徒たちもいわゆる「よい子」が多く、実に居心地がよかった。

私は中学時代、市内でも1、2を争う「荒れた中学」にいたので、なおさらそう感じたのかもしれない。

生徒が先生を「○○先生」と呼ばず、「○○さん」と呼ぶのも、この高校の特徴だった。

3年間クラス替えがなく、担任の先生も3年間同じだった。私のクラスの担任はN先生で、生徒たちは、N先生の名前からとって、「Keiさん」と呼んでいた。

現代社会と政治経済を担当されていたKeiさんは、今でも、教師としての私のお手本である。

生徒の自由を最大限に尊重し、ひとりの人間、個人として接する。権威を嫌い、世の中や社会のおかしなところを堂々と批判する。

授業は、決して派手ではないが、ポツポツとお話になる内容がとても面白かった。卒業後に聞いたところでは、授業の内容や組み立てを周到に準備し、話す内容や板書の内容をすべて頭に入れた上で、授業にのぞんだのだという。そういえば、Keiさんが講義ノートを見ながら話していた姿を一度も見たことがない。今でもそれは、まねのできないことである。

社会科教員室に行けば、いつでも雑談に応じてくれる。当時の私の青臭い話にも、笑ってつきあっていただいた。

考えてみれば、当時のKeiさんは、今の私と同じくらいの年齢だったのだな。

私は一度だけ、Keiさんにほめられたことがある。いや、正確に言えば、面と向かってほめられたわけではない。

高1の、たぶん2学期か3学期の、定期試験の時だったと思う。

そのときの現代社会の定期試験では、○×式とか、記号式ではなく、論述式の試験問題が出た。

試験が終わり、翌週の授業の時間、採点された答案が返された。ところが、私の答案だけが返されない。するとKeiさんがおっしゃった。

「今から、解答例を読み上げます」

そうおっしゃると、私の論述した答案を、クラス全員の前で一字一句読み上げたのである。

(われながらずいぶん長く書いたな…)

延々と読み上げられる答案を聞きながら、そう思ったことを今でも覚えている。ということは、当時から私は相当くどい文章を書いていたのだな。

読み終わると、Keiさんは何も言わずにその答案用紙を私に返した。

卒業して10年以上たったあるとき、Keiさんは「これまでの教職経験の中で、あの時の答案を超えるものには出会っていない」と述懐された。

これは、今でも私の自慢である。

さて、3年間クラス替えのなかった私たちのクラスには、問題児がいた。

スガハラとタグチの二人である。

問題児、といっても、「荒れた中学」で3年間を過ごした私からすれば、たいしたことはない。サッカー部に所属していた二人は、10代特有の、抑えることのできないエネルギーを、発散したかったのだろう。教室にペンキで落書きをしたり、窓ガラスを割ったりといった程度のイタズラをした。気に入らない先生に対しては、ちょっとした授業妨害もしていた。彼らの行動は、学年が進むにつれ、エスカレートしていった。

「荒れた中学」を経験している私からは他愛もないことなのだが、「自由な校風の進学校」からすれば、これは一大事である。「自由な校風」を体現しているようなKeiさんにとっても、この問題児たちの行動は、これまでに経験したことのないことだった。

生徒をひとりの人間として尊重すれば生徒たちもわかってくれる、という信念が、揺らぎ始めたのである。

高2の時だったか、あるとき、Keiさんは、息を切らして教室に入ってきた。

「どうすればいいんだ!?…一体、どうすれば…」

入ってくるなり、Keiさんは私たちに向かって大声で叫んだ。

ふだん、まったく取り乱したことのないKeiさんの、はじめて取り乱した姿である。

スガハラやタグチ、さらにはそれを取り巻く連中の問題行動が、ピークに達していたときだったから、Keiさんの「どうすればいいんだ?」という問いかけが、彼らについて言っていることは、容易に想像できた。

「…いや、なんでもない。いいんだ」

Keiさんは、すぐに平静に戻った。ふと、われに帰ったのかもしれない。

その一件以降、Keiさんと、スガハラやタグチとの関係が、どのようになっていったのかは、ほとんど記憶にない。だが相変わらず、Keiさんはスガハラやタグチの行動に悩まされ続けたのだろう。

さて、卒業式の日。会場は高校の体育館である。

「卒業証書授与」では、担任の先生によって生徒ひとりひとりの名前が呼ばれる。名前を呼ばれると、生徒は起立をする。そしてクラスの生徒がすべて起立すると、代表ひとりが壇上に上がり、校長先生から卒業証書を受け取る。

私たちのクラスの番が来た。

Keiさんは、ひとりひとりの生徒の名前を読み上げた。

だが、なぜかスガハラとタグチの二人の名前をとばしてしまった。

名前を呼ばれないかぎり、起立することはできない。スガハラとタグチは、起立することができないのである。

最後の生徒の名前を読み上げたあと、keiさんは言った。

「スガハラ!」

「…ハイ!」スガハラが立ち上がる。

「タグチ!」

「…ハイ!」タグチが立ち上がる。

「以上、3年5組、50名」

Keiさんは、最後の最後に、二人の名前を読み上げたのである。

卒業式が終わり、みんなが教室に戻る。

Keiさんの第一声。

「深い意味はありません」

Keiさんはそう言うと、ニヤッと笑った。

スガハラとタグチは、「してやられた」という顔をした。

教員になったいま、そのときのKeiさんの気持ちが、何となく想像できる。

さんざん困らされた二人に、最後の最後に一矢報いてやろう、という思いとか、さんざん困らされた二人だったが、最後の最後に名前を読むことで、「最後にようやく君たち二人を認めることができた」という思いとか。

それでもKeiさんは、「いや、本当に深い意味なんてなかったんだよ」とおっしゃるかもしれない。

5年くらい前だったか、久しぶりにKeiさんにお会いしたとき、

「スガハラはいま、生き馬の目を抜く金融業界で、世界を飛び回って活躍しているそうだ。あいつ、仕事が楽しくてしょうがないらしい」

と、うれしそうに話しておられた。スガハラはいまでも、keiさんに近況報告をしているようである。

私も、久しぶりに近況報告の手紙でも書いてみるかな。そして今の私の悩みを聞いてほしい、と思う。「今の僕のやり方は、間違っているのでしょうか?」と。

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