特急のすれ違う駅
1月29日(土)
5日ほど前、隣県のM市のYさんから電話があった。
わが師匠が、M市で講演会をされるので、私にもぜひきてほしい、という電話である。
そういえばそうだった。わが師匠は30日にM市で講演会をすることになっていたんだった。Yさんの電話で思い出した。
私は10年ほど前から、M市のとある仕事をお手伝いしており、Yさんとはそのころからの知り合いである。そしてYさんは、私が師匠に出会うはるか以前から、師匠のことをよくご存じで、今回の講演会も、師匠を慕うYさんのたっての企画で実現したのである。
たまたま予定がなかったので、「うかがいますよ」と言うと、
「前日の夜に先生を囲んで懇親会をやりますので、ぜひそれにも出てください」という。
「わかりました。でも、何のお役にも立ちませんよ」
「いえ、来てくださるだけで結構です」
というわけで急遽、1泊2日のM市行きが決まった。私としても、久しぶりにM市に行けるのは嬉しかった。
隣県、といっても、M市まで行くには、高速バスと鉄道を乗り継いで3時間ほどかかる。「浜通り」といわれるこの地域は、海風は強いが雪がほとんどなく、それだけでもうらやましい。
S駅から特急に乗り、夕方4時13分、M市のH駅に到着した。師匠は反対の東京方面から来る4時14分着の特急でH駅に到着した。両方向から来る特急は、このH駅ですれ違うことになっているのだ。
さて、この日はただ単に飲むために前乗りしたわけではない。懇親会がはじまるギリギリまで、博物館で資料調査をする。師匠らしい時間の使い方である。ご本人は否定されるが、根っからの仕事好きなんだな、と思う。
そして夜7時から懇親会。1次会は偉い方々も集まりやや形式ばった会合だが、師匠の「座持ちのよさ」のおかげで場が和む。私にはまねのできないことだ。私は相変わらず横で、「はあ」「そうですね」と相づちを打つことしかできない。
右隣に座っていたYさんが私だけに聞こえるように耳打ちをした。
「3日くらい前に、先生に『○○さんも講演会を聞きにいらっしゃるそうですよ』と連絡したんです」
○○さん、とは私のことである。Yさんが続ける。
「そしたら先生が、『○○君も来るのか。じゃあ、講演会の内容を練り直さなきゃいけないな』っておっしゃって、今日、新しいレジュメをお持ちになったんです」
「そうだったんですか」
「私、それを聞いて、すごいなって、涙が出そうになりました。だってそうでしょう。○○さんの前で恥ずかしい講演をしたくない、て思って、たぶんこの3日間、先生は必死に内容を考え直されたんですよ。あれだけ頂点を極めた先生でも、まだ弟子には負けたくない、と思って前に進んでおられるんだなあ、と」
なるほど。私は長年のつきあいで、師匠が講演会でどんなお話をなさるのか、だいたい見当がつく。だからこそおざなりの講演ではダメで、なんとか私をギャフンといわせるような講演をしなければ、と思われたのかもしれない。でも、常にそういう気持ちがあるからこそ、頂点を極められたのだろう、とも思う。
「おかげで私たちも、さらに力のこもった、新しい知見に満ちた講演を聞くことができるんです。だから○○さんに来ていただいて、正解だったんです」
なるほど。そういうことか。
「お会いしたら、ぜひこのことだけは言わなきゃ、て思って」
全くお役に立てないと思っていたが、この不肖の弟子、まだ使い道があるようだ。
2次会は気心の知れたメンバーだけで日本酒の美味しい店に行く。夜11時まで、久しぶりに、美味しい地酒だけを飲み続けた。
1月30日(日)
午前中、ひきつづき資料調査。そして、午後1時半から講演会である。
講演会会場に人が入りきらず、外にも席を設けるという盛況ぶりだった。
「こんなことは、この会場開設以来はじめてです」とYさん。
そして熱気のこもった講演会が3時半に終了。Yさんもホッとしたことだろう。
会場をあとにし、H駅へと向かう。
師匠は私が昨日乗ってきた4時13分着の特急で、そして私は師匠が昨日乗ってきた4時14分着の特急で、それぞれ反対方向に帰ることになる。
「ちょうど24時間滞在したことになるなぁ」と師匠。
「そうですね」と私。
そしてそれぞれ、慌ただしく特急に乗り込んだ。
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コメント
遠いところお出でいただいてありがとうございました。H先生は弟子である先生の仕事に取り組まれるその真摯なお姿を尊敬されているんですね。とても素敵な関係に感動させていただきました。一生懸命な人にはとても優しい先生ですが、それが怖さにもなりますね。
先生にお会いするたびに、「精進しなければいけない」「きちんと取り組もう」思いながらも、日々に流され、またお会いしては「いけない。いけない」と思う日々の繰り返しです。
本当にお世話になりました。
投稿: Y子 | 2011年2月 1日 (火) 23時06分
ちょっとややこしいですが、「H先生」=師匠、「弟子である先生」=私、「先生にお会いするたびに」の「先生」=師匠、ということですね。私も師匠にお会いするたびに、「精進しなければいけない」と強く思います。だから定期的にお会いしないとその気持ちが持続しないのです。
投稿: onigawaragonzou | 2011年2月 3日 (木) 00時24分