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バブル世代の七五調

このブログ、ごく身近な人以外にはまったく宣伝していないので、このブログが何かの影響力を持つ、ということは、まったくない。

それでも、ごくたまに、このブログが何かの役に立ったり、影響を与えたりする、といったことがある。たとえば、最近書いた「いまさらワクチン」は、「いまさら『ヨン様』」に次いで、なぜかアクセス数が多い。ということは、たまたま「いまさら」「予防接種」などと検索して、このブログを読んだ人が、「いまからでもインフルエンザの予防接種を受けても遅くない」と思いなおし、予防接種を受けに行ったりすることもあるのではないだろうか、と想像する。

もっとも、これまで「ブログを読んで予防接種に行くことにしました」と言ってくれた人はいない。だから最近は、自分から積極的にキャンペーンをすることにした。具体的には、研究室を訪ねてきた学生をつかまえて、とくに就職活動をひかえた3年生を中心に、「肝心なときにインフルエンザになったら大変だから、いまからでも遅くない、予防接種を受けなさい」と言う「ブーム」が、私の中に起きているのである。ま、どれだけ効果があるかはわからないが。

ほかにもある。このブログで紹介した映画やドラマを見た、という人もいた。ただ、マニアックすぎてレンタルビデオ屋に置いてなかった、と言ってきた人もいた。

あと最近では、このブログを読んで高野秀行氏の本の愛読者になった、という人もいた。これなんかは、ちょいとした書評なんぞよりも影響力があるんじゃなかろうか。

さて、その高野秀行氏の本について、あることに気がついた。

私が、「三部作」と言っている傑作がある。

『ワセダ三畳青春記』

『異国トーキョー漂流記』

『アジア新聞屋台村』(ただし未読。たぶん傑作だろう)

この「三部作」は、いずれもタイトルが七五調なのである。

このあたりが、いかにも私と同世代らしいな、と思う。

いまの若い世代の人なら、こういう七五調のタイトルはまずつけないだろうな。バブルが崩壊してから大学生になった私の妻も、「内容は面白いが、タイトルのつけ方が古いんだよ!」と思っているに違いない(直接確かめたわけではない)。

私が高野氏の本にしっくりくるのは、文体を含めたこうした「リズム」にあるからなのだろう。

ちょっと話が脱線するが、学生時代に劇団四季の「キャッツ」というミュージカルを見にいったときに、歌われている歌の歌詞が、ほとんど七五調だったことに笑ってしまった。「俺は天下のならず者」とか。アメリカのミュージカルも、日本の作家の手にかかれば、いとも簡単に七五調の日本的な歌詞に変わってしまうのだ。それだけ七五調は、私の身体にしみついている、といってよい。

しかし、バブル世代の私たちにとって、なぜ古典的な七五調がしっくりくるのか?

さきほど散歩しながらそのことを考えるていると、またあることに気づいた。

バブル全盛期に公開された、いかにも「バブルを象徴する映画」は、次の3つだった。

「私をスキーに連れてって」(1987年)

「彼女が水着にきがえたら」(1989年)

「波の数だけ抱きしめて」(1991年)

タイトルが全部七五調ではないか!

バブル全盛期に数々の流行を生み出したことで知られるホイチョイ・プロダクションが制作した映画、いわゆる「ホイチョイ三部作」は、いずれもタイトルがなぜか古典的な七五調なのである(ちなみに、私はこの3部作をいずれも観たことがない)。

そういえば、

「就職戦線異状なし」(1991年)

という映画もあったな。これも七五調だ。この映画なんか、私が大学4年の時公開されているから、ド「ストライク」な映画なのだが、残念ながらこれも観ていない。

つまり、バブル世代にとって、七五調のタイトルは身体にしみついたものだったのだ!

かくいう私も、パク・ヨンギュの歌のタイトルを「今日も私が我慢する」と、わざわざ七五調で翻訳していたことに、あらためて気づく。

そしてお気づきになったかな?今回のタイトルも、七五調である。

そしてこのブログのタイトルも。

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