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屋台村の留学生たち

ひきつづき自称「探偵事務所」(研究室)にて。

「…その人物によれば、父親が2回死んだ、っていうんです」と依頼者のK氏。「そんなことって、考えられるでしょうか?」

「父親が2回も?」と私。「考えられませんなあ。ひょっとするとですよ…」

…もうこのパターンはやめよう。

こんなことをしている暇があったら、本業の原稿を書かなければならないのだが、どうにもうまくいかないのが世の常。

高野秀行『アジア新聞屋台村』は、やはり予想していたとおり、面白い。

アジアのさまざまな地域の人々が登場するこの物語は、韓国の語学学校で勉強していた私にとって、気持ちがとてもよくわかる、という部分が多い。

そしてこの物語には、韓国の女性が登場する。

『異国トーキョー漂流記』を読んだ妻が、「ここに韓国人が登場していないのが残念だったね」と感想をもらしていた。高野氏ならば、韓国人をどう描くだろう?それが、私たちの関心の的だったのである。

さてこの物語は、辺境作家にして貧乏のタカノ氏がふとしたことから、東京にある多国籍新聞社の「編集顧問」になったところからはじまる。

この新聞社は、台湾人の若き女社長が経営する新聞社で、在日のアジア人や日本人向けに、台湾、タイ、マレーシア、インドネシア、ミャンマーなど、多国籍の新聞を発行している。そこには、アジアのさまざまな地域から人々が集い、彼ら「エイリアン」ならぬ「エイジアン」の奔放な行動に、例によってタカノ氏は翻弄されていく。それはさながら、屋台村のような喧騒である。

そこに1人登場する韓国人の女性。タカノ氏はこの女性を、特別な思いで描いている。なみいる「エイジアン」の中で、韓国人女性に特別な思いを抱く、というのは、なんとなくわかる気がするなあ。たぶん、感性がいちばん近いもん。

だが、あちこちに地雷がしかけられている、とタカノ氏は気づく。そのあたりの心の動きも、わかる気がする。

さて、この本を読みながら私が思い出したこと、というか、悔やまれたこと。

韓国滞在中の大学の語学院で、一番上のクラスである5級で勉強できなかったことが、なによりも心残りである。

韓国滞在中の1年3カ月のうち、1年間、大学の語学院に通って韓国語を勉強した。初級であるところの1級クラスから始まり、4級に至るまで、である。

残りの3か月間、5級に進学して韓国語を勉強することも、不可能ではなかった。だが、それをしてしまうと、結局滞在中ずっと韓国語の勉強にしばられることになるので、泣く泣く、5級進学をあきらめたのである。

だが、それがいまになって、心残りになってきた。

というのも、5級には、じつにさまざまな国籍の人たちが学んでいたからである。

1級から4級までのクラスは、私以外は全員中国人、という編成だった。だから、中国人留学生たちの珍奇な行動は飽きるほど見てきたが、そのほかの国の人々と交流をもったことは、全くなかったのである。

私が4級の授業を受けていたとき、妻は、ひとクラス上の、5級の授業を受けていた。そこに集う留学生たちが、なかなか個性的で面白かった。

中国をはじめ、ロシア、モンゴル、ミャンマーといった国から来た留学生たちがいた。それぞれ、国を背負って留学しているので、韓国語がめちゃくちゃよくできる。優秀なのである。

ロシア人の美人女子学生2人(オレーシアさんと、もう1人は名前を失念)は、ふだんは仲がいいのだが、時折まわりが「どん引き」するくらいの大げんかをする、とか、ミャンマーの留学生は、息つぐ暇もないくらいよくしゃべるのだが、ビックリするくらい内容がない、とか、モンゴルから来た女子学生のフーランさんは、そつがない、とか、日本の地方大学3年生のカオリさんは、日本のアニメから抜け出たような格好をしていて、頭のてっぺんから出ているかのような甲高い声色で喋っている、とか、妻の話を聞きながら、「ああ、その場に私がいれば、またオモシロ可笑しく書けるのになあ」と、悔やんだものである。

もう、あんな経験はできないのかなあ、と思うと、少しさびしい。いや、かなりさびしい。

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