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「おバカバー」を侮るなかれ

2月28日(月)

韓国から帰国して、1年が経った。

この1年間、無為に過ごしてきたなあ。

少し、英語の勉強でもはじめてみようかな、という気になった。

理由は、「英語を喋っているのを見てかっこいいと思ったから」、という単純な理由である。

韓国語だと、韓国人としか話せないからなあ。

といって、英語で話す相手など全然いないのだが。

そんな帰国記念日というめでたい日に、イヤなことはいったん忘れて、「カバー曲」について考えよう。

昔から洋楽を日本語でカバーする、という話はよくあり、それが時に滑稽な歌を生み出す、という話も、よく知られている。

有名なところでは、ギルバート・オサリバンの名曲「アローンアゲイン」である。

これを、なかにし礼が訳詞したのが、九重佑三子が歌う「また一人」というカバー曲である。

「私としたことが

あなたに棄てられて」

という出だしではじまるこの歌は、原曲の雰囲気とはまったく異なる世界観を表現した曲として、カバー曲愛好家から絶賛?されている。

こういうカバー曲は、一部では「おバカバー」(おバカなカバー曲、という意)と分類されている。

なかにし礼は、原曲の雰囲気を換骨奪胎して、まったく異なる世界観を作り上げる天才で、イーグルスの「ホテルカリフォルニア」も、原曲の雰囲気とは異なる、国道沿いの怪しげな安ホテルをイメージさせるようなカバー曲に変身させてしまったのである。

もっとも、「ホテルカリフォルニア」じたい、歌詞の意味が難解だといわれているので、それを強引にわかりやすい訳詞に変えたのは、ある意味すごいことではある。

もうひとつ、これは賛否が分かれるかも知れないが、カーペンターズの「イエスタデイワンスモア」をカバーした、内山田洋とクールファイブによる「イエスタデイワンスモア」である。

しかも、歌っているのが、リードボーカルの前川清ではなく、バックコーラスの小林さん、というのがいい。

ムード歌謡でおなじみのクールファイブがカーペンターズを歌う、というだけで、なんとなく滑稽な感じがするが、この曲を滑稽ととるか、哀愁ととるかは、賛否が分かれるかも知れない。私は当然、後者である。

とくに、2番の歌詞の冒頭である、

「なぜに帰らぬ年月はきれいなのだろう

すべては夢のようなもの」

という部分は、何度聞いても、じーんと来る。ちなみにこの部分の原曲の歌詞は、

「Lookin' back on how it was

In years gone by

And the good times that I had

Makes today seen rather sad

So much has changed」

となっていて、直訳すると、

「過ぎ去った日々や楽しかった日々をふりかえると、今、いくぶん悲しく思える。すっかり変わってしまったなあ」

くらいの意味だろうか。うーむ、自信がない。

それを、(誰の訳詞かはわからないが)

「なぜに帰らぬ年月はきれいなのだろう

すべては夢のようなもの」

と訳したのは、すごいと思う。だから私は、この歌を愛してやまないのだ。

前回の日記で「涙そうそう」の韓国語版カバー曲があることを発見し、歌詞に相当な違いがあることがわかったが、考えてみれば、日本の歌が韓国語でカバーされている例は多く、その逆もある。歌詞の違いを見ることで、2つの国の言語や文化のさまざまな特徴が見えてくるのではないか?

これ、絶対に面白いテーマだと思うんだけどなあ。それとも、もうやりつくされているのだろうか。

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