減らず口、あるいは顔っぽく見える家
地震が起こってから、ツイッターはさまざまな流行語や名言を生みだしたらしい。
全然知らない人のツイッターで、たまたま見つけたつぶやきが、ストンと心に落ちる。
「どうして「がんばれ日本」に心が浮かないのか。なぜ「ひとつになるために」「団結力」「共に生きよう」……そういったキャッチコピーに不愉快なものを感じるか。それは、この国に住む人はいつも少数の異質な人を排除して「ひとつ」「団結」を作ってきたからだ。包括的「ひとつ」ではなく排他的なのだ」
ほうれん草が風評被害でまったく売れないとニュースで見て、ほうれん草をめったに買わない私も、アッタマきたんで買うことにした。もっとも、地元産だが。これからどんどんほうれん草を食べることにしよう。
そのことを妻にメールで言うと、さっそく返事が来た。
「シュウ酸が含まれているから、食べ過ぎると結石になるよ」
……まったく反論の余地なし。減らず口とはこのことである。というか、私の「極端」な性格をよく知っている。
3月27日(日)
午前中、歩いて近くのスーパーに行くと、灯油を1人18リットルまで販売するという。急いで灯油タンクを家から持ってきて、灯油18リットルを手に入れた。
宣伝すると人が殺到するので、全然宣伝していない、という。つまり、情報は自分で手に入れろ、ということらしい。
隣近所にまったく知り合いがいない私からすれば、なおさら、自分で情報をとりにいかなければならない。
そこで次に、近くのガソリンスタンドまで歩いていくと、車が長蛇の列である。
交通整理をしている店員さんに、「何台くらい並んでるんですか?」と聞くと、「200台くらいです」と答えた。
「明日も営業しているんですか?」
「ええ、明日もやります」
頑張ればガソリンは手に入るかもしれない、ということか。だが並ぶのがなあ…。食堂でも何でも、並ぶのがキライなのだ。ということで、並ぶかどうか迷い中。
歩きついでに、散歩しながら、写真を撮ることにする。
以前から気になっていたことがあった。近所に、「顔っぽく見える家」があるのである。
「顔っぽく見える家」は、「フェイスハウス」ともいい、伊集院光氏が考案した写真のジャンルである。
これは、日ごろ見慣れている景色が、見方を変えれば全然違う世界に見えるという、いわば思考実験である。言い換えれば、妄想ともいう。
この機会に、写真を撮ってみるが、はたして顔っぽく見えるかどうか…。
「小錦っぽい」とは妻の評。
「顔っぽく見える家」のうちはいいが、「家っぽく見える顔」に見えるようになったら、妄想も重度だそうだ。
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コメント
ただいまN潟経由で関東方面へ来ています。そちらがほうれん草なら、こちらは水道水をがぶ飲みだあ。
永田町のコンビニでも空棚が目立ちましたが、ご丁寧に「被災地に商品を回している」と張り紙がしてあり、ここでは東北のガソリン難や食糧難を想像することは難しいと思いました。計画停電だって、23区のうち下町以外は対象から除れているし。
顔といえば、昨晩出身地のコンビニに入ったら、女子店員の顔が小学校の同級生にそっくりだったんですが、年齢的には娘さんということもありかもと思い、こうやってどの時代にも同じような顔の人が生きているんだなと思いました。
投稿: こぶぎ | 2011年3月27日 (日) 23時00分
私も遅ればせながら関東方面へ。たしかにこちらでは東北の状況は想像しがたいでしょうね。
コンビニの女子店員の話、ちょいとした「ニューシネマパラダイス・ディレクターズカット版」のような、いい話ですなあ(あいかわらずたとえがわかりにくい)。
投稿: onigawaragonzou | 2011年3月29日 (火) 00時02分