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被災地に寅さんを!(追記あり)

3月21日(月)

昨日は散髪をしたおかげでスッキリした。そろそろ日常生活にもどらなければならない。

今日も午前中から市内を歩く。今日は、駅の方まで行ってみることにした。

地震の時、私は駅ビルにいた。駅ビルのCDショップで、1枚のCDを買うか買うまいか迷っていたのである。(ま、いいか)と買うのをあきらめ、駅の改札口に降りるエスカレーターに乗っていたときに地震が起こった。

こういうときに自粛してしまうのは、かえって地元の経済を停滞させてしまう、と思い、あのとき迷ったあげく買わなかったCDを買うことにした。ま、たんに買いたかっただけなのだが。

駅の反対側に出て歩いてみるが、おどろくほどひっそりとしている。そのままあたりをひとめぐりし、昨日と同様、市役所に向かう。当然のことだが、やはり閉庁である。

その後、目抜き通りの本屋に立ち寄る。すると、DVDマガジン「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」が置いてあるのを見つけた。地震で入荷されていないだろうと思っただけに、(地元経済のため)と言い聞かせて、さっそく買うことにした。

「男はつらいよ」の最後の作品「寅次郎紅の花」では、震災にあった神戸で寅次郎がボランティアをする、という場面がある(私は未見)。当時、復興の途中にあった神戸の人々にとって、寅さんが来たことは、ずいぶんと励みになったという。

文化人たちは、これを「テキ屋の聖化」となかば冷ややかに評したが、フーテンが聖化される、というのは、なにも寅次郎にかぎったことではない。

被災地、あるいは避難した場所で生活している方々が、どのような思いでいらっしゃるのか、私の想像を超えるものなので、軽々しく推測することはできないが、長期間、緊張を強いられる生活がよくないことは、間違いない。

避難している子どもたちに絵本を送って喜ばれたり、アニメのDVDを上映して喜ばれたりしている、というニュースはよく聞く。では大人は?

「寅さん」こそは、いま見るべき映画ではないか?

テレビでもいい、避難所の仮設スクリーンでもいい。いま「寅さん」をこそ、上映すべきなのではないか。

先週、そんな話を、たまたま研究室に来た2年生の学生にしてみたら、

「寅さん、てなんですか?」

と聞かれた。そうか、もう寅さんは、いまの大学生にはわからないのだな。

いまや渥美清はいない。だが、彼が残した「男はつらいよ」は48作品もある。これを毎日1作品ずつ見続けたとしても、1カ月半は十分に楽しめる。1週間に1度見たとしたら、約1年間楽しむことができるのだ。

山田洋次による、笑いとペーソスにあふれたストーリー展開、そして「寅のアリア」と呼ばれる渥美清の語り口、そして各地に残る美しい風景…。とくに渥美清の芝居には、そのバカバカしさに笑わされ、やがて泣かされる。たぶん、この地震で失われてしまった何かを取りもどすきっかけになるのではないだろうか。

「寅次郎忘れな草」をあらためて見たが、やはり面白い。

浅岡ルリ子演ずる「リリー」がマドンナの第1弾である。浅岡ルリ子はこのシリーズに4回ほど出演しているが、なかでも2回目の「寅次郎相合い傘」が、シリーズ中の最高傑作であるとよく言われている。

だが、この「忘れな草」も、なかなかいい。これが、被災地や避難場所で見ることができたら、きっと元気が出るのではないか、と考えるのは、被災地や避難場所の実情を知らない者の、身勝手な意見だろうか。

以下、「忘れな草」より一場面。このセリフが一流の監督と役者たちによって魂を吹きこまれると、人の心を揺さぶるものになるのだ。

さくら「お兄ちゃんはさ、カラーテレビもステレオも持ってないけど、そのかわり、誰にもない、すばらしい物を持ってるものね」

寅「何だよ、えっ? …あっ!おまえ、俺のカバン、調べたろ!」

さくら「違うわよ、形があるものじゃないのよ」

寅「なんだい、屁みたいなものか?」

さくら「違うわよ!つまり、…愛よ。人を愛する気持ち」

タコ社長「そう!…それはいっぱい持ってるよ!」

寅「なんだばかやろう。どうしておまえにそれがわかるんだよ」

タコ社長「ほんとだよ」

博「いや、さくらの言うとおりですよ。そりゃあどんな高いお金を出しても買えないものですよ」

寅「なんだよ、見たようなこと言うなよおまえ、へへへ」

おいちゃん「そうか、そんなに高いもの持ってるか。だったらさ、さしずめ寅は上流階級か」

全員「いやだ、アハハハハ」

(追記)

読者から、「この日記を書いた日と同日の朝日新聞に、山田洋次監督のインタビュー記事が載っていましたよ」とご指摘をいただいた。なんとも運命的なものを感じたので、インタビュー記事の一部を引用する。

「阪神大震災の後、神戸市の長田地区で映画を撮りました。焼け出された人たちから「寅さんに来てほしい」という声があがったのです。

僕は、あんな無責任な男の映画を被災地で撮るなんて、とんでもないことだと思い、最初はお断りしました。

でも、訪ねてきてくれた長田の人たちが、口々に、こうおっしゃるのです。

『私たちが今ほしいのは、同情ではない。頑張れという応援でも、しっかりしろという叱咤でもありません。そばにいて一緒に泣いてくれる、そして時々おもしろいことを言って笑わせてくれる、そういう人です。だから寅さんに来てほしいのです』

寅さんのような男が、そばにいることが何かの慰めになるのならば。そう考え直して、撮影に向かいました。

あの焼け跡であった出来事を思うと、撮影していて、僕らはとてもつらかった。でも、長田の人たちはとても温かかった。ここで助け合い、支え合って生き抜いてきた人たちです」(朝日新聞2011年3月21日朝刊、山田洋次監督「想像することでつながりたい」)

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