おくる言葉
3月7日(月)
朝9時からはじまった卒業論文発表会が、夕方6時前にようやく終わった。
今年度の担当は私で、発表レジュメの印刷・製本、当日の準備、進行などに追われた。
発表の数日前から、「学生がほとんど来ないんじゃないんだろうか」とか、「発表者がみんなサボるんじゃないだろうか」などという不安に襲われ、眠れなかったが、蓋を開けてみたら、発表者27名、聴衆110名で、しかもほとんどの人たちが最後まで残ってくれた。
レジュメ集を120部印刷しておいたのは正解だった。
レジュメ集、といっても、みんなから集めた原稿を印刷してたばねて、表紙をつけてホッチキスで綴じただけの簡易なものだが、私が担当の年は、表紙だけは、少しばかり凝ることにしている。卒論を書いた4年生に対して敬意を表する意味で、というのはややキザったらしいが、せっかくの卒論発表会だから、少しでも後に残るようなレジュメ集にしたい、というのが本音である。
今年度の表紙に「アレ」を使ったのは、その前の日に向田邦子脚本のNHKドラマ「阿修羅のごとく」を見たから、という単純な理由にすぎない。
ともかく、終わってようやく肩の荷がおりた気がした。昨年10月の、演奏会の司会をした後のような放心状態に陥る。いわゆる「真っ白な灰」というやつである。
午後6時、研究室で茫然としていると、4年生たちが5人ばかり来た。
「これ、先生にお礼の品です」
開けてみると、小さなフォトフレームと、マグカップである。
フォトフレームの中に入っていた絵の脇には、
「福は笑顔が大すきだから しんどい時も笑顔笑顔」
と書いてある。
まるでここ最近の私の仏頂面を見すかしたような言葉に、思わず笑ってしまった。
今年の4年生にはさんざん困らされ、最近のどんよりした気持ちも、それが原因だったのだが、最後も、してやられたな。
どんよりした気持ちも、ひとまず今日で終わりにしよう。
ということで、追いコンに参加する。場所は駅前の居酒屋である。
4年生の挨拶がひととおり終わり、次に教員による「おくる言葉」である。6人のうち、なぜか私が最後に喋ることになった。
「先生はオオトリですね。ということは、他の先生方のお話もふまえて、ちゃんとまとめなければなりませんね」隣に座っていた2年生のN君が私に言う。
「こら!ハードルを上げるんじゃない。プレッシャーがかかるじゃないか!」
他の同僚たちは、卒業生や在学生に、教訓になるようなちゃんとしたお話をした。
そして最後に私の番。
「私が小学生のとき、祖母と同居していたんですが、その祖母が、当時70歳くらいだったかなあ、プロレスの大ファンだったんです。
いまの70歳のようにかくしゃくとしていたわけではなく、そうとう腰の曲がったおばあさんだったんですけど、プロレスの番組がはじまると、とたんに元気になって、当時のジャイアント馬場だとか、アントニオ猪木だとかの試合を見ながら、まるで自分が戦っているかのように、テレビの前で大声を出して応援していました。
プロレスの番組が終わると、まるで戦い終えたかのように、おばあさんはぐったりしていました。手強い敵と戦った場合は、とくにぐったりしていました」
一同は、キョトンとしている。
「何でこんなことを思い出したのかというと、この数カ月間、みなさんの卒論のお手伝いをしていた私が、まさにそういう状況だったからです。自分が卒論を書いていたわけではないのにもかかわらず、まるで私がいくつもの卒論を書いているかのような気持ちになって、ぐったりしました。自分自身がプロレスをした気分になってぐったりする、という祖母の気持ちが、よくわかりました」
(わかりにくいたとえだったかな?)と反省したが、言い出してしまったことは仕方がない。私は最後に言った。
「今年の敵はとくに手強かったなあ。でも、今日で肩の荷がおりました」
真意がどのくらい伝わったかはわからないが、聞いていた4年生たちは苦笑していたから、ある程度は通じたのだろう。
最後の最後、困らされた4年生たちに一矢報いようと思ったが、Keiさんのように上手くはいかないものだ。
1次会で帰ろうと思っていたが、肩の荷がおりたせいか、足どりが軽くなり、2次会に出て夜12時まで飲んだ。
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