1985年の4月1日
私は高校時代、ガラにもなく、ブラスバンドでアルトサックスを吹いていた。私の1学年上には、通称「にっさん」と呼ばれていたニシヤマ先輩と、「パンテン」と呼ばれていたイケダ先輩がいた。にっさんは部長、パンテン先輩は指揮者だった。
わが楽団は、年に1度、春休みである4月のはじめに、市民会館の大ホールを会場にして定期演奏会を行っていた。
私が高1の時の話。いよいよ3日後が定期演奏会という日の午後、私たちは音楽室で、パンテン先輩の指揮のもと、合奏練習をしていた。そこへたまたま校内アナウンスが入り、部長のにっさんが呼び出された。事務室に電話が入っているという。にっさんは練習を抜け、事務室へ行った。
なんということのない、ふだん通りの練習風景だ。ところが、にっさんが事務室から帰ってくると、状況は一変した。先輩は音楽室の扉を激しい音を立てて開け、血相を変えて飛び込んできた。
「おい、聞いて驚くなよ。いま市民会館からの電話で、ホールの照明がぶっ壊れて、一週間ホールは使えないって言われたんだ!」
その驚き方は尋常ではなかった。あまりの突然の事態に辺りは騒然となった。
「マジかよ」パンテン先輩が半信半疑でにっさんに聞く。
「うん、市民会館の人が確かにそう言っていたんだ。間違いない」 定期演奏会が中止になるのではないか、という不安が私の頭をよぎった。
騒然とした後、今度は沈黙が続く。これからどうすべきか、みんなが考え始めていた。
「どうする?」部長がたまりかねて指揮者に問いかける。
「照明が壊れたんじゃ、仕方ないな。定演を中止するしかない」パンテン先輩が真顔でつぶやく。その言葉に反応してか、すすり泣く声も聞こえてきた。
気まずい空気が流れる。その気まずさが最高潮に達したと思われたころ、再び校内アナウンスが流れた。
「器楽部吹奏楽団の皆様にお知らせいたします。今日4月1日は、エイプリル・フールです」
その瞬間、パンテン先輩の真顔が高笑いに変わった。私たちは騙されたのだ。
再び辺りは騒然となる。キョトンとする者、安堵する者、泣き続ける者、大笑いする者。私ははじめ、部長のにっさんと指揮者のパンテン先輩が協力して騙したのかと思った。しかしそうではなかった。にっさんは、2回目の校内放送を聞くやいなや、地団駄を踏んで悔しがったからだ。そう、にっさんも騙されていたのである。
パンテン先輩は、市民会館の人や放送部の人を巻き込んで、壮大かつ周到な嘘をついたのだ。まじめで、何かにつけて真に受けるにっさんの性格を利用して、一世一代の大芝居を打ったのだ。パンテン先輩らしい、粋ないたずらだった。
どこまでも実直で、情にもろい部長・にっさん。軽やかなふるまいで、つねに「粋な心」を持ち続ける指揮者・パンテン先輩。性格が全く正反対なこの二人のコンビネーションは絶妙だった。二人はまた、私にとっては同じサックスパートの先輩でもある。もっとも、二人は部長、指揮者でそれぞれ忙しく、実は親しく会話を交わしたという記憶があまりない。だが私は、いずれこの二人のような先輩になりたいとひそかに思ったりしたものだ。
この二人の先輩が卒業するとき、私は同期のコバヤシと相談して、おもちゃのサックスをプレゼントした。彼らの高校生活三年間の総決算を、「おもちゃのサックス」に込めたのである。思えばこれが、先輩に対して私が考えうる、あのエイプリル・フールへの「粋」な仕返しであったのだ。
(付記)これは、10年以上も前に書いた文章。いま読み返すと、ちょっと文章に精彩がないなあ。ところで高校を卒業してから、にっさんにもパンテン先輩にも会っていない。いまどうしているのかも、わからない。
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