« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月

黒澤明と手塚治虫

4月28日(木)

たった4日しか経ってないのに、すでにかなりクタクタである。この調子でお盆前まで続くのかと思うと、すでにゲンナリである。この稼業、スタミナが肝心であることを実感する。

すっかり疲れてしまって頭がボーッとして、気の利いた話も書けそうにないので、わけのわからない話を書くことにする。

以前、授業中に学生から「紙幣の肖像画にしたい歴史上の人物は誰ですか?」と質問され、「黒澤明と手塚治虫」と答えたことがある。

私は授業でよく、「黒澤明監督の映画と手塚治虫先生の漫画で、人生のたいていのことは学べる。だからこの2人の作品だけで十分なんじゃなかろうか」と言って、学生たちにハァ?という顔をされる。

ま、私がそう思っているのだから仕方がない。もっとも、私は、黒澤明マニアでもなければ、手塚治虫マニアでもない。すべての作品を見ているわけではないからである。

私が愛読している『全集 黒澤明 第四巻』(黒澤明のシナリオ集、岩波書店刊)の月報に、手塚治虫が「黒澤さんの国際性」と題する短いエッセイを載せている。

巨匠・手塚治虫は、巨匠・黒澤明のことをどう見ていたのか?それを考えるだけでも、ワクワクする。その意味で貴重なエッセイである。

このエッセイの中で手塚治虫は、黒澤映画の国際性に感嘆しつつも、「では黒澤さんの気質がインターナショナルなのかといえばそうでもない。どちらかといえば古い日本型父親像を描く人である。これを並の監督が描けば浪花節になってしまうだろう。そういう黒澤さんの日本人の部分を欧米の観客に奇異に感じさせず納得させる技量はなんだろうか。これは、大変ぼくにとって興味深い謎である」と述べ、黒澤映画の家父長制的な側面を見事に言い当てている。

手塚治虫は、黒澤映画のインターナショナルな人気の秘密を、「まず日本人というわかりにくい被写体を、じつにわかりやすく面白く、しかも芸術的に観せることから始まったのだ」と結論づけ、その表現方法が劇画を描く手塚らに大きな影響を与えたと締めくくっている。

このエッセイには、黒澤映画への皮肉が込められているような気がしてならない。それは、黒澤映画の主題じたいは、インターナショナルでもなんでもなく、家父長制や徒弟制といった、実は古い価値観にささえられているのだ、という指摘にあらわれている。

考えてみれば、黒澤明は山本周五郎の小説を愛してやまなかった。山本周五郎の小説を原作にした脚本や映画を何本も作っている。たぶん、黒澤映画ともっともよく相性が合っていたのは、山本周五郎の世界観だったのだ。

それが、国際的に評価されるのであるから、手塚治虫が言うように、これは謎というほかない。

ちなみに、山本周五郎は1903年生まれ。黒澤明は1910年生まれ。7歳しか違わない。つまり同世代だったのね。てっきり、山本周五郎は黒澤明よりはるかに年上の人だとばかり思いこんでいた。つまり同世代の表現者として、黒澤は山本に共感していたのだ。1928年生まれの手塚治虫にとって、山本周五郎や黒澤明は、古い日本人像を描く一世代前の人と映っていたのかも知れない。

…底の浅い話でお茶を濁しました。ではごきげんよう。

| | コメント (0)

くるみぼたんの謎

何を隠そう、手芸サークルの顧問である。

昨年、学生のSさんから、「手芸サークルを作りたいので、顧問になってください」と依頼があり、ふたつ返事でOKした。手芸サークルは、昨年12月、大学の正式サークルとしてめでたく承認された。

先日の、新入生歓迎の行事に、サークルとしてはじめてブースを出し、新入生の勧誘を行ったそうだ。

「でも当日は大雨で、さんざんな目に遭いました」とSさん。ブースは出したものの、テントがなかったので、傘をさして1日中立ちっぱなし。作品もずぶ濡れになったという。

「新入生に名前を書いてもらうこともできずに、とりあえず来た人に、こちらの連絡先を書いたチラシだけ渡すことにしました」弱小サークルの悲しさか。「でも手応えはあります。何人かは入ってくれるかも知れません」部員は現在のところ、13人だという。まずまずのすべり出しではないか。

だが、ひとつ問題がある。それは、顧問である私が、手芸についてまったく知識がない、ということである。

この手芸サークルの名を、「くるみぼたんの会」という。

この、「くるみぼたん」というのがわからない。何なんだ?「くるみぼたん」って。

妻に電話で聞いてみた。

「手芸サークルの名前が『くるみぼたんの会』っていうんだよ。ヘンだよねえ」

「どうして?いい名前じゃない」

「そうなの?」

「まさか、…くるみぼたんを知らないの?」

「知らないよ」

妻は呆れた様子である。

聞いてみると、くるみぼたんとは、表面を布などで包んだボタンのことだという。そういえば、そんな感じのボタン、見たことあるなあ。

そこでハタ、と気がつく。

「そうか。くるみは、ボタンを『くるむ』から来てるのか~」

「今ごろわかったの?」

「てっきりくるみは胡桃のことだと思ってた。で、ボタンは牡丹の花。そういう手芸のデザインをいうのかと思った」

本当は、胡桃入りの「ぼたもち」のことか、とも思っていたのだが、それではあまりにも食い意地が張っていると思われるので、言うのをやめた。

とにかく、私が思っていたイメージとは全然違い、むしろ手芸サークルにふさわしい名前であることを、ようやく知ったのであった。

そもそも、このレベルの知識しかない、というか、このレベルの知識すら持っていない私が顧問になっていいのだろうか?これまで、あまりにも手芸とは無縁の人生を送っていたことを、少し反省した。

そういえば、前の職場では茶道部の顧問をしていたんじゃなかったかな。その時もやはり、まったく茶道のことを知らず、茶道と無縁の人生を送ってきたことを反省したんだったな。

そう思うと、日々、反省をくり返しながら、ちっとも学んでいない。

| | コメント (0)

おっさんたちのメール同窓会

高校の部活の同期のSから、「久しぶりにみんなで集まらないか」というメールが来たのは、3月3日のことである。

Sというのは、高校時代、あの「ミヤモトさんサミット」の議長をつとめていた男である。

人間、いくつになっても役割というのは変わらないものだなあ。

3年くらい前にいちど、Sを含む同期の数名と、東京で飲んだことがあるから、それ以来である。

「今度は同期の女子にも声をかけてみたいと思う」という。このあたりも、相変わらずである。

3月26日(土)に東京に集合、と号令がかけられたが、あいにくその日は出張の予定が入っていて、参加できない。

さっそく、参加、不参加のメールが、同期のおっさん連中の間で交わされる。

平日の昼間に、みんな暇なんだなあ、と思いつつ、次から次へとやってくるメールを眺めていた。

その中で一人、じつに20年ぶりに連絡をかわした友人がいる。部長をつとめていたTである。

彼は大学卒業後、S市にあるローカル局のアナウンサーになった。いまではその局の看板アナウンサーである。

その仕事柄、なかなか東京で飲み会に参加する、などということはできない。ところが3月26日は東京に出張なので、彼の日程に合わせて、同期会をやろう、ということになったのである。

その日の晩、私のところにTからメールが来た。26日は会えなくて残念だが、せっかく隣県に住んでいるんだから、こんど酒でも飲もう、という内容である。そしてお互いの仕事のことや家族のことを、メールで近況報告しあい、近いうちの再会を約束した。

ところが、このあと事態が一変する。3月11日の震災である。

甚大な被害を受けたS市、そのS市のローカル局でアナウンサーをしているTは、ほとんどテレビに出ずっぱりで、被害の状況を伝えた。その様子は全国ネットのニュースにも流れた。私はこのとき、じつに20年ぶりに彼の姿を見た。震災がきっかけで、彼の元気な姿に再会する、というのは、何とも複雑な思いである。

当然、3月26日の同期会も中止になった。

さて、それから1カ月が過ぎた、4月25日(月)のこと。

Sから同期のメンバーにメールが来た。「5月の連休あたりに集まろうぜ」というメールである。「どうやら5月4日に同期の女子が集まるという情報を入手したので、それに乱入しようかと思います。みなさんはどうですか?」

本当に変わらないやつだなあ。あくまでも女子との飲み会にこだわっているようだ。

「実は妻が出産する予定で、予定日が5月5日なんだ。なので東京には行けない」と、広島に住むO。

「福島に住んでいる母が、いまこっちに避難していて、当分東京に行けそうにない」と、福岡に住むK。

次から次へと同期のおっさんどもからメールがくる。平日の昼間だぞ。みんな、本当に暇なんだなあ。

私も返事を書いた。

「連休は東京にいるにはいるが、5月3日は高校のOB楽団の定期演奏会で司会をやることになっていて、そちらで手一杯です。いっそのこと、演奏会に聞きに来てよ。同期のFやKさんも出演するんだし、その方が手っとり早い」

「なるほど。じゃあ、俺も一緒に夜の打ちあげに参加すればいいのかな」とSからの返事。

「いや、打ち上げは知らない連中ばかりだろうから、それとは別に、演奏会のあとに飲みに行く時間を作ろう」と私の返事。

「そうだね。そうしよう。じゃあ、3日、演奏会に行ける人いますかー?」ふたたびSがみんなに呼びかけた。

かくして、事態はどんどん進展していく。…というか、Sはそうとう暇なのか?身軽にもほどがある。

夜になって、同期の中でいちばんまじめだった、東京在住のWからメールが来た。

「話がどんどん展開していますね」夜になってメールを見たWは、驚いた様子である。そりゃそうだ。昼間にずっとこんなやりとりをしていたんだもの。

「行けるかどうかは、家族との調整があって、今週末にならないとわかりません」そりゃそうだ。逆に、家庭を持っているSがなぜそんなに身軽なのかの方が不思議である。

Wのメールは、次のように締めくくられていた。

「震災の影響のあった方、子供が生まれる方、定期演奏会に出られる方、みんながんばってください。私のほうはあまり大きな変化はありませんが、最近の環境の変化を思うと、自分のできることはやっぱりがんばんなきゃね、と思う今日この頃です」

まじめなWらしさがあふれた言葉だった。これを読んで、ちょっと涙が出た。

やはり人間は、いくつになっても変わらないなあ。こいつらを見てると、つくづくそう思う。

| | コメント (5)

満開御礼

4月25日(月)

午後、1年生向けの授業の第1回。といっても、初回は簡単なガイダンスである。

教室に行くと、席がほぼ満席である。

何でこんな地味な内容の授業に出ようなどと思うのだろう?

開口一番、「ほかの授業の方が面白いですよ」と言った。これは事実である。

するとこれが学生たちにドッとウケた。

「世界的に有名な先生の授業もありますし、教え方がうまいと表彰された先生の授業もあります。私は有名でもないし、表彰されたこともありません」

なにもそこまで卑屈にならなくても、と自分でも思うが、これもまた学生たちにドッとウケた。

仕方がないので、自虐ネタを続けることにした。

「私の授業でいちばん面白いのは、シラバスです。授業自体はそんなに面白くありません」これもまた事実である。

またドッとウケた。

「午後の授業ですし、それに聞いていてわかると思いますけど、私の声のトーンはこんな感じですから、聞いていて眠くなると思いますよ」

これまたドッとウケた。

自分で言っていてだんだん落ち込んできたが、こんなにウケたのははじめてかも知れない。ひょっとして、みんな、笑いに飢えているのか?

だがそこで思った。こういう時だからこそ、これからは、学生から笑みのこぼれるような授業をしよう、と。今学期は、積極的にウケをねらっていくことにするぞ。

20110425162539_61870782 ガイダンスが終わり、建物の外を出ると、青空が見え、桜がほぼ満開である。

せっかくなので、構内を歩きまわり、桜の写真を撮ることにした。

授業が終わったばかりなのか、構内は学生であふれている。

桜の木を見上げて写真を撮っていると、私の横でも、同僚らしき見知らぬおじさんが、やはり写真を撮っていることに気づいた。

「やっと咲きましたねえ」

「やっとですねえ」

などと、会話を交わす。

桜は、新学期を待っていたかのようである。

夕方、学生たちがとあるボランティア作業に行くというので、足がわりに車を出すことにし、私も少しだけお手伝いすることになった。

作業は2時間ほどで終了。学生も私もはじめての体験で、短い時間だったが、とても勉強になった。そして、この作業に熱意を持ち、当初から粘り強く進めている人たちに、心から敬意を表した。

いよいよ動きはじめた新学期、である。

| | コメント (0)

老先生の初恋

私は、お年寄り、といっては失礼かも知れないが、古稀を過ぎた年齢の老先生に気に入られることが多い。

女性にはからっきしモテないのだが、おじいさん先生にはどうやらモテるようなのである。

先日も、関西在住の、おそらく80歳は過ぎているであろう、大家の先生からお手紙をもらった。その先生は、私にとっては、歴史上の人物といってもいいくらいの大家の先生で、講演会などで遠目に拝見したことはあったが、面識はなかった。書物の上で、日ごろから尊敬している先生である。

その大家の先生から、「日ごろあなたの研究には啓発されています」という趣旨のお手紙をいただいたのである。どこでどう、私のことを知ったのかわからないが、ふだん、叩かれたり無視されたりしてばかりいる私の研究を、お天道様はしっかり見てくれているんだな、などと、柄にもなく思ったりしたものである。

さて、これも先日のことである。

ひょんなことから、古い資料を整理する作業をお手伝いすることになった。段ボール数箱分の資料を、いるものといらないものに分ける、という作業である。

だがその資料は、私が生まれるはるか以前のものばかりで、私にその判断ができるはずもない。そこで、私が尊敬する、これまた大家の先生に、その作業をお願いすることにした。その古い資料には、その先生と関わりの深いものばかりが残っていたので、その先生に判断していただくことが、なによりふさわしいことでもあった。

段ボールの中に入っていた雑多な資料を、「これはいる」「これはいらない」と、その先生が振りわけていく。すごいなと思ったのは、そこに残されている資料が、いつ頃の、どこの、何に関するものかを、瞬時に思い出されることである。やはりお願いしてよかったな、と思った。

段ボールの中には、さまざまな古い写真も残っていた。先生はそれらを、「これはいる」「これはいらない」と、瞬時に振りわけていく。

その時、先生の手がとまった。

パーティの時のスナップ写真のようである。当然、モノクロである。

「何かのパーティでしょうか」私が聞いた。

「そのようです」と先生。

先生がじっと見つめていたのは、何枚かあるうちの2枚の写真である。1枚は、大勢の人が並んでいるところに混じって、ひとりの女性が写っている写真。もう1枚は、その同じ女性が、ひとりで写っている写真である。ひとりで写っている方の写真は、ややピンぼけである。

「この人は、○○さんといいます」先生が、写っている女性を指さして、その女性のフルネームをおっしゃった。「ついこの前、亡くなられました」

「そうですか…」私は何と答えいていいかわからない。

「東京にいるだんなさんのところに、この写真を送ってあげましょう。あまりいい写真がないって言ってたから…。こっちの写真(ひとりで写っている方の写真)がピンぼけなのは、惜しいですね」

先生はそうおっしゃると、その2枚の写真をご自分のカバンに入れた。

「この方、東京に嫁がれたのですか?」私は聞いた。

「ええ。でも出身はこちらです」先生は答えた。

その後も、「いる」「いらない」の仕分け作業が進み、なんとかその日のうちにメドがついたのであった。

さて、数日後。

先日の資料整理の際に私と一緒に立ち会っていた方と話す機会があった。その方は、資料整理の作業が終わったあと、老先生をご自宅まで車でお送りしたという。

「先日、作業が終わって、先生をご自宅まで車でお送りしたときに、先生が車の中で、あの写真のことをずっと気にかけているご様子だったんです」

「あの写真?」私は聞いた。

「パーティで女性が写っている写真があったでしょう」

「ああ、あの2枚の写真ですね」

「車の中で、あんまりあの写真のことばかり先生がおっしゃるので、『その方、どういうお方なんですか?』とたずねてみたんです」

「ほう、それで?」

「そしたら、『僕の初恋の人だよ』とおっしゃったんです」

「初恋の人、ですか…」

「私、それを聞いて、びっくりしちゃって…。まさかあの先生の口から『初恋』って言葉が出るなんて…」

たしかにそうだ。ちょっとイメージしにくい。だが、大家の老先生だろうが誰だろうが、初恋は、誰にでも訪れるものなのだ。

「その女性の方は先生の幼なじみで、先生の若いころの活動の、よき理解者でもあったそうなんです」

「そうだったんですか…」

私は、先生がその写真を見つけたときの様子を反芻した。「東京にいるだんなさんのところに送ってあげなければ…」たしか先生はそうおっしゃった。

幼なじみで初恋の相手だったその女性が、結婚して東京に行くことになったとき、先生はどんなことを思ったのだろう、そして、たぶん半世紀ほどが過ぎて、亡くなったその方の写真を見つけたとき、先生はどんなことを思ったのだろう、などと、私は思いをめぐらせた。

たぶん、私にはとうてい達しえない境地である。

私ももっと年をとれば、この境地に達することができるだろうか。

| | コメント (0)

再開と再会

4月20日(水)~22日(金)

職場にようやく活気がもどってきた。新学期オリエンテーションである。

20日は、編入生対象、21日は在学生(2~4年生)対象、22日は新入生対象である。

編入生は、いってみれば新入生と同じで、まったく新しい環境でスタートする。私が担当した学生3人は、みんな目がキラキラしていたなあ。授業が楽しみだ、と言っていた。

在学生たちとも再会する。私が担当する学生たち、全員と再会することができた。震災後はじめて顔をあわせた学生もいる。とくに、震災で被災した学生の、以前と変わらない姿を見たときは、ちょっと涙が出た。…いや、たぶん花粉症のせいだろう。

新入生たちの目も、キラキラしていたなあ。オリエンテーションに参加した同僚たちも、100人あまりの新入生たちを前にして挨拶にギャグを織り交ぜながら、笑いをとっていた。みんな芸達者だなあ。芸がないのは私だけだったな、と、少し落ち込んだ。

みんながこの時を待ち望んでいたのだ。

もちろん、私もこの時を待ち望んでいたが、授業の準備がまったく進んでいないことに、呆然とする。この「失われた1カ月」を、なんとか取りもどさないといけない。

能力も実行力もない私は、見知らぬ土地や見知らぬ人たちの前でボランティア活動をすることなど、とてもできない。目の前にいる人たちに迷惑をかけないようにあくせくするだけで、精一杯である。とりあえず、目の前にいる人たちのために頑張ろう。

23日(土)

来週からの仕事の準備のために、職場に行く。すると外では、新入生を歓迎するための、学生主催の行事が行われていた。主たる目的は、大学のサークル活動を紹介し、新入生を勧誘することのようである。私が学生の時もあったし、私がいた韓国の大学でも、まったく同じ行事があった。

雨にもかかわらず、多くの学生たちが来て、活気づいていた。メイン会場となる舞台の上では、タイムテーブルに合わせて、各サークルが出し物をしている。

窓を開けて、外の様子を聞きながら、仕事をすることにする。すると、お笑いサークルの舞台がはじまった。

3組のお笑いコンビが、ショートコントとか漫才とかをしていたが、「???」という感じである。

その後、建物を出て外を歩いていると、お笑いサークルの前会長だった、Tさんとバッタリ会った。

「お笑いサークル、さっき舞台に出てたね」と言うと、

「す、すいません。昨年はもっと面白かったんです。…それと、2組目のコンビは、舞台に立つと、必ずセリフがとんでしまうんです」

と、こちらが何も言っていないのに、恐縮した感じで私に言う。

「たしかに、セリフがとんでいたね」

「毎回そうなんです」

決められたセリフを毎回必ず忘れてしまうお笑いコンビって、かなり致命的だと思うのだが…。

再び建物の中に入り、窓を開けたまま仕事を続けていると、舞台ではいろいろな催しものが入れ替わり行われている。

なかでも面白かったのは、のど自慢大会である。歌っている学生たちも芸達者だったが、進行する司会者も、じつに「ちゃんと」していた。

余計なことは言わず、テキパキと進行しつつ、それでいて、本来の趣旨であるサークル紹介をきちんと織り交ぜてくる。ちょいとした「大木凡人」である(といっても、このたとえがどのくらい通じるか…)。段取りがちゃんとした司会、というのは、こうも心地よいものか、と、たいへん勉強になった。のど自慢にかぎらず、全体として、司会がちゃんとしていた、というのが、心地よかった。

結局、イベントが終わるまで、窓を開けたまま仕事をしていた。

| | コメント (0)

的はずれの映画評論

私は、映画やドラマを見ても、本筋とは全然関係ない場面が印象に残ったり、気に入ったりする。

韓流映画や韓流ドラマなどでも、「あの映画のこの場面が気に入ってる」とか、「あのドラマのこの場面が印象に残っている」などと妻に言うと、

「何で本筋とは関係ないそんな場面がいいのか、まったくわからん」と一蹴される始末。

だから私は映画評論家には絶対向いていない。だって、誰からも賛同を得られないんだもの。

たとえば、つい最近、DVDであらためて見なおした映画「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」。浅丘ルリ子がマドンナとなるリリー三部作(「寅次郎忘れな草」「寅次郎相合い傘」「寅次郎ハイビスカスの花」)の三作目。

やっぱりリリー三部作はいいねえ。どれも名作である。

しかし、この映画で私がいちばん好きな場面は、やはり本筋とは全然、まったく、何の関係もない場面なのである。

----------------------------

冒頭の「とらや」のシーン。天気のいいのどかな日。

おいちゃん、おばちゃん、さくらが、とらやの店先で、「気候がよくなったから、温泉にでも行きたいねえ」なんて話をしている。

そこへ裏の印刷工場のタコ社長が、大きなため息をつきながらやってくる。

「アー、エライことになっちゃったよ。…とうとう税務署にバレちゃったよ」

「イヤだなあお前は。こっちがせっかく楽しい話してるのに」と呆れるおいちゃん。

タコ社長は深くうなだれている。

「たまにはカラッとした顔をしなさいよ。天気もいいんだしさあ」とおばちゃんも呆れ顔。

「どうしたの?何がバレたのよ」さくらがタコ社長に聞くと、

「ちょっとくらいならわからねえだろうと思ってさ、ごまかして申告したら、それが見つかって、追徴金が来たんだよ」と答える。

それを聞いたおいちゃん、「下手な細工するからだよ、お前は」と、タコ社長を指さして馬鹿にすると、

「人のことだと思ってこの野郎!」と、タコ社長がおいちゃんに食ってかかる。そして再びうなだれて、ため息をつきながら言う。

「…首でもくくりてえよ、ホントに。…世の中には何億円も平気でごまかしているやつがいるってのに、何でオレばっかり見つかるのかねえ…」ほとんど泣きそうである。

そこへ、裏の印刷工場で働く博(さくらの夫)がとらやに顔を出す。どうやら出かけるようである。

「どこ行くの?」とさくらが尋ねると、「小岩のキャバレー」と答える博。すると今度はおばちゃんが「あらヤだ。昼間っからそんなとこ行くの?」

それを聞いたタコ社長、「仕事だよ。できあがったチラしを届けてもらうんだよ」と説明。

「へえ、そんな仕事もするのかい」とおいちゃん。

「不景気ですからね、何しろ」と博はそう答えながら、印刷したチラシのうちの1枚を置いて、とらやを出ていく。

「ホステス募集」と書かれたチラシを見たおばちゃん。「日給1万円だって。いいお金とるんだねえ、あの人たちも」

「しかし、イヤな思いさせられるんだぞ」「着るものやお化粧代だって全部自分持ちよ、きっと」というおいちゃんやさくらの言葉に、おばちゃんも納得。「そうだねえ。ダンスなんかして、疲れるだろうしねえ」

そこで、さっきまでうなだれていたタコ社長が口を挟む。

「いやだねえおばちゃん。今どきのホステスはダンスなんかしないよ」と、急に元気になった様子。

「じゃあ、何するんだい?」おばちゃんがタコ社長に聞き返す。

「何するって言われても…(含み笑い)ムッフッフッフ…ちょっとご婦人方の前じゃ、説明できねえな、ウッヒャッヒャッヒャッ」と、何かを思い出したかのように、大口を開けてゲタゲタと笑いだすタコ社長。

「…社長、お前、首くくって死にたいといま言ったばかりだろ」と、おいちゃんがツッコみを入れる。

「なんだよ。イヤらしい笑い方して!」と、おばちゃんも呆れ顔。

「いや、おれだって好きでああいうところ行くんじゃなくって…、仕事でさあ…」とタコ社長が弁解するが、とりつく島もない。おいちゃんもおばちゃんも、呆れて仕事場に戻ってしまう。

再びため息をついてうなだれる社長。「さて、金策に行くか…。アー、イヤだイヤだ」といいながら、工場に戻っていく。

-----------------------------------

…という場面。この映画の中で、この場面がいちばん好きなのである。

ほらね、「はぁ?」っていう感じでしょ?しかも、マドンナはおろか、寅さんすらまだ登場していないドアタマの場面である。ふつうに見た人は、まったく印象に残らない、どうでもいい場面である。

でもこの場面が好きなのは、ついさっきまで「首をくくって死にたい」と、うなだれていたタコ社長が、キャバレーの話になると、とたんに元気になり、大口を開けてゲタゲタ笑う、という、その「変わり身の早さ」が鮮やかに見られるからなのだ。

「人間って、そんなだよな」と、この場面を見るたびに思う。悲嘆に暮れたかと思うと、今度は、くだらないことに笑ったり、ときめいたりする。で、最後には、「あー、イヤだイヤだ」と言いながら、前に進んでいく。

この短い場面には、それが見事にあらわれているのだ!これぞ人間の営みではないか!

その意味で、私にとってタコ社長は、「ザ・人間」、つまり、人間の中の人間、なのである。あだ名はタコなんだが…。

ほーら。誰からも共感を得られない映画評論でしょう。やはり映画評論には向いていない。

| | コメント (0)

新4年生の出発

4月19日(火)

午後、新4年生のSさんとMさんが久しぶりに研究室に来た。

地震が起こってからというもの、余震や原発事故に怯える毎日。何をしたらいいのかわからないまま、漫然と1日が過ぎていく。そんな日々が続いた、という。

「長い休みがこれほど楽しめなかったことはありません。こんなことなら、早く学校がはじまればいいのに、って思いました。いったい、この1カ月は何だったんでしょう」

そうだな。早く普通の生活に戻ることが、本当は一番大切なのだ。

1時間近くよもやま話をしていたが、印象的な話がいくつかあった。

「震災の後、まったく価値観が変わったんです」とSさん。

「それまで、自分はとにかく就活のことばかり考えていて、大きな企業とか、東京の企業とか、そういうところをめざして、片っ端から受けてみなきゃ、って思ってました。でも、いまは違います。どうしても地元に戻りたい。大企業とか、有名な企業とか、そんなこと関係なく、会社は小さくても、周りにいい人たちがいて、その中で自分が本当に役に立てるような仕事をしたい、そんなふうに考えが変わったんです。いままで私は、周りが全然見えてなかったんだと思います」故郷が被災したSさんは、そう言った。

本県出身のMさんも続けて言う。「私も、東京に行きたいとか、そんなこと、思わなくなりました。これから何十年も、こっちで働いて、できることなら被災地に税金を納めたい。だってテレビを見ていたら、私の住んでるところとよく似た方言を話す人たちが、被災者としてインタビューに答えているんですよ。ああ、やっぱり身近で起こったことなんだなって、実感したんです。私、あの地震の日のこと、一生忘れません」

方言は、地域を結びつける力を持っている。Mさんの言葉は、そのことを気づかせてくれた。

「ふたりとも、それほどまでに価値観が変わったんだから、この1カ月は決して無駄ではなかったんだと思うよ」と私。これは私自身に向けての言葉でもある。

「そうかも知れませんね」ふたりは答えた。

就職活動をしているふたりは、近く試験や面接がある、という。

「面接、うまくいくかどうか心配です」

「大丈夫。いま話してくれたことを、自分の言葉で率直に話すことができれば、きっとうまくいくでしょう」私はそう言った。

「そうですか。頑張ってみます」

ふたりは研究室をあとにした。

| | コメント (0)

歯医者政談

地震の後、歯が痛くなりましてね。

地震から一週間ほどたった頃だったか、ちょうどお彼岸が近くなって、急にみたらし団子が食べたくなりまして、スーパーで買って食べたら、どうもその時に奥歯のつめものがとれてしまったみたいなんです。それから歯が痛くなった。

で、このまま放っておくわけにもいかないし、仕方なく、大キライな歯医者に行くことにしたんです。ふつうの家を改築したようなこじんまりした医院で、先生がお一人でやっておられるところ。

なぜそこにしたかっていいますと、自宅と職場の中間くらいの場所にあって、職場の帰りに寄るのにちょうどよかったからです。数年前もそこで治療を受けたので、前と同じところでいいや、てことで。

4月12日(火)だったでしょうか。夕方5時半に予約を入れて、時間通りに歯医者に行ったんですが、まー、待てど暮らせど、名前が呼ばれない。

なにしろ、先生一人でやっているようなところですから、たぶん、予約をどんどん入れてしまって、治療が追っつかないということなんでしょうな。

待合室でうっかり居眠りをしてしまって、ハッと目が覚めても、まだ名前が呼ばれない。

結局、治療がはじまったのが夜の8時ですよ!2時間半待ちました。2時間半。

私、めったに歯医者に行かないのでわからないんですが、こういうことって、よくあることなんでしょうか。

それにしても、先日、ガソリン不足だっつって、ガソリンを入れるのに2時間待たされたことがありましたけども、それ以上の待ち時間ですよ!こうなってくると、ガソリンを入れるのに2時間待つなんて、そんなに深刻なことではないってことになりかねません。それよりも歯医者の待ち時間の方が深刻です。

医者の先生は、私と同世代くらいの男の先生。治療じたいはぜんぜん痛くなかったんですが。

治療がはじまると、時節柄、地震の話とか原発の話とかをするんです。そこまではまあいいとして、とくにこの先生のお気に入りは、どうも、「無能な政治家」の話らしいんです。

「今の首相もかわいそうですよねえ。いくら無能だからって、周りの人があんなにいじめなくってもいいのにねぇ。クックックッ…そう思いませんかぁ?」

といった調子。まるで無能な首相がいじめられているのが嬉しい様子。

「そう思いませんかぁ?」と聞かれて、どう答えたらいいのかがわからない。だいいち、こっちは口を開けているので、せいぜい、

「はぁ…、ほうへふへえ。ふんがぁ…」

と答えるしかありません。

どうもこの先生、話題の最後に「そう思いませんかぁ?」と言うのが口癖のようで、そのたびに私は、

「はぁ…、ほうへふへえ」

と答えるしかないのです。

勢いに乗る先生は、

「私が首相だったら、○○さんを○○大臣にして、○○さんを○○大臣にして…」

と、歯医者政談がはじまります。ま、言っちゃ悪いですが、そんなにたいした話ではない。でも最後に、

「そう思いませんかぁ?」

と聞かれるので、

「はぁ…、ほうへふへえ」

とまた答える。もう私にとってはどうでもいい話なんですが。

そこで、思い出したんですよ。

数年前に同じ歯医者に行ったときに、やはりその先生は、当時の首相の無能ぶりを話題にしていたことを。

「○○首相、いくら無能だからって、まわりがあんなにいじめることないのにねえ、あれじゃあいくらなんでもかわいそうですよ。クックックッ…そう思いませんかぁ?」

「はぁ…、ほうへふへえ」

ああ、思い出した。腕はたしかなんだが、この歯医者政談はなんとかならんものか、と、その時も思ったんだった。

ということで、次に歯が痛くなったときに、同じ歯医者さんにしようかどうしようか、その判断材料にするために、忘れずにこのことを記録しておくことにした次第でして…。

ヌルいお話、でございました。

| | コメント (2)

「ヌルい話題」のコーナー!

ヌルい話題」のコーナーに、なんと、おハガキをいただきました。

こちら、ラジオネーム「こぶぎ」さんからいただきました。おっ!ヘビーリスナーの方ですなあ。

Photo_2 「鬼瓦さん、スタッフのみなさん、こんばんは。

余震がまだ続きますね。「備えあれば憂いなし」ということで、ヘルメットを買いました。さっそく被ってデスクワークをしていますが、「愛の前立」のゴム紐が伸びてしまいそうで、ちょっと心配です。

それでは、これからも楽しい放送を期待しています。リクエスト曲は、少女時代の「Mr.TAXI」でお願いします」

ウソじゃありませんよ!本当にハガキが来たんですよ。

On_2 しかもご丁寧に、メールでヘルメットの写真まで送っていただきました。

さすが、ラジオのハガキ職人だったこぶぎさん。ハガキ慣れしています。採用されるためのツボを押さえていますな。ちょっとヌルすぎる感じもしますが、「ヌルい話題」には違いありません。

それにしても、アラフォーのいい歳したオッサンが、何をやっているんでしょう。そしてそれを、ラジオDJ気取りで紹介している私も、いったい何をやっているんでしょう。

でも、リスナーからハガキをいただくってのは、こんなにも嬉しいもんなんですなあ。ラジオDJの気持ちがよくわかりました。やっぱり、メールではなくハガキですよ。

ただ、このハガキを職場に送っていただくのはどうも…。

郵便物を仕分けして、このハガキを職場の私のメールボックスに入れるときに、職員さんは絶対にチラ見していると思うんですよ。そしたらそこに「ヌルい話題のコーナー」とか、「鬼瓦さん、スタッフのみなさん、こんばんは」とか、「ラジオネーム「こぶぎ」」とか、わけのわからないことが書いてあるのを見たら、イタズラのハガキと思うか、私が内緒でラジオDJをしていると思うかの、どっちかでしょう。…ま、それも含めて「プレイ」なんでしょうけど。

まぁいいや。こぶぎさんのリクエストにお答えしましょう。少女時代で「Mr.TAXI」。

(著作権の関係上、各自の頭の中で再生してください)

…というわけで、吉田シゲジで「大八車の歌」、じゃなかった、少女時代で「Mr.TAXI」を聞いていただきました。

ここでちょっと、どうでもいいようないきさつをお話ししますとね。

最初、「ヌルい話題」という記事を書いたときに、記事の最後に「このていどのヌルい話題がありましたら、ハガキかメールで送ってください」という募集の一文を載せたんですよ。

で、そのあと、少し思うところがあって、前回の記事をもってこのブログを休筆しようかな、と思って、いったん書いた募集の告知文を、削除したんです。万が一、本当に送ってこられたら困ると思いましてね。ま、そんなことは絶対にないと思っていましたが。

いずれにしても募集の告知文が載っていたのは、わずかな時間です。

ところがヘビーリスナーのこぶぎさんは、それを見逃さなかったんですね。すかさず、ハガキを書いて送ってこられた、とまあこういうわけです。恐るべし、ベテランのハガキ職人。

結果、休筆の予定をいったん先送りして、こうして紹介した次第。

せっかくですから、いったん中止した「ヌルい話題」を、また募集してみますかね。ただしハガキのみですよ。メールでは受け付けません。番組で採用された方には、番組オリジナルの「何か」をプレゼントいたします。

…というわけでそろそろお時間ですね。またいつかお会いしましょう!

| | コメント (2)

今こそ読め、『戦中派不戦日記』

『戦中派不戦日記』は、作家・山田風太郎の代表的な記録文学である。昭和20年(1945)、当時23歳で医大生だった山田青年は、この年に起こった1日1日の出来事を、自分の目線で、克明に記録した。時には冷静に、時には感情を露わにしつつ、日記が書き進められていく。その筆力は、驚嘆に値する。

昭和20年という年に、一青年が何を見、何を感じ、何を記したか。

この年の3月10日には、東京大空襲が起こっている。この時、東京にいた山田青年は、この東京大空襲を目の当たりにしたひとりである。

3月10日の未明に起こった東京大空襲は、東京に壊滅的な被害をもたらした。この時に見た情景を、山田青年は克明に記す。この日のことを記した最後の部分は、この日記の中でもとりわけ印象的な部分である。

「焦げた手ぬぐいを頬かむりした中年の女が二人、ぼんやりと路傍に腰を下ろしていた、風が吹いて、しょんぼりした二人に、白い砂塵を吐きかけた。そのとき、女の一人がふと蒼空を仰いで

「ねえ……また、きっといいこともあるよ。……」

と、呟いたのが聞えた。

自分の心をその一瞬、電流のようなものが流れ過ぎた。

数十年の生活を一夜に失った女ではあるまいか。子供でさえ炎に落として来た女ではあるまいか。あの地獄のような阿鼻叫喚を十二時間前に聞いた女ではあるまいか。

それでも彼女は生きている。また、きっといいことがあると、もう信じようとしている。人間は生きてゆく。命の絶えるまで、望みの灯を見つめている。……この細ぼそとした女の声は、人間なるものの「人間の讃歌」であった」

23歳の青年の書く文章は、時に感傷的で、感情的である。この国難にあたって、我々はいかに行動すべきか、今こそ立ち上がるべきではないか、と、学生たちが徹夜で議論をする場面もしばしばみえる。山田青年は、日本の行く末を、時に熱く語るのである。

だが私がこの日記で本当に好きなのは、このような極限の状況に置かれた人たちの魂の叫びよりも、なんでもない日常を描いた部分である。

たとえば、こんなところ。

敗戦の色が濃くなった1945年7月。山田青年が通っていた大学そのものが長野県飯田に疎開していた。山田青年ら学生たちも、飯田に疎開して生活をはじめる。その7月25日の日記の一部。天竜峡までの切符を買いに、飯田駅に行ったときの場面である。

「午後二時、飯田駅にゆく。

上りは駅内に、下りは駅外に、それぞれ四、五十人ずつ並んでいる。一電車毎に二十人分余り切符を売って、すぐに窓口を下ろす。

二十人目の人と二十一人目の人とは、並んだときは一分の差でも、電車は二時間、三時間の差となって現われる。人間世界にはほかにもこんなことがありそうだ。

四人が一人ずつ、二十分余り交互に行列して、あとはベンチに座って待つことにする。僕たちは遠くから、切符切りの少女駅員を鑑賞する。飯田駅随一の美少女だそうで、眼は非常に大きい。肌は蒼味がかって見えるほど白い。笑うとひどくエキゾチックな顔になる。

先発隊が飯田にはじめてついた晩、こんな話があった。Aがいう。「あの切符切りの娘だがね、あれはどうもおかしいよ。駅でぶらぶらしているおれを、じっと見ている。こちらで見ると眼をそらすが、しばらくするとまたそっとおれを眺めている。おれに気があるとしか思えない」するとBが「ばかだなあ、貴様、あれならおれにも妙な眼つきをしていたぜ」すると、おれもおれもという連中が続出して、みな唖然となり、かつ笑い出した。

しかしあの顔は、どうも悲劇的な運命を予告しているように思われる。甚だしく未来の夫に剋される顔だ。―などと遠くから眺めながら、こんなことを考えている僕も馬鹿々々しいが、今の環境もずいぶん馬鹿々々しい。三十分ほどでゆける天竜峡へゆくのに、二時から五時十一分まで、三時間以上も待ったのである」

男子連中が集まって、「あの子、おれと目があったぜ。あれは絶対おれに気があるな」「バカ野郎、目があったのはお前じゃなくて、おれの方だ」などと言い合って妄想をふくらませるのは、今も昔も変わらない。そしてどんな状況に置かれようとも、変わらないのだ。

そして、三時間以上待たされて切符を買う馬鹿々々しさは、二時間以上待たされて車のガソリンを手に入れる行為と、どこが違うだろう。

こうしたさりげない情景まで克明に書き記しているところに、『戦中派不戦日記』の真髄がある、と私は思う。

昭和20年という未曾有の年に生きていた人びとの姿。今という時代が皆目わからなくなってしまった私は、山田青年が記録した昭和20年という時代を通して、今を見つめなおすことにしている。

| | コメント (0)

ヌルい話題

4月13日(水)

午後、妻からメールが来る。以下、省略せず、原文のまま無断転載する。

「お昼にひとりラーメン店へ。注文時に大盛りにしようか迷ったが、

格好つけたかったのかな~、

普通盛りを注文。

食べてみるとやっぱり足りなくて、近くにいた若い店員さんに替え玉を注文する。

若い店員さんが厨房に「替え玉1つお願いします」と伝えると、店長が近づいてきて、新人研修が始まる。

替え玉のときはね、この器にこのソースを…」

「どのお客さんかわからなくなるから、『1番様、替え玉です!』というように」

替え玉のときに注意するのは…」

などと、店中に聞こえる声で「替え玉」を連発。注文の品が出されるときも

別の店員「替え玉のお客様はどこ?」

新人店員「あっ、替え玉はこちらのお客様です」

別の店員「はいっ!替え玉、お待ちどうさまです!」

といった調子。消え入りたい思いでした。

でも、私に続いて他のお客さんも替え玉を注文したから、宣伝効果はあったってことかな。

食べ過ぎた。」

情景を思い浮かべて思わず笑ってしまったが、なんなんだ?このネタのようにつくりこんだ報告は。

たぶん、私の心がどんよりしているのを察して送ってきてくれたのだろうが、それよりも不思議なのは、なんというか、内容のヌルさである。ふだんの毒舌が微塵もみえないのは、どういうわけか。

日曜日の昼のAMラジオあたりで読まれるのにちょうどよいくらいのヌルさである。

さらに考える。

ひょっとしてこれは、私のレベルに合わせて書いたということか?この日記にネタを提供しようとしたってことか?

ただたしかに、私がふだんこの日記に書いているのは、たぶんこれくらいのヌルい文章である。

たとえば今日、こんなことがあった。

私は滑舌が悪いということを、この日記にも書いたことがある。最近は、身内にも「え?今何て言ったの?」と聞き返される始末。とくに電話口の私の声は、かなり聞きとりにくいらしい。

「滑舌が悪くって、私の言ったことが会議とかでも聞きとれていないみたいなんですよ」と言う私に、同僚が「滑舌というより、声のトーンの問題だと思うんです」と指摘してくれ、なるほど、そうかも知れない、と思った。

そんなやりとりがあった後、研究室に戻り、夏休みの講義日程について事務職員さんに問い合わせの電話を入れた。

私「夏休みに開く予定の講義日程はどうなってますか?」

職「実はまだ確定していません。先生は、夏休みのご予定はどうなっていますか?」

私「○月×日から△日までは、別の大学に集中講義に行くことになってます」

職「はあ、ベトナムに集中講義ですか」

私「『ベトナム』じゃありません。『別の大学』です!」

職「あ、『別の大学』ですか。すいません、『ベトナム』だなんて…」

ああ、声のトーンだけじゃなくて、やっぱり滑舌も悪かったんだな、と落ち込んだ。

…とまあ、こんな感じの話。

なんとなく世間の雰囲気が重苦しい今、このくらいのヌルい話題が求められているんじゃなかろうか?と思った次第。

| | コメント (0)

1カ月後の日常

4月11日(月)

心がどんよりしているのは、大きな余震が続いていることや、原発問題などの心配事が重なっていることもあるが、ここ数日、あまり人と話していないことにも原因があるようである。

もともと私には、友人が極端に少ないのである。

夜、妻に電話して、愚にもつかない話をしようとすると、「明日、朝早いんで」と言われ、「あ、ごめんごめん」と、そそくさと電話を切る始末。ま、夜遅くかけているこっちが悪いのだが。

この日の夕方、職場の一室で、とある会合があり、夜8時半過ぎに終わった。

「こんな時間だし、晩メシでも食いに行きませんか」とKさん(この日記には、イニシャルが「K」の人がやたら登場するなあ)。会合に参加した仲間のうちの4人で、ファミレスに行くことになった。

Kさんは、県内のある自治体につとめておられるが、仕事柄、隣県から避難してきた方々と接する機会があるという。

「いま、うちの避難所で、離婚問題がもちあがっているんですよ」とKさん。

隣県に住むある夫婦。離婚をするしないで大ゲンカをしている最中に、震災にあった。とりあえず、いったん休戦し、手を取り合って、県外に避難することになったという。

映画「スピード」に出てくる主人公の男女のように、非常時にある男女は結ばれやすいと、聞いたことがある。この場合も、震災という非常時にあって、一時的によりが戻ったのではないか、と私は想像した。

「ところが1カ月たったいま、ふたりはまた、避難所で大ゲンカをはじめました」

2人がふと我に返ったということであろうか。いま夫は、夜になると避難所の廊下で寝ているのだという。

「びっくりしましたよ。夜、ひとりで廊下に寝ているんですから。『どうしたんですか』と聞くと、『いや、なんでもない。ほっといてくれ』と」

いつだったか、芸能人の夫婦が離婚をするしないで大ゲンカになり、夫のほうが家を追い出されて、ガレージの車の中で寝泊まりしていた、というのをワイドショーで見たことがあるが、そんな感じだろうか。ここではそれが避難所の廊下というのが、哀しくも、可笑しい。

こんなことを話題にするのは不謹慎だろうか、と思いつつも、「ほんのわずかでも日常をとりもどそうとしているのではないか」と思いなおし、思わず笑ってしまう。

なにより、複数の人と喋りながら食事できたことに感謝した。

気がつくと夜11時。ファミレスを出ると、4月も半ばになろうというのに、外はとても寒かった。

| | コメント (0)

漫才スピーチ後日談の後日談

4月7日(木)

昼すぎ。心がどんよりしていると、福岡に住む高校時代の友人、コバヤシからメールが来た。「漫才スピーチ後日談」を読んだ感想である。

「客先訪問の合間に時間があったのでメールチェックのついでに魔が差してスピーチの顛末読みました。私が弱気になって自分が優位に立ったとわざわざ書くのもどうかと思いますが、結局、いい台本を書いた=スピーチの上手さを自慢したいのですね。ということは、やはりスピーチをやりたかった、ということでしょう。と、わざわさわメールしてしまう自分もどうかと思いますが。では、またそのうち」

なんと!仕事中、しかも客に会っている最中に、ブログをチェックするとは!どんだけ私のブログの虜なんだ!

それに、例によって「結局、自分の台本を自慢したいだけだ」とか、「スピーチをやりたかったのだろう」など、ダメ出しのオンパレードである。ま、実際その通りなのだが。

仕方がないので、返事を書く。

「さすがです。あれをよく読めば、結局は私の自画自賛な性格がわかりますな。このところ重い話題が続いて心がどんよりしていたので、久々に準レギュラーの貴兄に登場してもらって、しかもキャラクターをめいっぱい誇張して語ることで、少しは明るい話題にできるかな、と思ったのです。あと、私のところに来た祝福メールをふたりに伝えたかった、というのもあります。利用させてもらってごめんなさい」

すると夜、返事が来た。

「最近、私も貴兄の術中にはまってしまったのか準レギュラーのコバヤシということを意識してしまっており、ついブログに書かれることを想定して反応している自分がおります。今回のメールも、

1.きっちりダメ出しをするコバヤシ

2.でも、仕事中、しかも客に会ってる時にブログをチェックするかよ!コバヤシ

3.結局、仕事中にメールするぐらい自意識過剰なのはコバヤシも同じかよ!(これを意識して昼にワザワザメールしました)

ということを貴兄が必ずや今晩のブログに誇張して書くことを確信してメールしてしまいました」

なんと!私がブログに書くことを予想、というか、こういうことを書け、という提案までしてきやがった。

本当に、どんだけ私のブログの虜なんだ?!で、どんだけ自分を売り込むつもりなんだ?!

それに、「準レギュラー」というのは社交辞令で書いただけなのに、まんざらでもない、と自分でも認めちゃってるよ。

あいつ、高校時代は、そんな人間じゃなかったんだがなあ。こういうことには、くだらない、と、もっと冷めた目で見ていたやつなのに…。

アッタマきたんで、「今晩は書きません」と返事をすると、

「過去の経験からして貴君の「本当に嫌だ」、「絶対に××しない」と言っていることほど信用できないものはありません。まあ、今日は書かないかもしれませんが明日は確実に書いていることでしょう。ちなみに、前回指摘した時は、やはり「絶対に書かない」と言ってましたが、その晩のうちにブログがアップされていました。どこまで我慢できることでしょうか?まあ明日のブログを楽しみにしています」

こうなると、「オレのことをブログに書け」と、ほとんど脅迫である。ますますアッタマに来た。

圧力に屈することがキライな私は、翌日ではなく、2日後に書くことにしてやった。

| | コメント (0)

満月の夕(ゆうべ)

なんとなく心がどんよりしているので、前回の記事と同じ日の深夜放送からもう一つだけ、ラジオDJの語りを、私の心覚えのために書きおこしておきたい。もう、これで終わりにします。

「一緒に草野球やっている芸人仲間に、何人か阪神大震災を経験している若手芸人がおりましてね。

で、僕はその時のことがわからないから、「どうだったの?」って聞くと、まあ、それはそれは、悲惨な状況ですよ。で、そうすると、直接、ど真ん中の被災ではないまでも、関西にいると、自分が名前を知ったり、声を聞いたり、言葉を交わしたことのある人が、ひとりも死んでないなんて人がいないんですよ、っていうレベルでみんな被災してて。

でもね。すげーなって思うのはね。すげーなって思うのは、

そいつ、たかだか草野球でファインプレーすると笑うよね。

たかだか草野球でホームラン打つと喜ぶよね。

オレ、それがすごいって思うんだよね。

その、起きたときからしてみたら、すごくどん底のことで、二度と、どんなに面白いことがあっても、どんなに楽しいことがあっても、面白くも楽しくもない人生になっちゃうんじゃないかなって、たぶん思うし、…いま思っている方もいるだろうし、…思ったんだと思うのね。

ややこしい言い方でごめんなさい。

だけど、でもね、

その彼らは、学生時代にそういう経験をしたけど、お笑い芸人になって、

残念ながら面白くはないんだけど(笑)、お笑い芸人になって、

まだ売れてはいないんだけど、人を笑わせたいと思ってて、

でいて、彼らは、へっぽこ草野球のちょっとしたファインプレーで、笑う。

時間はかかったと思うし、俺の知らないところでまだ何か思い出すことは当然あるでしょう。当然あるんでしょうけど、それでも、

「どんなもんだい」っていう顔して、ホームインしたり、

「すげえだろ」っていう顔して、速球を投げ込んだりとかするんだなっていうことは、

いま、そこにぶち当たっている人に、報告しておきます」

|

この素晴らしき世界(いい明日が来るように)

震災から10日後のラジオの深夜放送のエンディングで、私と同年代のラジオDJが語りはじめた話。文字に起こしてみたところで、独特の語り口は再現できないが、私には、若い頃にラジオを聞いて気持ちが救われたラジオDJの、ラジオへの恩返しのようにも聞こえたので、あくまで私の心覚えのため、記録にとどめておく。

「若手の芸人に聞いた話なんだけど。

アニマル浜口さんが「気合いだ!気合いだ!」っていうのと「わっはっはっは、わっはっはっは」ってやるじゃん。あれを見るたびに、そいつが、「わっはっは星人を思い出す」って言うんだよね。…こんなこと(東日本大震災)がある前ね。「わっはっは星人」ていうのがいて…。

それがまたいい話でさ、いい話っていうか、不思議、だけどいい話でさ。

そいつが阪神大震災の時に、家にひびが入ったんで、避難するところに避難してて。その時まだ子供だったそうなんだけど。

その時に、「わっはっは星人」っていうおっさんが来て、まー、基本、役に立たないおじさんらしいんだよ(笑)。大人がいろんな世話をしているところに来て「わっはっは星人だ」っておじさんは言うんだって。

で、おじさんに触ったら「わっはっは」って言わなきゃダメだっていうルールを勝手に作って、鬼ごっこみたいなことしてくるんだって。それで捕まえて、で、捕まると、もうしょうがないからおじさんとかみんなが「わっはっは、わっはっは」って言ってるだけなんだって。

それで、その「わっはっはおじさん」が、ある日突然、「全員をわっはっはにしたらおじさんは次の星に行く」みたいなこと言うんだって。

そしたら、そいつはもう、ガキの中ではちょっと大人だったし、足も速かったから、わっはっは星人に捕まらなかったんだけど、みんなが捕まって「わっはっは」やってるのに自分だけやれないのが、ちょっと寂しくなってきて、夜、わっはっはおじさんのところにバッタリ会ったふりして捕まっちゃったら「わっはっは仲間」になれるかな、と思って行ってみたら、

おじさん泣いてたんだって。ひとりで。

もうそれがなんか、すごいいい話でさ。

で、……オレはたぶん、「わっはっは星人」になりたい。なりたいな、ってちょっと思ったりとか。

あと、いま、そういうところにいてさ、あんまりやることなかったらさ、そういう役目も、あるんじゃないか、 てちょっと思ったりするね。

あと、「頑張れ」っていうのが普通か知んないけど、ガンバってるよ、たぶん。

たぶん、みんなガンバってるっていうか、もう、そこで、ただ息をしていることでも、もうガンバってるっていう意識を持ったほうがいい。

みんながこれ以上「頑張れ」って言ったところで頑張りようなんて誰もわからないのに、つい、僕らはリズムで「頑張れ」って言っちゃいがちなんだよね。失礼のない言葉だと思って。

で、その気持もわかってほしいんだ。その短い言葉で「自分たちはあなたたちの味方です」って言うために、「頑張って」っていうのでしめちゃうけど、自分たちはたぶんガンバっていると思うので…、

とりあえず、今日をやり過ごしてみませんか。

いろいろ失礼ありましたけれども、

本当に……

いい明日が来るように」

|

漫才スピーチ後日談

ここ最近のいろいろな出来事ですっかり埋もれてしまったが、3月12日(土)の結婚式披露宴で披露するはずだった漫才スピーチの台本を、この日記に載せた

高校時代の1学年後輩、オオキとフジイさんの結婚披露宴で、友人のコバヤシと漫才スピーチをすることになった経緯についても、ずっと書いてきた

あれは本当に、披露宴の場で漫才スピーチをするために準備しておいた台本である。

3月6日(日)に台本を書き、翌日、コバヤシにメールで送った。するとコバヤシから返事が来た。

「早速、内容を読ませて頂きました。さすがですね。テンポよくまとめていますね。しかも、私の台詞にもありましたが、こんなことがあったとは「ほとんど覚えておりません」でした。貴兄の記憶力のよさ(または、「ネタは決して忘れない」という、プロ意識?の強さ)には脱帽する次第です。なるべく簡単な台詞にしてくれたように見受けられますが、暗記できるか不安です」

たぶん、生まれてはじめて、コバヤシは私をほめたのではないだろうか。ふだん、私にはダメ出しばかりをして、一度もほめたことのないあのコバヤシが、である。

さて、なぜ私はこれほどまでにきっちりと台本を書いたのか?

それは、コバヤシが、実はビックリするくらい「あがり性」で、大勢の前では「話し下手」になるからである。

大勢の前で話すとなると、プレッシャーに押しつぶされ、とたんにぎこちなくなり、早口になり、カミたおすのだ。

私はそのことを知っていて、あえて、完璧な台本をつくろう、と考えたのである。

案の定、「暗記できるか不安です」なんて書いてきやがった。

数日後、コバヤシから電話があった。

「台本は完璧なんだが…。うまくできるかどうか不安だ」

そーれみろ。思った通りの反応である。

「でも漫才をやるって言い出したのはお前だからな。これくらいのことはやってもらわないと困る。間のとり方とか、ツッコミのタイミングとかがうまくいかないと、せっかくのこの台本も生かされないことになるぞ」私は言葉のかぎりをつくして、コバヤシをおどかした。これで完全に、私が優位に立ったのだ!

「不安だなあ。ちょっと練習してみよう」とコバヤシが提案した。いよいよ電話ごしに漫才の練習がはじまる。

「そこはもっとキツく言った方がいいぞ」「そこはもうちょっとためた方がいいな」など、この時ばかりは、私がコバヤシにダメ出しである。

「うーむ。電話ではやっぱり不安だ。実際に会って練習してみないと」コバヤシの不安は消えない。「結婚式の当日、ちょっと早めに来て練習しないか」

「かまわないよ」と私。

「じゃあ恵比寿駅の改札に朝10時ということで」とコバヤシ。

「ちょっと早すぎないか?式場に集合するのはたしか12時半だぞ。それに、練習っていったって、どこでやるんだ?」

「そうだなあ。まさか喫茶店でやるわけにもいかないしなあ」

「そうだよ。2人でこんな練習をしていたら、周りの人にヘンな目で見られるぞ」

「…じゃあ、恵比寿駅の近くなら、公園か何かがあるだろ。そこで練習すればいい」

コバヤシの提案で、当日は、恵比寿駅の近くで公園を見つけて、そこでネタ合わせをすることに決まった。

なんか本当に、売れない漫才師みたいだなあ。もし当日、披露宴に出席できていたら、私たちは売れない漫才師よろしく、寒空の公園で、スーツを着てネタ合わせをしていたんだなあ。

その機会が失われてしまったのは残念である。

この漫才台本をブログに載せたら、ささやかながら、いくつか反応があった。

さっそく、2学年下の後輩のゴンちゃんが律儀にコメントを書いてくれた。

主役の1人、フジイさんからはメールがきた。いわく、「高1の合宿の時に白樺湖で泣いたことは、まったく覚えていない」と。

この一件のことをコバヤシに聞いても「覚えていない」という同じ反応が返ってきたから、この一件について記憶しているのは、私だけということか?というか、ひょっとしてこれは、私の妄想だったのか?

さて、話はここで終わらない。

このブログを読んだ、2人とは縁もゆかりもない読者からも、2人を祝福するメールが届いているのであ~る!

「オチがあって、温かく楽しいスピーチですね。披露宴でこのスピーチを聞けなかったことも含めて、お二人にはいろいろな思いが入り交じる結婚生活のスタートになられたのではないかと思います。お二人のご健康とお幸せをお祈りいたします」と、披露宴での漫才スピーチの顛末をひそかに期待してくれていたKさん。

「漫才の台本、温かさがにじみでるしゃべくりで私は好きです。比べるのも失礼ですけど、M-1の芸人のコントくずれみたいのよりはるかにいいですね。苦難の時期に当たってしまいましたが、結婚されるお二人は幸せです」と、落語や漫才などの古きよき演芸に造詣の深いKさん。

オオキのこともフジイさんのことも、まったく知らない人たち。そういう人たちも、ふたりを祝福してくれたのだ。オオキ、フジイさん、よかったなあ。

ちょっとおそくなりましたが、祝福のメッセージをお伝えしましたよ。

5月の連休に会いましょう。

| | コメント (0)

銭湯と散髪

とりとめのない話。

いつだったか、立川談志師匠が落語のマクラで、「色紙を頼まれると、『銭湯は裏切らない』って書くことにしてんだ」と言っていた。

「銭湯は裏切らない」。いい言葉だ。

私もそれをまねて、座右の銘を聞かれたら「カレーは裏切らない」と答えるようにしている。だいたいどこのお店でカレーを食べても、裏切られることはない、という意味。ラーメンは、たまに裏切られたりすることがあるけど。

何年か前、それを大学の後輩たちに言ったら、韓国に留学経験のある後輩が、

「でも、韓国に行ったら裏切られますよ」

と言っていた。実際、私自身が韓国で生活してみると、たしかに裏切られることが何回かあった。

だが、韓国のレトルトカレーは、私が子どものころによく食べたレトルトカレーのような懐かしい味がして、だんだんとクセになっていった。やはり最終的には裏切られない、ということなのだろう。

話を銭湯にもどすと、「銭湯は裏切らない」はやはり至言である。銭湯に入れば、生き返る心地がする。これは、いま不自由な状況に置かれている人々が、多く感じていることではないだろうか。

銭湯と同様に、気分がサッパリするものといえば散髪である。私は地震の1週間後、散髪をしたが、えらくサッパリした気分になった。

テレビのニュースで、散髪屋の主人が津波で倒壊した自分の家から商売道具のハサミを見つけ出し、避難所で散髪のボランティアをはじめた、と伝えていて、感動した。不自由でストレスのたまる生活を強いられている人たちにとって、こういう時こそ、散髪である。

だが、「散髪は裏切らない」とは、手放しでなかなか言いきれない。「こんなはずじゃなかった…」という髪型になることも、しばしばだからである。

だがまあそれはそれ。散髪が人間の気分をサッパリさせることには変わりない。

A0114028_49a42c956a44f 私の大好きな韓国映画に、「大統領の理髪師」という映画がある。町で小さな理髪店を営んでいた男(ソン・ガンホ)が、ふとしたきっかけからパク・チョンヒ大統領おかかえの理髪師となり、韓国の現代史に残るようなさまざまな事件に巻きこまれながらも、たくましく生きていく、というお話。言ってみれば「フォレストガンプ」的な映画、と思ってもらえばいい。

この映画を見た山田洋次監督が、ソン・ガンホを評して「韓国にも渥美清みたいな役者がいるんだね」と言ったという(寺脇研『韓国映画ベスト100』朝日新書)。

4988105058002 たぶん、おおかたの人は、ソン・ガンホを渥美清になぞらえることの意味をはかりかねるかも知れない。たぶんこの発言は、渥美清主演の喜劇映画「拝啓天皇陛下様」(野村芳太郎監督、1963年公開)が念頭にあってのことだと思う。「大統領の理髪師」は、まさに韓国版「拝啓天皇陛下様」なのだ。

ま、それはともかく、映画の中で、大統領はしだいに、平凡な市民である理髪師に心を開いていく。大統領と理髪師の心の交流、というストーリーが説得力を持つのは、理髪師が、いかなる階層の人びとに対しても、散髪することで心を開放する力を持っているからだろう。大統領にだって、一市民にだって、散髪による「サッパリした気分」というのは、平等におとずれるのである。

銭湯や散髪は、身分や立場にかかわりなく、すべての人びとを平等に「サッパリした気分」「生き返るような心地」にさせてくれる。だからこそいま、大事なのである。

| | コメント (0)

1985年の4月1日

私は高校時代、ガラにもなく、ブラスバンドでアルトサックスを吹いていた。私の1学年上には、通称「にっさん」と呼ばれていたニシヤマ先輩と、「パンテン」と呼ばれていたイケダ先輩がいた。にっさんは部長、パンテン先輩は指揮者だった。

わが楽団は、年に1度、春休みである4月のはじめに、市民会館の大ホールを会場にして定期演奏会を行っていた。

私が高1の時の話。いよいよ3日後が定期演奏会という日の午後、私たちは音楽室で、パンテン先輩の指揮のもと、合奏練習をしていた。そこへたまたま校内アナウンスが入り、部長のにっさんが呼び出された。事務室に電話が入っているという。にっさんは練習を抜け、事務室へ行った。

なんということのない、ふだん通りの練習風景だ。ところが、にっさんが事務室から帰ってくると、状況は一変した。先輩は音楽室の扉を激しい音を立てて開け、血相を変えて飛び込んできた。

「おい、聞いて驚くなよ。いま市民会館からの電話で、ホールの照明がぶっ壊れて、一週間ホールは使えないって言われたんだ!」

その驚き方は尋常ではなかった。あまりの突然の事態に辺りは騒然となった。

「マジかよ」パンテン先輩が半信半疑でにっさんに聞く。

「うん、市民会館の人が確かにそう言っていたんだ。間違いない」 定期演奏会が中止になるのではないか、という不安が私の頭をよぎった。

騒然とした後、今度は沈黙が続く。これからどうすべきか、みんなが考え始めていた。

「どうする?」部長がたまりかねて指揮者に問いかける。

「照明が壊れたんじゃ、仕方ないな。定演を中止するしかない」パンテン先輩が真顔でつぶやく。その言葉に反応してか、すすり泣く声も聞こえてきた。

気まずい空気が流れる。その気まずさが最高潮に達したと思われたころ、再び校内アナウンスが流れた。

「器楽部吹奏楽団の皆様にお知らせいたします。今日4月1日は、エイプリル・フールです」

その瞬間、パンテン先輩の真顔が高笑いに変わった。私たちは騙されたのだ。

再び辺りは騒然となる。キョトンとする者、安堵する者、泣き続ける者、大笑いする者。私ははじめ、部長のにっさんと指揮者のパンテン先輩が協力して騙したのかと思った。しかしそうではなかった。にっさんは、2回目の校内放送を聞くやいなや、地団駄を踏んで悔しがったからだ。そう、にっさんも騙されていたのである。

パンテン先輩は、市民会館の人や放送部の人を巻き込んで、壮大かつ周到な嘘をついたのだ。まじめで、何かにつけて真に受けるにっさんの性格を利用して、一世一代の大芝居を打ったのだ。パンテン先輩らしい、粋ないたずらだった。

どこまでも実直で、情にもろい部長・にっさん。軽やかなふるまいで、つねに「粋な心」を持ち続ける指揮者・パンテン先輩。性格が全く正反対なこの二人のコンビネーションは絶妙だった。二人はまた、私にとっては同じサックスパートの先輩でもある。もっとも、二人は部長、指揮者でそれぞれ忙しく、実は親しく会話を交わしたという記憶があまりない。だが私は、いずれこの二人のような先輩になりたいとひそかに思ったりしたものだ。

この二人の先輩が卒業するとき、私は同期のコバヤシと相談して、おもちゃのサックスをプレゼントした。彼らの高校生活三年間の総決算を、「おもちゃのサックス」に込めたのである。思えばこれが、先輩に対して私が考えうる、あのエイプリル・フールへの「粋」な仕返しであったのだ。

(付記)これは、10年以上も前に書いた文章。いま読み返すと、ちょっと文章に精彩がないなあ。ところで高校を卒業してから、にっさんにもパンテン先輩にも会っていない。いまどうしているのかも、わからない。

| | コメント (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »