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黒澤明と手塚治虫

4月28日(木)

たった4日しか経ってないのに、すでにかなりクタクタである。この調子でお盆前まで続くのかと思うと、すでにゲンナリである。この稼業、スタミナが肝心であることを実感する。

すっかり疲れてしまって頭がボーッとして、気の利いた話も書けそうにないので、わけのわからない話を書くことにする。

以前、授業中に学生から「紙幣の肖像画にしたい歴史上の人物は誰ですか?」と質問され、「黒澤明と手塚治虫」と答えたことがある。

私は授業でよく、「黒澤明監督の映画と手塚治虫先生の漫画で、人生のたいていのことは学べる。だからこの2人の作品だけで十分なんじゃなかろうか」と言って、学生たちにハァ?という顔をされる。

ま、私がそう思っているのだから仕方がない。もっとも、私は、黒澤明マニアでもなければ、手塚治虫マニアでもない。すべての作品を見ているわけではないからである。

私が愛読している『全集 黒澤明 第四巻』(黒澤明のシナリオ集、岩波書店刊)の月報に、手塚治虫が「黒澤さんの国際性」と題する短いエッセイを載せている。

巨匠・手塚治虫は、巨匠・黒澤明のことをどう見ていたのか?それを考えるだけでも、ワクワクする。その意味で貴重なエッセイである。

このエッセイの中で手塚治虫は、黒澤映画の国際性に感嘆しつつも、「では黒澤さんの気質がインターナショナルなのかといえばそうでもない。どちらかといえば古い日本型父親像を描く人である。これを並の監督が描けば浪花節になってしまうだろう。そういう黒澤さんの日本人の部分を欧米の観客に奇異に感じさせず納得させる技量はなんだろうか。これは、大変ぼくにとって興味深い謎である」と述べ、黒澤映画の家父長制的な側面を見事に言い当てている。

手塚治虫は、黒澤映画のインターナショナルな人気の秘密を、「まず日本人というわかりにくい被写体を、じつにわかりやすく面白く、しかも芸術的に観せることから始まったのだ」と結論づけ、その表現方法が劇画を描く手塚らに大きな影響を与えたと締めくくっている。

このエッセイには、黒澤映画への皮肉が込められているような気がしてならない。それは、黒澤映画の主題じたいは、インターナショナルでもなんでもなく、家父長制や徒弟制といった、実は古い価値観にささえられているのだ、という指摘にあらわれている。

考えてみれば、黒澤明は山本周五郎の小説を愛してやまなかった。山本周五郎の小説を原作にした脚本や映画を何本も作っている。たぶん、黒澤映画ともっともよく相性が合っていたのは、山本周五郎の世界観だったのだ。

それが、国際的に評価されるのであるから、手塚治虫が言うように、これは謎というほかない。

ちなみに、山本周五郎は1903年生まれ。黒澤明は1910年生まれ。7歳しか違わない。つまり同世代だったのね。てっきり、山本周五郎は黒澤明よりはるかに年上の人だとばかり思いこんでいた。つまり同世代の表現者として、黒澤は山本に共感していたのだ。1928年生まれの手塚治虫にとって、山本周五郎や黒澤明は、古い日本人像を描く一世代前の人と映っていたのかも知れない。

…底の浅い話でお茶を濁しました。ではごきげんよう。

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