ひいきの店
5月23日(月)
週が明けたが、咳がまだ止まらない。
心なしか、私の周りに、私と同じ咳をしている人が増えたような気がする。風邪をひいた、という人もいるようだ。
ひょっとして、私がゴホゴホするたびに、深刻な病原菌をまき散らしているのではないか?
そもそも私は、マイナスオーラのかたまりなのである。
書いた本は売れない、講演会には客が来ない、イベントに行くと雨が降る、等々。
そんな中のひとつに、「ひいきの店が潰れる」というものがある。
若い頃、社会人になってオッサンになったら、なじみの居酒屋の1つぐらいできるのだろうか、と思っていた。そう、たとえば高倉健主演の映画「居酒屋兆治」とか、安倍夜郎の漫画「深夜食堂」(ドラマでは小林薫が主演)に出てくるような、カウンターだけの居酒屋。
だが、そもそも私の性格から考えて、なじみの店に通って酒を飲む、なんてことが考えられない。基本的に、非社交的な人間なのだ、私は。
そんな私にも、町に1軒だけ、なじみとまではいかないが、ひいきにしている居酒屋があった。
気のおけない友人とお酒を飲むときや、遠方から来たお客さんを接待するときなんかに使う店である。私にとって、ごくたまにしか行かない、それはそれは、大事な店だった。それこそ、オヤジがひとりで切り盛りして、カウンターと、テーブル席が2つばかりしかない、小さな店である。
その店は何といっても料理と酒が美味い。それに店のオヤジがよけいなことを言わない。まさに私にとって、理想の店である。そんな店で、数少ない、気のおけない友人と語りながら舌鼓を打つなどは、まさに至福の時間である。
だが今年の初めくらいだったか、その店を切り盛りしていたオヤジが急逝したという。あんなに元気で、しかもまだ若かったのに…。
当然、店はたたんでしまった。
店のオヤジが亡くなってしまったこともショックだが、それによって店がなくなってしまったこともショックだった。この、非社交的な私が、奇跡的に出会った「ひいきの店」である。私はすっかり心が折れてしまった。
さて先日(5月6日)。
東京で研究会があったおり、研究仲間のTさんが、
「来月、仕事でそっちに行くので、また飲みましょう」
と言ってきた。Tさんは昨年も、仕事の関係でうちの職場に来て、夜、一緒に飲みに行ったのだった。場所は当然、私のひいきの店である。
「あの店、よかったよねえ。お酒も料理も美味しくて」
「はあ、でももうあの店、ないんですよ」
「え!?」
「店のオヤジが死んじゃって…」
Tさんは残念そうな顔をした。
この会話を横で聞いていたわが師匠。
「あんたのなじみの店、すぐなくなっちゃうね」とからかい半分で私におっしゃった。
「え?そうですか?」
「だって、あの店もそうだっただろう」
思い出した。まだ私が前の職場にいたころ、わが師匠が一度いらしたことがあった。その時、私がその町で唯一ひいきにしているお店にお連れしたのである。カウンターと、狭い座敷がある、小さな居酒屋である。やはり料理とお酒の美味しい店だった。
その店も、ほどなくして、潰れてしまったのである。
「あんたのなじみの店は、どんどん潰れていくなあ」
…私には返す言葉もなかった。
やはり私には、マイナスオーラがあるようだ。
以前テレビを見ていたら、ある女性タレントが「私がファンになるバンドは、必ず解散する。だから、いろんなバンドから、頼むからファンにならないでくれと言われている」と、半ば冗談で言っていたを見たことがあるが、まさにそんな感じである。
このことを妻に話すと、
「そのうち、店に入ろうとしたら、あわてて店を閉められたりするんじゃないの?」
と、あいかわらず口が悪い。
そんなことはともかく、遅くなってしまったが、ひとりで店を切り盛りしていたオヤジの冥福を祈ろう。
オヤジ、今までありがとう。料理と酒、美味しかった。
オヤジの店に代わるようなひいきの店を見つけるのは、私にとっては至難の業だよ。
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