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グッとくるツボ

5月24日(火)

あいかわらず疲れているし、これといって面白い出来事があったわけではないので、今宵も、歩いて帰る道すがら考えた、どうでもいい話をひとつ。

小説でも映画でも、私は「師弟モノ」に弱い、ということに気づいた。つい先日この日記に書いた浦沢直樹の漫画『マスターキートン』の中の「屋根の下の巴里」というエピソードも、典型的な「師弟モノ」である。

たびたびこの日記に登場する黒澤映画には、師弟を軸にした話が多い。「七人の侍」も、言ってみれば志村喬が師で、三船敏郎が弟子である。「酔いどれ天使」も「野良犬」もしかり。「赤ひげ」も純然たる「師弟モノ」だが、これは三船敏郎が「師」の立場であることもあり、なんとなく好きにはなれない。

…ということは、たんに私は志村喬が好きだということか。そういえば、「男はつらいよ」に登場する志村喬も、寅次郎にとっては師匠のような役割である。

やはり私にとっては、志村喬がツボなのかも知れない。ま、それはともかく。

黒澤明が愛してやまなかった山本周五郎の小説にも、「師弟モノ」がある。

私は山本周五郎の小説をあまり読んでいるわけではないが、「内蔵允留守」(『深川安楽亭』新潮文庫)とか、「鼓くらべ」(『松風の門』新潮文庫)なんてのは、読んでいてグッとくるね。

山本周五郎が一貫して描いているのは、「地位や名声に拘泥しない師」である。「常に物事の本質を追い求める師」である。どんな立場にあろうとも、道を究めようとする力強さが、山本周五郎の描く師にはある。そこにグッとくるのである。

それは、山本周五郎自身がいかなる文壇の賞も固持し、一貫して市井に生きる人びとの姿を温かい眼差しで描き続けたことと無関係ではないだろう。

山本周五郎を読めば、権力にすり寄ったり、実力以上の名声を追い求めようとしたりする人間が、いかに姑息で、薄っぺらく、さもしい人間であるかがよくわかる。

人生に迷ったときには、山本周五郎を読め。

揺るがない本質を見きわめたかったら、山本周五郎を読め。

…と言いたいところだが、人にはそれぞれグッとくるツボが違うから、大きなお世話か。

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