ラガーシャツで「くらや」へ!
5月26日(木)
昨日、思いがけず、大学時代の教育実習のことを思い出した。
思えば、大学4年間の中で、教育実習のあの2週間が一番楽しかったなあ。
母校だったから、なおさらだったかもしれない。
同学年の知り合いもいたが、当時は1浪、2浪はあたりまえだったので、先輩や後輩もいた。知り合いはごくわずかで、ほとんどが、教育実習ではじめて会う人ばかりだった。私は1浪しているので、同期のほかに、1学年下の後輩もいたし、1学年上の先輩もいた。
実習生は、教科ごとに大部屋に集められ、授業のない時間は、もっぱらよもやま話である。高校時代に顔を合わせたことがなくとも、だいたい、思い出話は一緒である。
「高校の裏にあった『くらや』によく行ってチェリオを買ってきましたなあ」
「そうそう、休み時間に、上履きのままでね。裏門を飛び越えたりして」
「くらや」とは、高校の裏にあった駄菓子屋である。まだ、周りにコンビニが全然なかった頃、うちの生徒御用達の店であった。
「チェリオ」とは、清涼飲料である。人工的な色をした飲み物で、当時は細長いビンに入っていた。私たちはあれを水がわりに飲んでいた。今でもあるのかなあ。
2時間目と3時間目の間の休み時間は15分。その15分の間に、「くらや」にチェリオを買いに行く。だが、バカ正直に正面玄関で靴に履きかえて、正門を出て、裏にまわって、「くらや」に行ったら、15分では教室に戻ってこれなくなる。そこで、上履きのまま、いつも閉まっている裏門をのりこえて、「くらや」に直行したのである。
だがそのことが問題になった。そりゃそうだ。閉まっている裏門をのりこえて出たり入ったりしている様子は、周りから見たら、まるで学校に不法に出入りしているように見えて不気味である。どうやら近所からクレームが来たようで、学校からたびたび禁止令が出たのである。
だったら、いっそ裏門を開放すればいいじゃん、と思うのだが、警備上の問題から、そうもいかないらしい。
あるとき、生徒会長選挙で、
「私が生徒会長になったら、休み時間に裏門を開放するように、先生方にはたらきかけます!」
と公約した候補者がいた。それくらい「上履きのまま裏門をのりこえて『くらや』に行く」ことは、生徒たちの間で常態化していたのである。もちろん目的の大半は、「チェリオ」を買うことである。
…そんな思い出にひたっていると、向かいに座っていた実習生のA氏(今となっては名前も覚えていない)が私に言った。
「久しぶりに、やってみませんか?」
「え?何を?」
「上履きのまま裏門をのり越えて『くらや』に行くことをですよ!」
「バカな!見つかったら、即、実習取り消しになりますよ。だいいち、こんなふうに背広を着ていたら、一発でばれるじゃないですか」
「大丈夫ですよ」そういうと、A氏は、カバンからラガーシャツをとりだした。
「これに着替えて行けば、大丈夫です」
「どうしたんです?それ」私は尋ねた。
「実は僕、高校時代、ラグビー部だったんです。で、放課後にラグビー部の生徒を指導しようと思って持ってきたんですよ。これに着替えれば、実習生とは思われないでしょう。現役の高校生だと思われますよ」A氏は得意満面である。
「でもそれじゃあ、こんどは現役のラグビー部の生徒が疑われますよ」と私。裏門を乗り越えた犯人がラガーシャツを着ていた、なんてことが目撃されたら、真っ先に疑われるのはラグビー部の生徒である。
「大丈夫ですよ。上手くやりますから」A氏は背広から素早くラガーシャツに着替えると、
「じゃ、行ってきます」と言って、部屋を出て行った。
しばらくして、部屋の扉が開いた。
「買ってきました。いやあ、楽しかったなあ」とA氏。「これ、チェリオです」
A氏は人数分のチェリオを買ってきてくれた。久しぶりに、細長いビンに入ったチェリオを飲んだ。
そのA氏が、その後、教師になったのかどうかはわからない。というか、教育実習が終わってからというもの、ほとんどの実習生とは、それっきりである。
その後しばらくたって、駄菓子屋「くらや」は店じまいしたという。
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