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屋根の下の巴里・補足

5月18日(水)

数日前くらいから、なぜか浦沢直樹の漫画『マスターキートン』の「屋根の下の巴里」というエピソードがしきりに思い出され、そのことを昨日の宴会で、学生たちの前で話した。

いつまでたっても大学に就職できない考古学者、キートンは、あるとき、パリの社会人大学の非常勤講師の口を見つける。そこで、社会人たちを前に、考古学を講義することになった。

ところが運の悪いことに、その社会人大学は、もうじきとりこわされることになった。せっかく、意欲のある人たちの前で、自分の好きな専門の講義ができることになった矢先なのに、と、キートンは自分の運の悪さをのろった。

自分は研究者としてはたしてモノになるのだろうか?心が折れそうになったキートンは、ふと、自分の師匠である、ユーリー・スコット先生のことを思い出す。スコット先生は、第二次大戦中のロンドンで、瓦礫と化した大学で、社会人たちを前に、瓦礫からとりだした教科書の土埃をはらいながら、最後の最後まで授業を続けたのである。

そして自分もまた、社会人大学がとりこわされる最後の最後まで、授業を続けることを決意するのである。

…とまあ、こういう地味な話なのだが、私はこれを、たぶん原作の漫画を読むよりも前に、当時テレビ放映されたアニメで見たと記憶する。いまから12,3年ほど前のことである。

なぜこの話が印象深かったかというと、当時私も、キートンと似たような境遇だったからである。まだ定職についておらず、はたして自分がモノになるのかどうか、不安な日々を過ごしていた。しかもこのとき私も、非常勤講師として社会人大学で教えていたのである。

キートンも、その師匠であるユーリー・スコット先生も、研究者としてはむしろ不遇といえる人生を送っている。だが、誰よりも誇り高く生きているではないか。私はこのとき、実在するどの先生よりも、ユーリー・スコット先生に励まされたのである。

そうだ、私は12年前のあのとき、「オレはキートンになる!」と誓ったのだ!

そのことを思い出した。

それがいまや、オンチ君になりたい!などと言っているのだから、時の流れとは恐ろしい。というか、たんに影響を受けやすい単純な人間なのね、私は。

それに、私とキートンは似ても似つかない。キートンのようにスマートでもないし、サバイバル能力もない。似ているのは、「やたら物をすぐにポケットに入れる」という癖くらいなものである。

さて、宴会の時に話したことが、どれだけ学生に伝わったのはわからないが、まあそんなことはどうでもよい。

話し終わると、3年生のN君が、「浦沢直樹、いいですよね」と言ってきた。『プルート』を読むと、彼が天才だということがわかりますよ」

「へえ、そうか。じゃあ今度読んでみるよ」

『プルート』は、手塚治虫の『鉄腕アトム』のエピソードのひとつを、浦沢直樹がリメイクした作品である。

そこからひとしきり、N君たちと手塚治虫の話になる。

「手塚治虫は短編もいいですよね」

「そうそう、『ザ・クレーター』は傑作だよね」

「あ、それ、僕も好きです」

どうも感性が合うようだ。

さて今日の午後、某所で講演の仕事があり、それが無事終わったので、自分へのご褒美、などというとキモチワルイが、帰りに大手古本チェーン店に立ち寄って、「屋根の下の巴里」がおさめられている『マスターキートン』第3巻を買うことにした。いてもたってもいられなくなったのである。

久しぶりに読んでみると、原作とアニメとは、微妙にセリフが異なっていることがわかった。昨日書いたのは、アニメ版のセリフである。

原作では、キートンは社会人学生たちを前に、講義の最後をこう締めくくる。

「人間は一生、学び続けるべきです。

人間には好奇心、知る喜びがある。

肩書きや、出世して大臣になるために、学ぶのではないのです…

では、なぜ学び続けるのでしょう?

………

それが人間の使命だからです」

このセリフに、また泣いた。

こんなセリフ、いつか言ってみたいなあ。

そのときは、最後の最後、私自身が去ってゆくときだろうなあ。

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