1日だけの恩師
5月25日(水)
午後、長くてツライ会議。
その中で、「教育実習」の話が出た。
今年度から、学生は母校での教育実習ができなくなり、近隣の学校で行わなければならなくなった。それにともなって、実習生が行う「研究授業」を指導教員が参観することになった、という。
「母校での教育実習」、「研究授業」、「指導教員による参観」…。
ボンヤリとした頭で聞いていた私は、自分が教育実習をした時のことを思い出した。
今から20年ほど前、大学4年の時のことである。
母校の高校に教育実習に行くことになった。教育実習生の一覧表が配られ、私のところを見ると、指導教員の欄に見知らぬ先生の名前が書いてある。Fという先生である。
調べてみると、心理学の先生である。私の専攻とはまったく異なる先生である。
これは、あとで調べてわかったことだが、F先生は有名な社会心理学者であった。そればかりか、F先生のお父様は、法医学の草分け的存在の方で、戦後の数々の重大事件に法医学者として血液鑑定をされた方である。私でも知っている法医学者である。つまり、根っからの学者一家である。
私の大学は、教授はもっぱら自分の研究に打ち込み、学生はほったらかしだったから(それが許されていた大学だった)、教育実習の指導教員などといっても、まったくの名目にすぎないものであった。おそらく、機械的にふりわけられたのだろう。だから私とはまったく無縁の先生だったのである。
指導教員は名目上のものだ、ということは、暗黙の了解だった。
だが、それでもいちおうは指導教員なのだから、形だけでもご挨拶に行こうと思い、F先生の研究室を訪ねることにした。
F先生は、白髪の紳士、といった感じの穏やかそうな先生である。私が、「教育実習に行くことになり、先生が指導教員ということだったので、ご挨拶にうかがいました」と言うと、
「それでわざわざ来てくれたのか。そうかそうか。わざわざ挨拶に来たのはあなたくらいなものだよ」
とにこやかにおっしゃった。
「で、どこの高校に行くのかね?」
「都立K高校です」
「K高校…」F先生は何かを思い出したようだった。
「K高校に、F谷君という英語の先生がいなかったかね?」
「ええ、いらっしゃいました。私、3年間習いました。とてもお世話になった先生です」
ふいにF谷先生の名前が出て、びっくりした。F谷先生は、私が高校時代、強く影響を受けた先生のひとりである。
とにかく変わった先生で、いわゆる受験英語のようなことは一切しない。まったく自由奔放に英語の授業をする。授業中に、いろいろな学問の話をしてくれて、それがとても刺激的でおもしろいのだ。
だが、まじめに英語を勉強しようとする生徒たちからは、どちらかというと煙たがられていた。「もっと受験に役に立つことを教えろよ」とか、「授業中に関係ない話が多すぎる」とか。
高校3年の土曜の放課後、F谷先生による自主講座が行われた。「ベーシック英語」という講座である。
「ベーシック英語」とは、普通の英語とは違い、850語の単語だけを使って、すべての表現をするという、人工言語のことである。いってみれば、エスペラント語のようなものである。
この「ベーシック英語」は、1つでも多く英単語を覚えなければならない受験英語とは、真逆の言語体系である。当然、この講座に参加する生徒など、ほとんどいなかった。私を含め、わずか数名であった。そりゃそうだ。高校3年だもの。でも私は参加し続けた。私には、F谷先生が受験英語のアンチテーゼとして「ベーシック英語」を教えているようにも思えた。F谷先生も私も、あまのじゃくだったのだ。
「F谷先生をなぜご存じなんですか?」私はF先生に聞いた。
「あれは、私の教え子だよ」
そうか、それで合点がいった。F谷先生は授業中、やたらと心理学の話をされていて、それがたまらなくおもしろかったのだが、そもそもが心理学者だったのだ。
F谷先生は、私が高校を卒業した後、高校をやめて大学の先生になった。
ひとしきり、F谷先生の話で盛り上がった。
「そうか、K高校か…。君、研究授業はいつかね?」
F先生は唐突に私にお尋ねになった。
「最後の週の金曜日です」
「よし、では君の研究授業に行くことにしよう:」
ええぇぇ!ビックリである。そもそも名目上の指導教員なのだから、わざわざ研究授業を見に行く必要なんてないのだ。
「わざわざいらっしゃるんですか?」私は思わず聞いてしまった。
するとF先生がおっしゃった。
「私は今年度で、この大学を定年退職する。私はこの年齢まで、毎週金曜日の大学院の演習を1度も休講にしたことがない。それは私の誇りだ…。だが、君が金曜日に研究授業をする、というのなら、私は大学院の演習を休講にして、君の研究授業を聞きに行くことにしよう」
えええぇぇぇぇ!!重い!重すぎる!
長年F先生が築き上げてきた、大学院の演習の皆勤記録が、教育実習の研究授業ごときのために、定年退職を目前に途絶えてしまうなんてえぇぇぇ!
私は一気に汗が噴き出した。
「そ、そんな…休講だなんて…。いいんでしょうか?」思わず私は尋ねた。
「君がF谷君の教え子だって聞いたら、行かないわけにはいかないだろう」
F先生はにこやかに答えた。
さて、驚いたのはわが母校の先生たちである。
まさか、大学から偉い先生が研究授業を聞きに来るなんて思わなかったから、さあ大変!
校長先生なんか完全にテンパっちゃって、教頭先生と一緒に玄関の外に出てF先生をお出迎えしたり、校長室で上等のお菓子を出したりと、コントのようだった。
さて、研究授業の方はというと。
教育実習生たちの中で一番最後の研究授業だったこともあって、たくさんの先生方や実習生たちが見に来てくれた。そして大団円を迎えた。
あとにも先にも、あんなに充実感のある授業ができたことはない。
授業が終わり、校長室にいらっしゃるF先生にご挨拶に行った。
「僕はこの方面には門外漢だがね。…でも、聞いていてよく分かったよ。とてもおもしろかった」
私はホッとした。この場に、F谷先生もいらっしゃればなあ、と思った。
そして帰り際、
「来てよかったよ。本当によかった」
そう言って、F先生は玄関をお出になった。
「ありがとうございました」
私はF先生の後ろ姿に、深々と頭を下げた。
その横で、校長と教頭も、深々と頭を下げていた。
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