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101日目の午後

ちょっともどって、6月19日(日)のこと。

3月11日の震災後、仲間たちが集まって、津波で水をかぶったりした本や写真、古い書類を、ひとつでも多く救済しようと、活動をはじめた。「ヒト」が相手のボランティアではなく、「モノ」が相手のボランティアである。具体的には、被災した資料をお預かりして、その資料をクリーニングし、できるだけ原状に戻した上でお返しする、という作業を行う。

被災地に行って、炊き出しとか瓦礫撤去をするといった活動的なボランティア活動とは違い、じつにひそやかな、そして地味な作業である。

まだできあがったばかりの団体で、ほとんどが素人集団なので、大それたことはできないし、手探りをしながらの活動である。経験がほとんどないので、あまりしゃしゃり出ることはせず、被災地から要請があればお手伝いをする。そして自分たちがそれぞれの持ち場でできる範囲のことを行う、というのが、モットーである。

月に一度、震災が起きた「11日」の前後に定期会合を開いて、自分たちの活動を報告しあったり、自分たちがやるべきことを確認しあったりする場をもうけている。自分たちの活動を、立ち止まって考える場が必要だという、発起人のKさんの発案である。

私はこうした発起人Kさんのアイデアやスタンスに共感して、できる範囲でお手伝いすることにしよう、と思ったのである。

この日(6月19日)は、震災後100日がたった(正確には101日目)ということで、ふだんの定期会合よりも少し拡大して、これまで3カ月間やってきた活動をふりかえり、今後の展望を考えようということになった。

すると、40人近くの人たちが集まった。そのほとんどは、学生をはじめとする、私よりも若い人たちである。

これまでやってきた地道な活動が次々と報告される。津波で被災した「モノ」を救うことは、過去に前例がないから、各自が試行錯誤しながら、方法を編み出し、それを共有していく。

被災地からお預かりした膨大な量の「モノ」をクリーニング作業をするのは、おもに学生たちである。夕方におこなっているので、仕事が終わった社会人も、クリーニング作業にかけつける。気の遠くなるような作業である。前に書いた「井戸端会議」とは、そのときの様子である。

ふだんクリーニング作業を行っている学生たちが、感想を言ってくれた。

「今回の津波では、多くの人が亡くなってしまい、とても残念でした。でもその中にあって、水をかぶりながらも、多くの資料が残されました。私は残された資料のたくましさを感じました。少しでも多く資料を残していけたらいいなと思います」

「歴史を勉強するには過去の資料がなければできません。私たちは過去の資料のおかげで歴史が勉強できるんです。だから、私たちが過去の資料に恩返しをしなくてはいけないと思います」

定期会合が終わり、席を立つと、話しかけられた。

「先生おひさしぶりです。私のこと、覚えていますか?以前、韓国の実習でお世話になったKSです」

「おお!覚えてるよ!」

KSさんは私の職場の教え子ではない。だが数年前、前の職場の同僚であったOさんが、自分のところの学生たちを韓国に実習に連れていったときに、私も一緒について行った。そのときの学生である。

あれは、Oさんとの最後の韓国旅行だったから、忘れることのできない思い出である。

Oさんの告別式の時に学生代表で弔辞を述べたのが、たしかKSさんだった。

あのときのゲストハウスは、ひどかったねえ」

「そうでしたねえ」

いまKSさんは、地元で仕事をしているという。Kさんは、卒業してから今までのことを、堰を切ったように私に話した。

「震災後、私も何かできないかなあと、ずっと思っていました。文化財を救済する活動があると知って、私も文化財が好きだし、お手伝いできるかも知れない、て思って、今日の定期会合に参加したんです。たぶん私のかつての同級生たちも、こういうことが好きだから、話をしたら来てくれるかも知れません」

「でも…」とKSさんは続けた。「まわりは知らない人たちばかりだし、それに最近は残業が多くて…」

「大丈夫だよ。毎週2回、夕方に作業を行っているから、一度、時間があるときに見に来るだけでも来てみたらいいと思うよ。私もできるだけ行くようにしているし」

「そうですか。じゃあ時間ができたら行くようにします」KSさんは帰っていった。

それにしても驚いたのは、会合に参加した人のほとんどが、学生をはじめとする若い人たちだ、ということである。

私よりも上の人は、ほとんど来ていない。団塊の世代とか、もっと上の方とか。

ふつうに考えれば、仕事をリタイアした方は、私たちよりふんだんに時間があるはずから、そういう人ほど、ボランティアをやればいいのに、と思う。だが残念なことに、そういう方はあまり見かけない。

私が講演会をすると、来るのはほとんど仕事をリタイアされた方々ばかりで、若い人は全然いない。だがボランティア活動となると、その逆である。

「今日の会合は若い人たちが多かったですね。お年寄りはほとんどいませんでしたよ」私は発起人のKさんに言った。

「今日は別のところで勉強会があって、お年寄りはみんなそっちに参加されたそうです」

「なるほど。お年寄りは、残された人生で、ひとつでも多くのことを学びたいと思うのでしょうか」

「そうなのでしょう。それに対して、若者たちは、ひとつでも多くのモノを未来に残したい、と思うのかも知れません」

なるほど。そういうものなのかも知れない。まだまだ捨てたもんじゃない、ということか。

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