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2011年6月

放課後の音楽

6月30日(木)

今月は、週に3日くらいスポーツジムに通ったし、週2日のボランティア、週末は研究会と、ズボラで怠惰な私としては、めずらしくやる気を出した1カ月だった。

あとは、本業の原稿が書ければ言うことないのだが。ま、これは来月がんばることにしよう。

さて今回は、「80年代思春期」限定の、まったくわからない話を書く。

私が中学生から高校生にかけてのころ、NHKの教育テレビで、土曜の夜に「YOU」という番組をやっていた。司会が糸井重里さんで、スタジオの若者たちとトークをする、という内容である。

その前に、教育テレビでは、「若い広場」という若者向けの番組をやっていたのだが、これが、およそ若くない感じの番組だったと記憶する。そもそも「若い広場」というタイトルが、若い感じがしない。

で、この「若い広場」の後継番組として登場した「YOU」は、当時としてはおよそNHKらしくない番組で、私にとってはかなり衝撃だった。

なんたって、司会が糸井重里、オープニングとエンディングのテーマ曲が坂本龍一、さらにオープニングの坂本龍一の曲が流れる間、画面には大友克洋のイラストが次々と映し出されるんだもんね。

80年代を象徴するような番組である。

私は番組をそれほど熱心に見ていたわけではなかったが、YMOのファンだったので、坂本龍一のオープニングとエンディングの曲が好きで、それを聴きたくて見ていたようなものだった。

とくに好きなのは、エンディング曲である。

番組が終わる時に流れるその曲は、授業が終わり、生徒ひとりひとりが教室をあとにしていくような感じの、ちょっと余韻が残るような曲だった。

うまく説明できないが、「放課後の教室」を感じさせるような曲だったのである。

「YOU」という番組自体が、言ってみれば糸井重里さんを先生として、そこに生徒たちが集まってくるといった感じの番組だったから、そのエンディング曲はまさにピッタリの雰囲気だったのである。

さてそれから20年ほどたった21世紀、このエンディング曲がCDになったおかげで、ふたたび聴くことができるようになった。

韓国の語学学校で勉強していた1年間、1日4時間の授業を受けていたが、授業が終わると、

「アンニョンヒカセヨ(さようなら)」

と挨拶しながら、若い学生たちひとりひとりが教室を飛び出していく。その姿を見ながら、私の脳内に流れていた曲は、この「YOU」のエンディング曲だった。

だからこの曲を聴くと、なぜか韓国の語学学校で勉強していたときのことを思い出す。

そして今も聴いている。

スポーツジムでひととおり運動が終わったあと、私はiPodに入れているこの曲を聴きながら、クールダウンするのである。

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妄想文壇

6月29日(水)

太宰治に関して、思い出したことを書く。

子どもの頃に読んだ本の中に、次のような話があった。

あるとき、菊池寛と太宰治がバーに飲みに行った。当時文壇で華々しい活躍をしていた菊池寛は、有名人であったためか、そういうお店に行くと女性によくモテた。当時まだ無名だった太宰はまったくモテない。そのことを苦々しく思っていた太宰は言った。

「菊池さん、別にあんたに魅力があるからモテてるわけじゃないぜ。『菊池寛』という名前があるからモテてるだけだぞ」

すると菊池寛は答えた。

「バカヤロウ。『菊池寛』という名前だってオレのもんだ」

細部は忘れてしまったか、たしかこんな話だったと思う。

これが本当にあった話なのかどうかよくわからないが、私はこのエピソードがなぜかとても好きだった。

それからしばらくして、菊池寛の「忠直卿行状記」という短編小説を読んだ。

剣術の上手な若い殿様、忠直卿。彼が家来たちと試合をして片っ端から打ち破った日の夜、得意満面に庭園を散歩していたら、庭の暗闇の奥から家来たちの会話が聞こえた。

「どうじゃ、殿のお腕前は? 真実のお力量は?」

「以前ほど、勝ちをお譲りいたすのに、骨が折れなくなったわ」

家来たちは苦笑した。

そのヒソヒソ話を聞いてからというもの、忠直卿の行状は一変した。自分の剣術の腕はたいしたことはないのか?という思いにとらわれた忠直卿は、家来たちに真剣勝負を挑んだ。だが家来たちは、やはり本気に戦ってくれない。狂った忠直卿は、家来たちを斬りまくり、次々と家来たちを死においやる。こうして忠直卿はおそるべき暴君となり、ついには家も断絶させられた。

…言わずと知れた、菊池寛の代表作である。

さてそれからまたしばらくして、今度は太宰治の短編小説「水仙」を読んだ。

そこで私は、衝撃を受ける。

その小説の冒頭で太宰は、菊池の「忠直卿行状記」を取りあげ、「はたして忠直卿の剣術の腕は、本当に凡庸なものだったのか?実は忠直卿の腕は天才的で、家来たちは負け惜しみから、忠直卿の剣術の腕を大したことはないと言っていたにすぎなかったのではないか」という疑念にとらわれるのである。

「とすると、慄然とするのだ。殿様は、真実を掴みながら、真実を追い求めて狂ったのだ。殿様は、事実、剣術の名人だったのだ。家来たちは、決してわざと負けていたのではなかった。事実、かなわなかったのだ」(「水仙」)。

この言葉に慄然としたのは、むしろ私である。私の中で、菊池寛の「忠直卿行状記」を通じて馴染んでいた忠直卿のイメージが、太宰の手によって、ガラリと変わってしまったからである。

このあとこの小説は、忠直卿とはまったく無関係の、ある女性の物語を叙述していくことになるのだが、私にとっては、小説の本編よりも、その物語の導入として書かれた忠直卿についての新たな解釈の方が衝撃的であった。

なぜ太宰はこの小説の冒頭で、わざわざ菊池寛の「忠直卿行状記」を引きあいに出したのか?

太宰治は、菊池寛に猛烈に嫉妬していたのではないだろうか。

完璧ともいえる短編小説を書き、文壇で華々しい活躍をしていた菊池寛に対して、太宰はコンプレックスを感じていたのではないだろうか。そのコンプレックスが、菊池寛とはあえて異なる解釈を試みさせ、さらにはこの小説「水仙」を書く原動力となったのではないか。

…「水仙」をはじめて読んだとき、そんな妄想が頭をよぎった。おそらく、子どもの頃に読んだバーでのエピソードが頭にあったからであろう。だがなにぶん、近代文学史にも文壇事情にもまったく疎い身で、しかも不確かなエピソードをたよりににしているので、いまとなっては確かめる術もない。

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『津軽』か、『思ひ出』か

6月28日(火)

自分の非力さに落ち込むばかりの毎日である。

やるべきことは次々とあるのだが、こんな時は、つい現実逃避をしてしまう。

先週の土曜日、研究会が終わり、地元の老先生たちと飲んでいたときのことである。

老先生のKさんがおっしゃった。

「太宰治の『思ひ出』という小説に、太宰が幼いころ、卒塔婆に付いていた黒い鉄の輪をからからと回して、そのまま止まって動かなければ極楽に行き、勢いが足らずに逆に廻れば地獄に落ちると叔母に教えられて、幼い太宰がやってみたら逆廻りすることがしばしばあった、なんて記述がありましたなあ」

Kさんがこんな話を唐突にしたのは、昼間の研究会で講演者の方がお話になった内容と、少し関わる話だったからである。

「叔母さんがやると必ずうまく止まったのに、なぜか太宰がやるとうまく止まらずに逆戻りしてしまう。たぶんそのとき太宰はまだ幼かったから、勢いよく廻せずに、鉄の輪が逆戻りしてしまったんでしょうな」とkさん。

すると横にいたI先生が、

「それは『津軽』ですよ。『津軽』に出てくる話です。『津軽』は、太宰がめずらしく誠実に書いた小説です」

とおっしゃった。

『思ひ出』も『津軽』も、中学の時に読んだきりで、そんな話があったことは、まったく思い出せない。

私の父方の祖父母は津軽の出身である。祖父母は仕事のために上京し、そこでずっと暮らしたため、ほとんど津軽に帰ったことはなかった。ただ私が中学2年の時、1度だけ、家族で津軽を訪れたことがある。

そのとき、私は太宰の『津軽』と『思ひ出』を読んだのである。

それがきっかけになり、思春期のある時期、ご多分にもれず太宰の小説を人並みに読みふけったが、大学生になるころには、すっかり読まなくなってしまった。以来、太宰とは、すっかり縁遠くなってしまっている。

それにしても、Kさんがこの話を『思ひ出』にあるとおっしゃったのは、記憶違いだったのだろうか?この話は、I先生がおっしゃるように『津軽』に出てくる話なのか?

気になって、『思ひ出』と『津軽』を調べてみることにした。

すると、やはりKさんがおっしゃるように、『思ひ出』に出てくる話であることがわかった。

では、I先生が間違っていたのか?

いや、そうではない。この話は、『津軽』にも出てくるのである。

正確に言えば、『津軽』では、過去に自分が書いた短編小説『思ひ出』の一節を引用する形で、この話が登場するのである。

だから、Kさんの記憶も、I先生の記憶も、たしかなのであった。

それにしても驚いたのは、この何気ないエピソードを、お二人が印象的に覚えておられた、ということである。

それほど有名なエピソードなのだろうか。私にはよくわからない。

ひとつ痛感するのは、私自身の肉体がまだ、東北の地に染みついていない、ということである。お二人の先生は、太宰の文学を、同じ東北の人間として、自らの血肉にしているのではないだろうか。

久しぶりに太宰治を読んでみることにしようか。

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やはり私が悪いのだ!

みんな私が悪いのだ!

6月27日(月)

私は本当に運が悪い。たぶんそれは、私の人間性に問題があるからだろう。

たとえば、駐車場に車を入れようとすると、私のすぐ前の車で満車になる。

とか、

スーパーのレジに並んでいていると、他のレジはスムーズに流れているのに、自分のところだけ、前の人がかなりややこしいやりとりをしていて、ずいぶん待たされる。

とか、こういうことはよくある。

スポーツジムだと、ちと説明がややこしい。

運動を始める前にいちおう、自分の脳内で本日のプログラムを組む。

(まず最初にエアロバイクを15分間こいで、そのあと、AとBとCの器具を使って筋トレを15回ずつを3セットやって、そのあと今度はランニングマシーンを…)

といった具合である。

で、エアロバイクをこいでいると、12分あたりから、次に使う予定の器具が他の人に使われていないか、気になり出す。私としては、エアロバイクが終わったあと、スムーズに筋トレに移りたいからである。

すると、13分あたりから、なぜか、器具の周りに人が集まってくる。どうやら、筋トレを始めるようである。

(ダメダメ、俺が使うんだから!)

と思っても、私はエアロバイクをやめることはできない。なぜなら、自分の中で15分間続けることになっているからである。こういうところが、融通の利かないところである。

で、15分経って、エアロバイクから降りると、案の定、自分が使いたかったA、B、Cの3つの器具とも、まるではかったかのように、他の人が使いはじめている。

(さっきまで誰も使ってなかったのに…)

まるで、私が使おうとしていることを知っていて、わざとそのタイミングを見計らって使いはじめているかのようである。

(「トゥルーマンショー」か!これは)

仕方なく待つことにする。筋トレを後回しにして、先にランニングマシーンを済ませてもよさそうなものだが、融通の利かない私は、それができない。

しばらく待っているが、これがなかなか空かないのだ。

たとえばAという器具を使って筋トレをするとしよう。15回を3セットやるとしても、ふつうは、15回を1セット終わったら、しばらく筋肉を休める意味で、別の器具を使って、別の筋トレをして、その後、Aという器具に戻って2セットめをやる。トレーナーの先生にはそう教わった。そうすれば、1セット終わるごとに、その器具は空くことになり、比較的スムーズに他の人が使えるのである。

ここまではわかるかな?

だがなかには、15回1セットが終わったあと、その場で3分くらい座って休憩して、次の2セットめを始める、という人が、けっこういるのである。つまり、独り占めである。

(他に使いたい人がいるのに、のんびり休んでいる場合かよ…)

そう思っても、気の弱い私は何も言うことができず、その人が3セット終わるまで、こちらは待っていなければならないのである。

たまたま3種類の器具ともそんな感じでふさがっていると、ずっと待っていなければならない。

だったら、他にも器具があるんだから、それで別の筋トレをすればいいじゃん、とも思うのだが、何度も言うように、私は融通の利かない人間なのである。いったん自分の頭の中でプログラムを組んでしまうと、変更したくないのだ。

融通が利かない私の方が悪いのか???

今日、職場の図書館では、こんなことがあった。

図書館の本のコピーをとろうと、コピー機のある場所まで行ったら、ちょうど私よりも少し早いタイミングで、重たい本を3冊くらい抱えた学生が、コピー機のところにやってきた。

(またかよ…)さっきまでコピー機は誰も使っていなかったのに、どうして私がコピー機を使おうとすると、ちょうどそのタイミングで人が来るのだろう。本当に運が悪い。

(絶対「トゥルーマンショー」だぞ!これは)

図書館の本をコピーするためには、文献複写の申請書を書かなければならない。その申請書は、コピー機の隣にある机の上に置いてあって、コピーを希望する人は、そこに座って、申請書に必要事項を書き、その後、コピーをする、という段取りである。

ここまではわかるかな?

先にその学生がその机に座り、申請書を書き始めてしまったので、仕方なくその後ろにある椅子に座って待っていた。

だが、待てど暮らせど、その学生が申請書を書き終わる気配がない。

(どういうことだ…?)

どうやら、ビックリするくらいゆっくりと、丁寧に申請書を1枚1枚書いているようである。

あんなものは方便なのだから、そんなに丁寧に書かなくてもいいのに、と思うのだが、どうやら私以上に融通が利かない人らしい。

そうこうしているうちに、別の学生が本を持ってコピー機のところにやってきた。今すぐにコピーを始めそうな勢いである。

(おいおい、こっちが先に並んでるんだよ!)

言葉には出さなかったが、あわてて私は立ち上がり、机の上に置いてある申請書を奪うように取って、必要事項を殴り書きをして提出し、コピーを始めた。

結局、私がコピーを終わっても、その学生はまだ申請書を書き続けていた。

…というか、その学生も申請書を書くのにそんな時間がかかるんだったら、明らかに後ろに並んでいる人がいるのだから(少なくとも私は、明らかに並んでいるぞ、というポーズを見せたのだ)、

「すいません。時間がかかりそうなので、お先にどうぞ」

と、ひと言言えば済むのではないか?

と、いったん腹を立てたが、

…いや、悪いのはむしろこっちか?こういう時は私の方が、

「先に使ってもいいですか?」

と聞くべきだったのか?

正解はどっち?

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楽しいときは2次会に行く

6月24日(金)

職場の人たちとの飲み会で、決まって落ち込んで帰ることになるのは、「ああ、自分は職場であまり必要とされていないんだな…」ということを痛感するからなんだな。

ま、鈍感なふりをしてやり過ごしていくしかないのだが。

というわけで、1次会で失礼することにした。

6月25日(土)

先日、一緒に踏査に行った老先生のIさんから、「こんどの研究会で発表してくれませんか?」と、お誘いをいただいた。

その研究会は、今年でちょうど25年を迎える、地元の人たちによる研究会である。この日、25周年を記念した拡大研究会を行うという。

市井の研究会が25年も続くというのは、奇跡に近いことである。それもこれも、事務局をつとめているIさんが、毎月、ご自身でレイアウトした会報を出し、金融機関に勤めておられた経験を生かして、会計をしっかりとなさっているからである。その並々ならぬ努力は、100人近い会員の誰もが知っていることであった。

私は、自分が信頼している人に頼まれるとイヤとは言えない性格なので、ふたつ返事で研究発表を引き受けることにした。

午後1時から始まった研究会は5時半過ぎに終わり、6時からは場所を変えて懇親会である。20人近くが集まった。

会長先生が挨拶された。

「実は、事務局を長くつとめておられるIさんは、今年で喜寿を迎えられます。みなさんで、Iさんの喜寿をお祝いしましょう」

き、喜寿!?喜寿といえば、数え年で77歳ではないか!

とてもそうは見えない。だって先日の踏査では、山道をスタスタと歩いておられたぞ!

私だけではない。ほかの人たちも驚いていた。なぜなら、この研究会はIさんによる献身的な運営で成り立っていることを、誰もが知っていたからである。

大きな拍手が起き、Iさんは照れくさそうに頭をかいた。

宴会が始まった。

次から次へと、いろいろな人とお喋りをする。地元の老先生方や、遠くからいらした方など。どの方と話していても、楽しい。

あまりに楽しいので、2次会に行くことにした。私を含めて8人である。

老先生のIさんやKさんも、酔っぱらってすっかりいい気分である。

「先生、酒を飲んで話すってのは、いいもんですねえ」とIさん。私よりはるかに人生の先輩なのに、Iさんは私を立てて「先生」と呼んでくださる。

考えてみたら、Iさんと一緒にお酒を飲んでこんなにお話ししたのは、はじめてである。ほんのわずかであったが、Iさんがこれまで歩んでこられた人生の一端をお聞きしたりした。

「今日の研究会は、ほんとうによかった。なあKさん」

「ほんと、よかったよなあ」

長年、この研究会を引っぱってこられたIさんとKさん、ふたりの老先生が語り合っている。

IさんもKさんも、決して出しゃばらず、控えめでありながら、正しいことは正しい、間違いは間違いである、とはっきり言う。

私が知りたいことを尋ねると、ご自身が調べたことを惜しみなく教えてくれる。

決して自分の業績や手柄を誇らしげに語ることはしないが、でもまわりの誰もがその業績に敬意を表している。

自分もそんな喜寿になれるだろうか、と想像した。

「先生だって、あっという間に喜寿になりますよ」Iさんは私に言った。

2次会は夜11時に終わり、おふたりの老先生も、千鳥足で帰っていった。

帰り道、歩きながら思った。

「市井の人の中にこそ、ほんとうに尊敬すべき人がいる」と。

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2つのガマ

6月23日(木)

ラジオのニュースを聞いて気がついた。今日は沖縄慰霊の日だ。1945年6月23日、沖縄における地上戦が終了したとされる日である。

先日、研究仲間のTさんと飲んだときに、Tさんから聞いた話を思い出した。

沖縄には、「ガマ」と呼ばれる洞窟が数多くある。戦争中、人びとは米兵から逃れるために、ガマに避難していた。

ある集落に、2つのガマがあり、その集落の人びとは、2つのガマに分かれて避難していた。そこに米兵がやってきて、その集落をたちまち包囲してしまう。人びとは身動きがとれなくなり、いよいよこれまで、と思われた。

一方のガマには、ハワイ移民帰りの2人の老人がいた。人びとからふだん「非国民」扱いされていた2人は、ハワイでの生活経験から、「米兵は、手向かわなければ殺さない」ことを知っていた。2人は、ガマの中で自決を決意している人たちを根気強く説得し、ガマを出て、米兵と英語で交渉する。「このガマには民間人しかいない」と。

2人の交渉は功を奏し、このガマに避難していた約1000人は、自決という道を選ぶことなく、全員助かったのである。

さて、もう一方のガマには、海外における日本軍の残虐行為を見てきた在郷軍人や従軍看護婦がいた。彼らは、もし我々が投降したら米兵も日本兵と同じことをするだろうと考えた。「投降して捕虜になったら、きっと辱めを受ける。それは生きていることよりもつらいことだ」と、暗いガマの中で、その言葉が響き渡る。人びとは、自決の道を選ぶことになる。

その方法は、それはそれは悲惨なものだった。手榴弾や銃でひと思いにと思っても、そんなものはない。ある者は、ガラスビンのかけらで動脈を切り、ある者は、縄で首を絞め、ある者は、化学繊維のふとんを焼いて、その煙を吸って、苦しみながら絶命した。

子どもの首を絞めて殺す親もいた。死んでゆく子どもの様子を見て、自分は死にきれないと思った者もいた。こうして、このガマでは約140人中、80人以上が死んだ。その6割以上が、18歳以下の子どもたちであったという。

1つの集落の、2つのガマが、生死を分けたのである。

私たちは、何を守るべきなのか。どう守るべきなのか。

時々、このことを思い出さなければならない、と思う。

久しぶりに、岡本喜八監督の映画「激動の昭和史 沖縄決戦」を見ることにしよう。

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101日目の午後

ちょっともどって、6月19日(日)のこと。

3月11日の震災後、仲間たちが集まって、津波で水をかぶったりした本や写真、古い書類を、ひとつでも多く救済しようと、活動をはじめた。「ヒト」が相手のボランティアではなく、「モノ」が相手のボランティアである。具体的には、被災した資料をお預かりして、その資料をクリーニングし、できるだけ原状に戻した上でお返しする、という作業を行う。

被災地に行って、炊き出しとか瓦礫撤去をするといった活動的なボランティア活動とは違い、じつにひそやかな、そして地味な作業である。

まだできあがったばかりの団体で、ほとんどが素人集団なので、大それたことはできないし、手探りをしながらの活動である。経験がほとんどないので、あまりしゃしゃり出ることはせず、被災地から要請があればお手伝いをする。そして自分たちがそれぞれの持ち場でできる範囲のことを行う、というのが、モットーである。

月に一度、震災が起きた「11日」の前後に定期会合を開いて、自分たちの活動を報告しあったり、自分たちがやるべきことを確認しあったりする場をもうけている。自分たちの活動を、立ち止まって考える場が必要だという、発起人のKさんの発案である。

私はこうした発起人Kさんのアイデアやスタンスに共感して、できる範囲でお手伝いすることにしよう、と思ったのである。

この日(6月19日)は、震災後100日がたった(正確には101日目)ということで、ふだんの定期会合よりも少し拡大して、これまで3カ月間やってきた活動をふりかえり、今後の展望を考えようということになった。

すると、40人近くの人たちが集まった。そのほとんどは、学生をはじめとする、私よりも若い人たちである。

これまでやってきた地道な活動が次々と報告される。津波で被災した「モノ」を救うことは、過去に前例がないから、各自が試行錯誤しながら、方法を編み出し、それを共有していく。

被災地からお預かりした膨大な量の「モノ」をクリーニング作業をするのは、おもに学生たちである。夕方におこなっているので、仕事が終わった社会人も、クリーニング作業にかけつける。気の遠くなるような作業である。前に書いた「井戸端会議」とは、そのときの様子である。

ふだんクリーニング作業を行っている学生たちが、感想を言ってくれた。

「今回の津波では、多くの人が亡くなってしまい、とても残念でした。でもその中にあって、水をかぶりながらも、多くの資料が残されました。私は残された資料のたくましさを感じました。少しでも多く資料を残していけたらいいなと思います」

「歴史を勉強するには過去の資料がなければできません。私たちは過去の資料のおかげで歴史が勉強できるんです。だから、私たちが過去の資料に恩返しをしなくてはいけないと思います」

定期会合が終わり、席を立つと、話しかけられた。

「先生おひさしぶりです。私のこと、覚えていますか?以前、韓国の実習でお世話になったKSです」

「おお!覚えてるよ!」

KSさんは私の職場の教え子ではない。だが数年前、前の職場の同僚であったOさんが、自分のところの学生たちを韓国に実習に連れていったときに、私も一緒について行った。そのときの学生である。

あれは、Oさんとの最後の韓国旅行だったから、忘れることのできない思い出である。

Oさんの告別式の時に学生代表で弔辞を述べたのが、たしかKSさんだった。

あのときのゲストハウスは、ひどかったねえ」

「そうでしたねえ」

いまKSさんは、地元で仕事をしているという。Kさんは、卒業してから今までのことを、堰を切ったように私に話した。

「震災後、私も何かできないかなあと、ずっと思っていました。文化財を救済する活動があると知って、私も文化財が好きだし、お手伝いできるかも知れない、て思って、今日の定期会合に参加したんです。たぶん私のかつての同級生たちも、こういうことが好きだから、話をしたら来てくれるかも知れません」

「でも…」とKSさんは続けた。「まわりは知らない人たちばかりだし、それに最近は残業が多くて…」

「大丈夫だよ。毎週2回、夕方に作業を行っているから、一度、時間があるときに見に来るだけでも来てみたらいいと思うよ。私もできるだけ行くようにしているし」

「そうですか。じゃあ時間ができたら行くようにします」KSさんは帰っていった。

それにしても驚いたのは、会合に参加した人のほとんどが、学生をはじめとする若い人たちだ、ということである。

私よりも上の人は、ほとんど来ていない。団塊の世代とか、もっと上の方とか。

ふつうに考えれば、仕事をリタイアした方は、私たちよりふんだんに時間があるはずから、そういう人ほど、ボランティアをやればいいのに、と思う。だが残念なことに、そういう方はあまり見かけない。

私が講演会をすると、来るのはほとんど仕事をリタイアされた方々ばかりで、若い人は全然いない。だがボランティア活動となると、その逆である。

「今日の会合は若い人たちが多かったですね。お年寄りはほとんどいませんでしたよ」私は発起人のKさんに言った。

「今日は別のところで勉強会があって、お年寄りはみんなそっちに参加されたそうです」

「なるほど。お年寄りは、残された人生で、ひとつでも多くのことを学びたいと思うのでしょうか」

「そうなのでしょう。それに対して、若者たちは、ひとつでも多くのモノを未来に残したい、と思うのかも知れません」

なるほど。そういうものなのかも知れない。まだまだ捨てたもんじゃない、ということか。

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節電狂騒曲

6月22日(水)

どこでもそうかも知れないが、節電、節電と、喧しい。

まじめに節電にとりくんでおられる方からは怒られるかもしれないが、私に言わせれば、節電ファシズムである。

(本当は火力発電と水力発電だけでも十分電力をまかなえるはずなのにな…)

という声は、いとも簡単に排除される。恐ろしい世の中だ。こういう世の中になってしまったことに、誰も疑問をもたないとは恐れ入る。

なぜこんなに文句を言うかというと、私が無類の汗かきだからである。汗かきにとって、夏の暑さ対策は死活問題なのである。

午前中からすでに、気温がかなり上昇している。午前中の2コマ連続の授業が終わり、お昼休みになった。

(こう暑いと、集中力が欠けて、仕事にならないなあ)

多少お金を出してでも涼しいところに行きたいと思い、職場にあるいくつかの食堂の中でも、いちばんリッチな食堂に行って、涼みながら仕事をすることにした。

何たってそこは、ランチセットを頼めばデザートはつくし、アイスコーヒーだって飲めるのだ。多くの学生が集うリーズナブルな食堂とはちがい、落ち着いて食事することもできる。

(フフ、どうだい、リッチだろ)

と、リーズナブルな食堂に入っていく学生たちを横目で見ながら、リッチな食堂に入った瞬間…。

暑い!めちゃくちゃ暑いではないか!

ビックリするくらい暑いのである。

「すいません。節電で冷房を止めておりまして…」と店員さん。

えええぇぇぇ!!!

しかも、食堂のすぐ脇は火を使っている厨房である。厨房から熱気があふれてきて、さらに暑さが上乗せされているではないか!

「すいません。窓側の席がふさがってまして…」

そう言われ、窓と窓の間にあるでっかい柱の真横の席に座ることになった。つまり、まったく風が入ってこない席である。「弱り目に祟り目」とはこのことだ。

客商売なんだから、せめて食堂には少しくらい冷房を入れてもいいんじゃないか、と文句を言おうと思ったが、またクレーマーだと思われても困るので、グッと飲み込んだ。

いったい何のために、少しばかり高い金を払ってこの食堂に来たのか、意味がわからん。

せめて扇風機ぐらい用意してほしい、と思ったが、言うとまたクレーマーだと思われるので、グッと飲み込んだ。

だいたい、節電節電といいながら、冷房に代わる暑さ対策をまったくやっていないのは怠慢としか言いようがないではないか!

…こうなるともう言いがかりに近いが、もちろんこれも、心の声。

このように、汗かきを助長するような状況を生み出すことに対しては、かなり神経過敏になってしまうのだからいただけない。

「お待たせしました」

ランチが来た。

汗だくの人間が、ナイフとフォークを使って肉を食べる光景は、まわりかた見たら滑稽きわまりないだろう。こうなるともう、リッチなんだかどうだかよくわからない。「お前、なに必死に食ってんだよ!」と思われているに違いないのだ。

そそくさと食事を終え、研究室に戻る。だが、暑いことには変わりない。なるべくじっとしていることにした。

夕方、この3月に卒業したSさん(リーダー)が研究室にやってきた。仕事を定時に終え、こちらに用があったついでに来てくれたようである。

研究室に入るなり、

「パ、パワーアップしてますね…」とSさん。

「何が?」

「部屋がです…」

たしかに、最近の私の研究室の散らかり具合は、自分で見ても目に余るものがある。

思えば、地震前日の3月10日が、いちばん片付いていたのだ。それから以降は、散らかる一方である。

「なにしろ暑くってね…」と、答えにならない答えをした。

そう答えながら、私だって自分の愚かさを暑さのせいにしているのだから、暑さばかりを責めるわけにもいくまいな、と、少し反省したのであった。

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趣味、妄想。

6月21日(火)

妻はこの5月から、週に一度1コマだけ、大学で授業をしている。ふだん、授業とは無縁の仕事をしているためか、人に教えることに向いていないと思いこんでいるらしい。授業が終わるたびに落ちむのだという。

何を言うか!こちとら、毎日落ち込んでいるんだぞ。毎回授業が終わるたびに、軽く死にたい気持ちになるし、「学生にあんなこと言わなきゃよかった」と、反省することしきりである。

ま、それはともかく、妻は今どきの大学生の生態がめずらしいらしく、今日も授業が終わってから、短いメールが来ていた。

「最近の若者は…

1.授業中に携帯をいじっている。

2.カバンにデカいぬいぐるみを提げていて、帰宅中の猟師みたい」

なるほど、「帰宅中の猟師」か。うまいことを言う。

…というか、もうそういう風にしか見えなくなってしまったではないか!

私も注意して見たことはないが、たしかに、女子学生のカバンには、動物のぬいぐるみを提げているのが流行っているようである。さながら、仕留めた獲物を誇らしげにぶらさげているかのごとくである。

こうなるともう、妄想は止まらない。およそ猟銃を使いこなせそうにないような今どきの女子学生が、大きな動物のぬいぐるみをカバンからぶらさげているのを見ると、

(今日はずいぶんデカいのを仕留めたなあオイ)

などと、つい、学生が持ち歩いているカバンに目が行ってしまう。

「街でベージュのコートを見かけると、指にルビーのリングを探すのさ」(寺尾聰「ルビーの指輪」より抜粋)的な感じである(よくわからない)。

しかしあまりじっと見ていると、不審人物と思われそうだから、妄想もこれくらいにしておこう。

さて夕方。

1時間半ほどの作業をしに、いつもの場所に行く。そこで作業をしながら、集まった人たちと他愛もないおしゃべりが始まる。手を動かしながらの、井戸端会議である。

井戸端会議というと、オバチャンたちの専売特許というイメージがあるが、さにあらず。オッサンどうしだって、井戸端会議をするのだ。

「大河ドラマ」の題材は何がいいか、という話になる。

いろいろと出しているうちに、そろそろネタも尽きてきた。

「松尾芭蕉の『奥の細道』なんてどうです?」

「なるほど、いいですね。毎回、最後に必ず芭蕉が一句詠んで終わるとか」

「ずいぶん地味だなあ」

「じゃあ毎回、旅先で美しい女性に出会うというのは?」

「それじゃあ寅さんだよ」

「じゃあ、旅先で悪いやつをやっつける、というのは?『曾良(そら)さん、懲らしめてやりなさい!』とかいって」

「入浴シーンもあったりしてね」

「それじゃあ水戸黄門だよ!」

漫才とも大喜利ともつかない、くだらない話が延々と続く。

毎日落ち込むことばかり続くが、それに見合うだけの「くだらない話」を考えたり、喋ったり、書いたりすること。

これでなんとか、毎日をやり過ごしています。

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どっちのバーでショー

6月19日(日)

午後、ある会合に参加し、夕方5時に会合が終わってから、何人かでファミレスに行くことになった。

私はふだんファミレスにほとんど行かない。ひとりで行くのがなんとなくはばかられるのである。それに友人もほとんどいないので、複数で行くこともない。結局は、めったに行かない、ということである。

名前を聞くと、私がまだ行ったことのないファミレスである。

「以前、○○という名前だったんですが、名前が変わって××となったんです」という。

○○ならば、ずいぶん前に行ったことがある。そういえば、市内にあったいくつかのお店が、すべて○○から××に変わっていたな。チェーン店の名前が変わったということだったのか。

「ここのチェーン店の特徴は、ドリンクバーだけではなく、サラダバーとスープバーもあるところです」と、卒業生のT君。

「でも、大丈夫なんでしょうかねえ。野菜なんて長時間ずっと、ラップもかけずに置いてあるんですよ。夏場なんか、傷んでるんじゃないかって、ちょっと心配です。わかめなんて、ちょっと干からびた感じになっていますからね」T君は、不安を煽るのが上手い。

「どうもここのサラダバーを頼むと、お店を出たあと、お腹がゆるくなった感じになるんですよ」T君はダメ押しした。

おいおい、それはちょっと勘弁してほしいな。

お店に入って、メニューを見ながら何を食べようかを決める。これがまた至福の瞬間である。

メインは決まったとして、問題はどのバーをつけるか、である。

「ドリンクバーにするか、サラダバーにするか、スープバーにするか…」

うーむ。迷ってしまう。

「ボクはサラダバーにします。サラダバーが絶対いいですよ」目の前に座っている3年生のN君が言った。

しかし、さっきT君の話を聞いちゃったからなあ。

メニューをよく見ると、「スープバーセット」とか「ドリンクバーセット」といった、単独のセットのほかに、「スープサラダバーセット」という2つの組み合わせとか、果ては「トリプルバーセット」なるものまである。

「いっそのこと、全部つけてしまったらどうです?」N君やT君が煽る。

「うーむ。それはちょっとやりすぎだなあ…」さすがに全部のバーを制覇する、というのは気がひける。

「ドリンクバーはほかのファミレスにもあるけど、スープバーはあまりないだろうしね。じゃあ、スープバーにしよう」と、わけのわからない理屈をつけて、スープバーセットにすることにした。

「じゃあボクはサラダバーセットにします」とN君。T君はやはりサラダバーを避け、ドリンクバーセットにした。

注文を終え、各自が席を立ち、スープやドリンクやサラダを取りにいく。

N君は、皿に山盛りサラダを取ってきた。

しかもそれが、ビックリするくらい美味しそうではないか!

「うまそうだなあ…」私が未練がましく言うと、

「だから、サラダバーがいいってお勧めしたじゃないですか!」とN君。

だが、もうあとの祭りである。

その後もN君は、これ見よがしに何度もサラダを皿一杯に盛ってきて、私の前でモリモリと食べていた。もうサラダバーだけでしばらく生活できるんじゃないか、というくらいの量である。

(ま、オレの年齢を考えたら、サラダバーでモリモリ、という年齢でもないだろう…)

などと、またまた理屈をつけて、自分を納得させた。

だが、やはりサラダバーへの未練は残る。…というか、何でサラダバーごときでこんなに後悔しなきゃならないんだ?

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雨あがる

6月19日(日)

昨日の日記を書いていて、そういえば…、と、思い出したことがあった。以前に見た映画、「雨あがる」である。

B0160369_20493417 山本周五郎の短編小説を黒澤明が脚本化したこの作品は、黒澤の手で映画化されることなく、1998年、黒澤はこの世を去る。黒澤の弟子である小泉堯史監督は、黒澤の遺志を継ぎ、この脚本を映画化し、没後1年経った1999年に完成、公開された。

武芸にすぐれながらも、人の良さが災いして仕官がかなわない伊兵衛(寺尾聰)は、妻のたよ(宮崎美子)とともに、旅をしながら浪人生活を送っていた。ある旅先で、伊兵衛の腕の良さを知った藩の城主(三船史郎)は、伊兵衛に藩の剣術指南番の話をもちかけた。彼の卓抜した武芸の腕前と誠実さは、懐の深い城主の気に入るところとなるが、家老たちに疎んじられ、ささいなことを理由に、剣術指南番の話がご破算になってしまう。結局、仕官はかなわず、伊兵衛とその妻はその宿場町を出て、旅に出るのである。

もう一度見かえしてみた。最初見たときは、なんと地味な映画だろう、と思ったが、いま見なおしてみると、これこそ上岡龍太郎の言う、「成功の尊さ」ではなく、「努力の尊さ」を体現した作品ではあるまいか。努力がむくわれることなく、最終的には失敗するからである。だがその伊兵衛の姿は、誰よりも気高く、誇り高い。

偉人伝とは対極にある世界が、私が好きな山本周五郎の小説にあることに、今さらながら気づいたのである。

だが黒澤明の脚本には、ひとつ大きな問題があった。

映画の最後で、伊兵衛をクビにしたことの誤りに気づいた城主が、馬を走らせて伊兵衛夫婦のもとに行き、藩に戻るように頼みこむという場面を、黒澤は脚本段階で構想していた。つまり、みごと伊兵衛は仕官がかなって成功するという、原作にはないエンディングを構想していたのである。

実際、この場面の撮影も行われたが、最終的に小泉監督の判断により、この部分はカットになった。つまり、原作に近いエンディングにもどしたのである。

小泉監督のこの判断は、正しかった、と思う。

なにより山本周五郎が描きたかったのは、仕官がかなわなくとも、つまり立身出世しなくとも、誠実に、誇り高く生きていこうとする伊兵衛の姿にあったのではないだろうか。これこそが、山本周五郎のヒューマニズム文学の真髄である。だからこの作品は、むしろハッピーエンドにしてはならないのである。

それにしても、山本周五郎の真髄を知る黒澤明が、なぜ最後をハッピーエンドとして終わらせたかったのだろうか。謎である。

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くたばれ!偉人伝

6月18日(土)

午後から会合。研究発表を聞きながら、「あ~、オレは何をやっているんだろう。オレって、全然ダメだな」と、ひどく落ち込む。昨年は、自分が話をする側で落ち込んだが、他人の話を聞いても落ち込むのだ。どっちにしても落ち込むんだな。

ま、そんなことはどうでもいい。心が荒れているついでに。

昔、上岡龍太郎が言っていた。

「子どものころ、偉人伝をよく読まされたが、最後には必ず成功する、というのが気に入らんかった。すべての偉人伝が、『努力して、努力して、その末に成功しました』という形で終わっている。これって、努力が尊いことを教えているのか?ちがうやろ。成功が尊いことを教えているんやろ。もし『努力』が尊い、と教えるのなら、『努力しても努力してもダメでした。でもその姿はすばらしいものでした』と教えるのがホントやろ!」

そのとおりだ、と思う。

私も小さいころ、親から数多くの偉人伝を読まされたが、そのすべてが、立身出世して立派になりました、という話である。これって、立身出世することの尊さを教えていたのだと思う。

だが市井には、目立たずとも日々努力している人たちがたくさんいるではないか。なぜ、そういう人たちの話が偉人伝にならないのか。

なぜ、立身出世した人ばかりが、顕彰されるのか?

なぜ、立身出世した人が偉人なのか?

腑に落ちない。まったく、腑に落ちない。

だから私は、「偉人」を手放しで顕彰するような人を、まったく信用しないのである。

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深い闇のミステリー

6月17日(金)

「…で、それはどういう団体なんですか?」

「会員の経歴を調べてみると、どうも関連企業を定年退職したOBで構成されている団体のようです」

「ほう」

「その団体のホームページをみてみましたが、今の時点で彼らの主張をみれば、滑稽なかぎりで…」

「でしょうな。で、なんでまたそんな団体が?」

「このイベントは昨年からはじまっているらしいのですが、きっかけはその団体がこちらに話を持ちかけたようです」

「でもどうしてそんな話をすんなり受け入れてしまったんでしょう?」

「それは、受け入れた人の経歴を見ればわかるでしょう」

「…なるほど、経歴を見ると、たしかにすんなり受け入れた理由がわかりますね。これじゃあまるでズブズブの関係だ。つまり、その人の鶴の一声でこのイベントがはじまった、というわけですね」

「そうだと思います」

「お金はどこから出ているんでしょう?」

「さあそれがよくわからないのですが、どうもこちらからお金を出したような気配がないので、ひょっとして、団体側の手弁当の可能性があります」

「なるほど。関連企業からその団体に資金がまわっている可能性があるでしょうから、その団体の資金は案外潤沢なのかもしれない」

「そうですね。つまり丸抱え、ということです」

「こちら側、つまり、受け入れた人がお金を出した、ということは考えられませんか?」

「その可能性はたぶんないでしょう。もしそうだとしたら、その人がその団体の主張に与していることを意味しますからね。そんな危険はおかさないでしょう」

「なるほど、そうでしょうな。これまで言質を取られない答弁をすることで出世してきたような人でしょうからな。…それにしても、よりによってこの時期に、なんでまたこんなイベントをするんでしょう。普通の神経ではまず、考えられませんね。若者を食いものにしているとしか思えません」

「それだけ連中は追いつめられている、ということではないでしょうか。いま、猛烈な巻き返しをはかっているんだと思います」

「その最初の足がかりがここ、というわけか…。与しやすいと思ったんでしょうな。それにしても、恐ろしい話です」

「まったくです。でも、さらに恐ろしい話があります」

「何でしょう?」

「私たちがこの問題を嗅ぎつけて調査を始めたとたん、そのイベントの告知が、インターネット上から消えてしまったんです」

「なんと!ということは、そのイベントは中止になったということですか?」

「いえ違います。予定通り粛々と行われるようです。不穏な動きを警戒したからなのか、あるいは世論の風当たりをおそれたからなのか…」

「うーむ。姑息というほかないなあ。しかし、気をつけてくださいよ。この『深い闇』に首をつっこんだ人が、以前、謎の死をとげたことがあるそうですから」

「そうですね。おたがい夜道には気をつけましょう」

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疲労の真相

6月16日(木)

学生たちの間で、私が最近ひどく疲れた様子である、という評判が立っているらしい。

会う学生会う学生から、「先生大丈夫ですか。ひどく疲れているみたいですけど」と言われる。

しかも私が疲れている理由というのが、私が最近、ある「問題」を追いかけていて、その問題のあまりの根深さに、精神的に憔悴している、というのである。

私が最近、疲れていることは確かである。

そして、私が最近、ある「問題」を調べていくうちに、その背景にある闇の深さに、なすすべもなく呆然としている、ということも事実である。

しかし、私が疲れている本当の理由は、それではない。

ここのところずっと、スポーツジムに通いつめているからである!

今月の初めに受けた健康診断で、自分があまりにも不健康な生活をしていることににショックを受け、「このままでは、地球の生命よりも前にオレの生命が危ない!」と感じ、頻繁にスポーツジムに通うことにしたのである。

今日も行ってきたのだが、こんなことがあった。

私はランニングマシーンでウォーキングをするとき、iPodに入っている曲を聴きながら、その曲のリズムに合わせて歩調をとる。

今日は、渡辺貞夫が1980年代半ばごろのライブで演奏した「BOA NOITE(ボア ノイチ)」という曲を聴きながらのウォーキングである。私は、この曲を聴きながら歩くと、すこぶる機嫌がよくなるのだ。

いつものように曲のリズムに合わせて軽やかに歩いていると、私のとなりで、若いOL風の女性が、ランニングマシーンに乗ってウォーキングをはじめた。

しばらくすると、私の歩調と、そのOL風の若い女性の歩調が、完全に一致してしまったのである!

リズムに合わせて左、右、左、右、と歩いていると、となりの女性も、まったく同じリズムで、左、右、左、右、と歩いているではないか。

キモチワルイくらいふたりの歩調はピッタリである。

(はやく歩くリズムを変えてくれないかなあ…これでは、私がわざととなりの女性の歩調に合わせて歩いていると思われるじゃないか)

何しろこっちは、曲のリズムに合わせて歩いているから、私の方が歩くリズムを変えることはできない。となりの女性は、前にあるテレビを見ながら歩いているから、歩くリズムを変えることは容易なはずである。

だが、となりの女性も、いっこうに歩くリズムを変える気配はない。

ここでまた妄想が広がる。

(むこうも、こっちに対して「オッサン!はやく歩くリズムを変えろよ!何で私と歩調を合わせているのよ!キモ~イ」と思っているのではないだろうか?)

ウォーキングをはじめたのは、こっちの方が早いんだけどな。

しばらく意地の張り合い(?)が続いたが、どちらも折れず。

私は曲が終わると、この状況に耐えきれず、そそくさとランニングマシーンをあとにした。

(私の負け、か…)

やはり、疲労のおもな原因はスポーツジムである。肉体的にも、精神的にも。

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浮世を駆ける左之助

6月15日(水)

昨日の夕方、3年生のN君やCさんと雑談。

「山本太郎は、もっと評価されていい俳優だと思うのだが」と私。

「そう思います」N君とCさんはうなずいた。「『新選組!』の原田左之助は、よかったですよねえ」

原田左之助ももちろんよかったが、梁石日原作の映画「夜を賭けて」(2002年)の山本太郎もよかった。といっても、N君もCさんも見ていないだろうからわかるまい。

2_1_1 ついでに言うと、韓国の俳優、ファン・ジョンミンは、山本太郎に似ている。「影の殺人」という映画を見てそう思った。ちなみに彼は韓国版の演劇「笑の大学」で、劇作家役をつとめていて、なんでも器用にこなす役者である。

だがこれもまた、誰にも共有されないハナシだな。

気をとりなおして言う。

「もし黒澤明の『七人の侍』をいまの役者で撮るとしたら、三船敏郎が演じた菊千代は、ぜったい山本太郎だな」

「そう思います」と、なんとN君はこれにも同意。「だって、『新選組!』の脚本を書いた三谷幸喜自身が、左之助は『七人の侍』の菊千代をイメージして書いた、と言ってましたから」

「へえ、そうだったの」全然知らなかった。その話は興味深い。

…というか、N君はどんだけ私のツボを押さえているんだ?

そういえば、『新選組!』の最終回には、左之助がしぶとく駆け出していく場面があった。

巷間には、左之助はその後大陸に渡り馬賊になったという説もある。

さながら、駆けだしていく左之助の姿は、『幕末太陽伝』の佐平次を彷彿とさせる。

頑張れ!左之助。生きづらいこの浮世を駆けぬけろ!

何だかよくわからないな。ま、わかる人だけわかればいいか。

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浮世を渡る佐平次

6月14日(火)

どこからともなくあらわれて、おのれの才覚だけで浮世を渡り歩き、潮時を見て、やがてどこかへと走り去ってゆく。

映画「幕末太陽伝」(1957年)の主人公、フランキー堺の演じる「居残り佐平次」は、そんな男である。

「幕末太陽伝」の面白さは、今さら言うまでもあるまい。日本映画の歴史で、5本の指に入る傑作である。

日活が「日活製作再開3周年記念」と銘打って製作したこの映画。すごいのは、当時日活のスターであった石原裕次郎、小林旭、二谷英明といったそうそうたる俳優たちを脇にまわして、三枚目でコミカルなフランキー堺を主役にすえ、落語を題材にした、まるでアナクロニズムな映画を製作したことである。そのためか日活の上層部と川島雄三監督との確執は深まり、やがて川島監督はこの映画を作り上げたあと、日活を去る。

だが、この映画は紛れもない傑作である。そして見るがよい。二枚目の石原裕次郎や、小林旭や、二谷英明などより、三枚目のフランキー堺の方が、はるかに存在感があり、かっこいいではないか!

佐平次の有名なセリフ、

「首が飛んでも動いてみせまさァ」

「決して人を信用しちゃあいけませんよ」

生きるには、知恵と覚悟が必要だ、ということか。

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帰ってきたラムネ3兄弟

6月13日(月)

あの地震から3カ月がすぎた。

先週の金曜日、何人かの学生にある作業を手伝ってもらったときのことである。

作業が終わってから、手伝ってくれた学生のうちのひとり、2年生のNさんが帰り際に私のところにやってきた。Nさんは、この3月に卒業したNさん(天然)の妹である。Nさん(姉・天然)はいま、故郷のD市にもどって働いている。

「昨日、お姉ちゃんと電話で話したんですけど、うちのD市、超ヤバイかもしれないって言っていました」

顔もそっくりだが、口調までそっくりである。

そのあともNさん(姉)の近況報告をしてくれるのだが、どうもあまり要領を得ない。要領を得ないところも、姉にそっくりである。

「とりあえず、お姉ちゃんが先生に伝えてくれと言っていたので、先生に報告しました」

そう言って、Nさん(妹)は帰っていった。

さて、今朝。

こんどは、やはりこの3月に卒業し、故郷のN町につとめるKさんから携帯にメールが来た。近況報告である。

N町は、震災の影響で町全体が避難を余儀なくされ、Kさんもまた、別の自治体に置かれた職場で仕事をしている。

「またひとり暮らしをはじめて、3週間がたちました。昨日支援物資として大型家電が届き、ようやくまともな生活ができるようになりました」

やはりまだ、ままならない生活が続いているようである。

先週の金曜日にNさん(妹)から、Nさん(姉・天然)の話を聞いたばかりですよ、と返事を送ると、さっそく返事が来て、「みんなに会いたいです~」と前置きしたあと、

「先日、新人歓迎会でたまたま来賓としていらっしゃった方が、Nさんのお母さんの知り合いだということがわかって、共通の話題で話がはずみました」

と書いてあった。世間とは、本当に狭いものだ。

そして今日の夕方。

授業が終わり、研究室で今日の授業の整理をしていると、やはりこの3月に卒業したA君(元局長)が研究室にやってきた。

「近くで研修があったので寄りました」

と、なんと、お土産の御菓子をもってやってきた。

「私、こういう者です」と、ネクタイを締めたA君が、たぶん研修で教わったとおりの名刺の出し方をしたので、それが少し可笑しかった。立派な社会人になったじゃないか!

しかし、中身の方は、あまり変わらない。

下クチビルにビックリするくらいインパクトのある男性上司の話だとか、現在の勤務地で、地元の方とお話しする機会が多いのにもかかわらず、方言がきつくて何をしゃべっているのかまったく聞き取れない話、などを、面白可笑しく話してくれた。

はからずも、この2,3日で、みんながそれぞれの持ち場で頑張っていることを知ってホッとした。

この、いまの気持ちを忘れないようにしなければならない。

組織の中にいると、知らないうちに、組織の論理に染まり、感覚がマヒしてしまう。

だが、その組織というやつがくせ者でね。ちょっと油断すると、硬直化したり、事なかれ主義に陥って、あっというまに腐敗していく。

組織のトップが愚かだと、なおさらである。現場の人間が、必死に踏みとどまって頑張らざるをえないことは、この3カ月間のこの国の様子を見れば明らかである。

だから、現場にいるひとりひとりが、硬直化する組織に抵抗して、必死で踏みとどまらなければならないのだ。

…あ、これは、自分自身に言い聞かせている言葉である。いかんいかん。

…と、ここまで書いてきて、あることに気がついた。

Nさん、Kさん、A君。

この3人は、ちょうど1年前に私に毒ラムネを飲ませた、あの「ラムネ3兄弟」ではないか!

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ショック!食料品売場消滅

6月11日(土)

研究仲間のTさん、そのTさんの大学時代の後輩のMさんが、うちの職場で会議があるというので来県する。昨年に続き、夕方、駅の近くで飲むことにした。

Tさんとは、東京の研究会でしばしばお会いしているが、Mさんと会うのは10年ぶりくらいである。

Mさんは学生時代、色白で痩せぎすの美青年、といった印象だったが、久しぶりにお会いすると、私とまったく同じ体型になっていた。

Tさんは、年齢が私と1歳しか違わないが、私がひそかに尊敬する研究者である。アジアを飛び回りながら研究する姿勢は、ちょっとまねできない。Tさんを見ていると、「研究するとは、腹を括ることだ」と、いつも思う。私自身は足元にも及ばないが、2年前に韓国に留学したことで、ようやくTさんと同じ土俵に立てたような気がする。

今回も酒を飲みながら、刺激的な対話が続く。日本企業の非グローバル性とか、東アジアの民族意識の問題とか、沖縄の現代史とか。

とくに沖縄の現代史の話には、考えさせられる。

「国を守るということと、国民を守るということは、同じではない。国家は、国を守るためには、国民を平気で切り捨てる。それは、沖縄の歴史をみればわかる」

「そうですね。たしかに国家は、国民に刃を向けることだってありますね。韓国でも、光州事件というのがありましたしね」

「中国の国民も、そのことをわかっている。そういう歴史を歩んできたから」

それは、今の私たちの置かれている状況、今後直面するであろう状況にも、通ずるものがある。だから私たちは今こそ、沖縄の歴史を知る必要があるのだ。

そんな話を、飲みながら4時間もするのだから、私たちもそうとう変わっている。

6月12日(日)

午後、職場で3時間半にわたる会議。出るのは職場の暗い話題ばかり。

夕方、終わって、夕食の買い物をしようと、歩いて家の近所のホームセンターに行った。

そこは、ホームセンターといいながら、生鮮食料品なども扱っていて、じつに便利な店であった。私が現在住んでいるアパートに決めたのも、歩いてすぐのところに、食料品が買えるホームセンターがあったから、というのが大きな理由である。

ところが、今日久しぶりにホームセンターに行ってビックリした。

店内が改装され、食料品売場があとかたもなくなっているではないか!

どうやら食料品販売から撤退したようで、本来の意味での「ホームセンター」に戻ってしまったようである。

「皆様のご要望にお応えして、売り場を一新しました」などと店内放送では言っているが、どう考えても、不便になってしまったとしか思えない。

本来の「ホームセンター」に戻ったのだから、こちらが文句を言う筋合いはないのだが、どうにも腑に落ちない。

震災の影響だろうか?と想像する。

震災後しばらく、このホームセンターでは食料品の入荷がまったくといっていいほど途絶えていた。ほかのスーパーに比べると、食料品の安定的な入荷が回復するまで、かなりの時間がかかったのである。

たぶん、食料品販売をメインとするスーパーであれば、食料品の仕入れのルートが確保できていたのだろうが、ホームセンターは、食料品販売専門のスーパーとは違い、仕入れのルートの確保が難しくなったのではないだろうか。それで、食料品販売から撤退したのではないか、と。

ま、今さらこんなことを考えても仕方のないことだな。おとなしく他のスーパーに買い物に行くとしよう。

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誰にも頼まれていない仕事

6月9日(木)

午後、3コマ連続の授業。

といっても、3コマ目は、90分を使って、映画を見せることになっていた。

(何を見せようかなあ)

この授業の担当が決まってから、もう半年くらい悩んでいた。黒澤明の映画は、90分ではとてもおさまらない長さだし、韓国映画は、好き嫌いが激しいだろうしなあ。

何より、授業の一環としてみせるのだから、授業科目の趣旨にあったものにしなければならない。単におもしろければいい、というものでもない。

悩んだ末、三谷幸喜作の「笑の大学」(映画版ではなく、演劇版のほう)のDVDを見せることにした。時間も100分ていどなので、授業時間としては許容範囲である。

少し話が脱線するが、スピルバーグ監督の映画「ジョーズJAWS」が日本で公開されたとき、映画監督の野村芳太郎は、脚本家の橋本忍にこう言ったという。

「私は今後、スピルバーグの作品を見ることはないでしょう。スピルバーグがこの作品以上の映画を作るとは思えない」

なるほど。私も、イタリア映画の「ニューシネマパラダイス」を見たときに、

「ああ、これを見ちゃったら、もうこの監督の今後の作品をを見ることはないだろうなあ」

と思ったものである。

三谷幸喜作品における「笑の大学」も、私にとってはそういう存在なのである。

わかりにくいか。

いまこの時期に、この芝居を学生たちに見てもらいたいと思ったのには、いくつかの正当な理由があった。

それがどのていど伝わったのか、興味があった。そこで、「見終わったあとにできれば感じたことや考えたことを書いてください」と、紙を配った。「ただし、『おもしろかった』『つまらなかった』『驚いた』」という語は使わないでください」とつけ加えた。

「おもしろかった」「つまらなかった」はともかく、授業の感想で一番多いフレーズは、「驚いた」である。「○○が××だったと知って驚いた」とか。

それくらいのことが驚くようなことか?何でもかんでも驚きすぎだぞ!と、いつも読みながら、つい笑ってしまうのである。まさに「驚きのインフレ状態」である。

だから、むやみやたらに「驚いた」というフレーズを使ってもらいたくないため、「驚いた」という語をNGワードにしたのである。

そのことを妻に言ったら、

「じゃあ、『仰天した』ならいいの?」と、相変わらずの屁理屈。

瞬時にそう言い換えることができるならば、それはそれで一つの才能ではある。

そんなことはともかく、時間を大幅に延長したにもかかわらず、受講した約50名のほとんどが、長い感想を書いてくれた。ふだんの授業とは比べものにならないくらいの、力作揃いである。

うーむ。私がふだんしゃべっていることなんぞ、一篇の良質な芝居の足下にも及ばないことが、これでよくわかる。商売あがったりだな。

どれも直截的な感想を書いてくれていて、微笑ましい。学生からこれだけの感想を引き出せる作品は、そうそうないのではあるまいか。

…ということに感動し、(そうだ、感想集を作ろう!)と思いたつ。みんなの書いてくれた感想をまとめて、冊子を作り、今度の授業の際に学生たちに配布することを考えたのである。

誰に頼まれたわけでもないのだが。

さっそく、書いてくれた感想をワープロソフトに打ち込みはじめるが、これがA4で6枚程度になってしまった。ほとんど半日仕事である。

(せっかくだから、表紙も作ろう)

ということで、表紙も作りはじめた。凝りだすと、もう止まらない。

(オレ、忙しいのに何をやっているんだろう?)

Photo_5 ひとまず、表紙と、裏表紙が完成。

日の目を見ないのも悔しいから、ここに載せておくぞ。

こっちは表紙。

Photo_4

で、こっちは裏表紙。まだ修正の余地があるかもしれない。

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面接で絶対に緊張しない方法

6月8日(水)

今日は、久しぶりに会議のない、穏やかな午後である。

だがこういうときに限って、こまごまとした仕事にふりまわされたりする。そのうえ、プリンターの調子が悪くなって、悪戦苦闘したり。結局、穏やかな午後を棒に振ることになる。

ま、人生、そんなものだ。

夕方、就活中の4年生が研究室に来た。この時期、就活中の学生なら誰しも、精神的に追いつめられているものである。

何度も書くが、私に就活の相談をするということは、寅さんに恋愛の相談をすることと同じである。私には、就活の経験が全くないのだ。

だが、寅さんの恋愛指南がかなりの確率で実を結ぶように、私の就活指南も、あながち見当外れのものではない、と思う。

私は過去に次のような記事を書いている。

喜劇・面接必勝法

続・面接必勝法

就活に悩む学生が、インターネットで「面接 短所」と検索すると、上の記事がヒットするらしい。で、かなりの人が上の記事を読んでいると見受けられる。ただしこれを読んで、参考になったのか、ならなかったのかは、まったく反響がないのでわからない。

今日の相談は、「面接で緊張しないためにはどうしたらいいでしょうか」というもの。

「面接の相手をこわがらずに、逆にこちらが面接の相手を評価するくらいの気持ちでのぞもう」

とか、

「質問をされたら、ひと呼吸おいてから話すようにしよう」

とか、

「いちばん大事なのは、人に対して関心を持つことである。目の前にいる人に関心を持って、『この人の話を聞きたい』という姿勢で面接担当者の話を聞けば、おのずとあなたに対する印象はよくなるものだ」

とか、

「『敵は怖い。誰だって怖い。だが、向こうだってこっちが怖いんだ』という、映画『七人の侍』の平八のセリフを思い出せ!」

とか、いろいろと言ったのだが、実際にはなかなか難しい。

「実は、絶対に緊張しない方法があります。これをすれば、絶対に緊張しない、という方法が」と私。

「何ですか?聞きたいです」と学生。

「本当にこれをすれば、どんな場合でも、絶対に緊張することはない!」

何度も強調して、私は続けた。

「手のひらに、『人』という字を3回書いて、それを大きく呑み込めば、絶対に緊張しません!」

ええぇぇっ!?

学生は拍子抜けしたようである。むかしからよく言われているベタなおまじないである。

でも、これには、ちゃんとした根拠がある。

まず、手のひらに「人」という字を3回書くというのは、どういうことか?

緊張のあまり、手先が震えるのを、こうすることによって落ち着かせるのである。

こんな話を聞いたことがあるだろう。

なぜ、救急車は119番で、警察は110番なのか?

むかし、まだ電話がダイヤル式だったころ、数字のところに指を入れてジーコジーコとまわすのだが、「9」や「0」は、ストロークがいちばん長い位置にあった。

どうも説明が難しいな。

ともかく、1、1とダイヤルを回して、最後に9や0を回すと、9や0はストロークが長いから、電話がつながるまでに、若干の時間的な余裕ができるのである。

そのあいだに、焦った気持ちを落ち着かせることができ、電話がつながったときに、落ち着いて状況を説明することができるようになる。だから、緊急電話の最後は、「9」や「0」なのである。

うーむ。ダイヤル式の電話を知らない世代の人に説明するのは難しい。

つまり、無理やりにそういう動作をすることで、気持ちを落ち着かせる環境をととのえるのである。

話をもとに戻そう。

では次に、なぜ「人」という字を呑み込むのか?

この動作は、いわば深呼吸を意味する。深呼吸をすれば、人間は、必ず落ち着くものである。

だが、面接の直前に、「深呼吸をしたら落ち着きますよ」といわれても、緊張していて、どうやって深呼吸をしたらいいかわからなくなるでしょう、たぶん。

だから、わざとこういう言い方をして、結果的に、深呼吸をさせるのです。こうすれば、深呼吸と意識することなしに、深呼吸することができるのだ。

まとめると、1.手のひらに「人」という字をゆっくりと3回書くことによって、緊張による手先の震えをおさえ、2.さらにそれを大きく呑み込むことによって、深呼吸をすることになり、結果的に気持ちがずいぶん落ち着くようになる。

どうです。合理的でしょう。先人の知恵は、合理的にできているのだ。

だから、面接の直前にこれをすれば、面接で緊張することなど絶対にありません。

「でも先生、私、それやってみたんですが、やっぱり緊張しました」と学生の反論。

「それは、信心が足りないからです!ちょっとでも疑いの心を持ってしまうと、効果はありませんよ。絶対に効果がある、と信じてやらないとダメです」

騙されたと思って、やってごらんなさい。

ちなみに私は、「全然止まらないしゃっくりを100%止める方法」というのも知っているのだが、それはまた別の機会に。

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ラスト3行のカタルシス

6月7日(火)

JR東日本の出しているフリーペーパーに、「トランヴェール」というものがある。新幹線に乗ると、前の座席のポケットのところに入っているやつである。

6月号の特集は、「共に。~東日本、明日へのメッセージ~」。高橋克彦、佐藤賢一、林望、池内紀、泉麻人、村松友視、津本陽、内舘牧子、といった、当代きっての作家、エッセイストたちが渾身のエッセイを寄せている。さらには角田光代の巻頭エッセイもあり、さながら今月号は「エッセイの教科書」といった趣である。

言葉の渇きをいやしたい人は、こんな日記なんか読まずに、今月号の「トランヴェール」を読んだ方が絶対いいよ。

先週の土曜日、結婚式に出席するために乗った新幹線の中で、食い入るように読んでしまった。

どの人の文章も味わいがある。なるほど、「味読」とはこのことか。

個性も違う。泉麻人さんは、いかにも泉麻人さんらしい切り口で、東北へのメッセージを語っていて、好きである。やはり「文は人なり」である。

最後の、内舘牧子さんの文章もいい。

私は、内舘牧子脚本のドラマを、ほとんど見たことがないし、文章も読んだことがなかった。内舘牧子さんといえば、大相撲の横綱審議委員としての姿や、最近では、大震災復興構想会議で作業服を着ている姿くらいしか、印象がない。

「岩手山よ、ありがとう」と題された文章。2008年12月、内舘さんは、旅先の岩手県盛岡市で、突然倒れた。緊急手術が行われ、盛岡市の病院で3カ月の入院を余儀なくされた。

あるとき、看護師さんが窓のカーテンを開けると、鮮やかな岩手山が見えた。そのときの岩手山の美しさに、内舘さんは感動する。「元気をもらう」「感動をもらう」という言葉が嫌いな内舘さんも、この時ばかりは、岩手山に「元気をもらった」のであった。

そこから内舘さんのリハビリが始まる。岩手山を見たいという一心で、である。そして、毎日岩手山を眺める日が続き、次第に筋力は回復していったのであった。

最後の3行がいい。

「私は今も東北新幹線の切符を買う時、

『岩手山が見えるところ、空いていますか?』

と必ず聞く。『元気をありがとう!』と、好きではない言葉を語りかけるためだ」

この3行を読んで、不覚にも泣いてしまった。

もちろん、私の拙い紹介では、内舘さんのエッセイ全体の醸し出す雰囲気が伝わるはずもないし、もとよりこれは私の「ツボ」にすぎない。それにしても、最後の3行で、一気に持っていかれた感じがするのは、どういうわけか。

(最後の最後で、ずるいよなあ…)

この、「最後の最後で持っていかれた感じ」は、前にも一度、内舘作品で経験していることを思い出した。

子どもの頃、「特捜最前線」という刑事ドラマが大好きで、よく見ていた。その中に、「シャムスンと呼ばれた女!」というエピソードがある。

これは、内舘牧子さんがまだ無名時代に書いた作品で、内舘さんの原案を、橋本綾という脚本家が脚色した。

覚醒剤の捜査で、横浜の裏町に潜入した桜井刑事(藤岡弘)と、紅林刑事(横光克彦)。そこで、覚醒剤密売にからんでいると思われる、シャムスンと名乗る女(風吹ジュン)と出会う。すべてを失い、すっかり心を閉ざしてしまっているシャムスン。桜井刑事は、彼女を通じて、覚醒剤の組織を暴こうとする。やがてシャムスンは桜井刑事に心を開き、桜井刑事もまた、シャムスンにひかれていく。

そして桜井刑事を本気で愛したシャムスンは、自らの命とひき換えに、桜井刑事の命を救う、という悲劇的結末を迎える。

火葬場の煙突から、まっすぐにあがる煙。シャムスンの火葬に立ち合った神代課長(二谷英明)は言う。

「帰ってゆくようだな。生まれたところへまっすぐ帰ってゆくようだ」

課長の言葉をいぶかしむ紅林刑事。神代課長が太陽の方を見上げる。「…シャムスンだ」

そこで紅林刑事が、はっと気づく。「太陽?」

「…シャムスンというのは、太陽という意味だ」

「そうですか…。太陽なんですか…」

そして紅林刑事もまた、太陽の方を見上げる。

私の拙い文章力ではうまく伝えられないのが残念だが、「特捜最前線」マニアの間では、傑作とたたえられる人間ドラマである。

そのラストシーン。波止場で、桜井刑事がひとりたたずんでいる。そこに、紅林刑事のナレーションが入る。

「太陽がこの世にある限り、桜井さんはいつまでも思い出し続けるだろう。シャムスンという女がいたことを。太陽になってしまった、女がひとりいたことを…」

そしてエンドクレジット。

ここで私は号泣。

(ずるいよなあ、本当にずるい)

内舘さんにやられたのは、だからこれで2回目である。

内舘さんのラスト3行には、気をつけろ!

…といっても、この感覚がわかるのは、誰もいないだろうなあ。

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謎の折り方

6月6日(月)

忙しくて、日記なんぞ書いている暇はないのだが、忙しいときに限って、余計なことをしたくなる。

先日、4年生のT君が、5月17日に行った新歓コンパのときの写真を持ってきてくれたのだが、その包み紙が、何とも不可思議な折り方をしていたのである。

Photo どこにでもあるA4サイズののコピー用紙を、正方形に切って、それを折り曲げて、封筒のように仕上げているのだが、一体どのようなやり方で折ったのか、まるで見当がつかない。

2_2 私も、折り目を研究しながら、同じように作ってみようと思うのだが、どうやってもできないのである。

3_2 ←とくにこの部分。一方の端には、正方形の造形がほどこされているのだが、どこをどうやったらこんな風にできるのかが、まるで見当がつかない。

これって、常識なのか?みんな、ふつうにできることなのか?学校で習ったのか?マニュアルはあるのか?たんに私が不器用なだけなのか?

それで思い出した。

韓国滞在中、どうしてもやり方がわからず、知りたいと思うものがあった。

20976 それは、「羊巻き」と呼ばれる、タオルを頭に巻く方法である。

韓国のチンジルバン(サウナ)などに行くと、ほとんどの人が、この「羊巻き」をしている(写真は、韓国を代表するテレビタレント、パク・ミソン)。

韓国人なら誰でもできる「羊巻き」。

どうやったらタオルをこのように頭に巻けるのか、不思議でならなかった。

あるとき、語学学校の3級クラスで一緒に勉強していたクォ・チエンさんという中国人留学生の女の子が、「羊巻き」のやり方を教えてくれて、ようやくわかった。やり方はじつに簡単だった。「コロンブスの卵」とは、このことだ。

この「羊巻き」。日本ではほとんど見かけないが、見た目がかわいいので、絶対に流行ると思うのだが。

…そんなことはともかく、私には、こういうことに関するセンスがまるでなく、考え出すと、あっという間に時間が経ってしまう。こんなことをしている場合ではないのだ。

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気分は金田一探偵

6月5日(日)

昨日、結婚披露宴で、じつに久しぶりにお酒を飲んだ。

すっかりお酒に弱くなったみたいで、披露宴でビールのほかにグラスワイン(赤)を2杯、2次会ではハイボール2杯、3次会で焼酎のお湯わりを1杯飲んだだけで、すっかり酔ってしまった。

その上、披露宴ではスイーツのバイキングなるものがあり、甘いものを食べすぎた。

いくら健康診断が終わったとはいえ、これでは少し調子に乗りすぎである。

今日の午後は、ある方と、ちょっとした踏査の約束をしていた。「ある方」とは、数多くいらっしゃる「地元の老先生」のうちのお一人である。

県内の会社に勤めておられたが、定年退職後は、ご自身の好きな研究をすすめていらっしゃる。数年前に、研究会でご一緒してからのおつきあいである。

昨年の11月ごろ、「先日、山の中の石の祠を調査していたら、先生の研究に関係の深い資料が見つかりました」と、メールでご連絡いただいた。

お話をうかがうと、たしかに興味深い資料である。いちど、現地に行きたいと思いつつ、時間がとれず、そのままになっていた。

そして今日、その方のご案内で、簡単な踏査をすることになったのである。

車で登山道の入口までは15分、そこから登山道を歩いて10から15分くらい、というから、べつだん遠いところにあるわけではない。ただ案内がないと、1人ではなかなかたどり着けないところだという。

登山道の入口に車を置き、今は誰も使わないという旧登山道にはいる。

Photo_3 旧登山道の入口には「きけん」とかいてある。

「いちおう、熊よけにラジオをつけましょう」その方は、携帯ラジオをつけた。

(熊が出るかも知れないのか…)私は急にビビッてしまった。

だが、そのラジオの音量が、とても小さいのである。

(あんなに音量が小さくて大丈夫かなあ。あれでは熊が聞こえないんじゃないか?もう少しボリュームを上げた方がいいんじゃないかなあ)

Photo_4 などと、例によって余計な心配をしながらも、道なき道を登っていく。

そしたら10分ほどで目的に着いた。「ここです」

目的の石の祠が、そこにあった。たしかにわかりにくい場所である。

祠に刻まれている文字をじっくりと観察する。

Photo_5 「これについて、地元には何か言い伝えはないのでしょうか」私が老先生に聞く。

「聞いてみたんですが、どうもよくわからないようです」

うーむ。ますますミステリーである。

少々イタい話だが、なんとなく金田一耕助探偵になった気分である。

「八つ墓村」で、金田一耕助探偵が、陰惨な伝説が残る村の八つ墓明神の石の祠を調査する場面。

「悪魔が来たりて笛を吹く」で、金田一耕助探偵が、石灯籠に刻まれた「悪魔ここに誕生す」の文字を発見して驚愕する場面。

そんな場面を思い出した。

「そろそろ下りましょう」

山道を下りて、車で町に戻った。

1時間半ほどで、ささやかな踏査が終了。

こんど、学生たちと一緒にあらためて訪れることにしようか。

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ふた組の結婚式

6月4日(土)

2005年に卒業したSさんの結婚式に出席するため、隣県に向かう。

Photo 私自身は結婚披露宴をしていないが、他人の披露宴に出席することは嫌いではない。人生のうちで、結婚披露宴ほど、多くの人に祝福され、かつ、多くの人に感謝できる機会はそうそうない。その場に立ち合える、というのは、何にしてもうれしいものである。

Sさんらしい披露宴だった。披露宴としての「お約束」や「段取り」をきちんと守りながら、その中に「笑い」や「遊び心」をふんだんに取り入れている。Sさんらしい、まじめさと明るさが同居した披露宴だった。

Photo_2 およそ9年ぶりに2人の卒業生に再会した。今日の主役であるSさんは、前の職場で教えていた学生で、私が今の職場に移ったあと、ほぼ同じ時期に編入してきた。つまり、前の職場と今の職場の両方で教えた、希有な学生である。9年ぶりに再会した2人の卒業生、というのは、私が前の職場の方で教えていた学生であり、Sさんの親友であった。

2次会の席で、その2人のうちのHさんが言った。

「先生、授業の中で『醍醐』のことをおっしゃったこと、覚えていますか?」

「覚えているよ」私は答えた。

醍醐とは、牛乳を濃縮して精製した、究極の乳製品のことである。美味とされるが、精製に手間がかかるため、幻の味ともいわれている。「深い味わい」という意味の「醍醐味」は、ここからきている。

…そんな説明を、授業中に余談として話したことがあったのである。

「あの話が今でもすごく印象的で、いつか、自分で醍醐を作ってみたいって思っているんです」

私にとっては、単なる雑談にすぎなかったんだがな。

だが授業とは、そういうものである。授業の本筋よりも、雑談として話したことの方が印象に残ることが多いのである。

Hさんの心の中には、私が言った「醍醐」の話が、間違いなく残っていたのだ。

些細なことであっても、卒業生たちに何かを残すことができたとすれば、それはとてもうれしい。

そしてこの10年の間で、そうした卒業生たちが東北地方一円に広がっていることは、私の財産である。

…なんてね。

ところで今日は、卒業生がもうひとり、結婚式をあげた。2007年卒業のIさんである。

1週間ほど前、卒業生のZ君から、「同期のIさんが、6月4日に結婚式をあげることになりました。ついては、ひと言メッセージをいただけないでしょうか。本人には内緒で、当日、サプライズで紹介したいと思います」というメールが来た。

さっそく、お祝いのメッセージを書いて、Z君に送った。Z君は、しっかりと代読してくれたことだろう。

「Iさん、本日は、ご結婚、まことにおめでとうございます。

Z君から、ぜひIさんにお祝いのメッセージを、とご連絡をいただきましたので、ひと言、ご挨拶申し上げます。

Iさんと同じ学年の学生は、いずれも個性的な人たちばかりで、とても結束が強く、例年になく、仲のよい学年でした。

しかし、実を申しますと、はじめから仲がよかったわけではありませんでした。コースに所属したばかりの2年生の頃は、お互いがあまり会話を交わすこともなく、じつに静かでした。「この学年、この先大丈夫だろうか?」と、本気で心配したりしました。

ところがその雰囲気を変えたのが、Iさんでした。Iさんは酒豪で、その外見的な印象からは考えられないくらい、日本酒が強かったのです。合宿やコンパでIさんが雰囲気を盛り上げてくれたおかげで、次第にみんなはうちとけていきました。Iさんがいなければ、この学年は、これほど仲のよい仲間にはならなかったでしょう。いまでもそう信じています。

Iさんの学年を遠くから見ていて、お互いが、精神的に支え合っているなあということが、よくわかりました。たぶん、卒業して何年も経った今でも、それぞれが大切な友人なのだと思います。これからも、きっとそうでしょう。

結婚も同じです。結婚とは、お互いが支え合うことだ、と思います。パートナーがいるだけで、ただそれだけで、心強いものなのです。結婚式が、共に支え合うパートナーとの新たな出発の日だからこそ、無条件に祝福されるべき日なのだと思います。

だから本日は、めいっぱい、みんなからの祝福を受けてください。

ひと言、といいながら、ずいぶん長くなってしまいました。最後に、新郎新婦の末永いお幸せと、みなさまのご健康を、心よりお祈り申し上げます。  2011年6月4日」

自分のことを棚に上げて、エラそうなことばかり書いてしまいましたが、おめでたいことが重なった、今日のよき日に免じて、どうかお許しください。

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妄想健康診断

6月3日(金)

1年のうちでも、「憂鬱な日ベスト10」に入る日。

そう、それは、健・康・診・断!

憂鬱、などと言っては罰が当たる。「1年のうちで、健康であることを感謝する日」だ。

だが実際のところ、1週間くらい前から憂鬱である。

お酒を断つのはもちろんのこと、今週は、月、火、水と連続で、スポーツクラブに行ったもんね。「焼け石に水」とはまさにこのことである。食事も、こんにゃくとかところてんとかを食べたりして。

「女子高生じゃないんだから」と、妻にも揶揄されるが、背に腹は代えられない。

で、今日の午前中、実際に受けてみると、やっぱり「焼け石に水」である。日ごろの健康管理のずさんさには、ほとほと呆れてしまうような状況である。

しかも、いまだに咳がたまに出る。

問診で、「どこか体調の悪いところはありませんか?」と聞かれると、多少、体調が悪くても「ありません」と、つい、嘘をついてしまうが、あれって、「体調が悪いです」と答えたら、どうなるのだろうか。そもそも、具合が悪い人が、健康診断に来るのだろうか、などと、屁理屈が次々と頭に浮かぶ。

昨年の問診で、私の横にいた人は、「どこか体調の悪いところはありませんか?」と聞かれて、「歯が痛いです」と答えていた。(だったら歯医者に行けよ!)と、思わず心の中でツッコミを入れた。

最も憂鬱なのは、胃の検査でバリウムを飲むことである。

3年くらい前から、胃の検査受けなければならなくなり、仕方なく毎年バリウムを飲むことになった。私は幸い、バリウムを飲むのにあまり抵抗はないが、検査前に他の人がつらそうに飲んでいるのを見ていると、つい、不安になってしまう。

検査室の前に立っている係のおじさんが、胃の検査の前に言う。

「まず、胃を拡張するためにこの発泡剤を飲んでいただきます。この粉を全部口に入れていただき、その後、この白い液で一気に流し込んでください」

このくだりを聞くたびに、なぜかいつも「帝銀事件」を思い出してしまう。

「飲むと、ゲップをしたくなると思いますが、絶対にゲップをしてはいけません」

「絶対にゲップをするな」と言われてしまうと、本当にゲップを出さずにいられるか、たちまち不安になる。ゲップを出さないように意識すると、かえってゲップが出そうな気がして、どうしていいかわからなくなるのだ。さらには、ゲップをしてみたい誘惑にもかられる。

そしてバリウムの入った紙コップを左手に持たされて、検査室に入る。

検査台に立つと、ガラスの向こうにいる係の人が「その白い液を全部、一気に飲みほしてください!」と言う。

やはりここでも、なぜか「帝銀事件」を思い出してしまう。

それから、検査台の上でかなりアクロバティックな動きをして、胃のレントゲン撮影が終了。

いつも思うことだが、あんなものを飲まされて、検査台の上であんなアクロバティックな動きができるというのは、健康な証拠なのではないか?

心の中でそんな屁理屈を言いながら検査室を出ると、ふたたびさきほどの係のおじさん。例の不安を煽る人である。

「バリウムを排出するために、下剤を飲んでいただきます。バリウムが排出されないと、大変なことになりますからね。2錠で間に合いますか?大丈夫ですか?」

そう言われてしまうと、また不安である。私は体重もあるし、2錠では足りないのではないか?

だが、他の人とのやりとりを聞くとはなしに聞いていると、「2錠で大丈夫ですか?」と聞かれて、みんな「大丈夫です」と答えている。その自信は、どこからくるのだろう?

「あのう、…ちょっと不安です」

「そうですか。じゃあ、もう2錠、さし上げます。それと、水分をいつもより多めにとってください」

「はあ」

私はご存じのとおりの汗かきなので、ふだんから人より多めに水分をとっているつもりであるが、さらに多くとれ、ということらしい。ということは、ビックリするくらいの量の水を飲め、ということか。

「水分をとらないと、出が悪くなりますから」

と、最後に不安のダメ押しをする係のおじさん。

うーむ。これでバリウムが出なかったらどうしよう、とか、バリウムがどのくらい出たら「終了」なのかわからないなあとか、大いなる不安を抱えながら健康診断が終了。

結論。健康診断は、心の健康によくない!

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寸止め!クドい話

6月2日(木)

疲れていると、頭のネジがゆるむのか、余計なことを口走ったりすることが多くなる。

というか、年齢のせいかもしれない。

「年をとると話がクドくなるのかなあ。以前は1コマで終わった話が、最近は1コマで終わらなくなることが多いんだよ」と、私より年上の同僚が言っていた。私も最近、そうかも知れない。

思春期くらいのころ、たとえば家で父親とテレビドラマを見ていてよくあった光景。父がテレビドラマを見て何かを思い出したのか、ドラマの内容とぜんぜん関係のない話をはじめたりした。「そういえばさあ…」とかいって、全然関係ない話を延々としはじめるのである。

(それ、いま見ているドラマと全然関係ない話じゃん。それに、今する話でもないじゃん。ドラマに集中できないよ!)と、よく思ったものである。

でも私も、もうその年齢に近くなっている。

私と同世代のDJも、最近はリスナーから来たネタのハガキを読みながら、

「これで思い出したんだけどさあ…」

と、ハガキのネタとは全然関係のないフリートークを延々とはじめたりするようになった。

やはり年をとるとクドくなるのか。というより、頭の中に浮かんできたことを、すぐに話さないと気が済まなくなるのかも知れない。

…と、ここまでの前置きも、そうとうクドい。

こんどの夏休みに、台湾の大学で2週間の短期研修を実施するので、ぜひ学生に宣伝してください、と同僚に頼まれた。

今日の授業で、その宣伝をすることにした。なにしろ私は、韓国に留学して以来、ことあるごとに学生に海外留学を勧めることにしているからである。

「たぶん、(2週間の海外研修は)面白いと思いますよ」

学生たちは、半信半疑である。

「いや絶対、面白いと思いますよ」

……まだ反応がない。

「ビックリするくらい、面白いと思いますよ」

根負けしたのか、学生たちが笑い出した。私の中で、「ビックリするくらい」という副詞は、「絶対」よりも上の、最上級なのである。

「なにしろ、いまの日本の文化を考える上で、台湾の文化を知ることはとても重要です」

ここから、全然関係ない話がはじまる。

「みなさん、『花より男子』って漫画、知ってるでしょう?あれをドラマ化して最初にブレイクさせたのは、台湾なんですよ。で、台湾で、F4とかいって人気になって、それが逆輸入されて日本でもドラマ化されたのです」

まさか私の口から、「花より男子」とか、「F4」とかいう単語が出てくるとは思わなかったようで、学生たちが苦笑した。

「さらにそのあと韓国でもドラマ化されて社会現象になったんですよ。でもこっちは思ったほど面白くなかった」

私は見ていない。すべて妻からの受け売りである。

ただ、韓国で社会現象となったのは、滞在中に私も目の当たりにしている。このとき「花より○○」という言葉が流行したのだ。電信柱に貼ってあった「空室あり」のチラシに、「花より部屋!」というキャッチコピーが書いてあったのには笑った。ある意味、「花より団子」という本来のことわざに近い使い方である。

…という話もしようと思ったのだが、話がどんどん横道にそれていくので、思いとどまった。

「それと、『山田太郎ものがたり』ってドラマがあったでしょう。二宮君が主演した…」

これも、私の口から出た言葉としては意外だったらしい。「二宮君」とは、「あ」ではじまる人気男性アイドルグループのひとりである。

「これも、原作は日本の漫画ですが、やはり台湾でドラマ化されてブレイクして、それが日本に逆輸入されて、二宮君主演のドラマになったわけです」

実は台湾版「山田太郎ものがたり(台湾でのタイトルは「貧窮貴公子」)」には、吉本新喜劇の島木譲二が出ているという豆知識も言おうとしたが、たぶん「島木譲二」が学生にはわからないだろうと、思いとどまった。

「…だから、台湾の文化と日本の文化はとてもつながりが深いのです」

余計なことを言いすぎた、と反省し、なんとか強引にこの話を終わらせた。

本当はこのあと、「二宮君といえばね…」と、映画「青の炎」の話をうっかり始めそうになったのだ。蜷川幸雄氏の演出と映像美は素晴らしい、もっと評価されていい映画だ、などと、延々話しだすところだった。あぶないあぶない。

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ツッパリが死語ではなかった時代

手塚治虫の短編漫画「ゴッドファーザーの息子」を読んでいたら、自分の中学時代のことを思い出した。

私の中学時代は、「校内暴力」などという言葉が流行っていた時代で、私の通っていた中学も、ご多聞にもれず、というより、市内で1,2を争う「荒れた中学校」だった。

各学年に不良グループがいて、「総番」とか「裏番」などというリーダー的存在もいた。

そんな中学で、私は1年生のときから、生徒会役員をつとめることになった。誰もなり手がいなかったためである。私以外の役員は、全員2年生である。

生徒会役員に選ばれてすぐ、生徒総会というものが開かれた。700人近い全校生徒を体育館に集めて、生徒会の1年間の活動成果や、今後の活動目標を表明する、というものである。生徒会役員6名は、体育館の舞台の上に着席する。これがじつに恥ずかしかった。

さてその時、事件は起こった。

2年生の不良グループが、突然、ボイコットを起こしたのである。「こんな総会なんてくだらねえ。先公(先生のこと)なんかクソ食らえ!大人なんてみんな信じられねえ!」みたいなことを言って、突然彼らは立ち上がり、自分たちの座っていたパイプ椅子をなぎ倒して、体育館の外に出て行ってしまった。

体育館は、騒然となった。

すると、正義感の強い生徒会長は、マイクを持って壇上で叫んだ。

「みなさん、静かにしてください!これから私たちは、この場に戻るように彼らを説得します。それまでどうか、待っていてください。みんなで生徒総会を成功させましょう!」

そう言うと、私以外の2年生の役員が、全員、舞台をかけ下りて、体育館の外に出た。不良グループの説得にあたりはじめたのである。

舞台の上でポツネンと残されたのは、1年生のこの私だけである。

(どうしよう…)

舞台の上でひとりだけ座っている恥ずかしさに耐えきれず、私もとりあえず舞台から下りた。

すると、1年生の友だちが笑いながら寄ってきた。

「お前も説得に行けよ。生徒会役員だろ」

「バカ!先輩を説得するなんてコワくてできるわけないだろ!」

「じゃあ、この場を何とかしろよ」お前がこの場をつなげ、という意味である。

「そんなことできるわけないだろ!」1年生の私にそんな機転が利くわけがない。

そして私を含めた全校生徒たちは手持ち無沙汰な時間を過ごしたのである。

1時間くらい経っただろうか?2年生の役員と不良グループたちが戻ってきた。

説得が功を奏したのだろう。不良学生たちは再び着席し、いよいよ総会が始まった。

これに感動したのが、先生たちである。とくに教頭先生は、生徒会役員たちが、不良グループたちの説得にあたり、みごと戻ってこさせた、つまり生徒たちだけでこの問題を解決したことに、最大限の賛辞を送ったのである。

しかし私は疑問だった。

不良グループたちが改心して、体育館に戻ってきたことを高く評価しているようだが、そのおかげで、ほとんどの生徒が1時間も待たされているのである。そのことに対しては、何とも思わないのだろうか?と。

不良生徒が立ち直ったことは美談になるが、ふつうに学校生活を送って、ふつうに頑張っている生徒は、ほめられることはない。

一見ふつうに見える生徒にも、鬱屈した思いはあるというのに。

正義感から、多くの生徒たちをほったらかしにして、舞台をかけ下り、不良グループの説得にあたったことは、生徒会役員として正しい行動だったのだろうか?

私には、正義感というものが、わからなくなってしまったのである。

さて1年後、2年生になって、私は生徒会長に選ばれてしまった。前年度の生徒会役員の中で、1年生が私だけだったこともあり、他になり手がいなかったのである。

(困ったなあ…)

前年度の生徒会長のような正義感がまるでない私に、はたしてこの荒れた中学で、生徒会長なんてつとまるのだろうか?ここから、私の苦悩の日々がはじまるのであるが、それはまた、別の話。

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