趣味、妄想。
6月21日(火)
妻はこの5月から、週に一度1コマだけ、大学で授業をしている。ふだん、授業とは無縁の仕事をしているためか、人に教えることに向いていないと思いこんでいるらしい。授業が終わるたびに落ちむのだという。
何を言うか!こちとら、毎日落ち込んでいるんだぞ。毎回授業が終わるたびに、軽く死にたい気持ちになるし、「学生にあんなこと言わなきゃよかった」と、反省することしきりである。
ま、それはともかく、妻は今どきの大学生の生態がめずらしいらしく、今日も授業が終わってから、短いメールが来ていた。
「最近の若者は…
1.授業中に携帯をいじっている。
2.カバンにデカいぬいぐるみを提げていて、帰宅中の猟師みたい」
なるほど、「帰宅中の猟師」か。うまいことを言う。
…というか、もうそういう風にしか見えなくなってしまったではないか!
私も注意して見たことはないが、たしかに、女子学生のカバンには、動物のぬいぐるみを提げているのが流行っているようである。さながら、仕留めた獲物を誇らしげにぶらさげているかのごとくである。
こうなるともう、妄想は止まらない。およそ猟銃を使いこなせそうにないような今どきの女子学生が、大きな動物のぬいぐるみをカバンからぶらさげているのを見ると、
(今日はずいぶんデカいのを仕留めたなあオイ)
などと、つい、学生が持ち歩いているカバンに目が行ってしまう。
「街でベージュのコートを見かけると、指にルビーのリングを探すのさ」(寺尾聰「ルビーの指輪」より抜粋)的な感じである(よくわからない)。
しかしあまりじっと見ていると、不審人物と思われそうだから、妄想もこれくらいにしておこう。
さて夕方。
1時間半ほどの作業をしに、いつもの場所に行く。そこで作業をしながら、集まった人たちと他愛もないおしゃべりが始まる。手を動かしながらの、井戸端会議である。
井戸端会議というと、オバチャンたちの専売特許というイメージがあるが、さにあらず。オッサンどうしだって、井戸端会議をするのだ。
「大河ドラマ」の題材は何がいいか、という話になる。
いろいろと出しているうちに、そろそろネタも尽きてきた。
「松尾芭蕉の『奥の細道』なんてどうです?」
「なるほど、いいですね。毎回、最後に必ず芭蕉が一句詠んで終わるとか」
「ずいぶん地味だなあ」
「じゃあ毎回、旅先で美しい女性に出会うというのは?」
「それじゃあ寅さんだよ」
「じゃあ、旅先で悪いやつをやっつける、というのは?『曾良(そら)さん、懲らしめてやりなさい!』とかいって」
「入浴シーンもあったりしてね」
「それじゃあ水戸黄門だよ!」
漫才とも大喜利ともつかない、くだらない話が延々と続く。
毎日落ち込むことばかり続くが、それに見合うだけの「くだらない話」を考えたり、喋ったり、書いたりすること。
これでなんとか、毎日をやり過ごしています。
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