疲労の真相
6月16日(木)
学生たちの間で、私が最近ひどく疲れた様子である、という評判が立っているらしい。
会う学生会う学生から、「先生大丈夫ですか。ひどく疲れているみたいですけど」と言われる。
しかも私が疲れている理由というのが、私が最近、ある「問題」を追いかけていて、その問題のあまりの根深さに、精神的に憔悴している、というのである。
私が最近、疲れていることは確かである。
そして、私が最近、ある「問題」を調べていくうちに、その背景にある闇の深さに、なすすべもなく呆然としている、ということも事実である。
しかし、私が疲れている本当の理由は、それではない。
ここのところずっと、スポーツジムに通いつめているからである!
今月の初めに受けた健康診断で、自分があまりにも不健康な生活をしていることににショックを受け、「このままでは、地球の生命よりも前にオレの生命が危ない!」と感じ、頻繁にスポーツジムに通うことにしたのである。
今日も行ってきたのだが、こんなことがあった。
私はランニングマシーンでウォーキングをするとき、iPodに入っている曲を聴きながら、その曲のリズムに合わせて歩調をとる。
今日は、渡辺貞夫が1980年代半ばごろのライブで演奏した「BOA NOITE(ボア ノイチ)」という曲を聴きながらのウォーキングである。私は、この曲を聴きながら歩くと、すこぶる機嫌がよくなるのだ。
いつものように曲のリズムに合わせて軽やかに歩いていると、私のとなりで、若いOL風の女性が、ランニングマシーンに乗ってウォーキングをはじめた。
しばらくすると、私の歩調と、そのOL風の若い女性の歩調が、完全に一致してしまったのである!
リズムに合わせて左、右、左、右、と歩いていると、となりの女性も、まったく同じリズムで、左、右、左、右、と歩いているではないか。
キモチワルイくらいふたりの歩調はピッタリである。
(はやく歩くリズムを変えてくれないかなあ…これでは、私がわざととなりの女性の歩調に合わせて歩いていると思われるじゃないか)
何しろこっちは、曲のリズムに合わせて歩いているから、私の方が歩くリズムを変えることはできない。となりの女性は、前にあるテレビを見ながら歩いているから、歩くリズムを変えることは容易なはずである。
だが、となりの女性も、いっこうに歩くリズムを変える気配はない。
ここでまた妄想が広がる。
(むこうも、こっちに対して「オッサン!はやく歩くリズムを変えろよ!何で私と歩調を合わせているのよ!キモ~イ」と思っているのではないだろうか?)
ウォーキングをはじめたのは、こっちの方が早いんだけどな。
しばらく意地の張り合い(?)が続いたが、どちらも折れず。
私は曲が終わると、この状況に耐えきれず、そそくさとランニングマシーンをあとにした。
(私の負け、か…)
やはり、疲労のおもな原因はスポーツジムである。肉体的にも、精神的にも。
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