『津軽』か、『思ひ出』か
6月28日(火)
自分の非力さに落ち込むばかりの毎日である。
やるべきことは次々とあるのだが、こんな時は、つい現実逃避をしてしまう。
先週の土曜日、研究会が終わり、地元の老先生たちと飲んでいたときのことである。
老先生のKさんがおっしゃった。
「太宰治の『思ひ出』という小説に、太宰が幼いころ、卒塔婆に付いていた黒い鉄の輪をからからと回して、そのまま止まって動かなければ極楽に行き、勢いが足らずに逆に廻れば地獄に落ちると叔母に教えられて、幼い太宰がやってみたら逆廻りすることがしばしばあった、なんて記述がありましたなあ」
Kさんがこんな話を唐突にしたのは、昼間の研究会で講演者の方がお話になった内容と、少し関わる話だったからである。
「叔母さんがやると必ずうまく止まったのに、なぜか太宰がやるとうまく止まらずに逆戻りしてしまう。たぶんそのとき太宰はまだ幼かったから、勢いよく廻せずに、鉄の輪が逆戻りしてしまったんでしょうな」とkさん。
すると横にいたI先生が、
「それは『津軽』ですよ。『津軽』に出てくる話です。『津軽』は、太宰がめずらしく誠実に書いた小説です」
とおっしゃった。
『思ひ出』も『津軽』も、中学の時に読んだきりで、そんな話があったことは、まったく思い出せない。
私の父方の祖父母は津軽の出身である。祖父母は仕事のために上京し、そこでずっと暮らしたため、ほとんど津軽に帰ったことはなかった。ただ私が中学2年の時、1度だけ、家族で津軽を訪れたことがある。
そのとき、私は太宰の『津軽』と『思ひ出』を読んだのである。
それがきっかけになり、思春期のある時期、ご多分にもれず太宰の小説を人並みに読みふけったが、大学生になるころには、すっかり読まなくなってしまった。以来、太宰とは、すっかり縁遠くなってしまっている。
それにしても、Kさんがこの話を『思ひ出』にあるとおっしゃったのは、記憶違いだったのだろうか?この話は、I先生がおっしゃるように『津軽』に出てくる話なのか?
気になって、『思ひ出』と『津軽』を調べてみることにした。
すると、やはりKさんがおっしゃるように、『思ひ出』に出てくる話であることがわかった。
では、I先生が間違っていたのか?
いや、そうではない。この話は、『津軽』にも出てくるのである。
正確に言えば、『津軽』では、過去に自分が書いた短編小説『思ひ出』の一節を引用する形で、この話が登場するのである。
だから、Kさんの記憶も、I先生の記憶も、たしかなのであった。
それにしても驚いたのは、この何気ないエピソードを、お二人が印象的に覚えておられた、ということである。
それほど有名なエピソードなのだろうか。私にはよくわからない。
ひとつ痛感するのは、私自身の肉体がまだ、東北の地に染みついていない、ということである。お二人の先生は、太宰の文学を、同じ東北の人間として、自らの血肉にしているのではないだろうか。
久しぶりに太宰治を読んでみることにしようか。
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